第16話 大宮 ~ 名古屋 1

 大宮 ~ 名古屋


 青春18きっぷを利用する際に、多くの人が共通して抱く感想がある。

「今どこ?」

「熱海です」

 それは、東京・名古屋間が、地図上で見るよりも時間がかかるということだ。

「今どこ?」

「静岡駅周辺です」

 その区間、何かの陰謀が働いているのではと僕は思うのだが、各駅停車しか走らない。急行や快速が一本たりとも走らないのだ。

「今どこ?」

「浜松です」

 どこまで行っても静岡県。どれだけ待っても静岡県。

「……今、どこ?」

「もうすぐ豊橋ですね」

「…………やっと、愛知県かぁー」

 ベンチシートの右隣に座る深町プロが、ぐったりとした様子で大きく息を吐き出した。

 気持ちはわかる。大宮を出てから五時間以上経過して、ようやく静岡県と愛知県の境界を跨いだのだ。万感の思いだろう。

 ほんとにな、と、左隣のトキワカさんを挟んだ向こう側にいる黄さんが追従する。

「こんなに時間かかるなら、車で高速走ったほうがまだ楽だ」

「銀ちゃん、年末からこんな旅続けてたんだよね? 大変だったでしょー?」

「ひとりだったら辛かったかもしれません。トキワカさんは、いつもとはどうです?」

「私も銀朱くんが話し相手になってくれたから、だいぶマシだよ。いつもならそろそろ、お菓子やけ食いしてるころだから」

 そう言うトキワカさんは、ポッキーをぽりぽりさくさくとかじって食べている。どうにも、彼女を見ていると、リスやハムスターのような小動物を連想してしまう。

 豊橋駅に着いて、その日は最後の乗り換えとなる名古屋行きの列車に四人で乗り込んだ。

 一月四日の午後二時ほど。

 長かった列車移動も、目的地はすぐそこまで迫っていた。

 それにしてもさー、とベンチシートに先ほどと同じ並びで座ってから、深町プロが口を開く。

「良かったの? 俺と黄さんの分まで青春なんとかきっぷ使っちゃって」

「いいんです。余らせてももったいないですから」

 大宮を出る時点で、僕とトキワカさんの青春18きっぷは二回分ずつ残っていたので、まとめて四回分を四人で一度に使うことにした。青春18きっぷは五日分でワンセットなのだが、ひとりで五回使うこともできれば、五人で一回分として使うこともできる。

 僕とトキワカさんの旅に深町プロと黄さんが同行を申し出たときに、トキワカさんが、じゃあこうしましょうと提案したのだ。

「私と銀朱くんは、明日の新幹線で博多に帰りますから、使わせてください」

「みんなで見送るよ。それよりさ、さっきの続きしようよ」

 深町プロは、列車内でトキワカさんに教えてもらったゲームを気に入ったようだった。

 いいですよ、と言ってトキワカさんは、ピンク色のリュックサックから、丼とサイコロを取り出した。

 サイコロを使うゲーム。その種目は〈チンチロ〉だ。


 僕も教えられて初めて知ったゲーム、チンチロ。

 使用するのは三個のサイコロと、丼。食器が必要とされるゲームなどかなり珍しいだろう。

 プレーヤーのひとりが親を取り、残りは子となる。チップのやり取りは親と子の間だけで行われる。子がチップを賭けて、親が勝負を受けるのだ。

 今回はチップの代わりにポッキーやプリッツなどのお菓子を賭けている。先刻まではトキワカさんのひとり勝ちだったので、持ちきれない分を食べて処理していた。

 その勝敗はサイコロの目によって決まるのだが、ただ単純に数字の大きいほうが勝ち、というわけではない。少し複雑な判定が用いられる。

 子がめいめい賭けてから、サイコロが振られる。最初は親の深町プロから。

 三個のサイコロを丼に投げ入れると、かんきんころりと、陶器が心地良い音を立てる。

 深町プロの左隣から僕が覗き込むと、サイコロの目は225だった。

「〈5〉だ。やったね。幸先がいい」

 深町プロはサイコロの入ったままの丼を隣の僕に回した。

 チンチロにおけるサイコロの〈出目〉は、三個のうちのどれかふたつがゾロ目になったときの、もうひとつの目が〈それ〉になる。今回の深町プロの場合は、2が揃っているので5で勝負となる。

 このような判定を用いて、〈出目〉が大きい者が勝者となる。

 子である僕がサイコロを振る。出たのは661。出目は〈1〉で、親の深町プロとの勝負は僕の負け。ゾロ目のほうは大きくとも小さくとも勝負に関係しない。

 次にトキワカさんがサイコロを振る。出たのは115。

「私は引き分けです」

「なーんだ」

 同じ〈目〉がぶつかったときには引き分けになる。

 最後に、黄さんの番。

「……あー、ダメだ。目なしだ」

 サイコロを振るチャンスは三回までで、それで〈出目〉が決まらなかった場合、〈目なし〉となって負けとなる。

 全員との勝負がついたので、回収と配当が行われる。僕と黄さんが賭けていたお菓子を深町プロに渡した。トキワカさんは引き分けたので損失はない。

「まだまだ親を続けるよ。張った張った!」

 子の賭けが出揃うのを見て、それっ、と深町プロがサイコロを振る。

「あちゃっ」

「あーあー」

 深町プロが出したのは441。出目は〈1〉で、この場合、無条件で親の負けが確定する。逆に親が〈6〉を出すと、無条件で親の勝ちが確定する。

 欲かくんじゃなかったなぁと呟きながら、子が賭けた分だけ深町プロは配当を渡していく。

 深町プロの親が落ちて、僕が親になる。すると、ここぞとばかりに皆が厚く張ってきた。

「ちょっと。イジメですか?」

「泣き言はやめな。勝てそうなときに強く行くのが博打だろう」

 黄さんの言い分はもっともだった。僕にはサイコロの運がまったくなく、勝敗の流れも読めず、これまでかなり負けていた。

 とはいえ親は勝負を受けなければならない。僕は念じながらサイコロを振った。

 一投目を外し、二投目も外したところで、最後の三投目。

「電車に乗りながらサイコロ振るのって、桃鉄みたいだね」

「そうですね。……おっ!」

 思わぬ目が出た。

「シゴロです!」

「げ。マジかよ」

 ここで言う〈シゴロ〉とは、サイコロを振って456を出したときの役物だ。これが出たとき、賭けの倍額がやり取りされる。賭けた分以上に勝ったり負けたりする可能性があるのがチンチロのスリリングな魅力のひとつだろう。

 親で役物を出したので、僕の勝利で確定し、賭けの倍の本数の菓子を徴収していく。

 次の勝負で、親を続行した僕は〈4〉を出した。

 それを受けて、トキワカさんが、ころりと優しくサイコロを投げ入れる。

「んー。ピンゾロ」

「えっ?」

「はい?」

「うわ、マジだ」

 男三人がトキワカさんの持つ丼の中に目を落とすと、サイコロの赤が三つ並んでいた。

 サイコロを三つ振って、すべて同じ目に揃うと〈アラシ〉と呼ばれる役物になるのだが、その中でも1を三つ揃えると、やり取りされる額が賭けの五倍になる。216分の1の確率の大当たりだ。

 つい先ほどの僕の勝利のほとんどをトキワカさんに持っていかれた格好に、勇気づけられたのは黄さんだった。

「よっし。ここで俺も、シゴロなりゾロ目なりを出して、松やんをぎゃふんと……」

 黄さんがサイコロを振った。

 すると、

「ぎゃふん!」

 言ったのは僕ではない。黄さん自身だ。

 黄さんの手から滑り落ちたサイコロが出した目は、チンチロでは絶対に出てほしくない負の役物。〈ヒフミ〉と呼ばれ、123が出ることを条件とする。

 先ほどのシゴロとは逆に、賭けの倍額を払わなければならない。

「ああぁクソっ! さっきから払いっぱなしだよ!」

「幸先悪いっすねー、黄さん」

「ほんとだよ。今日の金龍杯の雪辱戦も思いやられる。トキワカちゃんにいいところ見せられねぇかもな」

「今日はさ、トキワカちゃんは誰の応援をしてくれるの?」

 本日行われることになる、金龍杯決勝メンバーでの麻雀対決において、トキワカさんは立会人という古めかしい役割を担うことになっていた。

 トキワカさんは顎に指を当てて思案する。

「応援するなら、銀朱くんですね。一番負けそうだから」

 嬉しいやら悲しいやら。

「手牌の進行を見守りたいという意味でなら、黄さんです。夢がありますから。オーラスになったら深町プロのしのぎを後ろで見ていたいです。……ただ、」

「ただ?」

「もしも時間が許されるなら、是非とも周防さんと対局してみたいです。金龍杯決勝で見せたタフで粘り強い打ち回しを、敵として感じてみたいです」

 トキワカさんの希望に、男三人は、それぞれに納得の表情を浮かべて頷いていた。

 周防さんは強かった。麻雀を打つような人には見えないにもかかわらず。

 黄さんのような派手さも、深町プロのような鋭さも、周防さんは持ち合わせていない。

 麻雀における忍ぶ強さというものを、僕は周防さんから教わった気がする。耐えて、堪えて、隠れて、抑えて―――自分を律し、周防さんは戦い抜け、金龍杯を準優勝で終えた。

 予選期間中に〈アサシン・シード〉を獲得して決勝に上り詰めた周防さんともう一度戦うことは、トキワカさんに限らず、この場にいる全員の願いだった。

「んん。俺の番だったねー」

 深町プロが回ってきた丼を受け取り、サイコロを振る。

 一月四日の列車は、最後の目的地である名古屋に向けて、遅れなく順調に走り続けている。

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