第14話 金沢~大宮~川口 2
夕暮れの大宮の歩道を、歩く群集と逆行して、三人は歩く。
「……はー。そんなこともあるもんだねー」
僕とトキワカさんの前を行く男性が、人ごみをすり抜けながら呟く。その後頭部は、彼なりのファッションセンスによってワックスで固められている。
「そのシロっていうアイドルさんは、帰省で金沢に行ってたの?」
「仕事もあったそうです。お正月番組の中継だとかなんとか」
「あー。そういや俺も店のテレビで昨日見たような気がする」
歩道の集団をすり抜けたところで、ようやく三人で並んで歩く。
「深町プロは、お正月も仕事だったんですよね?」
「二十九日から今日の夕方までねー。毎年この時期は忙しいんだー。有給も貯まってたしー。そろそろ休まないとねー」
深町プロは僕よりも八つばかり年上なのだが、小柄で細身の体型や幼い顔つきから、未成年によく間違われると聞いたことがある。誤解の原因は社会人らしからぬちゃらんぽらんな言葉遣いのせいもあるだろうと僕は考えている。
「いつまで休みなんです?」
「んーと、あした……あさって……しあさっての半休までだねー」
「帰省されたりは?」
「俺んち川口だから、電車ですぐなんだ。『また来たのか』って言われるくらい帰ってるよ」
僕は生まれも育ちも九州なので、関東圏の地理がさっぱりで、そうなんですか、となんとなく相槌を打っておいた。
「っていうかさー、ふたりとも晩御飯、あんなんでよかったの? せっかくだしもっと奢るつもりでいたけど」
「十分です。ごちそうさまでした」
「私も。屋台の焼きそばには目がないんです」
「あー。見てるとおいしそうだよねー」
僕とトキワカさんと深町プロは、つい先ほど三人で、参詣客でごった返す氷川神社で初詣を済ませてきた。その帰り道の参道で、いろいろと目に付いた物を買い食いしていた。
「このあとどうする? カラオケでも寄ってく?」
「いいですね。トキワカさんは……」
「無理っ!」
視線を差し向けると、トキワカさんは顔の前で腕を交差させ、バッテンを作っていた。
「無理無理ダメダメ無理無理無理。私、歌ヘタクソだから。恥ずかしいから」
あまりの拒絶反応に、僕と深町プロはタッグを組んだ。
「行こうよ行こうよー。トキワカちゃんの歌、聞きたいなー」
「ダメですって。本当に下手なんですって」
「そういう人ほど音痴じゃありませんよ」
「音痴かどうかって話じゃないの!〈唄ってる自分〉が嫌なの! 見られるのが!」
「俺と深町プロでタンバリンでもマラカスでもやりますから。ガンガン盛り上げますよ?」
「チョーップ!」
「ぐえっ!」
とうとうトキワカさんがバッテンにした腕でクロスチョップを僕の喉元に見舞ってきたので、カラオケは却下になった。
「そんじゃー俺んち戻ろっか。お酒……は、ふたりとも未成年か。ジュースでも飲みながらゲームして遊ぼうよ」
結局その案に落ち着き、僕とトキワカさんは、荷物を置いてきた深町プロのアパートに招待された。
そこで三人で遊んだゲームは、〈ゲーム〉と呼んで現代日本の子供が簡単に連想するように、テレビゲームだった。
ただし、NINTENDO64の、初代〈大乱闘スマッシュブラザーズ〉だった。
「なんで、こんな、レトロな、ゲーム、持ってるん、ですか!」
「んもー子供のころから大好きなの。やりこんでるし。よっし、決めるぞトキワカちゃん!」
「合点です」
「あーっ!」
「とどめだ」
「ちょっ、だーっ!」
僕の操作するカービィが、深町プロのドンキーコングによって投げ飛ばされ、トキワカさんのネスによって空中に蹴り出され、投げつけられたスターロッドで場外にノックアウトされた。
「嘘つきましたねトキワカさん!『電源を使わないゲームが好き』って前に言ってたじゃないですか!」
「好きか嫌いかと、得意か苦手かは別の話だよ、銀朱くん」
「……にしても手慣れすぎですよ。64の世代じゃないでしょうに」
ため息まじりの僕の呟きは、がちゃがちゃとコントローラーを乱暴に操作しているふたりには届かなかった。
ひとしきりゲームで遊んだあと、これまでの旅の出来事を話したり、金龍杯についての話になったりした。
「一回戦は、深町プロにはずいぶん苦しい戦いでしたよね」
「そーなのトキワカちゃん。銀ちゃんが謎の
謎の擬音はともかく、確かに金龍杯決勝一回戦での深町プロは苦戦していた。ほかのプレーヤーのツモ和了りの多さもあるが、二回の満貫振り込みが痛かった。
しかし、深町プロの見せ場はそこからだ。
「このままじゃ店の先輩とかお客さんに笑われるー、って思って必死だったよ」
「お見事でした。
「どーかなー? オーラスの倍満なんかは逆に悔しかったよ。あと一枚裏ドラが乗ってれば三倍満でトップで終了できたのに、結局一回戦は三位で終わりだよ」
ねぇ、と話を差し向けられた僕は、首を振る。
「あの和了りがあったからこその優勝だと思います」
「そーかなー。一回戦がトップだったら、もっと余裕持って二回戦を戦えたと思うけどー」
金龍杯決勝二回戦は、激しい打ち合いになった。流局が一度もない乱打戦となり、それを制して優勝したのが深町プロだ。
「二回戦の南三局二本場で銀ちゃんに役満和了られたときなんか、『もうダメだー!』って思ったもんだよ」
嘘だ。
そのときの僕は、カメラに映らなかった深町プロの目を知っている。
あの眼光は勝負を諦めてなどいなかった。
「二回戦のオーラスさぁ、親番の銀ちゃんのリーチ、確か結構高かったよね?」
役満を和了れたものの、二回戦オーラスの僕は二着目だった。
深町プロの起死回生の和了りで僕の一回戦が最下位で終わったので、優勝するためには一位になるだけでは駄目だった。
「そのときのトップの周防さんに二万五千点差をつけて差し交わせば優勝だったけど……」
「オーラスの俺の手はツモるか一発か裏ドラで倍満でした」
それらの条件のうち、どれかを満たせば二万四千点の和了りだった。偶然もあるが、幸運に恵まれて、良い手が来ていた。もしもツモるか周防さんに直撃させることができれば、金龍杯は僕の優勝だった。
感情が態度に出やすいことを反省すべきだ。リーチをかけたとき、僕の手は震えていた。緊張と、興奮と、一度諦めかけた優勝が目の前に来てくれたことへの感謝で。
しかし、
「深町プロに、掻っ攫われましたが」
「悪いねー」
「俺のリーチが仇になるとは、計算ミスでした」
オーラス、深町プロが優勝するための条件は、〈誰かがリーチをかけた上でのハネ満ツモ和了り〉だった。
かなり厳しい条件だったが、深町プロはこれをやってのけたのだ。リーチ・ツモ・タンヤオ・ピンフ・ドラ―――そして裏ドラ。
トキワカさんが微笑みかける。
「一回戦で乗らなかった裏ドラが、最後に味方してくれましたね」
「……あれしか、なかったんだよねー」
深町さんの表情は、なぜか優れなかった。
「銀ちゃんのリーチが高そうだったしー、手をこね回してたら優勝はないと思ったから、タンヤオ・ピンフ・ドラ1で、ツモ縛り、かつ、一発か裏ドラ期待のリーチかけたんだー」
結果として深町プロはツモ和了って、裏ドラ条件もクリアし、準優勝の周防さんに三百点差という僅差での優勝をもぎ取った。
中継対局では稀なほうの激しい接戦での名誉ある優勝なのに、深町プロが暗い表情をしているのが不思議でならなかった。
「何か思うところが?」
「……人に言われたからってのもあるんだけどさ、結局運頼みの優勝だったなって」
そんなこと、と、僕とトキワカさんが同時に反論した。
「誰がそんなケチをつけたんですか。麻雀って元々そういう不確定要素の大きいゲームじゃないですか」
「銀朱くんの言うとおりです。私は深町プロの最後の和了り、感動しましたよ」
怒気すら混じらせて詰め寄る僕とトキワカさんに、ごめんごめんと深町プロは苦笑した。
「もちろん俺だって優勝は嬉しいんだよー? ただ、俺はこの競技のプロだからさ。『もっと別の選択があったんじゃないかなー』って考えちゃうの。……麻雀ってさ、何をツモるかは完全に運任せだけど、それ以外の選択はすべてプレーヤーの実力でしょ? 努力で突き詰められるところはちゃんと研究しなきゃ。でないと俺はプロ失格だよー」
あるとき聞いたトキワカさんの言葉が思い返される。
やはり深町プロは、
「あの対局は業界ではずいぶん盛り上がったけどー、鼻差で決着っていう危うい優勝は俺の理想じゃないんだよねー。どんなレースでも十馬身くらいの圧倒的な差をつけて、最後は歩いてでも一着になれるような実力が欲しいんだー」
砕けた表現をすれば、深町縹さんの印象は、チャラい。言動にしても態度にしても、どこか軽い感じのする人だ。良くも悪くも。
しかし、こと麻雀となると、深町さんの中に、理想の追求、努力の哲学、プロとしての矜持が見えて、彼を一層魅力的な人物にしてくれる。
そんな深町プロとは、やはり、
「……打ちたいですね、麻雀」
僕が身を乗り出すと、深町プロは笑いながら首を振る。
「未成年に夜更かしさせたんじゃ、せっかくの銀ちゃんのお母さんからの信用を台無しにしちゃうよ。今日はもう寝よう」
「俺の母親のことなんて、」
「慌てなくても明日があるよ。さー布団敷くから、テーブルどかすの手伝ってー」
当初の計画では、深町プロの部屋に泊まるのは僕ひとりだったのだが、旅の成り行きでトキワカさんを帯同することになった。
そのことについて深町プロは、LINEで、「トキワカちゃんが嫌でなければ、一緒に泊まってっていいよー」と提案してくれた。それを本人に伝えると、意外にも大乗り気だった。きっとホテル代を浮かせられるからだろうが、ひとりの男として不安になる。
「……あまりにも、無警戒なんだよなぁ……」
言い換えれば無防備というか無邪気というか。知り合って数日の
「……男として見られていないのか……」
「何ぶつぶつ言ってんのー?」
「いえ、何も」
「そう? じゃあ電気消すよー」
照明を落とされて、僕と深町プロは居間で横になった。深町プロは布団に。僕はソファに。
部屋を暗くすると、バスルームから聞こえてくるシャワーの音が大きくなった気がした。
「なんかエッチだねー」
「言わないでください」
「覗きに行かなくていいの? 仕返しはー?」
「トキワカさんが俺の風呂を覗いたのって、やっぱり深町プロの差し金でしたか」
「ばれたか。てへ」
暗闇のせいで見えないが、たぶん本当に深町プロはぺろっと舌を出していることだろう。
ソファの肘掛けに乗る両脚を組み替える。
「ごめんねー。俺、布団じゃないと寝られなくてさ」
「いやぁ、いいですよ。こっちはタダで泊めていただいてる身分なんで」
深町プロのアパートにあるソファも、それほど寝心地が悪いわけでもなかった。
深町プロの部屋にある布団は二組しかない。一緒の布団で寝るというアイディアは立ち上がりもしなかった。誰が誰と寝ても問題だ。深町プロはソファでは寝付けないらしいので、僕かトキワカさんがソファで、という流れになると、残るひとつの布団は必然的にトキワカさんのものになる。結果として、ソファのある居間に布団を敷いて男ふたりが眠り、深町プロが普段使っている寝室をトキワカさんが使うことになった。
できればそうしてもらえると、と願い出たトキワカさんに理由を聞くと、
「お化粧してるとこって、やっぱり見られたくないもんなんだねー」
「神戸でも似たようなこと言ってました」
トキワカさんが僕と深町プロの後にシャワーを浴びているのも、「ふたりが寝てからじゃないと嫌」という理由からだ。
「そういえば俺の前の彼女も、昔そんなこと言ってたなぁ」
「今はフリーなんですか?」
「いいね。いい表現だね。自由(フリー)!」
どうやら独り身らしい。
「銀ちゃんは? 彼女は?」
「……いません」
「好きな人は?」
厄介な方向に話が飛んでしまい、後悔が沈黙を呼んだ。
暗闇の隣から、明るい声が飛んでくる。
「黙ってないで恋バナしよーよー。俺の話も聞かせるからさー」
「……じゃあ、深町プロからお先に」
「俺はいるよ。好きな人」
あまりにもあっさりとした告白に、思わず隣を見る。
暗闇に慣れた僕の目が、天井を見つめる深町プロの横顔を捉えた。
「……どんな人なんです?」
「優しくて強い人。心が強いから優しいのかな? 心が優しいから強いのかな? とにかくとっても魅力的な人で、その人のことを考えると、すぐにでも会いに行きたい気持ちになるんだ」
今年で二十五歳になるはずの深町プロの表現は、どこか危ういくらいに純粋だった。
深町プロは高校を出てから、紆余曲折あって、ノーレートの雀荘でプロとして勤める傍ら、麻雀普及のために指導教室を開いていると聞く。
大人になるというのは、必ずしも、瑞々しさを失って萎びていくのではないのだなと思った。
「ほい、銀ちゃんの番。俺はちゃんと喋ったからね?」
―――ここで僕が「いません」と言ったところで、すぐに嘘だと看破される。
そもそも、正直に打ち明けてくれた深町プロに偽るつもりはないのだが。
バスルームからシャワーの音が聞こえている。
「……俺もいます。恋をしています」
「どんな子かな?」
「……初めて会ったときは、かわいい人だと思いました。……話していくうちに、変わった人だと思いました。……もっと話していくうちに、意外と普通の人だと思いました。……そして、……だけど、……その人と過ごしていく時間が長くなればなるほどに、その人は俺にとって、特別な人になっていきました。ただのかわいい人ではなく、ただの変わった人でもなく、ただの普通の人でもなく。……俺にとって、特別な人に」
僕が話し終えたとき、シャワーの音が止まった。
深町プロがひそひそと、声を低くした。
「……その恋は、実りそう?」
「……わかりません。深町プロは?」
「……俺は、自分の気持ちを伝えるよ。近いうちに」
バスルームの扉が開く音が聞こえた。
「…………おやすみ、銀ちゃん」
「……はい、おやすみなさい」
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