第13話 金沢~大宮~川口 1 

 金沢 ~ 大宮 ~ 川口


 翌日、一月二日、午前十時過ぎ。

「おはようございます」

「おはよー」

 トキワカさんは金沢駅で僕を見るや、急に手を伸ばして僕の頭を撫でた。

「濡れてる。お風呂入ったの?」

「せっかく大浴場があったんで、朝風呂してきました」

「ちゃんと乾かさないと……でも、いいなぁ、大きいお風呂。ちゃんと眠れた?」

「久々に時間を気にせず眠れた気がします……けど、もっと早く行動したほうがよかったんじゃないですか?」

「しょうがないよ」

 トキワカさんはキャリーケースのハンドルに両手を置いて苦笑する。

「私が言うことじゃないかもしれないけど、今日中に大宮まで行かないといけないとなったら、普通列車じゃ間に合わない。特急とか新幹線とか使わないと。慌てても仕方ないよ」

「……ですかね」

「とりあえず、みどりの窓口にダメもとで行ってみようか」

 僕はリュックを背負って、トキワカさんはキャリーケースを転がして、駅舎の中に入った。

 みどりの窓口にて、

「じゃあ、私ちょっと聞いてくるから。銀朱くんは特急の切符代と時間を調べてて」

「了解です」

 トキワカさんが窓口の列に並ぶのと同時に、僕のスマホが振動した。

 見ると、大宮に住む深町プロからのLINEだった。

 ようやく年始の休みが取れたらしく、「今日の夕方から会えるよー」とのことだった。

 フリック操作で文字を打ち込む。

『そのことなんですが。少しトラブルが』

『なになにどしたの? 財布落とした?』

『今、金沢にいて、北陸新幹線で大宮に行こうと思ったんですけど、終日満席みたいで』

 昨晩にトキワカさんがネットで北陸新幹線の予約状況を調べて判明したことだ。

 僕もトキワカさんも「予約しなくても席くらい取れるだろう」と高を括っていたのだが、未成年者が思っていた以上に、帰省していた関東圏の人間のUターンが早かった。

『なので、特急列車で名古屋まで行ってから、新幹線で大宮に向かおうかと思っています』

『えー?』

『すみません。なるべく早く着くように努力します』

『そうじゃなくてさ。銀ちゃん、なにか勘違いしてないかい?』

『勘違いですか?』

 僕がスマホを見つめながら眉根を寄せて首を傾げていると、みどりの窓口のカウンターから、トキワカさんが右手をぶんぶん振りながら戻ってきた。

「銀朱くーん! 新幹線乗れるみたいー!」

 トキワカさんに視線を逸らしているうちに、深町さんからの返事。

『立ちっぱなしが辛くなければ、新幹線は乗車券と特急券で乗れるんだよ?』

 僕とトキワカさんは、「席が取れないと新幹線に乗れない」と、誤解の上に早合点していた。


 金沢駅近くの定食屋に入り、素泊まりだった僕は遅めの朝食を摂り、トキワカさんは早めの昼食を摂った。

 そうして、十二時十二分、金沢発東京行きの北陸新幹線、かがやき524号に乗った。

「ここ、邪魔にならないかな」

「大丈夫じゃないですか? 頻繁に乗り降りがあるわけではないでしょうから」

 かがやき524号は、二時間ほどで着く大宮までの間に、富山と長野しか停まらない。

 自由席の取れなかった僕とトキワカさんは、乗り込んだデッキで乗車時間を過ごすことになる。トキワカさんは進行方向左手のドアの前で壁に押し付けたキャリーケースに腰を下ろし、僕はリュックサックを下ろして進行方向右手のドアの前の床に胡坐をかく。見てくれが悪いことは承知の上だ。二時間ずっと立ちっぱなしで見栄を張る根性は持ち合わせていなかった。

 そろそろと走り出した新幹線が、徐々に速度を上げていく。

「ふたりして、世間知らずだったね」

「一応乗るつもりでいた新幹線にちゃんと乗れたんですから、言いっこなしにしましょうよ」

 通路を挟んで言葉を投げ交わす僕たちのほかに、デッキで立っている乗客はいなかった。だからデッキは静かで、いずれ満席になる車両の中よりも息苦しくなくて快適かもしれない。

 途中、サンドイッチやお菓子や飲み物を満載したワゴンが、女性の客室乗務員によって押され、通り過ぎた。

「トキワカさん、検札とかあると思います?」

「ないでしょ。自由席ですらないんだから。……もしかして、切符なくした?」

 一瞬不安そうな顔をしたトキワカさんに、まさか、と首を振る。

「ちょっとトイレに。荷物見てもらえますか?」

「それはいいけど、またお腹痛いの?」

 どうやらトキワカさんの中で、僕は腹痛はらいたキャラになっているらしい。

 心配してくれる気持ちはありがたいが、言わせないでほしいとも思う。

「普通の便意ですよ。普通の」

「さようでございますか。我慢せずに行っといで。私のときも荷物見てもらうから」

 別に心配せずとも、ほとんど着替えしか詰まっていない俵のような僕のリュックをわざわざ置き引きする人間もいないだろうが、お願いしますと言い置いて、トイレに入った。

 音が外に聞こえないだろうかと一瞬考えたが、新幹線のトイレの中は使用者でさえ走行音が喧しく感じられたので、安心して用を足せた。

 トイレを出て、ありがとうございますとトキワカさんに声をかけようとした。

 僕は一瞬の間に、いろんな物事を後悔した。

 便意など我慢すればよかった。新幹線など、誤解したまま使わなければよかった。

 ―――トキワカさんが、ひとりの若い男に詰め寄られていた。

「へぇ、わざわざ電車で博多から。すごいね。大変だったでしょ?」

 男は二十代前半ほど。鼻筋の通った端正な面立ちで、すらりと身長が高くて脚も長かった。細身のジャケットがよく似合っていて、男も見とれるような笑みを表情に湛えていた。

 右手に煙草とライターを持っていたその男は、小柄なトキワカさんの頭上の壁に肘をついていた。彼女を逃がさないようにしているかのように見えたが、そもそも走る新幹線の中なのだから逃げようがない。トキワカさんも諦めているようで、ええそうですねと相槌を打っていた。

「なんでこんな所にいるの?」

「満席だったんで。……それより、こんな所で油売ってていいんですか、シロさん」

 トキワカさんの知り合いか、と一瞬思った。しかし、その男については僕も知っていた。

 テレビの中でよく見る、唄って踊る顔面アイドルだった。確か訓令式ローマ字の「SIRO」という名前で活動していたはずだ。少女マンガに出てきそうな顔は印象に残っていた。

「ちょっと煙草吸いたくてね。喫煙ルーム探してたんだけど……でも、煙草よりもきみと話しているほうが、ずっと気晴らしになりそうだから……」

「この新幹線はどこでも禁煙ですよ」

 僕が声をかけると、ふたりともが僕を見た。

「すみません。お待たせしました、トキワカさん」

「トキワカさんっていうんだ。珍しい名前だね」

 僕を無視するシロに、トキワカさんはため息をつく。

「お探しの喫煙ルームはないようですから、ご自分の席に戻られたらどうです? こんなところをファンに見られたら、あなたが誤解されますよ?」

「僕は何も悪いことをしていない」

「それなら私の友人にも気を遣ってください」

 もう一度嘆息するトキワカさんに対し、シロはちらりと僕を見た。

 品定めをする嫌な目が、ぱっと笑顔に戻ってトキワカさんの前に。

「僕さ、グリーン席をふたつ取ってるんだ。隣に誰か座られると、いろいろ話しかけられたりして眠れないから」

「羨ましいです。どうぞ休んでください」

「まぁそんなこと言わずに聞いてよ。……僕の隣のシートが空いてるから、トキワカさんに座ってもらいたいなと思って。きみとなら何時間でも話していたいと思うから」

 この男の中で僕は、路上に捨てられた煙草の吸殻程度の存在であるらしい。

 トキワカさんが、無表情のままに顔を上げた。

「彼もグリーン席に呼んでいただけるなら、構いません」

「残念だけど、席はあとひとつだけだ。……きみは男だから、別に立ってても平気だろう?」

 あからさまに馬鹿にするような目で僕を見下ろすシロに、何か言い返してやりたかった。しかし理性的な言葉よりも先に煮えたぎる感情が飛び出てしまいそうだった。

 僕は感情が顔に出やすいのだろう。シロがにやにやと笑っていた。

「きみがトキワカさんの彼氏だったら遠慮するけど……、ちょっと彼女とお話がしたいと思ってるだけだよ。それくらいのことも許してくれないのかな? そんなに嫉妬するなんてみっともないよ?」

 ここで感情的になれば相手の思う壺だ、というのは僕にもわかっていた。僕が野蛮な対応に出たら、そこで格付けが決まる。口で対抗しようとしても二枚舌のこの男には勝てないだろう。

 ここは耐える―――フォルドがベターだと、僕は自分を信じた。

 そこへ、

「それなら、シロさんの二枚のグリーン席の切符を、私たちにください」

 トキワカさんが突拍子もないことを言った。

「私たちが座ります」

「えっと……僕は?」

「あなたは男なんですから、立っていればいいんじゃないんですか? 平気でしょう?」

「……むちゃくちゃだなぁ。僕はきみとお喋りしたいのに」

「それならこの話は終わりです。無意味に不平等な施しは受けない主義ですから」

 きっぱりと断りの言葉を告げるトキワカさんに、胸のすくような気持ちを感じると同時に、シロに何も言い返せない自分が情けなくなった。

 頑なな固辞の態度を翻さないトキワカさんに、シロは柔らかな髪の毛をかきあげて苦笑した。

 そこで諦めるとばかり、僕は思っていた。

「……平等でないのは当然なんだよ。きみは僕にとって特別なんだから」

 何を言い出すかと思っているうちに、シロは片膝をつくと、トキワカさんの右手を取った。


「僕はきみが好きだ」


 トキワカさんは、目を大きく開いた。

 ―――先を越された、という思いは、拭えない。

「急にこんなことを言われても、信用してくれないだろう。遊んでそうなイメージを持たれやすいことも知ってる。だけど、窓からの景色を眺めているきみの横顔を見たときに、直感した。『僕はこの人を好きになる』と。その一秒後には、やっぱり好きになっていた。言葉としてはありきたりな〈一目惚れ〉だけど、まだ名前も知らないきみへの思いは、ありきたりでもなければ、ほかの女の子に向かう感情とも違う、特別なものだよ」

 シロの表情は真剣で、言葉は真摯だった。そしてあまりにも口滑らか過ぎて、芝居がかっていた。気障な態度や演劇的な台詞も、しかし打ち消してしまうほどには、やはり彼は非の打ち所のない美男子だった。

「ここで出会ったのも何かの巡り合わせだ。きっと偶然以上の。お互いに住んでいる場所が遠いから、これっきりでお別れになってしまうのは、とても寂しい。だからきみの友人には申し訳ないけれど、少しだけ僕と話す時間をくれないかな?」

 そのままの勢いでトキワカさんの手にキスでもするんじゃないかというシロの演説を、トキワカさんは黙ったまま聞いていた。

 ここまでくると、割り込めない。

 いくらなんでも、ここで割り込むのはひどい醜態になる。

 僕にはトキワカさんの返答を見守ることしかできなかった。

「……あなたは、私の恋人になりたいんですか?」

 トキワカさんは、手を握らせたまま、シロの目を見つめて質問した。

「それが叶うなら、今年は最高の一年になる」

「……わかりました」

 一番言ってほしくない言葉を呟いたトキワカさんは、薄く微笑んで、握られていない左手で、シロの頭を優しく撫でた。シロはトキワカさんの手を拒まなかった。

「きれいな髪の毛ですね。羨ましい」

「ありがとう。でも、きみの髪も素敵だよ」

「頭の形もいいですね」

 ここで終わりか、と絶望した。

 しかし、

「……アイドルの髪って、どれくらいの商品価値があるんでしょうか」

「ん?」

「あなた、私のためにスキンヘッドにすることができますか?」

 トキワカさんの急な〈お願い〉に、シロは当惑していた。そして彼よりかは彼女のことを知る僕は、何かが始まるぞ、と予感した。

「……きみがそういう髪型が好きだと言うのなら、事務所に相談してもいいけれど……」

「いいえ、そういう話じゃありません。私は質問してるんです。『私を恋人にするために、そのきれいな髪の毛を賭けられるのか』と」

 僕はこれから先の展開が読めたが、まだまるでわかっていないシロの表情から、初めて微笑みが消えた。

「……どういうことかな?」

「私とゲームで勝負しましょう、シロさん。……あなたが勝てば、私は今日から無条件であなたの恋人になります。愛人でも現地妻でも、望みどおりに。……ただし、あなたが負けたら、この髪の毛をすべて剃り落としてスキンヘッドにしてもらいます」

 トキワカさんの表情が微笑みから愉悦に変わっていくのを、僕とシロは恐怖して見つめていた。初めてこの男の感情に共感できた気がする。

「わっ……わからないなぁ。僕が負けたときは、誰も得をしないじゃないか」

「恋愛を損得で考えてるんですか?」

「そんなことは。決してそんなことはないよ。ただ、僕の仕事上……」

「この条件を飲めないのなら、アイドルだろうが俳優だろうが、あなたは私にとって特別になりえません。……ただの人類ヒトです」

 トキワカさんは、自分の手を撫でるシロの手を振り払う。


「私の勝負……乗りますか? 降りますか?」


 表情を消してじっと話を聞いていたシロは、くくくと含み笑いを零した。

 皮肉なもので、恐らくはトキワカさんの一連の発言が、シロの恋心に本当に火をつけた。

「……いいね。面白い。……最高に面白い。……乗るよ、その勝負」

 立ち上がったシロの目は爛々と輝いていた。微笑みよりも正直な感情の発露だった。

 結構です、とトキワカさんもまた、不敵に笑う。

「要するに……勝てばいいんだ」

「そのとおりです。ギャンブルとはそういうもの。勝てばあなたは、自分のイメージを守れるし、私を恋人にすることができる。何も失いません」

「きみとの出会いは運命を感じるよ、本当にね。……勝負はここでやるのかい?」

「ここでは通る人の邪魔になりますし、私たちにとっても邪魔になります。だから、あなたの席でやりましょうか」

「是非ともそうしよう。案内するよ」

 そう言ってシロは、デッキから立ち去った。

 すっかり成り行きから弾かれている僕に、トキワカさんが微笑んだ。

「ごめんね、銀朱くん。そういうわけだから、私の荷物、しばらく見ててくれる?」

 ピンク色のリュックサックを背負うトキワカさんを、僕は、何とかして引き止めたかった。

「トキワカさんが負けたら……旅はここまでですか?」

「負けたらそうなるね」

「嫌です」

 思わず、今にも立ち去ろうとするトキワカさんの手を取った。

「嫌です。俺は……俺はまだ、トキワカさんと旅をしていたい」

「……そうだね。約束したもんね」

 でもね、とトキワカさんは、彼女の手首を掴む僕の手に自分の手を重ねた。

「誰しもに、チャンスは平等にあるべきじゃないかな? あの人にも。……

 思わず、息が止まった。

「…………それは……」

「あの人の言葉にどれだけ真実があるのかはわからない。結局私が勝っても、丸刈りなんていう馬鹿げた約束は反故にされるかもしれない。……単純に、見てみたいの。あの人が私のために、どれだけ真剣に勝負してくれるのかを」

 ―――もう、止められはしない。

 今日で四日目の旅の間に、十分すぎるほどにわかったことだ。

 常磐若菜という女性は、そういう人なのだ。

「もう、行かないと」

「……はい」

 僕がゆるゆると、彼女を拘束する力を緩めると、ごめんね、とトキワカさんは謝った。

「……ゲームの種目は、決まってるんですか?」

 トランプか、花札か、それともサイコロを使うゲームなのか。

「それは……決まってるけど、銀朱くんには言えない」

 顔を上げると、僕の感情を見透かすかのような、優しい目のトキワカさんがいた。

「……銀朱くんには、、言えない」

「………………わかりました」

 僕がトキワカさんを完全に解放すると、彼女はするりと立ち去っていった。


 僕はデッキの中で、ひとり、待っていた。

 話し相手のいないデッキは本当に静かなもので、ときどき、ぐずる赤ん坊を抱えて母親らしき人が来るくらいだった。

 不思議とそわそわとした気分にはならなかった。

 先ほどまでのトキワカさんとシロのやり取りに、未来を見た気がした。遠い話ではない。近日中に確実に起こる未来の、僕とトキワカさんの姿を。

「……いや」

 違う。そんな未来は、トキワカさんが帰ってきたら―――勝ってきたらの話だ。

 何のゲームで勝負しているのかはわからない。しかしそれがゲームである以上、トキワカさんにも負ける可能性はあるはずだ。

 ―――煮え切らなかった僕自身について、後悔するかと自問してみるが、答えは否だ。

 僕とトキワカさんは、三日前の博多から出た列車で偶然知り合った他人同士で、そこから始まったこれまでの旅は、かけがえのないくらいに楽しい思い出になっている。

 だから―――良くも悪くも、他人同士でいられなくなれば、同じような旅は続けられなかっただろう。

 いつでも離れられる関係だからこそ、気遣い合い、続けてこられた旅だ。

 それを壊したくなかった。

 感情の欲求を宥めても、せめて、この旅が終わるまでは、と思っていた。

 しかし、あまりにも突然に、こんな中途半端なところで旅が終わってしまうくらいなら、もっと早くに―――

 僕が悶々と思考していたそのとき、車両内の自動扉が開いた。

 見ると、トキワカさんが立っていた。

 無表情に。

 彼女らしからぬ冷たい表情に、僕は、胸が苦しくなった。

「私の荷物、見ててくれてありがとう」

「……いえ」

 今ここで、僕の感情のありったけを打ち明けてしまおうかと思った。

「ごめんね。銀朱くん」

 しかしそれは、イカサマに近い行為だ。現状、勝負に参加していない僕が、絶対にやってはいけない不正行為だ。

 負けは負けとして受け入れなければならない。

「本当に、ごめんね」

「……いえ、いいんです」

「きみのノートも持っていけばよかった」

「…………………………はい?」

 顔を上げると、いっぱいに笑みを広げているトキワカさんが、自前のスケッチブックを僕に向けて広げていた。

「見て! シロのサインもらっちゃった! 深町プロや周防さんに自慢できるよ!」

 トキワカさんの持つスケッチブックには、恐らく三秒ほどで書き上げたと見られるマジックペンの曲線があり、その下には『常磐さんへ。約束は守るよ』というメッセージもあった。

「……かっ、……かっ、」

「か?」

「かっ、勝ったんです、かっ?」

 すんなり出てこない僕の問いに、トキワカさんは、茶目っ気たっぷりの横ピースで答えた。

 へなへなと全身から力が抜けた僕を、トキワカさんはにやにやと笑っている。

「びっくりした? びっくりした? びっくりした? 私が負けたかと思った?」

「……そんな心臓に悪い冗談は、やめてくださいよ……」

「サプラーイズ!」

 僕に対する小さなドッキリが大成功に終わり、トキワカさんは満足げだった。

 やれやれと苦笑しながら僕は姿勢を直す。

「シロさんは今、どうしてるんです?」

「変装してたみたいだけど、私にサインしてるときに周りにバレちゃったみたいで、今はサインと記念撮影でもみくちゃになってる」

 だからひとりで脱け出してきたの、とトキワカさんは語る。

「そろそろ大宮に着くしね」

「もうそんな時間でしたか」

「ひとりで待たせてごめんね」

「……それはもう、別に」

 暗い表情をしてはいけないと、別のことを質問した。

「シロさんとの勝負は、どうでしたか?」

「んー……。つまらなくはなかったけど、呆気なかったかな。本当はずっと前に勝負は終わってたの」

 それなら早く帰ってきてほしかった。

「『少しだけ話がしたい』って言われてね。……まぁ、私の出した無茶な条件に付き合ってくれたから、それくらいはいいかなって」

「スキンヘッドの件は、守ってもらえそうなんです?」

「実際アイドルだからね、あの人。『無理はしないでください』って言ったんだけど、『意地でも守る』って言ってた。……そうそう。銀朱くんにも伝言があるんだよ」

「伝言?」

 僕が聞き返すと、物真似のつもりか、トキワカさんはきりっとした表情になった。

「『失礼なことを言って悪かった。トキワカさんとの旅を楽しく続けてくれ』……だって」

「……そうですか」

 心の中の呼び名を改めよう。

 トキワカさんとの勝負と、その決着を伝え聞く限り、シロさんは、そこまで悪い人ではなかった。性格は最悪だったが。

「あともうひとつ。どうしても伝えてくれって」

「聞きます」

「『忠告する。侮るな。その女性は、とても手強いぞ』……ってさ」

「…………なるほど」

 言えるものなら、ライバルに一言、礼の言葉を伝えたかった。

 間もなく大宮に着く、と、北陸新幹線がアナウンスした。

「さぁ、仕切りなおして旅を続けようか」

「いろんな幸運に感謝しながら、そうします」

「そうだね。……ところでさ」

 乗降口が開き、僕とトキワカさんが大宮駅のホームに降り立つ。

は、?」

「……

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