第12話 三ノ宮~福井~金沢 3
―――福井駅に降り立つと、一瞬、テーマパークかと勘違いした。
「なにあれ。すごい」
福井駅の前のロータリーの中心には、数頭の恐竜がいた。
正確には恐竜のオブジェだが、本末転倒なことに、記念撮影にちょっと困るくらいにサイズが大きかった。
「なに? 福井県は新種の恐竜の化石でも発掘されたの?」
「そうでなければ詐欺ですよ。こんな大掛かりな置物」
駅舎の壁には、壁を突き破って現れる恐竜が描かれていたのだが、少し離れてみると、駅の建物全体に恐竜の絵が描かれていた。驚くほどの恐竜アピールだ。
僕たちが駅から出たのは東口で、西口のほうは広場が工事されていた。戻ってきたときに気付いたのだが、西口の工事現場の看板には「恐竜化石発掘中?」と書かれていた。その看板の下に、小さく「※本当は西口広場の工事です」と書かれていたのがおかしかった。
「恐竜博物館、というのもあるみたいですけど……」
「今日開いてるの?」
調べてみると、元日は休みだった。
「とりあえずどこかで休憩しようよ。疲れたから」
「お昼ご飯は?」
「……まだ十一時前ね。喫茶店でも探しながら考えよっか」
僕とトキワカさんは
トキワカさんがホットコーヒーをブラックで飲んでいるのに対し、僕は広島での失敗を考えて、アメリカンに砂糖を少し入れて飲んだ。
「アメリカンも美味しいです」
「銀朱くんはエスプレッソとは縁がないかもね。……なに見てるの?」
テーブルを挟んで向かいに座るトキワカさんに、スマートフォンの地図を見せた。
「博多からここまでくるのに、ずいぶん時間がかかったなぁ、と思って」
「飛行機ならあっという間に来られる距離を、三日もかけてね」
飛行機という人間の行動範囲を大幅に広げる移動手段が、生まれる前から当たり前のように存在していて、日本という島国を世界地図感覚で眺めてしまう。しかし列車だけで旅をしていると、その〈感覚〉が錯覚であることを知る。
「でもさ、途中下車も込みでここまでの交通費が、だいたい七千円くらいでしょ? 時間を差し引いてもお得な旅行だよ」
僕よりも現実的な尺度で、トキワカさんはこれまでの道程を振り返っていた。
「トキワカさんは、もう何度も青春18きっぷで旅行してるんですよね?」
「まぁ、何度かね」
「トキワカさんの思う、旅を楽しむための極意って、なんですか?」
コーヒーを一口含んだあと、トキワカさんは首を傾げながらカップを置いた。
「……別に私は旅人を生業にしてるわけじゃないけど……。でも、旅行を楽しもうと思ったら、方法は単純。楽しいことだけしてればいいんだよ」
シンプルだが的確な答えだった。
「旅行ってさ、〈休日に、暮らしている土地から離れること〉だと私は思ってるの。基本は休日なんだから、何をしてもいいのよ。海産物が有名な金沢でカレーライス食べてもいいし、京都でスタバに入ってもいいし、何もしなくてもいいし。ただ、自分のできる範囲で思うままの旅行をしていれば、それで十分なんだと思う」
「『あれをしなくちゃ、これをしなくちゃ』ではなく?」
「それを望んでるんだったら、帰りの飛行機までがちがちにスケジュールを組む自由時間一切なしの団体旅行でもいいと思う。……ただ、したくもないのに旅行するのだけは、間違ってると思う。単純に休日とお金の無駄だから」
なるほど、と頷きつつ、アメリカンを飲む。
これまでに三度、トキワカさんは青春18きっぷでの鈍行列車の旅をしてきたと聞いた。
彼女が何千キロの距離と時間を列車に費やしたのかは知らないが―――
「……これもまた、トキワカさんの望む旅、ということですね?」
「私に関してはね」
一時間ほど喫茶店で休憩したあとに、駅に戻りがてらカレー屋を探してみたが、結局見つからなかったので、駅弁を購入してから、十二時十二分発の金沢行きの列車に乗った。
山をすり抜けるようにして走る列車の中で、僕とトキワカさんは、若狭牛の牛飯をつつきながら、福井駅で記念写真を頼んできた人たちの話をしていた。
「ベトナム人だったよ。あの人たち」
「どうしてわかるんです?」
「自分たちで写真撮ってたとき、『モッ・ハイ・バー』って言ってたから」
ベトナム語で「1・2・3」を意味するらしい。
「詳しいですね」
「たまたまだよ。本当は年末年始で海外旅行しようかと思ってて、ベトナムに決まりかけたところで、ひいおばあちゃんが脚を骨折しちゃって……今日の旅行になってるわけ」
「どうしてベトナムに?」
「物価が安いしね。タイかベトナムかで考えてたんだけど、仏教に興味ないとタイってつまらないし。銀朱くんは、海外旅行するとしたら、どこに行きたい?」
「俺は……中南米がいいですね。メキシコかコロンビアかキューバか……」
「治安が悪そうな国ばっかりだね。どれも日本からの直行便がないし」
「いや、できることならキューバは特に、アメリカと国交が完全に回復する前に行きたいくらいです。世界から孤立している国の、陽気な貧しさの中で暮らしている人々の雰囲気を見てみたいんです」
「変わってるね」
「そうですか?」
トキワカさんのほうがよっぽど、と思ったが、今日の一日をずっと彼女と会話していると、これが彼女の〈普通〉なのだと思えるくらいには、〈変わった人〉だとは思えなくなっていた。
列車が山間を走る。緑の濃い山。正方形でない畑。まばらな人家。人は見えない。
車中は静かで、暖房の力というよりも、窓からの日差しで温かい。記録的な暖冬と好天のせいで北陸に雪がないというのは寂しい気もするが、旅行するにはもってこいの気候。
常温の、決して温かいとはいえない弁当は、それでも美味だった。
ふと―――
「幸せだね」
―――一瞬、僕の気持ちが、トキワカさんの口から飛び出たと思った。
「いい景色を見ながら、美味しい駅弁を食べて、のんびり過ごす……。最高だと思わない?」
「……異論は、ありません」
確かに最高だった。しかし、〈トキワカさんと過ごす時間〉というものもまた、この旅を〈最高〉にする要因なのだが、彼女にはそれが見えていなかった。さながら姫路城に登ると姫路城が見えないのと同じように、彼女自身にはその価値がわかっていなかった。
あえて口に出す必要もなかった。
「さっき、旅は楽しいことだけしていればいいって、言ったでしょ?」
割り箸を置き、なにやら真剣な表情をしているトキワカさんに、僕も箸を止める。
「私なんかと一緒に旅して、銀朱くんは楽しいのかなって、ときどき思うの」
「楽しいですよ。とても」
「うん。私もとっても楽しい。……でもさ、私と会わずにひとり旅をしているほうがもっと気楽で、黄さんとか、深町さんとか周防さんとかと会うときに、邪魔が入らなかったんじゃないかなって、思うんだ」
邪魔だなんて、と口を挟もうとしたが、急にトキワカさんは冗談っぽくけらけらと笑った。
「私なんかよりもきれいでスタイルのいい女の子と出会えたかもしれないでしょ?」
「………………」
トキワカさんは笑っていたが、同じように笑う気分にはなれなかった。
「楽しいですか? そういう想像」
「……ごめん」
トキワカさんは笑みを消して顔を伏せる。
「ごめんね、こんな話。……なんだか、私ばっかり楽しい思いしてるんじゃないかな、って。こんな私と旅してていいのかなって、思っちゃって。……ごめんね」
「……そんなことは、ないですよ」
弁当を脇に置き、向かいのトキワカさんに、ぐっと膝を近づけ身を乗り出す。
「俺は、トキワカさんと旅ができて、すごく、すごく、楽しいです。知らないゲームを教えてもらったり、一緒に観光したり美味しいものを食べたりして、とても楽しいです」
ほかの可能性など、考えない。今こそが最高なのだと信じる。
あえて口に出す必要もないと思っていたが、言うことにした。
「トキワカさんのようには、俺は記憶力が良くありません。……でも、この旅の思い出は、絶対に忘れません。たとえトキワカさんの名前や顔を忘れたとしても、素敵な女の人と旅をしたことは、一生の思い出になります」
一度覚えた九九を忘れないように、自転車の乗り方を体で覚えるように―――この旅の思い出は、きっと僕という人物の構成要素のひとつになる。その確信がある。
黄さんや、これから再会する深町プロや周防さんと同じく、トキワカさんを旅の思い出から外すことなど、最早できない。
「俺のほうが、トキワカさんの何倍も、この旅を楽しんでいます。……どんなゲーム、どんなギャンブルに負けても、これだけは俺の勝ちだと確信しています。安心してください」
気恥ずかしくなる前に、言うべきことと言いたいことを言葉にできた。
トキワカさんは目を丸くして俺の弁舌を聞いていたが―――不敵に素敵に、にやりと笑う。
「いくら賭けられる?」
「身ぐるみ全て質に入れてでも、
「もちろん」
トキワカさんのいつもどおりの表情に、安心する。
「私だって負けない。お互いに手札を隠しているから銀朱くんは知らないだろうけど、私のほうがずっとずっと、この旅を楽しんでるんだから」
列車は僕たちを運んでいく。
次の目的地へ。
テレビも部屋の照明も点けたままにして、いつのまにかうとうとしていた。おまけにベッドの上だった。充電中のスマートフォンが鳴らなければ朝までそのまま寝入っていただろう。
「もしもし」
『ごめん。もう寝てた?』
正月番組のやかましい馬鹿笑いが聞こえるテレビを消す。
「いえ、まだテレビ見てましたよ。そちらはどうです?」
『こっち? こっちはやっと、最後のお客さんが帰ったところ』
電話の向こうのトキワカさんは、今日は本当にごめんなさい、と謝ってきた。
『金沢までわざわざ付いてこさせたのに、一緒に観光できなくて……』
「いいんですよ。気にしないでください。俺は俺でそれなりに観光できましたから」
嘘は言っていないが、本当のことも言っていない。
予定が変わってひとりで観光することになったのだが、一月一日という間の悪さがもろに働き、近江町市場では店がすべて休業していて、案の定に金沢美術館も閉まっていた。
「兼六園、よかったですよ。無料開放してました」
『初詣は?』
「してませんね。どこも人が多すぎて」
正気の沙汰とは思えない行列を見てしまうと、よし初詣に、という気分にはなれなかった。
私も何もしてない、というトキワカさんの声に、彼女の不満げな表情を想像できた。
『もうずっと、ひいおばあちゃんの家でお客さんの相手したり、料理の準備手伝ったり……。さっきようやく食器が全部片付いたの』
「それだけ人望があるって、すごいことですよ」
『まぁ、それはそうだけど』
金沢駅に着いてから、ひいおばあさんの家に行くトキワカさんと別れ、僕は前日に予約したホテルに向かった。
トキワカさんの予定では、ひいおばあさんに年始の挨拶をしたあとに僕と観光するつもりでいたらしいのだが、彼女の母親がトキワカさんを引きとめた。
それというのも、中学校の校長を務めていたトキワカさんのひいおばあさんは、教え子や昔の同僚に大変に慕われていたらしく、十一月に怪我をして一時入院していたこともあり、見舞いがてら、ひいおばあさんの家に例年以上の多くの客が年始の挨拶をしにきたという。
酒も料理も事前にある程度準備してある。しかしすでに退院しているとはいえ、まだ介助のいるひいおばあさんに無理はさせられない。トキワカさんの母親だけでは手に余る。
―――という事情を、ホテルのロビーで駅伝を見ながら連絡を待っていた僕に、トキワカさんは電話で伝え、ひとりで観光してきてくれないかと申し訳なさそうに言ってきた。
まさか、何を差し置いてでも来い、と言えるわけもなかった。
『今日は本当にごめんね。私の都合に巻き込んじゃって。一緒に観光するつもりで金沢まで来てもらったのに』
「いいんですいいんです。本当に気にしないでください」
そのときも今も、そう言うしかなかった。
本当のところは、これまでトキワカさんと一緒に観光してきただけに、急にひとりにされて寂しかった。だが、昼間の列車でのやり取りを考えると、それを言っては彼女の重荷になってしまうし、男として情けない。
『ホテルはどんな感じ?』
「めちゃくちゃいいですよ。一泊四千円くらいなのにサウナつきの大浴場がありました。部屋も広くてきれいで、マッサージチェアも付いてました」
『うそー。羨ましー』
黄さんには申し訳ないが、すべての点で金沢で選んだホテルのほうが優っていた。ホテルの宿泊料金はホテル内の設備ではなく、土地なりの相場で決まるのだなと感じたものだった。
『ご飯は、結局どうしたの?』
もしかすると晩御飯くらいは、と昼間には聞かされていたのだが、結局トキワカさんはひいおばあさんの家を離れられなかった。
「抜け駆けしてカレー食べるのは気が引けたんで、コンビニでおにぎり買いました」
『せっかく金沢に来たんだから、土地の物食べればよかったのに。私は余り物が晩御飯だったけど、お刺身とかすっごく美味しかったよ?』
「ひとりで食べるなら何でも一緒ですよ」
言った瞬間に、しまった、と思った。
電話の向こうで沈黙が広がってしまった。
「あのー、トキワカさん?」
『……ほんと、ごめんね。私と旅行するの、楽しみにしてくれてたのに』
これまでの印象と違って、案外落ち込みやすい性格なのだなと、僕は頭の中で言葉を組み立てながら考えた。
「まだ、明日があるじゃないですか。旅は今日までじゃないんですから、そんなに気落ちしないでください。お願いですから」
トキワカさんは黙ったままだった。
これは、と僕は何かを感じ取った。
「トキワカさん、何かありました?」
『……ごめんね、銀朱くん。私の見立てが甘かったの』
不穏な切り出し方に不安になる。
「言ってください。どうしたんですか?」
『あのね……もしかしたら明日、北陸新幹線に乗れないかも』
「………………マジすか?」
トキワカさんから提出された〈問題〉に、僕たちは頭を働かせることになった。
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