第11話 三ノ宮~福井~金沢 2

「銀朱くんって、兄弟いる?」

 いますよ。中学三年生の妹がひとり。

「いいなぁ。羨ましい。私、ひとりっこだから」

 あんまりいいこともないですよ。甘えたがりの妹ですから。

「だから羨ましいの。私も甘えられるお兄ちゃんが欲しかった」

 あ、そっちですか。

「妹さんの名前は?」

 ましゅ、です。

「ましゅ?」

 真実の真に、朱色の朱と書いて、真朱です。松島真朱。

「かわいい。でもさ、マシューって英語では男の子の名前じゃなかったっけ?」

 そうなんですよ。それを英語の先生に指摘されてから父親に猛烈反抗期です。

「かわいいのに。お父さんかわいそう。……銀朱くんは、学校の成績はいいほう?」

 かろうじて人並みです。たぶん。おそらく。

 進学校の中の中くらいです。

「じゃあ進学なんだね。どこ目指すの?」

 近くの国立にしようかなって思ってます。

「九大?」

 いやぁ……俺は文系なんで、倍率考えると無理かなと思ってます。

 熊本大学か佐賀大学か……

 トキワカさんは、どこの大学なんです?

「……ひみつ」

 秘密ですか。

「全国的にはぜんぜん有名じゃない私立大だからさ。あんまり学校の名前で判断されたくないの。ごめんね」

 いえ。

 文系ですか? 専攻は?

「んーっと。……まだ一年生だから、専門的なことは何も。文系は文系だよ。でも今は、普通に英語の講義とか受けてるよ」

 ちょうどよかった。

「なにが?」

 実は俺のリュックの中には、まだ手付かずの英語の課題がたんまりと……

「やめてやめて。そんな期待しないで。私、頭悪かったもん。自分で手一杯。そもそもまともな入学試験も受けてないからさ」

 推薦ですか?

「そう。頭悪かったからさ。部活がんばったり学級委員やったりして内申上げたの」

 それはそれですごいですよ。計画的です。

 何部だったんです?

「吹奏楽部。トロンボーン吹いてた。銀朱くんは? 部活動やってる?」

 俺は美術部です。

「意外。絵が好きなんだ」

 絵はヘタクソです。たまにデッサンしますけど、その度に自信なくしてます。

「じゃあ何やってるの? 彫刻?」

 彫刻……いや、工芸ですかね。

 木彫のナイフを主に作ってます。木製のペーパーナイフですね。

「へぇ? どうやって作るの?」

 ホームセンターで黒檀こくたんの板切れを買うんですよ。型紙作ってそれに線を引いて、あとは彫刻刀とかヤスリとかで、ごりごり削っていくんです。

「大変そう」

 いや、楽しいですよ? 時間忘れて没頭できます。

 刃の部分をまっすぐきれいに研ぎ上げるときが一番楽しいんです。

「スマホに写真ある?」

 あります。ちょっと待ってください……


「銀朱くんのさ、麻雀を覚えるきっかけってなんだったの? 友達?」

 父親です。

「お父さんから教えてもらったの?」

 親父は教えてくれませんでした。俺が賭け事を覚えるんじゃないかって心配したみたいで。

 麻雀は、ひとりで覚えたんですよ。

「お父さんが遊んでて、興味湧いたの?」

 そうですね。父親がネットゲームの麻雀で遊んでたのを見てからです。

 うちの父親はテレビゲームでまったく遊ばなかった人間なんです。……でも、そんな人がときどきパソコン使ってゲームしてるのを見て、「麻雀って、機械音痴にパソコンを立ち上げさせるくらいに面白いゲームなのか」って、興味が出たんです。

「じゃあ、実際のキャリアはネット麻雀だけなんだ」

 麻雀で遊べる友達がいなかったんで、仕方なく。

 でも、ルールがわかりかけてきたときから、馬鹿みたいにパソコンにかじりついてネット麻雀打ってましたよ。本屋でルールブックを買って、役と点数計算を覚えて、ときどきは父親に質問したりして。

「はまるよね」

 罪深いゲームですよ、麻雀は。

 恐ろしいほどに時間を食う、悪魔的に面白いゲームです。

「……で、そのまま金龍杯の予選に参加、と」

 そうですね。普段使ってるネット麻雀のサイトが〈雀決闘ジャンケット〉でしたから。

 親父も予選に参加したんですよ。

「そうなんだ。見たかったなぁ、親子対決」

 トキワカさん以上に、俺がそうしたかったです。

 父親とは将棋で遊んだ経験はあるんですけど、麻雀はまだ、ありません。

 いつか親父と、卓を囲んでみたいと思ってます。

「いいね。それ。……私たちってさ、どちらかといえばギャンブラー的よね」

 どちらかというと?

 ギャンブラー的でなければ……

「言ってみればプロ的、かな? 深町さんは麻雀の競技プロでしょ? それを専門的に極めようとする人種じゃない」

 僕たちは、それとは違う?

「違うと思うなぁ。ゲームに関してはね。だって、突き詰めてしまえば、勝敗を運で左右されることを良しとしてるでしょ?」

 ……まだ、そこまで突き詰められるほどの実力はありませんけどね。

「でもでも、そうでしょ? 私たちはひとつのゲームを極めたいとは思わない。誰の味方にも付いてくれない幸運の女神様を信じて、運の要素が強いゲームで戦ってる」

 そんなところですね。

 将棋とは違いますから。

「そう、それ。本当の実力勝負を心から望んでる人は、将棋や囲碁を始めればいいのよ。強い人が弱い人に九分九厘勝つゲームで戦えばいいの。でも私たちは将棋よりも、麻雀やポーカーや花札が好き。それは……」

 キャリアの短い人でも、運で、経験者に勝てるから、ですか?

「もちろん長い目で見たら、上手な人が勝ち越すだろうけど……麻雀って理不尽でしょ? 正しい判断をしたからといって求める結果が得られるとは限らない」

 逆に、正しくない判断をしても、求めていた以上の結果が得られる、という場合もありますけどね。

 麻雀を、完全に実力で勝てるゲームにすることは、ルールを変えれば可能ですよ。

「どうやって?」

 対局者全員の手牌を開いて、牌山も全部開けて対局するんです。

 そうすれば、将棋のように、先を読む力のある人が勝つ勝負になりますよ。

「やだよそんなルール。めんどくさい」

 ですよね。


 ………………

「………………」

 ………………

「……はい。もういいよ」

 もうですか? もう覚えたんです?

「試してみたいって言ったのは銀朱くんでしょ?」

 じゃあ、問題です。

 この推理小説に出てくる、依頼人の母親の名前は?

「キャロライン」

 依頼人の母親の妹は?

「アンジェラ・ウォレン」

 ジョン・ラタリーとは?

「依頼人の婚約者」

 フィリップ・ブレイクとは?

「依頼人の父親のエイミアス・クレイルの親友」

 エイミアス・クレイルの愛人は?

「エルサ・グリーア」

 依頼人の名前は?

「カーラ・ルマルション」

 レディ・ディティシャムとは?

「ん?……ああ、ひっかけ問題ね。レディ・ディティシャムはエルサ・グリーアのこと」

 ……モンタギュー・ディプリーチとは?

「キャロラインの弁護人」

 依頼人の母親の妹の家庭教師は?

「んーと、セシリア・ウィリアムズ。聞き方がいじわるだよ」

 俺が家から持ってきた、この推理小説のタイトルは?

「〈五匹の子豚〉」

 この推理小説の作者の名前は?

「アガサ・クリスティー」

 クレイル家の弁護士の名前は?

「ケイレブ・ジョナサン」

 ……それじゃあ最後に、この推理小説に出てくる、私立探偵の名前は?

「エルキュール・ポアロ」

 ………………驚きました。

 全問正解です。

「いえー」

 本当に、すごい記憶力ですね。登場人物の欄をちらっと眺めただけなのに。

「もっと。もっと褒めて」

 ……実は同じ本持ってた、なんてことないですよね?

「よしわかった。終わらない歌を唄おう」

 はい?

「3・141592653589793238462643383279502……」

 ちょっ、一旦ストップ。

 止まって、止まってください。

「……これで信じた?」

 はい。もうたっぷり。

 ……円周率をそれだけ暗誦できる人なんて、初めて見ましたよ。

 合ってるかどうかは俺にはわかりませんけど。

「またそんないじわるなこと言う。寝るときに耳元で囁くよ?」

 勘弁してください。

 ……何桁覚えてるんですか?

「わかんない。数えたことないし」

 どうしてそんなに……

「三年くらい前からかな。……嫌なことがあるとね、円周率を唱えるようにしてるんだ。何回も何回も唱えてると、そのことに夢中になって、嫌なことを記憶の底のほうに押し込められるの。……それを何回も繰り返してたら、いつの間にか、これだけ覚えちゃった」

 ………………

 ……いや、素直にすごいと思います。

 トキワカさんの記憶力の良さにも納得です。日ごろから鍛えてるんですね。

「鍛えてるっていうか、習慣だから」

 ……ほかにも何か、たくさん覚えてるものとかあるんですか?

「私、覚えるなら数字が好きなの。2の平方根とかも百桁くらい言えるよ?」

 へぇ。

 少しだけ、唄ってくれますか?

「いいよ。聞かせてあげる」


「ちょっと疲れたね」

 そうですか?

「徹夜の疲れもあるかもだけど」

 昼には金沢に着きますから、ゆっくり休みましょう。

「うん。でも、観光もしたいでしょ?」

 どこか名所を知ってます?

「えー? 兼六園とか、金沢美術館とか、茶屋街とか、近江町市場とか、かな?」

 行ったことは?

「ないね。そういえば。金沢に行くのも今回が二度目だし」

 まぁ、会う人もいないんで、観光するしかないんですけど。

「そんなこと言わずにさ、楽しもうよ。姫路でも倉敷でも広島でも、少しだけどちゃんと観光したじゃない」

 ……そう言われると、つまみ食いみたいでも一応、いろいろと観光してますね。

 まぁ、姫路城は堀の外から見ただけですけど。

「登りたかった?」

 惜しいことに、城に登ると城が見えません。

「あはは」

 時間もなかったですし。

「姫路では、お城見たあと、お昼ご飯だけ食べたね。……倉敷は思ってたより良かった」

 美観地区ですよね。確かに風情があって素敵でした。

「私は倉敷に行って、フクロウのかわいさを思い知ったよ」

 あぁー。

 確かに、かわいかったですね、フクロウ。

「ああいうのも動物園っていうのかな?」

 どうでしょう。〈フクロウの森〉は完全に屋内だけの施設でしたから。

 生体展示館、とかですか?

「わかんない。……あそこってさ、リスも一緒に飼育してたじゃない? フクロウってリスも食べるよね? リスは怖がらないのかな?」

 俺もそれは不思議に思ってたんですよ。

 これはフクロウの注意を引くために飼ってるんですか、って飼育員の人に質問したら、別の施設で殖えたのを引き取っただけらしいです。

「あ、そうなんだ」

 リスは全然怖がってないらしいですよ。大きいフクロウが入ってきたときも平然としてたって言ってました。

「小さいけど大物だね。……あー、お腹減ったな」

 朝からお菓子しか食べてませんからね。

 どこかで弁当でも……

「広島のお好み焼き、おいしかったよね」

 同感です。

 広島のお好み焼きって、麺とかキャベツとかが層になってるから、味と食感に飽きが来ませんよね。

「簡単に作れないのが惜しいよねー」

 ですね。道具とかテクニックとか、ホットプレートで素人が真似できるものじゃありませんでしたね。

「次に広島に行ったら食べ比べしてみようかな。……銀朱くん、お昼、何食べたい?」

 食べたい物ですか?

 んんー……

 ……カレーですかね。

「ほほぅ。カレーライスとな」

 そりゃ正月ですけど、そんなの関係なしにカレーが食べたい気分です。

「ちなみにちなみに、松島家ではどんなカレー作るの?」

 普通のカレーですよ。ただ俺は、その上に目玉焼きを乗せて食べます。

「ほほほぅ」

 トキワカさんは?

「お母さんがカレー作るときは、必ずエリンギを入れるの」

 エリンギですか。

「そう。私も自分で作るときはそうしてる。違った食感があって、おかわりが進んで……」

 ………………

「今の、銀朱くん? お腹がぐーって」

 ……腹の虫は、抑えられません。

「もー! なんでカレーの話なんかするの? カレー食べたくなってきたじゃん!」

 食べたい物を聞いたのはトキワカさんじゃないですかぁ。

「決めた! お昼はカレーにする! 疲れたし福井駅で休憩するから!」

 福井駅の近くにカレー屋がなかったら?

「いやなこと言わないでよ。……これはあれね、お腹も減ってるから疲れてるんだ」

 ハンバーグカレーにチーズをトッピングしてもいいですよねー。

「もうっ!」

 あははっ。

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