第10話 三ノ宮~福井~金沢 1
三ノ宮 ~ 福井 ~ 金沢
十二月三十一日の晩から始まった年越し麻雀は、新年早々僕がダブル役満に振り込んだところで、一旦お開きになった。
黄さん親子はまだまだ打つようで、僕とトキワカさんだけが部屋に引き上げた。
エレベーターの中で、
「銀朱くんは……」
「寝ます。仮眠も取ってないんでさすがに眠いです」
それに、未成年が深夜に大人と混じって麻雀を打つ、というのは、褒められたことではないだろう。いくら金を賭けていないとはいえ。
滅多にない機会だから、できる限り黄さんと打っていたい、という気持ちももちろんあるのだが、仕方ない。
「トキワカさんは……」
愚問だった。大きな瞳が生き生きと輝いていた。
「シャワー浴びて化粧直して、第二ラウンドね」
「徹夜ですか?」
「その場の空気次第かな」
「さいですか。……明日は七時発の列車、ですよね?」
「そーね。今度はちゃんと起きてきてよ? 今朝みたいな下品なモーニングコールを皆の前でさせないでね」
どうやらトキワカさん自身は娯楽室の麻雀卓の前で徹夜する気らしい。麻雀に関しては呆れた根性だ。
同じ階の隣り合わない部屋をそれぞれ用意されていたので、エレベーターの前で別れた。
「寂しくなったら娯楽室においで。かっぱいであげるから」
「今年の運勢的には身ぐるみ剥がされそうです」
つい先ほどダブル役満に打ち込んだばかりで、勝てる自信など到底持てなかった。
部屋に戻ってシャワーを浴び、歯を磨く。脱いだ下着やら靴下やらをビニル袋にまとめながら、そろそろどこかで洗濯しないと着る服がなくなるな、と思案する。下着よりも靴下がやばかった。昼間の一日中靴を履いていて、しかも暖冬なので割と汗もかく。わざわざ嗅ぎはしないがにおいがきついだろう。
午前一時を回り、明日のことを考えてテレビもつけずに部屋の照明を落とす。今までの年越しは親が許す限り夜更かししてテレビを見たものだが、寝床に着いたときの満足感は、今回が格別だった。
明日は何をしようか。金沢ではどんな観光ができるだろうか。
そんなことを考えているうちに、眠ってしまった。
起きていた時間が長かったからか、眠りも深く、その分寝起きも良かった。スマホのアラームの鳴る一瞬前に目を覚ましたことには自分のことながら驚いた。
手早く身支度を整えて娯楽室に行くと―――充満する煙草のにおいに顔をしかめた。
うっすらと煙草の煙で白くなっている淀んだ空気の娯楽室では、ソファで眠っている若い男性を除いて、四人だけで静かに麻雀を打っていた。
そのうちのひとりがトキワカさんだったのだが、あとの三人は知らない人たちだった。
「おはようございます、トキワカさん」
「んぁ? あぁ、おはよぉ、ぎんしゅくん」
半分うつらうつらとしているトキワカさんは、にへにへと笑いながらまどろんだ半眼で僕を見上げた。ほかの三人の男性も気だるそうな感じだった。
「黄さんと永吉さんは?」
「永吉さんはぁ、あのあとすぐ寝たー。博文さんはついさっきフロントにー」
「あとどれくらいかかりそうです?」
「んー。……わかんない。でも、これでラス半(最後のゲーム)だから、ちょっと待っててー」
「わかりました。頑張ってください」
「あいよー。あ、ポンです。ポンポン」
寝ぼけながらも麻雀だけはちゃんと打っているトキワカさんに苦笑しつつ、僕は一階の受付に顔を出した。
フロントでは、先ほどまでトキワカさんと徹夜で麻雀を打っていたはずなのに、少しも乱れていない黄さんが立っていた。
「おはようございます」
「おう。眠れたか?」
「お陰さまでぐっすり」
「何よりだ。七時前には出るんだっけ?」
「ですね。もうちょっとゆっくりしたかったんですけど」
「ほんとだよ。もうちょっと遅らせてもいいんじゃないの?」
「近道のない旅行ですから、そのまま到着時刻に響くんです」
「まぁ確かに、あんまり遅く着いてもな」
しばらく黄さんと雑談していると、トキワカさんがやってきた。足取りこそ確かだが表情が心なしかぼやけている。
「おまたせー」
「勝ちましたか?」
僕が尋ねると、トキワカさんは両手の指を二本立ててみせた。
Vサインだと思った。
「よんまんえん」
「……大勝ですね」
「そのうち半分くらいは永吉さんかな」
「相性が良かったな。親父、壊れたATMになってたよ」
「ねぇ、お風呂入る時間あるかな? 私、煙草くさい?」
十九歳のトキワカさん自身は、当然煙草を吸わない。セーターの裾や襟元に鼻を当てたあと、僕の鼻の下に自分のつむじを持ってきた。
仕方ないので、トキワカさんの髪の毛のにおいを嗅いでみた。ちょっと恥ずかしかった。
「少しにおいますね」
「じゃあ、準備するついでにシャワー浴びてくるから。悪いけどもうちょっと待っててね」
「じゃあ俺も親父起こしてくるかな。見送りしたいって言ってたし」
トキワカさんがフロントに戻ってきたときには、出発時刻ぎりぎりだった。そのときにはしゃんとしていて、別れの挨拶もできていた。
「永吉さん、博文さん、とても楽しかったです、ありがとうございます」
「おう。また来てくれよ。お姉ちゃんも」
「はい。ぜひ。今度は三人麻雀でお願いします」
「いつになるかはわかりませんが、また神戸に遊びに来ます」
「……いや、今度は俺のほうから休み取って遊びに行こうかな」
「楽しみにしてます」
黄さん親子の三人に見送られ、僕たちはそれぞれの荷物を持ってホテルを後にした。
気持ち小走りでJR三ノ宮駅に駆け込み、前もって決めていた七時五分発の近江塩津行き新快速列車に乗ることができた。
「間に合いましたね」
「ごめんね。時間かけちゃって」
「いいですよ。ぜんぜん。間に合いましたから」
「そーだねー」
と言いながら、トキワカさんは、僕の荷物である大きなリュックサックを抱えると、向かいのシートに据えた。遊び道具の入っている自分のリュックサックも同じく。
そして、
「おとなり、失礼しまーす」
「はい?」
トキワカさんは僕の隣に腰を下ろした。
それだけでもかなり驚いたのだが、トキワカさんはしきりに、僕を窓際へ押しやろうとした。僕を端っこに追いやるくらいなら前のシートに座ればいいのに。
「ちょっと詰めて」
「どうしました?」
「寝る」
「え?」
「寝るの。寝たいの。寝るから」
ぎゅうぎゅうと僕を窓際に押してから、すでに寝ぼけているトキワカさんは、ころんと僕の隣で横に寝転んだ。
自然、彼女の頭が、僕の太腿の上に乗る。
喉から心臓が飛び出るかと思うくらいに驚いた。
「近江塩津駅に着いたら起こしてね」
「いやっ、そのっ、トキワカさんっ」
「おやすみー」
ぐぅ。
そのくらい素早く、気絶か失神かと思うくらいにあっという間に、トキワカさんは僕の膝を枕にして眠ってしまった。
すうすうと寝息を立てはじめて、僕は、あと二時間以上もの間、正気を保てるだろうかと心配になった。
―――そういった流れで、車中の僕は、左の太腿を枕として貸したまま、ぼんやりと車窓に、ほかにやり場のない視線を向けていた。
「……徹マンなんてさせなければよかった」
トキワカさんの睡眠を邪魔してはいけない、という前提を僕が守っている限り、話し相手がいない。ただ退屈ということであれば耐えられないこともない。起こしてしまうかもと考えて身じろぎひとつ取れないのが辛かった。
横になるスペースを確保するために窓際に追いやられていて、なおかつ左腕がどさくさで巻き込まれてトキワカさんの背中に下敷きにされている。幸いにも彼女は小柄で頭も小さかったために、左腕や左脚が重さで痺れるということはなかった。
自前のコートを毛布代わりに、すやすやと寝息を立てるトキワカさんを、ちらりと見やる。
きっと深い眠り。触れてもきっと気付かないような、無防備な寝顔。
―――矛盾した気持ちになる。
僕はトキワカさんを眠らせてあげたいのに、僕が彼女にしたい行為というのは、どれもこれもが彼女の安眠を妨げてしまうのだ。
新快速列車がどこかの駅に着き、乗客が乗り降りしていく。車内、構内のアナウンスや多くの足音にさえ目を覚まさないトキワカさんを、通路を通り過ぎていく乗客たちがちらりちらりと盗み見ていく。
そのうちひとりの若い女性に、あらあらまあまあ、みたいな微笑みで見つめられると、ばつが悪く、また視線を車窓に戻す。
新快速列車が走り出すと、唯一自由に動かせる右手で拳を作り、こつんと額を叩く。それで煩悩を払えるとは思えなかった。軽い戒めのつもり。
荷物も含めてボックスシートの四席を占領していた。座れない乗客が見つかれば、トキワカさんには申し訳ないが、一旦枕の役目から離れて僕と彼女のリュックを網棚に上げないといけない。しかし幸か不幸か、正月の乗客はそこそこで、空いている座席も散見された。
静かな列車の中で、うーん、とトキワカさんが、もぞもぞと眠りながら姿勢を変える。
そのまま自然に起きてくれないだろうかと期待したが、トキワカさんは、にへへと笑いながら寝言を呟くのだった。
「……ロぉン」
どうやら夢の中でまで麻雀を打っているらしい。
「……リーチ……ピンフ……純チャン……
ここまでで倍満。
「……
数え役満になった。
「ドラドラドラドラ裏裏むにゃむにゃ……」
もう数え役満なのだからドラは勘弁してやればいいのに、と苦笑した。
ため息をつきながら、トキワカさんの夢の中の対局者は誰だろうかと想像する。
僕であればいいと願う。
結局トキワカさんは、乗り換えの駅が近づいて僕が起こすまで、眠ったままだった。
僕に揺り起こされたトキワカさんの寝覚めは良く、スムーズに列車を降りることができた。
近江塩津駅にて、どのあたりまで来たのだろうかと、スマホの地図を指でぐりぐりと操作しているところを、ひょいとトキワカさんに覗き込まれた。
「もう琵琶湖は通り過ぎちゃった?」
「そうみたいですね。少しも見えませんでしたけど」
九時三十七分発敦賀行きの普通列車に乗り込むと、向かいのシートに座ったトキワカさんが、ごめんね、と眉尻を下げる。
「私が起きてれば、琵琶湖、途中下車して見れたかもしれないのに」
気を遣わせちゃったね、と謝るトキワカさんに、僕は首を振った。
「自転車で旅をしてるならともかく、〈一番の琵琶湖〉を見ようと思ったら、あっちこっちの駅で降りなきゃいけませんよ。それに……」
「あんまり、興味ない?」
「滋賀県の人には申し訳ないですけど、僕は、そうですね」
今回の僕は、厳密に言えば観光のために旅行しているわけではない。人に会うための旅をしている。それに同伴者がいるとなれば、なおさら自分の勝手で行動するわけにはいかない。
「もう大体、半分くらい来たよね。敦賀駅まではどれくらい?」
「すぐです。十分くらいです」
「早いね。敦賀からは?」
「福井駅で降りて、三十分くらい待って、金沢行きの列車に乗ります」
「微妙な待ち時間だね、福井駅。やっぱりもうひとつの経路が良かったかな?」
前日の列車内で、二通りの乗り継ぎを考えていた。経路といっても乗り換える駅から到着時刻まで一緒なのだが、別案のほうがほんの少しだけJR三ノ宮駅を遅く出ることができた。
「いや、こっちがいいですよ。乗り換えに余裕がありますから」
「あー、乗り換えでばたばたしそうだからこっちの案にしたんだっけ」
そんな会話をしている間に、敦賀駅に到着。
福井行きの列車に乗り込む。今度は一時間ばかりの乗車時間だ。
荷物を網棚に上げてから、僕から切り出す。
「またゲームでもしますか?」
「……んー。銀朱くんは? したい?」
珍しくトキワカさんが乗り気じゃなかった。
「俺はトランプひとつ持ってません。トキワカさんの持ち物です」
主導権をトキワカさんに渡すと、じゃあいいや、と膝の上のピンク色のリュックを隣のシートに移した。
「昨日さんざん麻雀打ったから、ゲームって感じじゃないや。とりあえず福井駅に着くまで、お喋りしようよ」
そこから僕とトキワカさんは、長く、会話した。
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