第9話 広島~倉敷~姫路~神戸 5

 黄さんのホテルには宴会場もレストランも浴場もランドリースペースもない。

 しかし、娯楽室だけは何故かあった。

「ロンっ!」

 地下一階のそこは白い壁紙がヤニで黄ばんでいて、部屋の隅に三台の古いゲーム機が置かれているほかには、二台の全自動麻雀卓があった。

 トキワカさんが手牌を倒し、牌山の裏ドラをめくる。

「メンピン三色ドラ2。12000点です」

「おおっと、三色まで付いてたか。こりゃ高かったなぁ」

「見ろよ松やん。当たり牌、一点で止めたぜ」

「黄さん降りてたじゃないですか。止めたうちに入らないですよ」

 点棒と会話をやり取りさせながら、ゲームは次の局へ進む。

 レストランから帰ってくると、麻雀の時間になった。旅行を始める前から、「うちに来たら年越し麻雀打とうよ」と黄さんに言われていたので、予定どおりといえばそうなる。

 予定と違ったのは、三人麻雀のつもりが、ひとり増えたこと。

「普段は三麻サンマしかやらないからなぁ。今夜の負けは私かもしれない」

 冗談っぽく弱音を吐く永吉さんに、そんなことないですよ、とトキワカさん。

「博文さんに麻雀を教えたのは永吉さんですよね? だったらうかうかしてられません」

「いや、こいつは勝手に覚えたクチだよ。なぁ? 高校のときは友達呼んだりして……」

「あのときはこっぴどく怒鳴られた。『親の金で麻雀打っていいと思ってんのか!』なんて」

 笑い合う四人。牌を打つ小気味のいい音。

「松島くんは、そんな悪い遊びはしないよな?」

「相手がいませんね。俺の高校で麻雀打てる生徒なんて知りませんし。……リーチです」

「おっと、松やんが早かったか。……これは、通る、かな?」

「通します」

「麻雀は下火かねぇ。お姉ちゃんはどう思う?」

「一昔前と違って今はオンライン対戦で遊べますし。そこでお金を賭けずにルールを覚えられますから、興味のある人は教本を一冊買えばすぐに遊べるようになると思いますけど」

「いい時代だねぇ。昔は〈授業料〉とかいって、だいぶ毟り取られたもんだが。……一発は消しておこうか。チー」

 トキワカさんの打った牌を永吉さんが鳴いた。すると、直後の僕のツモ番で、

「あ、ツモです」

「あちゃっ」

「リーチ、ツモ、タンヤオ、ドラ。2000・4000です」

「親父が鳴くから」

「一発消しは四人麻雀のセオリーだろう」

「時代錯誤だよ。なぁ、トキワカちゃん」

「聴牌しなければ、一発消しはしませんね」

「俺はやったほうがいいと思ってましたけど」

「千里眼を持ってればじゃんじゃんやっていいと思うよ」

 じゃらじゃらと牌をかき混ぜて、全自動卓の穴の中にまとめて落とす。

 ちょうどそのとき、エプロンを巻いた五十代半ばくらいの女性が、大きな盆を抱えて階段を降りてきた。

「おそば、できましたよ」

 はい、と、永吉さんの奥さんの明美さんが、割り箸の乗った丼を、麻雀卓のサイドテーブルに置いた。年越しそばには海老天と紅白のかまぼこと、たっぷりのねぎが乗っていた。

 時計を見ると午後十一時を回っていて、夕食が早かっただけに、確かにそろそろ夜食がほしいところだった。

 麻雀を打ちながらそばを食べていると、急にわらわらと、〈黄河ホテル〉に人が集まってきた。年代で見ると永吉さんと付き合いのある人たちと黄さんの友達に振り分けられるようで、もう一卓の全自動卓で勝手に遊びはじめたり、娯楽室のテレビで〈笑ってはいけない〉テレビ番組を見て爆笑していたり、僕たちの麻雀を観戦したり。

 黄さんが自分の友達に僕を紹介すると、金龍杯の動画を見てくれた人もいた。思った以上に僕は、麻雀を打つ人の間で有名になってしまったようだ。

 そうこうしているうちに、年が明けてしまい、明けましておめでとうございます、と四人で頭を下げた。

「打ち納めと打ち初めが一緒になっちゃったね」

「こんな年越しは初めてですよ」

「楽しいか? 松やん」

「もちろんです。勝ったらもっと楽しいですけど」

「そりゃそうだ。……さぁ、新年一発目のトップは誰か……ポンっ!」

 僕の右隣に座る黄さんが大きな声で、僕の切ったハクを鳴いた。

 その気勢に既視感を覚える。トキワカさんの切ったハツも黄さんが鳴いたことで、トキワカさんも同様の思いを抱いたようだ。

 四人全員に軽い緊張が走る中で、トキワカさんが薄く笑む。

「金龍杯の、一回戦東四局の再現ですか?」

「さぁねぇ。どうだろう。よくあることじゃないか?」

 そのとおり。麻雀ではよくある光景のひとつだ。誰かが三元牌をふたつ鳴いて、大三元の可能性が出てくる、というのは。

 大三元という役満は、ハクハツチュンを三枚ずつ集めればいい。役満の中では比較的に出現頻度が高い。僕とトキワカさんが既視感を覚えたのには、似たような状況が、金龍杯の決勝一回戦で起こったからだ。

 トキワカさんが口を開く。

「黄さんに会えたら、質問したいと思ってたんです。……どうしてあのとき、四枚目のチュンを暗槓したんですか? すでに發を鳴いている状況でチュンを暗槓したら、ほかの全員に警戒されるのがわかっていましたよね?」

 麻雀には大きく分けて、ふたつの攻め方がある。ひとつはひっそりと忍んで油断を討ち取る攻め方。もうひとつは堂々とアピールして対局者を勝負から降ろす攻め方。

 金龍杯の一回戦東四局、黄さんは、前者の攻めが効果的だったところを、わざわざ自分から役満の存在をアピールしてきたのだ。

 手牌の中に、二枚のハクがあったのに。あと一枚の白があれば大三元だったのに。

「もしもあそこで四枚目のチュンを暗槓せずに切っていたら、大三元を聴牌……いえ、和了あがれていたかもしれないのに」

「んー。……松やんもそう思うか?」

 ゲームを進めながら、僕は頷いた。今現在のこのとき、黄さんに役満の可能性があるのは重々承知していたが、僕のほうもそれなりに手が高くなりそうだった。

「トキワカさんの言うことがベターな判断だろうなっていうのは、同感です。……ただ、あれはあれで、黄さんらしいとも思いました」

 黄さんの麻雀は、解説者をして「男っぷりがいい」と言わしめた。愚直にも無謀にも見える攻めが災いして失点することも度々あったが、堂々と怯まずに攻め続ける、高く高く手役を整えていく様子は、観戦者を熱くさせた。

「とてもかっこいい暗槓だったと、俺は思います」

「そんなんじゃないよ。俺は単純に、嶺上牌リンシャンパイを取りにいっただけさ」

 嘘だ、と僕は思った。四枚目のチュンを切れば絶好のカモフラージュになったのを、だまし討ちのような役満が嫌で、わざと暗槓したに違いない。

「結局、白は周防さんと深町プロに押さえられたから、あれはやっぱり失策だったんだよ。失策をあまり褒められても、嬉しくはない」

 そこで黄さんは、にやりと笑う。

「やっぱり麻雀は、和了ってナンボのもんだろ?」

「同感です」

 果たして今度は、ハクハツを鳴いた黄さんの手の中に、チュンがあるのか否か。

 ―――そう思っていた矢先に、僕が中を持ってきてしまった。

 顔に出てしまったのだろう。永吉さんが笑った。

「松島くん。何をツモったか当ててやろうか」

「いやはやなんとも。今年の俺の運勢は、かなり良いみたいですよ」

 持ってきた中を置いて、別の牌を切る。

 この中は切れない。切ったら最悪、僕が黄さんに32000点の支払いをして箱割れ。僕の最下位でゲームが終了する。

 麻雀の常識では、まず、切れない・切らない牌だ。

 しかし―――

「…………まったく、本当に、」

 僕の手の中にも役満が入ってきたら、話が変わってくる。

 麻雀は和了ってナンボのもの。

「つくづく同感ですよ」

 一巡が周り、僕のツモ番に。

 めくってみると、役満・四暗刻スーアンコー聴牌テンパイ

 ただし聴牌を取るには、中を切らなければならない。

 果たして、切るべきか、切らざるべきか。

 長考する僕に、黄さんが語りかけてくる。

「テンパったかい?」

「……あらゆる意味で、そうですね。テンパってます」

 僕の頭の中では、ぐるぐると思考が駆け巡っていた。

 といって、結局は二者択一だ。

 ひとつは中を切ってツモり四暗刻の聴牌を取ること。ハイリターンだがスーパーハイリスク。僕のほうはロン和了りでは満貫8000点にしかならないが、もしもポンされたら、黄さんはツモでもロンでも32000点である。

 もうひとつは中を切らずに聴牌を一旦崩すこと。こちらは比較的にローリスクだが、まったくのノーリターンと来ている。何故なら、僕が中を切らずに場を回して、再び聴牌にこぎつけたとしても、中を持っている限り和了りの目がほぼない。その上、僕が中を止めたからといって黄さんに役満を和了られないとも限らない。

 いつの間にかギャラリーが増えていた。特に、黄さんの後ろに付く観客が多かった。

 ―――ある。確実に黄さんの手牌にはチュンがある。僕が中を切ったときに、ポンされるかロンされるかはわからないが。

 仮にポンで済んだとして、和了り牌の枚数的には恐らく僕のほうが不利だ。

 この状況、冷静な判断を下せば、中を切らずに回すことがベターだろう。

「……ふん」

 思わず鼻で笑ってしまう。僕らしい仕草でなかったのだろう。三人の視線が僕に集まった。

 冷静な判断?

「失礼……リーチです!」

 そんなものくそくらえだ。役満を聴牌しておいて、勝負に行かないわけがない。最早降りられない位置に来てしまったのだ。

 僕が中を叩き切ると、即座に黄さんが「ポンっ!」と発声した。

 おーっ、とギャラリーが沸いた。

 責任払いのパオが付いてしまったが、ひとまずはロンされなかったことに息をつく。

「ここで中を切ってリーチってことは、それなりの手だよな? 松やん」

「アンケートを取ったら賛否半々くらいになりそうな判断ですが、概ねそのとおりですよ」

 黄さんが五枚の手牌から一枚切り出すのと同時に、僕はリーチの供託である1000点棒を提出した。

 ここからは、どちらの当たり牌が先に現れるか、というくじ引きの時間だった。永吉さんとトキワカさんはすでに勝負から降りている。僕が和了るか、黄さんが和了るか、それとも流局かのいずれかの決着しかない。

 当たり牌ではない牌をツモっては切るを繰り返す中で、黄さんが口を開く。

「松やん。決勝二回戦の、南三局二本場を覚えてるか?」

 忘れるはずがない。

「僕が黄さんに、数え役満をぶち当てた局ですね」

 僕が黄さんを、四位にまで叩き落とした和了りだ。

「ツモれば四暗刻、出和了りでも数え役満。珍しくて、きれいな手牌だった」

 そのときの僕の和了りの内訳は、リーチ・混一色ホンイーソー混老頭ホンロートー対々和トイトイホー三暗刻サンアンコー・ダブナン・發。

「役満和了ったのに三位で終わってしまったのは、黄さんに申し訳ないと思っていました」

「あれは仕方ない。南四局できっちりまくった深町プロがすごかったのさ」

「でも……黄さんの優勝の目を完全に潰してしまったのに……」

「それは違うよ、松やん。俺にも優勝の可能性はあった」

「え?」

「南四局でダブル役満を和了れば、俺の優勝だったんだよ」

 その言葉に、何か寒気のような物を僕は感じた。

 やばい。

 中切りリーチはしてはいけなかった。きっとそうだ。

 僕は何かを見落としている。

 ツモ山は残り二枚。僕と黄さんのツモを残すのみとなった。

 僕の最後のツモ牌をめくると、四枚目の四萬スーマンが来た。

 捨て牌を見渡す限り、九分九厘の安全牌である。切って黄さんに当たる牌ではない。

 だが、

「……カンっ!」

 手牌の中にあった三枚の四萬を晒し、卓の隅に四枚とも滑らせる。

 安全を考えればツモった四萬は切るべきだろう。しかし、攻めを考えて暗槓に踏み切った。僕が暗槓したことによって黄さんの最後のツモは消滅した。

 この局の最後の牌、嶺上牌に手を伸ばし―――

 ―――悪魔と握手してしまった。

「……!」

 嶺上牌を掴むと同時に、僕が見落としていた可能性に気付いた。

 僕の和了り牌ではないので切るしかない。

 場に打ち出されたのは、生牌ションパイペー

 ロン、と、黄さんの声。

 同時に黄さんの四枚の手牌が倒される。

 いつの間にか娯楽室にいた全ての人たちが、僕と黄さんの座る卓を取り囲んでいて、わっと歓声を上げた。

 黄さんの手牌の中にあったのは、西シャーペー

「大三元……字一色……ダブル役満、64000点だ」

 顔を上げると、黄さんが、何の嫌味も感じられない満面の笑みを広げていた。

「貸した点棒は倍にして返してもらったよ」

 その晴れがましい笑顔を見ていると、苦笑しか出てこない。

「本当に、どうして優勝しなかったんですか」

「さてね。俺も不思議だよ」

 夜はますます更けていった。

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