第8話 広島~倉敷~姫路~神戸 4

 倉敷と姫路で軽く観光したあと、午後三時ごろに僕たちは神戸駅に着いた。広島からここまで着くのに、寄り道をしたからというのもあるが、八時間以上かかった。

「思ったよりも、なんか……」

 駅舎から出て、外を眺めてみるに、

「……なんというか、閑散としてますね」

 僕のイメージしていた〈神戸〉は、もっと人が多い都会的な感じだった。しかしJRの神戸駅の外は、確かに大きなビルが空を高く持ち上げているが、出歩いている人はそれほど多くはなかった。

「新幹線の停まる新神戸駅の近くのほうが栄えてるんじゃないかな。……それよりさ。待ち合わせは大丈夫なの? ここでいいんだよね?」

 ぐいぐい、とトキワカさんは、僕の背負う俵のように大きなリュックサックの、長さの余るベルトを引っ張った。背負う荷物の重さもあってよろめいてしまう。

「だ、大丈夫なはずです。『JR神戸駅の南口で待っててくれ』とのことでしたから」

「行き違いで待ちぼうけとかイヤだからね? まだホテルも決めてないんだから。もっかい連絡取ってみてよ」

 列車の移動で消耗しているのか、トキワカさんは少し苛立っているようだった。

 言っていなかった自分も悪い。ここはひとつ、トキワカさんを安心させようと思った。

「ホテルについては大丈夫なはずです」

「どゆこと?」

「トキワカさん、黄さんについて、どれくらい知ってますか?」

「……金龍杯の動画でしか見てないからなぁ。……あの人の麻雀は、豪快だなって思ったけど」

 トキワカさんの意見は概ね正しい。しかし黄さんの麻雀は、ただただ豪快なだけではなく、何というか、懐の広さ、度量の深さが垣間見える、人に夢を見せる麻雀だった。

「かっこいいなー、とも思った」

 ちょっとジェラシー。

「どの辺がです?」

「ちょっと太めでも清潔感があるところかな。大事よ、銀朱くん。どんなに素材が良くてもだらしない男はもてないから」

「肝に銘じます。……まぁ、職業柄的なところもあるんじゃないかな、とも思います」

「黄さんの? 何してる人なの?」

「黄さんは……」

 そのとき、僕の手の中でスマートフォンが振動した。

 黄さんからの着信で、トキワカさんに断って電話に出た。

「もしもし」

『おっす松やん。今神戸駅着いたぞ』

 受話口の向こうから、僕を愛称で呼ぶ黄さんの声。

 僕は周囲を見渡してみた。

「どの辺です? 車ですか?」

『くるまくるま。……あー、多分あれだな。ちょいと松やん、その場でジャンプしてみ?』

 言われたとおりに、重いリュックを背負ったまま、ぴょんと軽くジャンプした。

 その瞬間、電話の向こうから爆笑が聞こえた。

『オッケー確定だ。車寄せるよ』

 その数秒後に、僕とトキワカさんの前に、一台の軽ワゴン車が停まった。

 運転席から、ひとりの男性がロータリーに降り立つ。

「おーっす! 久しぶりだな松やん! 元気してたか?」

 小太りではあるが背筋がしゃきっと伸びて、糊の利いた皺のないワイシャツの襟をネクタイで締めている黄さんは、確かにトキワカさんの言うとおり、清潔感のある好青年だった。髪も乱れなくきちんとセットされている。

 長身の黄さんと車を挟んで、僕も挨拶を交わす。

「お陰様で。今日はありがとうございます。お世話になります」

「いいっていいって。うちの親父も松やんに会いたがってるんだ。今日も昼間から『まだ来ないのか』『早く迎えに行け』って急かされてたよ」

「お待たせしてすみません。広島と倉敷でお土産買ってきました」

「悪いね。とりあえず乗りなよ。早いとこ……おっと」

 そこで黄さんは、僕の隣にいるトキワカさんに視線を向ける。

「サッカー選手と同姓同名の、ホァン博文ボーウェンです。よろしく。じーちゃんが中国人だけど、俺は日本生まれ日本育ち日本国籍の日本人だからこう博文ひろふみで通ってる。そう呼んでくれると嬉しい」

「あ、はじめまして。銀朱くんとは……銀朱くんに、昨日ナンパされました、常磐若菜です」

 トキワカさんがぺこりと頭を下げると、黄さんはげらげら笑った。

「隅に置けないなぁ、松やん。こんなにかわいい子連れて列車旅なんて羨ましいよ」

「彼女のお陰で楽しい旅になってます」

「松やんから『女の子をひとり連れてく』って連絡もらったときはびっくりしたよ。深町プロならともかく、松やんは女の子に声をかける度胸なんてないと思ってたからさ」

「部屋は都合できそうですか?」

「問題ナシよ。春節じゃなくてこっちの正月なら、一部屋でも二部屋でも……」

「あの、」

 と、トキワカさんが会話に割り込んだ。

「黄さんのお仕事って……」

「あれ? 松やん言ってなかったの?」

 黄さんは軽ワゴンの屋根を、ぽんぽん、と叩く。

 その車体には、〈黄河ホテル〉とプリントされていた。


 黄さんの運転する車に、僕とトキワカさんが乗り込んだ。黄さんの強い希望で助手席にはトキワカさんが座った。

「三宮のホテルがうちの実家の家業でね。家族経営のちっちゃなホテルだけど」

「それならそうと早く言ってくれればいいのに。どこに泊まるかやきもきしちゃったじゃん」

「それは、すみません」

 旅の荷物に囲まれた後部座席の僕が謝ると、まあまあと、ハンドルを握る黄さんが執り成す。

「しかし……すごい偶然もあったもんだ。列車の中でたまたま話しかけた女の子が、金龍杯を見てくれてたなんて。俺もトキワカちゃんって呼んでいい?」

「もちろんです。……私、黄さんの麻雀、好きでしたよ? 四人の中で黄さんの応援をしてた人が一番多かったんじゃないですか?」

 トキワカさんが丁寧語で黄さんを褒めるのを見ていると、正直、嫉妬してしまう。

「一回戦が終わったときは、黄さんが優勝するものだと思ってましたから」

「嬉しいね。……まぁ、一回戦はトップを取れたけど、誰かさんのお陰で二回戦がズタボロだったから、結局最下位だったよ」

 ルームミラーに映る黄さんの視線が僕に向かい、思わず苦笑してしまう。黄さんを四位に叩き落としたのは、誰あろう、この僕だからだ。

 だから、次にトキワカさんが口にしたフォローは、僕には言い出せない言葉だった。

「最下位じゃなくて、予選参加者も含めての四位ですよ。すごい成績です。それに、あの決勝は、黄さんが優勝してもおかしくありませんでしたから」

「実は俺もそう思ってるんだが、人に言ってもらえると救われるよ。ありがたいことに、行きつけの雀荘でも褒めてくれる人が多くてね」

 ただ―――と、黄さんは、懐かしい思い出に浸るかのように、吐息をひとつ。

「あのときは、ここ一番での深町プロの鋭さと、丁寧に積み上げていく周防さんの重厚さと、〈今年一番のラッキー男〉の松やんの一発が、あまりに手強すぎた」

「……それは俺も同じでしたよ。俺も黄さんが怖かった」

 僕の感想に、どんなところが、と黄さんが尋ねてきた。

「俺はまだまだ初心者ですけど、黄さんは、弾の尽きない機関銃のようでした。どれだけ点数を持っていても、どれだけ点数がへこんでいても、必殺の威力でアグレッシブに攻めてくるから、迂闊に塹壕から出られませんでした。さすがは〈ドミネーター・シード〉で決勝に勝ち進んだ人だ、と思いました」

 金龍杯決勝の、一般参加者が座れる席のひとつ、〈ドミネーター・シード〉。〈支配者〉の名の付くシードを得るための条件は、〈一回の半荘で最も多く点数を獲得すること〉だ。

 聞いた話だと、黄さんは予選期間中、一回のゲームで十万点以上の点数を獲得したらしい。競馬で例えるなら金龍杯の結果予想は、本命が深町プロで対抗が黄さん。もしくは逆か。そのどちらかだったろう。僕に関しては超の付く大穴だ。

 僕からの賛辞に黄さんは、はははと笑った。

「そうは言っても、俺は〈爆撃機〉の松やんに蜂の巣にされた。……いや、もっと言うなら、一回戦の東一局で三人全員が虫の息にされていたんだ、本当ならな」

 一回戦の東一局。

 僕がわざと天和を捨てた局だ。

「トキワカちゃんも知ってるだろうけど、松やんは一回戦の東一局で、長すぎる長考の末にダブルリーチをかけてきた。そのときの俺や深町プロは、『さすが〈ボマー・シード〉。幸運を持ってる』と思った」

「……でも、内実は違った。ですよね?」

「そう。ぐるり一巡してから松やんは、よりによって第一打に捨てた牌でツモ和了あがったんだ」

 そのときの三人の驚きの表情は忘れられない。対局中のために私語は慎んでいたが、和了りの点数を四分の一の12000点にまで下げた僕に対して、ファイナリストたちの無言の疑問が視線に乗って飛んできた。

 沈黙を守る僕―――天和テンホーを捨てた僕の意を、最初に汲み取ってくれたのは、黄さんだった。

「『ああ、この子は、運だけの天和での決着は望んでいないんだな』と気付いたときは、燃えたよ。そして『だったら俺も、その気持ちに応えなくちゃならない』と、心に誓ったんだ」

 僕が12000点の和了りを決めた直後に、黄さんは見事な16300点のツモ和了りを決めた。僕にとっては手痛い反撃だったが、安目を追わずに高く追求してくれた黄さんの手に、敵ながら惚れ惚れとしたものだった。

 黄さんの運転する車、その走る道には、徐々に人も車も増えてきていた。

「深町プロにも周防さんにも、松やんの気持ちは、ちゃんと伝わっていたよ」

「はい。俺もそれを感じていました」

 三人それぞれが、自分の持ち味を活かした麻雀を打っていた。

 助手席のトキワカさんが、僕を振り返り、にこりと笑った。

「いい勝負だったよ、銀朱くん」

 その言葉をしみじみ噛み締めると、幸運の味がした。

 天和を和了るよりももっと幸運な、人の縁を感じた。

「……はい。ありがとうございます」

「黄さんも。素敵な勝負でした」

「そうさ。わかっている。あれはずいぶんと素敵な時間だった。俺が今まで打ってきた麻雀の中で、いっとう素敵な思い出になったよ」

 それからしばらく、僕とトキワカさんで今日までの旅の話を黄さんにしている間に、黄さんの家族が経営するホテルに到着した。


 黄さんのホテルのある三宮は、僕の想像する〈神戸〉に近い気がした。

 人、人、人―――大晦日という特別な日だが、よく遊ぶ博多のことを考えると、日常からこれくらいの人がいるのではと想像する。

 黄さんのホテルはJR三ノ宮駅から程近い場所にあった。歩いても数分だったろう。これなら三ノ宮駅で降りたほうが良かったのではと、申し訳なくて黄さんに尋ねると、迷うかもしれないし、迎えに行くという格好を取りたかったのだと黄さんは照れながら答えた。

 ホテルに入ると、受付のカウンターの中にいた黄さんのお父さん―――永吉さんに、快く迎えてもらった。永吉さんは息子以上の太鼓腹を持っていて、顔も丸く、見ているだけでご利益がありそうな朗らかな人だった。

 僕が自己紹介をして、広島と倉敷のお土産を渡すと、永吉さんは礼を言って受け取りつつ、

「夜になったら神戸牛をご馳走しよう。聞きたいこと、話したいこと、山ほどあるんだ」

「私もいいんですか?」

「野暮なことを聞いちゃいけないよ、お姉ちゃん。ここで私が『ダメだ』なんて、言えるわけないだろう」

 がはは、と永吉さんは豪快に笑った。

 永吉さんの経営しているホテルは、特別に割引してもらった身分で言える立場ではなかったが、本当に小さなホテルだった。震災後に建て直したということらしいので築年数的には二十年以上経っているからそれなりに古くもある。素泊まり限定の安ホテルだ。近年のホテルの需要の高まりももちろんあるが、駅に近い便利な立地のおかげで古く小さいホテルでもニッチを獲得しているらしい。

 形ばかりの受付を済ませている途中、

「部屋は別々がいいかな?」

「俺以外の全ての人が相部屋を許しませんよね?」

「そのとおりだな未成年くん」

「私もすっぴん見られたくないから。ごめんね」

 このトキワカさんの冗談に照れてはいけない。

「俺も母親との電話は聞かれたくないんで」

「結構ママっ子?」

「母ちゃんが息子にべったりなだけですよ」

「マザコンでも何でも、仲がいいのは悪いよりはいいことだ。そら、鍵だよ、おふたりさん」

 それぞれの部屋の鍵を受け取ったあとは、トキワカさんの希望で夕食まで休憩することになった。今朝のトキワカさんは午前四時には起きていたらしく、「どうせ今夜は夜更かしするから眠っておきたい」とのことだった。

 僕のほうは、母親に連絡を取ったあとは、だらだらと受付で黄さんと喋っていた。

「実際どうなの、松やん」

「何がです?」

「トキワカちゃんだよ」

「かわいい人ですよ」

「キュートな女の子だ」

「それに、個性的で面白い人でもあります」

 うんうんと黄さんは頷く。

「答えはそれで十分だと思いますけど」

「んっ。そーだな。当たって砕けたら、破片を集めて傷心旅行に神戸を選んでくれ」

「黄さんから見た俺ってそんなにセンチメンタルですか?」

「鈍行列車でひとり旅をするつもりだった人間が、何を言う」

 僕と黄さんは笑った。

 日が暮れてから、僕とトキワカさん、黄さんと永吉さんで食事に出かけた。

 入ったのがステーキレストランで、ちょっとびびるくらいの厚さのステーキをご馳走になったが、貧乏性の辛いところ、トキワカさんはおいしいおいしいと食べていたが、僕は値段が気になってあまり味に集中できなかった。

 ホテルの受付業務を永吉さんの奥さんである明美さんに任せていることから、レストランに長居はしなかった。

 だが、その夜はそこからが長かった。

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