第7話 広島~倉敷~姫路~神戸 3

 ―――そういった按配で、昨日の続き。十二月三十一日の普通列車の中では、僕とトキワカさんで〈こいこい〉大会と相成った。

 トキワカさんも〈こいこい〉で遊ぶのは久しぶりだったらしく、ルールはともかく役と点数に関してはうろ覚えだった。なので事前確認も兼ねてネットで調べてみた。

 そこでわかったのは、ほかのゲームはともかく、〈こいこい〉はルールの地域差がかなりあるということだ。トランプの〈大富豪〉と同じく、公式ルールというものは決められておらず、人それぞれに遊んできたルールが違う。ゲーム開始前に確認しないと必ず揉めるだろう。

 ボックスシートに向かい合わせに座り、昨日のポーカーでそうしたように、お互いの膝の上に一冊のスケッチブックを乗せて、その上に花札を広げ、奪い合いをしていた。

 全十二回をワンセットとして、作った役によって獲得した点数―――もん数を競い合う。

 勝敗を決める〈役〉を紹介しよう。

「……んっ、かす二文、たん一文、たね一文。ここであがっとこうかな」

 かすとは、二十四枚あるかす札を十枚集めることで成立する役。一文。

 たんとは、十枚ある短冊札を五枚集めることで成立する役。一文。

 たねとは、九枚ある種札を五枚集めることで成立する役。一文。

 かす・たん・たねは、さらに枚数を増やすと一文増しに得点が上がっていく。

「月見で一杯、花見で一杯。……あがります」

 月見で一杯は、〈芒に月〉と〈菊に盃〉を揃えることで成立する役。五文。

 花見で一杯は、〈桜に幕〉と〈菊に盃〉を揃えることで成立する役。五文。

 このふたつは二枚だけで完成する役ながら、得点が高い。

 また、〈菊に盃〉は化け札とも呼ばれ、種札だがかす札としても扱ってよいので、かすを成立させるためにも重要な札である。

「あがりです。青短、猪鹿蝶」

 青短とは、牡丹・菊・紅葉の三枚の短冊札を集めることで成立する役。六文。

 猪鹿蝶とは、〈萩に猪〉と〈紅葉に鹿〉と〈牡丹に蝶〉を集めることで成立する役。五文。

「赤短……九文。それに三光。あがりね」

 赤短とは、松・梅・桜の短冊を集めることで成立する役。六文。

 赤短と青短は、さらに別の短冊札を集めると、あがったときに一枚につき一文追加される。

 三光とは、五枚の光札のうち、〈松に鶴〉、〈桜に幕〉、〈芒に月〉、〈桐に鳳凰〉のどれか三枚を集めることで成立する役。五文。

「かす。たん。たね。それから四光。……これであがりっと」

 四光とは、五枚の光札のうち、〈柳に道風〉を除く四枚を揃えることで成立する役。八文。

 ―――果たして、僕がヘタクソなのか。それともトキワカさんがうまいのか。

 僕は負けっぱなしだった。

 最終十二回戦が特にひどかった。

 まず、トキワカさんが、たんと猪鹿蝶を完成させて、間髪入れずにこう言った。

「こいこい」

 ポーカーとは違い、そして麻雀と似て、〈こいこい〉は早くあがった者だけが得点を得られる。だが、役が完成したときに「こいこい」と宣言すると、ゲームは続行される。

 まだ役が完成していない僕にもチャンスが巡ってきたのだが、すぐにトキワカさんは、青短と、花見で一杯・月見で一杯を完成させる。

「んんーっ、こいこいっ」

 さらにトキワカさんは、赤短と三光を完成させる。

 このへんで僕はめげそうになるが、トキワカさんはやめてくれなかった。

「まだまだこいこい」

 種札や短冊札をさらに集めつつ、最終的にトキワカさんは、最後の手札を切って雨四光まで作り、ようやくあがった。

 雨四光とは、五枚の光札のうち、〈柳に道風〉を含めた四枚を集めることで成立する役。七文。

 ちなみに、光札を五枚すべて集めると、五光という役が成立する。十文だ。

 最終十二回戦のトキワカさんの得点は―――三十七文。

 ―――沈黙する僕に、トキワカさんが申し訳なさそうに、「一応、集計してみてよ」と言った。

 対戦の記録をつけていた数学の課題用のノートの上にペンを走らせて計算してみたが、途中でばかばかしくなった。点差が百文近く開いていた。

「……何がいけなかったんでしょうねぇ」

 ペンを置いて敗因を探ろうとする僕にはお構いなしに、トキワカさんは膝の上のスケッチブックを嬉しそうに外す。

「それじゃ遠慮なく、きのこの山はいただいていきまーす」

「うぅ」

 隣の空席に置いていたチョコ菓子の箱を、トキワカさんの細く小さな手が奪い取っていった。

 この勝負、トータルでの勝敗に、お互いがコンビニで購入した菓子を賭けていた。トキワカさんが賭けに乗せていたたけのこの里は、途中で勝利を確信した彼女の手によって、すでに開封済みである。

 即座に封を切り、トキワカさんはぽりぽりときのことたけのこを交互に食べていく。

 ため息をついて、僕は花札を片付ける。

「食べるの、少し手伝いましょうか?」

「もうちょっと素直に言って」

「太りますよ?」

「……もうちょっと言い方あるでしょ?」

 むっとした表情もかわいいトキワカさんに、僕は笑って、すみませんと謝る。

「お菓子、少しください」

「よろしい」

 やはり笑顔のほうが素敵なトキワカさんは、両手にふたつ菓子箱を持って差し出してくれた。僕はそこからひとつずつ取って両方とも口に入れた。

 チョコとビスケットを口の中でばきぼき噛み砕いていると、おもむろにトキワカさんが、

「この国ってさ、賭け事は法律で禁止されてるでしょ?」

 いきなり何の話をするつもりなのかと、とりあえず口の中の菓子を飲み込む。

「……まぁ、建前では、そうですね」

 建前だけだ。競馬・競輪・競艇・オートレースは公営のギャンブルだから、まだいい。換金のないパチンコ・スロットに人が集まるはずがないし、堂々と表に看板を出して営業している雀荘は星の数ほどある。宝くじに関しては、ほかはともかく行列を作って購入している人の中に、あれがギャンブルの一種だと考えている人はいないのではと思う。

「銀朱くん、賭博行為がぎりぎりオッケーになる境界線って知ってる?」

「お金を賭けなければいいんじゃないんですか?」

「違う違う。お金じゃなくても、土地とか債券でも賭けに乗せたら賭博は賭博、法律では許されないの。……許されるのは、〈一時の娯楽に供するもの〉を賭けている場合だけなの」

 難しい表現に眉根を寄せていると、トキワカさんは手に持った菓子箱を振った。

「わかりやすく言うと、〈ほっとくと価値のなくなる物〉なら賭けてもいいの。食べ物とかね」

「あぁ、なるほど」

「このお菓子はもう、お金に替えることはできないし、時間が経てば賞味期限が切れて食べることもできなくなる。そういうものなら賭けに乗せてもいいのよ」

「……なんだか、馬鹿らしいですね。俺とトキワカさんは、そりゃあ真剣に勝負しましたけど、誰も彼もがお菓子で真剣にゲームできるわけがない」

「そーね。本当の線引きは『小額なら警察に目を付けられない』ってとこでしょーね。雀荘の場合は、千点二百円の東風トンプウ戦をやってる店は危ないらしいよ?」

 わからない人に説明すると、三十分ほどで一万円がやり取りされるレートだ。

「……そんなレートの麻雀、俺はやれないし、将来的にもやりたくないですよ」

 正直、賭け事にのめっている人には、理解さえできない。

「正しいね。でも、銀朱くんみたいに〈お金を賭けると楽しめない人〉がいる一方で、〈お金を賭けないと楽しめない人〉がたくさんいるのも事実だよ」

「…………トキワカさんは、どっちです?」

 僕の質問は、もしかしたら失礼だったかもしれない。しかしトキワカさんは、人間性を試すかのような僕の質問にも、菓子をつまんだ手を止めはしても、さして変わらない表情だった。

「……私は、人を見るかな」

「人ですか」

「お金は別に、どっちでもいいの。賭けても賭けなくても。ただ、勝っても負けても、楽しく遊べる人と勝負をしていたい。……ギャンブルである前に、ゲームなんだから。ゲームはコミュニケーションの道具なんだから」

 その答えに、僕はトキワカさんのゲームに関する哲学を見たような気がする。

 それと同時に、彼女に近付くための条件も発見した、ような気がする。

 話が暗く真剣になりかけたからなのか、唐突にトキワカさんは、持っていたチョコ菓子を、ダーツを構えるように僕に向けた。

「銀朱くん、あーん」

「あーん」

 ぽいっと、トキワカさんが僕の口の中に菓子を投げ込んだ。

 ―――思わず乗ってしまったが、

「……これ……かなり恥ずかしいです。もう勘弁してください」

 そう言って引き下がる人じゃない。むしろ火をつけた。

「もいっこ、あーん」

「いや、マジでほんとに」

「あーん」

「………………」

「あーん」

「……あーん……」

 根負けした僕に餌付けをするのがよほど楽しかったのか、倉敷駅に着くまでに、僕は時々「あーん」を強要された。とてつもなく恥ずかしかった。傍目にはどう見えていただろうか。周りの乗客に謝りたい気分でいっぱいになった。

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