第6話 広島~倉敷~姫路~神戸 2

 前日の話をしよう。

 宮島から戻った僕とトキワカさんは、また列車に乗り、広島駅で降りた。

 駅から路面電車に乗って市内中心部に辿りつくと、スマートフォンの地図を見ながら、予約していたホテルへと向かった。

「部屋、空いてるといいなー」

 僕と同じホテルに泊まるつもりらしいトキワカさんに、気まぐれに尋ねてみた。

「旅行のときは、いつも予約しないんです?」

「ホテル自体あんまり使わない。大体ネットカフェで夜明かししてるから」

 女の子にしては珍しい、ずいぶんな貧乏旅行だ。

 僕はトキワカさんの懐具合が気になった。

「それなら、お金とか大丈夫なんです? 俺、この先ぜんぶホテルに泊まりますよ?」

 僕の場合、過保護な親がホテル以外の宿泊を許してくれなかった。そもそも未成年ではネットカフェの深夜利用などできなかっただろうが。

 だいじょーぶだいじょーぶと、トキワカさんは年上らしく頼もしい笑顔を見せる。

「お金はね、〈軍資金〉のつもりでバイト頑張ったから。ホテル代くらい平気」

「軍資金?」

「銀朱くんと会ってなかったら、たぶん今回の旅行は雀荘巡りの旅になってたと思う」

 呆れ果てる。十九歳の女子大生が、全国を賭け麻雀で旅して回るつもりだったとは。

「銀朱くんのほうこそ、お金は大丈夫なの?」

「大丈夫です。たぶん。ホテル代だけは親に出してもらって、あとはお年玉の貯金とか、金龍杯の副賞を売ったお金とかを、交通費と食費に充ててます」

「副賞? 金龍杯で何もらったの?」

「プレステ4です。もう持ってたんで、友達のお兄さんに売りました」

 いざとなれば、正月の三が日の間に親戚からもらえるであろうお年玉を通帳に振り込んでもらうつもりだった。

 事前に予約していたホテルに到着して、僕がチェックインを済ませている間に、トキワカさんは空いている部屋がないか相談していた。幸運にも部屋はあって、トキワカさんの今夜の寝床が決まった。

 いや、むしろ、満室であったほうが好都合だっただろうか―――などというスケベな妄想を逞しく働かせてしまったことについては、ものすごく罪悪感を抱いている。猛省せねば。

 部屋に荷物を置いて、「着いたら連絡するように」と言われていたので、母親にLINEで「広島に着いたよ」と伝えた。

 長かった列車移動から解放されて一息ついていると、トキワカさんから「お昼食べに行こう」と誘われた。

 これが平時からか、それとも年末だからなのかはわからないが、人でごった返す広島のアーケードの中をふたりで歩き、何を食べようかと相談しながら適当な店を探していると、一軒の喫茶店を見つけた。

 ついでだから明日以降の旅行の計画をゆっくり話し合おう、ということで、〈朝日珈琲サロン〉という名の店に入ることにした。階段を降りた地下にあるその店は、どこか鍾乳洞を思わせる内装で、きっと僕が生まれる前から同じ雰囲気だったのではと思わせる純喫茶だった。

 カツサンドとミックスサンドを頼み、ふたりで分けながら食べ終えて、セットのコーヒーをゆっくり味わった。トキワカさんが何も入れずに飲んだので、僕も真似してホットコーヒーをブラックで飲んだ。

「ほかの三人から連絡返ってきた?」

「ちょっと待ってください」

 スマートフォンに電源を入れると、LINEに返事があった。

 神戸に住む黄さんからは、「没有問題。何人でも連れてきな!」という、ろくに話せもしない中国語を使った頼もしい返事。

 大宮に住む深町プロからは、「ぜんぜん構わないよー。とりあえずその子の写メをプリーズ」という、見た目どおりのおちゃらけた返事。さらに、「まだ年始の休みが決まらないよー!」という文章が添えられていた。

 名古屋に住む周防さんからは、「友達を連れてくるのはいいんだけど……」という書き出しで始まる返事が。

「『いいんだけど』……なに?」

「『元日に高校のころの友達と会うことになった』ってありますね」

 僕の予定では、神戸で年を越して、元旦から名古屋に向けて移動しようかと思っていた。そして元日に予定のなかった周防さんに名古屋を案内してもらうつもりだった。

「んー……『その友達とは滅多に集まれないから、申し訳ないけど、名古屋の案内は一月四日でもいいかな?』とありますね」

 一月二日と三日を大宮か東京で遊んでから、また名古屋に戻るつもりではあったので、それは構わない。僕以外は全員社会人だ。おしかける僕が都合を合わせるのは当然だ。

 この旅で再会する金龍杯決勝の三人に、ひとまずトキワカさんの随伴を認めてもらったが、当の本人は僕のことを心配しはじめた。

「お正月、どうするの?」

「ひとりで名古屋をぶらついてみますかね」

「寂しくない?」

 コーヒーを一口すする。

「多少は。……でも、元々ひとり旅の予定でしたし。なんなら元日は名古屋を飛ばして一気に東京まで行ってもいいですし」

「それ大変だよ。移動に半日かかるんじゃない?」

 調べてみると、神戸・東京間は、青春18きっぷだと十時間ほどかかるらしい。昼間のほとんどの時間を電車の中で過ごすというのは、もったいない気もする。

 かといって、金龍杯決勝の三人と会う以外には、これといった目的もなかった。広島で一泊する予定にしたのも、いきなり神戸まで移動するのは大変だろうと思ってのことでしかない。

 ともあれ、一度別れて大宮でトキワカさんと合流するまでは、どうしようもなくひとり旅だ。

「追い追い決めますよ」

 僕は自分の旅の予定、その決定を先送りにして、コーヒーをまた一口。

 すると、トキワカさんが、テーブルに身を乗り出してきた。

「ねぇ、お正月さ、銀朱くんも一緒に金沢に来ない?」

「はい?」

「ひいおばあちゃんとお母さん以外に親戚も知り合いもいないからさ、私も金沢で退屈すると思うの。だから一緒に金沢を観光しようよ」

「……いや、でも……」

 僕は指を折りながら勘定してみた。

 青春18きっぷは五日分使える。その一日目をすでに広島で消費した。翌日の神戸で二日目。仮に金沢に行くとしたらそこまでで三日分を使うことになる。

「……金沢から大宮まで、一日で行けます?」

 大宮から名古屋までの移動で五日分を使い切るつもりだから、四日目の移動をそうしないと余計に切符を買い足すことになる。

「金沢から大宮までは、めいっぱい普通列車に乗っても二日かかると思う」

「それなら」

「だからさ、一月二日は新幹線使おうよ。北陸新幹線。確か大宮にも停まるはずだよ?」

「……なる、ほど」

 北陸新幹線は2015年三月に開通した、金沢・東京間を約二時間半で結ぶ新幹線だ。

 青春18きっぷは五日連続で使わなければならないという決まりはない。その点で言えば、金沢から大宮まで移動するのなら、普通列車ではなく新幹線を使うのは合理的だ。

 ただ、問題は、

「俺の予算が……」

「私が出すよ。金沢から大宮までの新幹線の切符代」

「いや、それは、」

「いいの。出させて。私が無理言って、銀朱くんの旅行に付いていったり、金沢まで付き合わせたりしようとしてるんだから。これくらいのお礼はさせて」

 お願い、とトキワカさんは、頼み込むような口調になった。

 僕が損することは何もない。元日、ひとりどこかで過ごす予定が、トキワカさんと一緒に金沢で過ごす予定に変わるだけだ。それに翌日の新幹線も面倒を見てくれるという。ふわふわした旅程だっただけに、広島以外にはホテルの予約もしていない。黄さんのヘタクソな中国語で言うなら〈没有問題〉、ノー・プロブレムだった。

 親への説明はどうにかなるからいいとして、トキワカさんに交通費の一部を負担してもらうことについては、素直にお礼だと思うことにした。

 粋がったところで僕はまだ子供だ。僕よりは大人のトキワカさんの顔を立ててあげようと思った。それはそれで生意気かもしれないが。

「わかりました。それでお願いします」

「よっし。決定ね。それじゃ、明日の予定を立てようか。黄さんとは何時の待ち合わせ?」

「『午後三時以降にしてくれー』とのことでした」

「それなら明日はどこかで途中下車して観光しようよ。せっかく乗り放題の切符があるんだから、目的地まで乗りっぱなしじゃもったいないよ」

 それから僕とトキワカさんは、二時間ほど一杯のコーヒーで粘り、あーだこーだと、スマートフォンで時刻表やら路線図やらを調べつつ、時には雑談を交えつつ、翌日の計画を練った。

 喫茶店を出てからは、暗くなる前に原爆ドームを見にいく予定だった。

 しかし、アーケードを出て市電に乗る前に、僕が急な腹痛に襲われたために、ホテルに引き返すことになった。

 ホテルのトイレで出す物を出してからも、まだ腹の具合が怪しかった。

「お待たせしました。行きましょう」

 僕の部屋で待っていてくれたトキワカさんは、心配そうな顔をしていた。

「ほんとに大丈夫? また痛くなったりしない?」

「…………若干の懸念が……」

「それならもうちょっと休憩しよう? お腹痛いとどこ見ても楽しくないよ」

 トキワカさんの言葉も一理あるし、何よりまた腹痛を起こして彼女に迷惑をかけたくなかったので、言うとおりにすることにした。

 腹痛の原因には心当たりがある。

「コーヒーがいけなかったんでしょう」

「無理して飲んでたの?」

「好きは好きなんですよ。体質に合わないだけで。コーヒー飲むと腹がぐるぐるするんです」

 それでも喫茶店に行くとコーヒーを飲みたくなる僕は、ちょっと頭が悪いのかもしれない。

「次からはアメリカンとかカフェオレにしたら? 少しはマシかもよ」

「そうします。……気を遣ってもらって、申し訳ないです」

 僕のこんな言葉遣いは、少々他人行儀な気もする。だけど僕とトキワカさんの旅は、ひとたび喧嘩でも始まれば、それで「バイバイ」になってしまう。仲直りのチャンスはない。僕のほうから「続けたい」と思っているのならば、少しは気を払わなければならない。

「せっかくの観光が……」

「気にしないで。宮島には行けたし、観光はもう十分だから。夜はお好み焼き食べに行こうよ」

「ああ、そういえば、お好み焼きのことを忘れてました」

「必須だよ。おいしいお店知ってるから。……で、さぁ、その間の暇つぶしにね、」

 列車の移動中はずっとポーカーをしていたのだ。こう切り出されたら、大方の予想は付く。

「なんのゲームですか?」

「……どうしようかなぁ。電車の中では、もしかしたら乱入があるかもと思ってポーカーにしてたけど……」

 驚いた。トキワカさんはプレーヤーが増えることさえ計算に入れていたらしい。

「今度はふたりだけだから、〈こいこい〉にしようか」

「〈こいこい〉ってなんですか?」

「もー、今朝軽く説明したでしょ?」

 そう言ってトキワカさんが自分のリュックサックから取り出したのは、手のひらに乗るサイズの、小さな直方体の箱だった。

「〈こいこい〉は〈花札〉のゲーム。そのひとつよ」


 花札で遊んだのは、このときが初めてだった。今までそのカードゲームの存在を知ってはいたが、誰かがそれで遊んでいるのを見たことがなく、主要なゲームのルールはおろか、札の構成さえ、説明されるまで知らなかった。

 花札は全部で四十八枚。これらは一月から十二月までの十二種類に分類でき、それぞれの月の札が四枚ずつある。

 花札はトランプとは違い、数字インデックスは書かれていない。その札に描かれている〈花〉で月を判断しなければならない。対応する花は、一月から順に、松、梅、桜、藤、菖蒲あやめ牡丹ぼたんはぎすすき、菊、紅葉、柳、桐の十二種類だ。

 といっても、〈こいこい〉というゲームに関しては、数字や〈花〉はあまり意味を持たない。重要なのは、その札がどんな役割を持っているかだ。

 四十八枚の花札は別の分類を用いると、四種類に分けられる。五枚の〈光札〉、九枚の〈種札〉、十枚の〈短冊札〉、そして二十四枚の〈かす札〉だ。

 花札の特徴をひとつ挙げるとすれば、札それぞれの名称、その呼び方にあるだろう。〈桜に幕〉、〈桐に鳳凰〉、〈梅に鶯〉、〈菊に盃〉、〈松に赤短〉、〈紅葉に青短〉、〈萩のかす〉、〈芒のかす〉、などなど、札の意味を図案で捉え、その説明に数字を使わないのだから、面白い。

 これら役割の違う札を一定枚数集めることで〈役〉の完成を目指す。それが〈こいこい〉だ。

 基本的に〈こいこい〉はふたりで行うゲームで、その実際の進行については、ひどく単純だ。

 まずは親を決める。ジャンケンでもいいが、通例はふたりで札をめくり、月の数字が若い者が最初の親を取る。

 次に手札と場札を配る。手札は双方に八枚ずつ。場札は八枚、絵が見えるように広げる。残りの二十四枚は山札として使う。

 ゲームは親から始めるのだが、プレーヤーのアクションはふたつだけだ。

 手札から任意で一枚出す。

 次に山札を一枚めくる。

 これだけだ。

 手札から出した札に月が合致する場札があれば、出した手札と場札の二枚を獲得する。同じように、山札からめくった札に月が合致する場札があれば、その二枚を獲得する。

 たとえば―――場札に〈紅葉に鹿〉と〈菊に盃〉があるとき、手札から〈紅葉のかす〉の札を出せば、〈紅葉に鹿〉と同じ月なので二枚を獲得できる。

 次に山札をめくって〈菊のかす〉が出たとする。これもまた〈菊に盃〉と月が合致するので二枚を獲得することになる。

 自分が山札をめくったら、番が相手に移る。相手もまた、手札から一枚出し、山札を一枚めくり、場札と合わせてこれらを獲得する。これを交互に繰り返すのが〈こいこい〉だ。

 無論、獲得できない場合もある。場札と合致する札が手札にない場合は、手札から一枚出して場札に加える。めくった山札が場札と合致しなかった場合も新たな場札として加えられる。

 そうやって札を獲得していき、〈役〉の完成を目指す。

 役にはもちろん、それぞれ点数があるのだが―――面白いことに、麻雀と似て、役の難易度と得点の高さが、必ずしも比例しないのだ。

 そのアンバランスさが面白くて、結局、夕食の時間以外は、ずっと僕の部屋で〈こいこい〉に興じていた。

 初心者ということもあり、まったく勝てなかったが、それでも面白かった。

 午前零時を迎えたところで、もう寝よう、とトキワカさんは言った。

 高校の友達がこの話を聞いたら「お前バカか?」と本気で言い出すだろうが、トキワカさんといちゃいちゃしたいとは微塵も思わなかった。

「もう一戦、もう一回だけしましょうよ」

「やだ。キリないよ。朝弱いんでしょ? 早くシャワー浴びて寝なよ」

「ちゃんとアラーム準備しますから」

「ダ・メ・で・す」

 僕の〈泣きの一回〉は無碍に断られた。

 手際よく花札を集めてリュックに収めると、しゅんとしている僕を見て、トキワカさんは姉のような表情で慰めた。

「続きは明日、電車の中でやろうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る