第3話 博多 ~ 広島 2

 新山口駅に着くまでに、〈テキサスホールデム〉というポーカーのルールを教わった。

 午前九時出発の岩国行きの列車に乗り換えると、僕とトキワカさんで、覚えたてのテキサスホールデムで遊びはじめた。

 そして、瀬戸内海が見えるころになると―――プレーヤーの数が四人になっていた。

 向かい合わせのボックスシートに座る四人の男女は、朝の太陽を照り返す瀬戸内海の素晴らしい景色など、少しも見ない。

 僕と、僕の右隣に座るトキワカさん、そして僕の前に座る浅黒い肌のふたりのインド人の青年。四人は車窓から見える風景ではなく、配られた二枚の手札を注視していた。ついでに言うなら、途中参加してきたインド人の彼らの後ろでは、シートに肘をかけて、同じくインド人であるだろうふたりの若い女性がゲームの行方を見守っていた。

 ずいぶんとおかしなことになってきてはいたが、こうなった経緯は単純だ。僕とトキワカさんがテキサスホールデムで遊んでいたら、隣のボックスシートに座っていた彼らが「俺たちも混ぜてくれ」と言ってきたのだ。

 日本人とインド人が英語で話すものだから、かなりちぐはぐなやりとりになったが、「金は賭けていない。それでもいい?」というトキワカさんの質問に、インド人の青年は白い歯を見せて頷いたため、プレーヤーは四人になった。

 自分の手札を眺めて勝負するかどうかを考えている最中に、博多駅を出るときには、こんな旅になるとはちっとも想像していなかったなと、僕は考えていた。

 ―――さて、僕たちが挑んでいるゲーム、テキサスホールデムについてだが、ルール説明を聞いている段階で、「これは面白いゲームだ」と確信した。そして実際、面白い。奥が深い。恐らくだが麻雀が好きな人なら確実にテキサスホールデムも好きになることだろう。

 麻雀と違うのは、比べるとルールがすごく単純でわかりやすいところだ。誰でもすぐに遊ぶことができる。五枚の手札を入れ替える原初的なポーカーとはだいぶルールが変わっているが、適用される手役ハンドは同じであるし、より面白く、興奮できるゲームになっている。

 まず、プレーヤー全員に手札が二枚ずつ配られる。

 そこから一回目の賭けが始まる。判断材料は二枚の手札だけ。

 賭けは、スモールブラインドという役割を持つ人が、賭けの最低額の半分を提出するところから始まる。次にスモールブラインドの左隣に座るビッグブラインドという役割を持つ人が、賭けの最低額を提出する。これらはルール上絶対に出さなければならない。

 このとき、スモールブラインドはトキワカさんで、ビッグブラインドは僕。賭けの最低額は20ドルと設定されている。ドルと言っても、使うのは米ドルではない。このゲームでやりとりされるのは、チップゲームのためにトキワカさんが用意したおもちゃの紙幣だ。それを、テーブル代わりに四人の膝の上に乗せられたスケッチブックの表紙の上に置いていく。スケッチブックもまた、トキワカさんの私物だ。

 僕が最低賭け金の20ドルが提出している中、目の前に座るインド人の青年、アミールの番。

 勝負に乗るためには、賭けの金額を揃えなければならないのだが―――プレーヤーの選択できるアクションは五つある。

 アミールは手持ちのチップから10ドル紙幣を二枚掴んで提出。

「コール」

 コールとは、提示された賭け金と同額を出し、勝負に乗ること。

 アミールのコールを受けて、彼の左隣に座るアビシェクに番が移る。

 彼は10ドル紙幣を四枚提出した。

「レイズ」

 レイズとは、賭け金を吊り上げること。

 時計回りに番が戻り、今度はトキワカさんの番。スモールブラインドであるトキワカさんは、すでに10ドル提出している。コールするならあと30ドルで足りるのだが、トキワカさんがさらにレイズを重ねてきた。四人の膝の上のスケッチブック、そこの一角に60ドル分の紙幣が積まれる。

 それを受けて、ビッグブラインドである僕の番。コールするにはあと40ドルが必要だ。

 手札をもう一度確認して、伏せた。

「フォルド」

 フォルドとは、勝負から降りること。フォルドすると賭けたチップは戻ってこない。

 僕に関しては、このゲームでは20ドルの損失で確定した。レイズしてきたアビシェクとトキワカさんに対して自分の二枚の手札から考えるに、勝算がなさそうに思えたからだ。

 アミールとアビシェクはトキワカさんのレイズにコール。場には合計で200ドル貯まった。

 コールで賭け金が均されると、ゲームは三人残りで次のラウンドへ。

 ディーラー役を務める僕が、四人の膝の上に乗る一冊のスケッチブックに、三枚のカードを表にして並べる。マークはばらばらに、2と3と5。

 この三枚は共有カードで、勝負に残っているプレーヤー全員が手役の一部として使用できる。

 三枚の共有カードが並ぶと、判断材料が増えて二回目の賭けが始まる。番はスモールブラインドのトキワカさんから。

「チェック」

 チェックとは、様子見のパス。賭け金を出さずに番を隣に回せる。

 僕はすでにフォルド―――ゲームから降りているので、アミールの番。

「ベット」

 ベットとは、最初に賭け金を提出すること。誰かがベットすると、後続の人はチェックができない。

 アミールが20ドルを新たに提出すると、少々悩んだ末にアビシェクがフォルド、トキワカさんがコールした。

 勝負にはアミールとトキワカさんが残った。場には240ドル貯まっている。

 ディーラーである僕が、四枚目の共有カードを開く。キングだった。

 ここから三回目の賭け。

 トキワカさんがチェック。アミールもチェックした。チェックで番が一周すると、次のラウンドに移る。

 五枚目、最後の共有カードを開く。8だった。

 最後の賭けが始まる。

 トキワカさんがチェックすると、アミールが20ドルのベット。すると即座にトキワカさんが80ドルにレイズ。

 少し悩んでから、アミールはコールした。

 合計で400ドルが場に貯まったところで、ふたりのベット額が揃い、勝負が成立する。

 ここでようやく、ふたりの手札が公開されて、勝負に決着がつく。

 共有カードは235K8。

 トキワカさんの手札はAと3。アミールの手札は8のペア。

 共有カードを使って、トキワカさんは338KAで3のワンペア。アミールは5888Kで8のスリーカード。

 このゲームはアミールの勝ち。場に出された400ドルは勝者の総取りとなる。

 ゲームに決着がついたところで、途中で降りたアビシェクが自分の手札を見せてくれた。AとKだった。ポーカーではAが最強で2が最弱だ。その点で言えばアビシェクの手札はかなり強かったが、Kのワンペアでは結局8のスリーカードに負けていた。

 手札を見せてくれたお礼に、僕の手札も見せると、インド人の青年ふたりは大笑いした。

 僕の手札は4と6で、手札としては弱いほうなのだが、最初の賭けで降りてさえいなければ、共有カードを使って23456のストレートになって、僕が勝っていた。

 気にしないで、次は頑張って、という意味合いであるだろうインド訛りの英語が、ゲームを観戦していたインド人の女性から飛んできた。僕はそれに、ありがとうと返事をした。

 スモールブラインドとビッグブラインドが、ひとつ左隣にずれて、次のゲームが始まる。今度は僕がスモールブラインド。アミールがビッグブラインド。

 手札を配る。四人それぞれが手札を見る。

 あとはもう、文法を使う言葉は要らない。チェック、ベット、コール、フォルド、レイズ。この五つの単語だけで、会話は成立する。

 言語も国籍も関係ない。あるのは打算とハッタリの末の、利潤の追求のみ。

 ポーカーとは、それだけでコミュニケーションなのだなと、僕はふと、感動した。


 どれだけの時間が経っただろう。

 退屈からそう思うのではなく、あまりにもポーカーに熱中しすぎたために、どれだけの時間が経ったのかがわからなくなっていた。

 最初の手持ちのチップをひとり1000ドルと定めた総取りを目指すトーナメントも二戦目に入っている。乗り換えの岩国駅も近い。おそらくこのトーナメントで最後だ。

 僕はすでに手持ちを全て失って敗退している。

 手札が配られる。ブラインドがインド人のふたりで、現時点でトップのトキワカさんが最初のアクションを起こす。

「レイズ」

 トキワカさんは100ドルにレイズ。自信のある手札なのか。それともブラフか。

 スモールブラインドのアミールはフォルド。ビッグブラインドのアビシェクはコール。

 僕が最初の三枚の共有カードを左手のデックから開く。

 2と7、それからキング。三枚ともスペードだった。

 アビシェクが数秒考えてから100ドルをベットすると、トキワカさんはほとんど間を置かず、一息に、

「オールイン」

 と簡潔に宣言した。

 オールインとは、ベットにせよコールにせよレイズにせよ、手持ちのチップを全て賭けることだ。トキワカさんのチップの総額はアビシェクのそれよりも多い。ここでアビシェクが勝負に乗るためには、彼もまたオールインを宣言しなければならない。

 めくられていない共有カードはまだ二枚ある―――が、数秒考えた末に、アビシェクはフォルドした。ふたりが勝負を降りたため、ここで決着。トキワカさんが場に出されたチップをかき集める。三人の手札がなんだったのかは、誰も見ずに僕の持つデックの中に吸収された。

 カードデックをシャッフルしている間に、今の駆け引きを、ポーカーの素人である僕が言葉にすると、こうなるだろう。

 すべてスペードの27Kの共有カードが出てきたところで、アビシェクの100ドルベット。

「俺はスペードのフラッシュがあるぞ」

 虚実はさておき、彼のベットはそういう主張だ。2と7とKではストレートは完成しない。

 それに対し、トキワカさんのオールイン。

「奇遇ね。私もフラッシュなの」

 番が回ってきたアビシェク。コールするにはオールインが必要だが、ここでトキワカさんが語りかけてくる。

「でもわかってる? 私は最初の賭けですぐにレイズしているのよ? キングのペアを持っていてスリーカードができたのかも。もしあなたがブラフをしているなら、降りたほうがいいんじゃない?」

 最初の賭けでのレイズが巧妙な伏線となったのではと、素人の僕は想像する。迷いなくレイズしてきたからには強い手札を持っているのでは、とアビシェクにも想像させた。

 そしてまったく躊躇のないオールイン。これが決め手だった。もしかするとアビシェクはすでにスペードのフラッシュを完成させていたかもしれないが、きっと彼は、「この女は少なくともスペードのAを持っている」と想像したに違いない。同じ役でぶつかった場合、数字の強弱で勝敗をつけるのだが、Aの絡んだフラッシュは同じ役の中では最強だ。勝てるのはフルハウスかフォーカードかストレートフラッシュ。三枚めくられた共有カード、スペードの27Kでは、手札が何であれ、A絡みのフラッシュに対抗できるハンドが成立する可能性は低い。

 これは僕の想像と憶測で、最初から全てトキワカさんのブラフかもしれない。だからアビシェクが先にオールインをしていたら、トキワカさんが降りていたかもしれない。

 しかし、全てはもう、終わったワンゲームの話である。ふたりの手札がなんだったのか、五枚目の共有カードがめくられたときに勝っていたのはどちらなのかは意味のない妄想だ。〈トキワカさんが310ドルのチップを得た〉。結果はそれだけだ。

 それから何ゲームかが進行し、少しずつアビシェクのチップが削られていき、最後にはすべてアミールに吸収された。

 チップ量はほぼ互角。残りふたり―――ヘッズアップと呼ばれる状況は、しかし呆気ないほどすぐにクライマックスを迎えた。

 手札が配られてから、トキワカさんがレイズ。アミールがコール。

 三枚の共有カード、5Q5がめくられる。

 アミールがチェック。トキワカさんがベット200ドル。

 アミールは倍額のレイズ。トキワカさんが三倍のレイズ。

 ―――アミールのオールインに、トキワカさんが間髪入れずにオールインで応じると、観戦していたアビシェクは口笛を吹いた。

 ふたりがオールインとなったために、ここから先は、五枚目の共有カードがめくられるまでノンストップになる。だからギャラリーのために、ふたりは自分の手札を開いた。

「……あっちゃあ……」

 トキワカさんは眉間に皺を寄せて苦悶の声を上げた。

 彼女の手札がQのペアだったのに対し、アミールの手札はなんと5のペアで、すでにフォーカードが完成していた。

 インド人のふたりが快哉を上げてハイタッチをしている前で、トキワカさんの渋面が苦笑に変わった。

「フルハウスなら絶対に勝てると思ったのになぁー」

 そのとおり。トキワカさんのほうも、すでに55QQQのフルハウスを完成させている。しかし如何にフルハウスが強いといっても、フォーカードには負けるハンドだ。

 チップ量はわずかにトキワカさんのほうが多い。オールイン対決のこの勝負で負けてもほんの少しばかりのチップが残る。だが、そこから逆転できる確率はほぼゼロだろう。

 負けちゃったか、と思いながら、僕は作業的に、残りの共有カードを広げていく。

 四枚目の共有カードはA。そして、誰も注意を払わない中、最後の共有カードをめくる。

「……あっ」

 僕の漏らした呟きに、ギャラリーも含めた全員の視線が集まった。

 最後のカードをめくった僕の手の中に、四人目の王妃クイーンがいた。

 ―――ほどなくして、普通列車は岩国に着いた。

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