言霊に気をつけろ

切符

言霊に気をつけろ

「君はいつだって美しいね。」

男は女に厭らしい目線を送った。陳腐な口説き文句は女の鼓膜を震わせ、その端麗な顔を顰めさせる。

「バカなことを言うのね」

「いいや。本当のことだ」

「いつだって美しい人間なんている訳ないじゃない」

静かにそう言葉を流す女に男は目を細めた。ワイングラスを口元につけ、傾ける、その仕草はまるで一点の曇りのないガラスのように洗練されていて、美しいという言葉を象徴させるものであった。

「いるさ。」

「いないわ。」

「君は、この世界で一番美しい人間がどんな姿なのか、知っているかい?」

女の冷えた声に男は口調を変えた。退屈そうに頬杖をついた女は、知らない、とぶっきらぼうに答える。

「男の為に死んだ女の姿さ。」

男の言葉に女はきょとんと目を丸くして、男の顔を見た。

「ああ。漸く目が合った」

男はクスと笑う。女は一瞬気をとられるように唇を半開きにして、じっくりとその口角を上げた。男は、バーの薄明かりの照明は全て、女のこの妖艶な微笑みの為に作られていた演出であるかのように思った。

「それじゃあ、私は一番美しい人間じゃないって言うの?」

「そうだね。一番じゃない」

「じゃあどうして嘘なんか吐くのよ」

「嘘なんて吐いてないだろう。君がいつだって美しいのは本当のことだ。ただ、その美が完璧じゃないだけ。」

「でも、貴方は完璧主義者でしょう?」

男は女の言葉に少し驚いたように瞬きをして、それから声を上げて笑った。

「なんてこった!探るつもりが、こっちが探られていたんだな」

「いいえ、貴方がわかりやすいのよ。貴方は初めから、言葉に無駄がない」

男はひときしり笑い終えると、優しい顔をして女に向き直った。女は男の顔を面白そうに見つめ返す。

「その通り。僕は完璧主義者だ。だから君が僕を本当に愛してくれれば、君を手に入れた僕は、」

「貴方は、どうするの?」

「君を殺してあげよう。」

「それじゃあ意味がないでしょ。」

女の大きく黒い瞳が細くなる。そうして次の瞬間に、ゆっくりと孤を描いた。

「私が、私を本当に愛している貴方の為に、自ら死んであげる。そうすればあなたは世界で一番美しい女と、今日のこの会話への一生の後悔を手に入れることができるわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

言霊に気をつけろ 切符 @ki_ppu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る