老いた英雄の悩みと少年の好奇心

 本当に色々なことがあった夜から、一月が経とうとしていた。

 あの日保護された女の子は、ショックが大きかったのか、ほとんどの記憶を失っていた。唯一覚えていたのは、見知らぬ二人組がイログイに追われていた自分を助けてくれたということだった。

 自分の名前も分からない不安からか、女の子は言葉をあまり発することはなかった。それでも日が経つにつれて健康な顔つきになってくると、きれいな顔立ちと元々村に女の子がいなかったこともあいまって、たちまちおば様やお姉様達の人気者になった。

 もちろん男達も放ってはおかなかったが、いつも心配そうにくっついているケンセイの姿を見ると、にやけながら見守るようになった。

 そうして、その女の子はいつの間にか“ヒメちゃん”と村人に呼ばれるようになった。これには、いつも側に騎士がいるからという意味が込められていたが、本人達は全く知らない。

 一方、結局探し人の手がかりがなくなったツヨシとイチの二人は、村に居残って農作業の手伝いなどをしているうちに、すっかり村に溶け込んでいた。

 ゲンコツは仲間を探しに向かうべきだと何度も言ったのだが、ゲンコツと片角かたつのの因縁を聞いたツヨシは頑として首を縦に振ることはなかった。

 それどころか「余計な横槍を入れたのは俺ですから、俺もゲンじいを手伝います!」と、だいぶ砕けた口調で宣言していた。

 だがそれはゲンコツにとってありがたい申し出だった。何度か一緒にイログイ退治に出てツヨシが優秀な心絵師こころえしだとわかったし、何より彼は一人で片角を討伐する自信が無くなっていた。

(今、はいない……俺もあの頃ほど動けん……なのに片角のやつ前よりでかくなって恐らく強くも……さすがに今回はマリを巻き込むわけにはいかねえし……)

 らしくない、それは自分でも分かっていた。いつも通り“ぶっ潰す”それでいいはずだった。なのにちょっとしたときに同じような考えが頭をよぎりぐだぐだと悩む。大したことないイログイとの戦闘で老いを感じて不安になる。そんな日々が続いていた。

 自分がやられることが怖いんじゃない。片角を倒せないかもしれない、それが怖かった。

 自分も禁を破り戦えば……なんて馬鹿げた考えも浮かんだが、それはすぐにかき消した。

(あの嬢ちゃんも言っていた。二つは引き受けられないと……)

 イチの能力も万能ではなかった。少し考えれば当たり前だった。色を引き受けられるってだけで異常な力なのだから。

 今のところ片角が現れる気配はない。だが、予言をしたツヨシがここにとどまっていることが、ヤツが来る確証のようにゲンコツは感じていた。


 祖父が悩み苦しんでいるとき、ケンセイは知りたいことだらけで全く落ち着かない日々を過ごしていた。

 まずケンセイは祖父以外の心絵師と初めて会ったため、ツヨシに興味津々だった。

 いつ力に目覚めたのか、今までどんな戦いをして来たのか、一番手強かったイログイはどんなだったかなど、毎日通い質問攻めにした。ツヨシは嫌な顔せずその一つ一つに丁寧に答えてくれた。

「ねえツヨシさん。ツヨシさんの心色は“濃紺”って言うんでしょ? すごいよね! キレイだよね!」

 ある時家を訪ねるなりケンセイがそう言った。

「キレイ? 初めて言われたよ。いつも黒と見分けがつかないとか、紛らわしくて怖いとか言われるのに」

 そう言うツヨシは表情に変化がない。だがそれが逆に裏に隠された感情を表しているようだった。

「そうかな? 僕は色の無くなった世界で生まれたから、すぐに違いが分かったよ! ただ何て言っていいのか……黒じゃないのは分かるけど……」

 ケンセイは何か言いあぐねている。それを見ているうちにピンときたツヨシは笑いながら心筆しんぴつを取り出して答えた。

「そうだよな、黒と白しか知らないもんな。この色は簡単に言うと限りなく黒に近い青って感じかな」

 そう言って心筆をしまう。

 ケンセイは今目の前にあった色を思いながら、今言われたことを繰り返していた。

「黒に近い青……黒に近い、青……あれが青……」

 実際は青とは程遠いのだが、彼の中での青はツヨシの濃紺になってしまったようだった。

「でも俺の色はいろんな人から嫌われてるんだよね……」

 ツヨシは呟くようにポツリと言った。

「何で?」

「俺の色と相性の良いもののせいかな……」

 そう言うツヨシは悲しそうな顔をしていた。それでも気になったケンセイは聞く。

「何なのそれ?」

「……生物だよ……動物とかそれこそ人間とか。だから俺の鳥籠には伝書鳩の他に俺のが入っているのさ」

 それに気付いたのは偶然だった。目の前を飛ぶハエが目障りで心筆を振って追い払おうとした時、偶然にも色がついてしまったのだ。色のついたハエは一瞬で変化して、ツヨシはそれを自在に操れたのだ。

 だが、仲間達の印象は良くなかった。他の命を強制的に戦闘に使う力だ。忌み嫌われるのも無理もないと自分でも自覚していた。

 そしてその相性のため、禁を破ることで一番強い力を手にしたのはツヨシだった。負担も一番大きかったが、彼はそんなことは気にせず力を振るってきた。

「へー生物かぁ……」

 その後何気なく言ったケンセイの言葉は、あまりに突拍子の無いことだったが、ツヨシの胸に強く残るものだった。

「じゃあ、イログイに塗ったらどうなるんだろうね?」


 ケンセイはツヨシの所に行った後、必ず向かうところがあった。それはヒメの所だ。

 ヒメが目覚める前から、村の中を歩き回れるようになってからも、一日の大半を彼女と過ごした。

 初めはただただ興味がわいたから。それに詳しい年齢は分からないが、歳の近い女の子は初めてだったから。そしていつの間にか、ただ側にいたいと思うようになっていた。

 ヒメは滅多に口を開かなかったが、特にケンセイを追い返すこともなかった。だから遠慮なく側にいて、返事は無いもののよく話しかけたりしていた。

 ヒメと行動しているうちに、少しずつ分かってきたこともあった。

 一つは意外と食いしん坊なところ。飲まず食わずが続いた反動なのか、ヒメを可愛がっている人が何か食べ物を与えると、あまり表情は動かないが明らかに喜ぶ。そして全部自分で食べてしまう。誰かに分けるとかはしない。

 一つはよく寝ること。村を歩くだけでお腹が一杯になるからなのか、ツヨシと話し終えてからヒメを探すと大体お昼寝している。彼女のお気に入りは、村にあるもう数少ない木陰のようだ。

 それにもう一つ。それは、ヒメには戦闘技術があることだった。

 ケンセイは小さな頃から祖父や父に教わり、色つきの武器さえあれば十分イログイと戦えるくらいの腕前がある。ヒメにもほぼ同じくらいの実力があると分かった。

 それによって彼女が長い時間、心絵師と行動を共にしていたと予想できた。それ以外に戦闘経験を積む理由が無いからだ。特に今の世界においては。

 ケンセイは、彼女のことが一つ分かる度に、何か達成感のようなものを感じていた。それが嬉しくてますます一緒にいる時間は増えた。


 色んな想い渦巻く村に、近付く影が一つ。それを見た見張りは、慌ててゲンコツの元へと向かった。

「大変だ! ゲンじい! でかいのが出た!」

 ゲンコツはたまたま一緒にいたツヨシと顔を見合わせると、頷きあって動き出す。

 二人がろくに確認もせず村の外に飛び出すと、確かに大きなイログイがいた。

「ちげえ……片角じゃないのか」

 今回現れたのは大型一歩手前の大きい中型種だった。

「でも油断は出来ませんよ、あのサイズなら大型とほとんど変わらないですから……普通の中型も何匹かいるな」

 よく見ると中型が寄り添うように数匹。

 ゲンコツは金の手甲を利き手の左手に着けて、ツヨシは心筆を持って走り出した。

「おい! 武装しなくていいのか?」

 ゲンコツが走りながら聞くと、彼は腰から手のひらサイズの瓶を取り出す。そこには数匹の羽虫が入っていた。

「あまり使いたくないんですけど、今回はこれで……」

 ゲンコツもツヨシの心色と相性の良いものの話を聞いていた。だが、彼はそれに嫌悪感を表すことはなかった。

「なんだ堂々と使えよ! お前らの闇は深いんだろ? ハッお前のお仲間も何を今さら……」

 そこで一旦切って、ツヨシの持つ瓶を指差しもう一言付け加える。

「ただ協力者には感謝しろよ」

 ハッとした表情でツヨシは瓶を覗き込む。

(協力者……そんな考えしたことなかった……)

 彼等は一度きりの協力者。

 ツヨシが何度も色を塗る生物は、今は連れてきていないと自分だけだった。一瞬頭にの姿が浮かんだが、それをすぐ振り払う。物思いにふけっている場合じゃない。

 二人はイログイの一団に突っ込む。

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