一番星の輝き

 静かな夜。そこは周囲を壁で囲まれた村。村人の大半が寝静まり、起きているものもなるべく音をたてないように息を殺して過ごす。それは満月の夜の決まり事。

 そうして訪れた静寂は、少しだけ緊張をはらみながらも、人によっては心地よいものだ。

 そんな静寂を下品にぶち破る家が一軒。そこからは先程から、人とは思えないほどでかいイビキが聞こえてきていた。

 その音に、近くに住む住人は何事かと飛び起きる。また、すぐ隣に住む若い女性は今しがた読んでいた本を苦笑いしながら閉じて家の奥へと引っ込んだ。

 しばらくすると、騒音を放つ家の前に人影が一つ。その右手には使い込まれた金槌が握られている。そして案の定その人物は金槌を振り上げ、躊躇ちゅうちょなく目の前の扉に叩き込む。

 ガンガンガン!

 ものすごい音と共に削れへこむ扉。よく見ればその扉、過去に何度も叩かれたような傷跡きずあとがくっきりと残っている。

 その人物はひとしきり扉を殴り付けると、今度は息を大きく吸い込んだ。

「こらぁ! ゲンじぃ! うるせぇだろ! 息止めろ! さもないと息の根止めんぞ!」

 村中に響き渡る怒鳴り声で暴言を吐いたのは、先程本を読んでいた若い女性だった。

 彼女の名前は八沢やざわマリア。年齢は二十五歳。幼くして母を失ったケンセイの母親代わりをしてきた人物だ。全体的に柔らかくて可愛らしい見た目とは裏腹に、その性格は粗暴にして狂暴。たまに見た目に騙された村の外の男が、彼女の豪腕の前に沈む姿が目撃される。ただし、ケンセイの前では大人しく優しいお姉さんを意識していて、彼女は今でも自分の本性はバレていないと思っている。

「うるせぇぞマリ! また扉壊す気か?」

 いつの間にかイビキの止んだ家の中から、そう言って体の大きな白髪の男性が出てくる。

 彼の名前は一番星いちばんぼしゲンコツ、ケンセイの祖父だ。もうすぐ六十とは思えないほどたくましくがっしりした体つきをしていて、性格は豪快で大雑把、マリアとは違い見た目通りといえる。村では“ゲンじい”の愛称で通っている。

「マリアだっつってんだろ!」

 ゲンコツの言葉を聞くなりマリアは彼の頭めがけて金槌を振り下ろす。

 ブォン! と、風を切り迫るそれを、ゲンコツは頭をかきながら見もせずひょいっと避ける。一度避けてもマリアは止まらなかった。彼は何度も振るわれる金槌を避けながら、いぶかしげに家の中を見渡す。

 彼は家にいるはずの孫を探していた。だが、ここにはいないということはなんとなく分かっていた。

(そもそもマリのやつが平気でこの態度をとってくるってことは、近くにはいないんだろうな……)

 マリアのケンセイを察知する能力は異常だ。どんな状況でも、たとえ見えていなくても近くにケンセイがいるだけで大人しくなる。だから今は近くにはいないと断言できた。

(どこに行ったんだ? こんな時間に今日は満月だってのに!)

 次々と繰り出される命を奪いかねない攻撃を、軽々と避けながら思案すること二秒間。

「わからん! わからんが……」

 ゲンコツにはこれといって思い当たる所はなかったが、何か嫌な予感がしていた。

 そしてそれは当たっていた。

「おーい二人とも! す、すぐに来てくれ!」

 今日の見張りの一人が、そう言って駆け寄ってきた。彼の表情から何か良くないことが起きたのは一目瞭然だった。

 それを見るとゲンコツはすぐに行動した。一旦家に戻りあるものを取ってくる。そして見張りの案内で向かった場所は村から出る門の前だった。

「どうした? 何があった?」

 そう言ってゲンコツ達が近寄ると、不安そうにして集まっていた数人の見張りの表情が柔らかくなる。

「ああゲンじい! よかったこれで……」

 ドォォォン!

 そこで言葉を遮るように聞こえた破壊音に見張り達は強ばった。

「なるほどな、イログイか……今になって“たべのこし”を食い荒らしてんのか?」

 ハハハ! と馬鹿にしたように笑うと、ゲンコツは門を開けて村の外に出た。

「そういえば、なんか助けを呼ぶ声が聞こえたって誰かが……」

 門の内側で見張りの一人が言うと、もう一人が頷く。

「そうそう、なんか聞いたことある声だなぁと思ってたんだけど、ケンセイちゃんに似てたような? さすがにそんなことはないだろうし、聞き間違えかな?」

 そう言いながら彼等は門を閉めた。

(それを早く言えよ!)

 心の中でそうツッコミつつ、ゲンコツはかなり焦りながら“たべのこし”の入口へ向かった。


 ケンセイはまだ走っていた。

 ケンセイの作戦は上手くいき、二匹のイログイは彼を追いかけるのに夢中だった。

(よし、今回も大丈夫)

 鳥籠の近くを走り抜けるときその無事を確認して、また気合いをいれて走り続ける。何度そうしただろうか。今何周目なのか、どれだけ時間が経ったのかケンセイには分からなかった。もう気力だけで走り続けていた。

 当然、何も考えずに走り続けている訳じゃない。

 イログイは一瞬で物を砂に出来るわけじゃないため、それを利用して柱の残骸等に誘導してぶつけることで大きな音を出す。また、イログイ達の注意を引くように時折大声を上げる。これらの音を村の見張りがきっと拾ってくれると考えていた。

 危険な状態の女の子のために、生き残るために自分を奮い立たせて走り続けてきた。だがそれも限界が来ていた。

 距離が詰められてきていた。いや、ケンセイの速度が落ちてきていた。

(や、やばい……も、もう……視界が……)

 目を開けているのに視界が狭まりよく見えない。意識が無くなりそうになる。

 その時だった。急に横から腕がのびてきてケンセイを掴むと、そのままグイッと引き寄せられる。ケンセイに抵抗する力はなかったが、その必要はなかった。その腕は、いつも見ている逞しくて安心できる腕だった。

「おう、ケンセイよく頑張ったな」

 ケンセイは待ち望んだ声に目が閉じそうになる。だが一つの気がかりを思い出し、伝えようと必死に声を出した。

「と、とり……かご……おん、なのこ……」

「ああ、分かってるよ。大丈夫だ、いつの間にかお節介なヤツがついて来ていたからな」

 そう言ってすぐ横の柱の方を見せてくれた。そこには鳥籠を守るようにもう一人見知った顔があった。

「あ……マリねぇ……」

 ケンセイはそう力無く呟くと、今度こそ目を閉じた。

「おう、マリ! さすがに信頼されてるな! こいつ安心しきった顔してるぜ」

 それを聞くとマリアは、忌々しそうな顔をしてゲンコツを睨み付ける。

「マリアだって、それに安心してんのは……まあ、それはいいや、それよりこの子急がないと危なそうだよ」

 そう言って鳥籠を指差す。

 見つけた当初はまさか人が入ってるとは思わなくてギョッとしたが、それを見た二人は今のケンセイの状況をすぐに理解した。

「さっさと終わらせるよ! ほら、早く色塗って!」

 マリアはそう言って、さっきゲンコツに振り下ろしていた金槌を差し出してきた。

「そうだな……」

 ゲンコツは、新しく現れた獲物の様子を慎重に伺っているイログイ達を睨んだ。そしてゆっくりと口を開く。

「よう! 俺の孫が世話んなったな。礼に……粉々にしてやるぜ!」

 そう言って胸に手を当てる。すると手を当てた所が白く強く輝きだす。そして一際強い光を放つと、そこから一本の筆が現れる。

 ゲンコツが筆を手に取ると、あるがにじみ出てきた。それは光輝く。白黒のこの世界を否定するようにが現れた。

 そこからは圧倒的だった。

 まずゲンコツは差し出されていた金槌を筆でサッと一撫でする。するとどうだろう、マリアの手の中で、ただの金槌が金に輝く身の丈ほどもある戦槌に変化していた。

「よっと……おらぁ」

 マリアはそれを軽々と持ち上げると、無防備にチマチマ近付いてきていた小型のイログイを叩き潰す。

 それを見ていた中型は武器を持たないゲンコツに襲いかかった。

「おせえよ」

 彼の左手にはとっくに武器が握られていた。それは彼が喧嘩に明け暮れていた頃の相棒メリケンサック。サッと色を塗れば、手全体を覆う重厚な手甲に様変わりした。

「お前らがどんだけ強かろうが、どんな手を使ってこようが俺は揺るがん! だから俺の色は砕けん!」

 世界が黒に染まりつつある時、失った色を心に秘め黒に染まらないその色を使い戦う者達。人々は自分達の中に現れた希望を、たった一筆で世界を変えるその者達を“心絵師こころえし”と呼んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る