少年と鳥籠の眠り姫

 彼は見つけてしまった。

 そこは月に照らされた灰色の砂漠にポツンと浮かぶ黒い影。人の生活圏のぎりぎり外にある巨大な廃墟。通称“たべのこし”。

 いつものように監視の目を盗み村を抜け出して、いつものように目的のところに行くと、いつもと違うものがあった。

「……鳥籠?」

 彼、一番星いちばんぼしケンセイは思わず呟いた。それの形は彼の祖父が持つ鳥籠によく似ていた。

(毎日じゃないけどよく来るし、この前来たときには何もなかった……最近置かれた?)

 その鳥籠はケンセイにとって特別な場所に置かれていた。

 そこには壁画があった。明らかに下手くそで、価値なんか全くない壁画。でもそれは、彼の母が描いたものだった。世界が色を失った後にあえて沢山の色を使って描いたらしいが、彼の目には当然白黒に見えているし、当時描いた本人も白黒に見えていたはずだ。

 ケンセイが十歳になった時に彼の祖父は一度だけ壁画を見せてくれた。物心つく前に母を亡くした彼は壁画に懐かしさなんか感じなかった。しかしなぜか、その時から今に至る三年の間、よく村を抜け出し壁画を見に来ていた。

 そんな壁画の下に鳥籠はあった。かなりの大きさで、分厚い布が掛けられている。

(でかい鳥でも入ってるのかな?)

 おそるおそる近付いて布を少しめくる。

 そこには鳥なんか入っていなかった。代わりに――

「……お、女の子!?」

 そこには女の子が丸くなってちょうどすっぽり納まっていたのだ。年齢はケンセイと同じくらいだろうか。髪は短くてボサボサ、唇は乾いてひび割れ痛々しい、体は細く全体的にやつれている。見れば肩が小さく上下していて、なんとか息はしているようだ。

「あ、あ、大変……食べ物、い、いや、まずは水!」

 慌てながらも水を飲ませようとするが上手くいかない。ほとんど口の端からこぼれてしまう。

「どうしよう……どうすれば……まだ、生きてるのに!」

 焦っていてはダメだと思ったケンセイは、深呼吸して落ち着いてもう一度よく見る。

(女の子の意識はない。水や食料はあっても僕では上手く与えられない。……鳥籠は背負えるようになっている)

 考えたのは数秒、決断したのは一瞬。

 直ぐに鳥籠を背負うと、今来た道を引き返す。あまり負担にならないように注意して歩く。

(……軽い)

 ケンセイは力には自信があった。それでも大きな鳥籠と人一人背負うとなると……と、ちょっと心配だったが、今は別の心配が強くなっていた。間に合わないかもしれない……そんな焦りと不安で歩くスピードは早まっていった。

(外から月明かりが入ってきてる。もうすぐ出口だ!)

 ところが、ケンセイは簡単には外に出られなくなっていた。まさに飛び出そうとしていた彼の目には二つの“黒”が映っていた。

(そんな、ここまで来て“イログイ”が!)

 ケンセイは急いで近くの柱に隠れ、見つからないように様子を見る。

 その“黒達”は焦るケンセイを嘲笑うかのようにゆっくりと出口付近をうろうろしていた。特に目的があるわけではなさそうだが、そこからは離れようとしない。

 ケンセイは口の端を噛みしめ忌々しげに“黒達”を睨み付けた。


 “イログイ”――ケンセイの住む島国では突如現れた黒い異形をそう呼んでいた。この由来は色を食ったからとも色々食ったからとも言われていたが、本当のところは誰も知らない。

 黒い異形は現れた当初、動きの無いまるで黒いオブジェのようだった。だからこそ好奇心に負けた人々が近より、その内の一人の男性がその体に触れてしまうのに時間はかからなかった。

 だが、すぐに触れてしまった彼に異変が現れる。黒い体に触れたところがまるで欠落したように真っ黒に染まり激痛が走ったのだ。

 そして今まで微動だにしなかった異形達は、その男性の悲鳴を聞くと急に動きだし、近くにいる人間を襲い始めた。牙を持つものは噛みつき、爪を持つものは切り裂く。ただただ突進してくるものがいれば、まるで武術のような動きで迫ってくるものもいる。

 異形が少しでも触れたところは黒く染まり、時間と共に黒に侵食される。そして完全に黒に染まると、どんなものも砂と化した。人間でさえも……

 そこからはまさに地獄だった。

 動くものを無差別に襲う異形達。黒の行く先々で上がる悲鳴。無惨にも砂となり散る建物、木々、動物、そして人々。

 黒い異形が触れるだけ、かするだけで黒は侵食してくる。悪夢の始まりの地は、じわりじわりと黒に染まっていった。

 そんな地獄をなんとか逃げ延びた人々はとにかく必死だった。異形に襲われる恐怖に耐えに耐え抜いて限界だった。これ以上何かあれば発狂するくらいまで追い込まれていた。

 だから未知の恐怖に名前をつけた。未知である恐怖を和らげようとした。それがどこからか現れた“イログイ”という名だった。

 そしてそれは人々の中に現れ始めた“希望”と共に爆発的に広まっていった。


 ただ睨み付けているだけでは何も解決しない。そう思ったケンセイはイログイの動きを観察し始めた。

 イログイは姿形は様々なため、人々は大きさで区別している。

 今、出入り口を塞ぐようにいるイログイは二匹。

 片方はよく見かけられる小型の個体だ。この個体は体の小ささを利用して、出来るだけ気付かれないように近付いてくる。逆に気付いてしまえばあまり危険ではない。動きが遅すぎるからだ。目の前のやつも、丸い本体から伸びた細い三本の足でチマチマと歩いている。

 問題はもう片方。小型の個体の数倍の大きさ、中型の個体である。中型の個体は足が速く、足に相当自信がある人でも逃げ切るのは難しい。そのため中型を見かけたら、すぐに隠れて見付からないようにするのが鉄則だ。

 ケンセイの視線の先の中型は六本足の蜘蛛のような見た目だ。ケンセイの住む村付近では何度か似たようなイログイが現れていて、彼自身も一度だけ見たことがあった。

(似ているからって、動きも似ているとは思わないけど、もしそうならギリギリ逃げ切れるかも……)

 そう思ってもう一度様子を見ようと覗く……二匹揃ってこっちを見ているように見える。

(まさか……そんなことは……)

 一度柱の影に隠れ直し、そっと鳥籠を下ろす。念のためしっかりと布をかけ直して女の子を隠す。そしてもう一度見ると……

「っつ!?」

 走り出していた。近寄ってきていたから。

「あああぁぁぁぁぁぁ!」

 鳥籠の無事を祈りながら、イログイが自分に興味を向けるように、わざと声を上げながら派手に逃げ出していた。

 イログイの小中型の個体は、獲物を見つけると執拗に追いかける性質がある。だからケンセイの思惑通り、二匹とも彼の後を追いかけていた。

 問題があるとすれば、遅すぎる小型が追いかけるのを諦めて鳥籠を見付けてしまうことだった。だが、ケンセイは何度も小型の前に姿を表すことでそれを避けようとしていた。

 “たべのこし”内の構造は、ドーナッツ状に道があってその外側と内側に仕切られた部屋がいくつもある。だから道なりに走っていれば同じところに戻ってくるのだ。

 ケンセイはそれを利用して、小型が諦めないくらいの速さで周回すれば上手く行くと考えていた。

 ただ、中型が予想より遥かに速く、常に全力で走らないと追い付かれそうだとは思ってもいなかった。

(ヤバイ! ヤバイよ! 急げ! 急げ!)

 涙目になりながら必死に走る。背後に気配を感じながら。

「助けて! ゲンじいぃぃぃぃ!」

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