8:化け物の生まれた日

 むかしむかし、そう遠くない昔。一人の男の子がいました。彼は友だちと遊んだり、女の子を冷やかしたり、高いところに上ったり、昆虫を枝でつついたりすることが大好きな普通の男の子でした。

 それは、彼が小学校一年生の時です。彼が自分は本当は化け物なのだと知ったのは。



 その頃、男の子の隣にある家では、ふたりの兄弟がいました。五歳の弟と、小学四年生の兄です。仮に弟をツギ、兄をイチ、と呼びましょう。年齢が近かったため、男の子はツギとよく遊んでいました。男の子が小学校に行くようになってからは、ひとりで遊ばなくてはならない時間が増えたからか、ツギは男の子が帰って来ると、前以上に嬉しそうに付きまとって来ました。男の子もまんざらではありませんでした。男の子はツギの面倒を見る役として、誇らしく感じていたのです。しかし、その日は訪れました。それは、ある夏の日のことでした。

 夏休みになり、蝉をとろう、ということになりました。ふたりは虫捕り網と虫カゴをぶら下げ、近くの雑木林を登って行きました。自分の汗のにおいと、地面で発酵した腐葉土のにおいが混ざり合い、濃厚なかおりとなって、息をするのも苦しいほどでした。暑さで、口の中はすぐにからからと乾きました。そうであっても、蝉捕りは楽しかったのです。木を揺らせば必ず蝉が降って来て、彼らに尿をあびせかけたりもしました。小さな虫カゴはすぐいっぱいになりました。

 昼ご飯を食べに帰ろうと、再び雑木林を下る途中、ツギが足を滑らせてしまいました。数メートルのことだったと思います。しかし、体の小さなツギにも、男の子にも、その距離はずいぶん長く感じられました。ツギは足を擦りむき、責任を感じた男の子は彼を背負って帰宅しました。しかし、膝の擦り傷は軽く血が滲む程度であまり心配はいらないように思われました。

 ツギを助けようとした時、男の子も一緒に転んで、ふたりは全身草の汁まみれになっていました。

「おばちゃーん、ツギが足擦りむいた!」

 玄関のあがりかまちにツギを降ろし、彼の怪我を伝えた男の子を、突然誰かが突き飛ばしました。

「おまえ、ツギに何したんだよ、血だらけじゃねぇか!」

 転んだ男の子の顔に、唾混じりの怒号が降って来ました。イチが顔を真っ赤にして、見たことがないくらい目を吊り上がらせた怖い顔で睨み付けていました。

「血……?」

「とぼけんなっ。ちゃんと見てみろ、頭から血だらけだろうが! ツギの片目、ふさがってるだろうが! なんでそんなぼんやりしてるんだよ。ちゃんと面倒見れねぇのかよ。人手なし!」

 言われてツギの方をよく見ると、何かが変でした。ツギは相変わらず草の汁まみれなのですが、その草の汁に違和感がありました。草の汁にしては色が鮮やかだし、量も多く、そして粘り気があるように見えました。

 ツン、と錆びた鉄の生臭いにおいが鼻の奥を突いて、ツギを覆う緑の液体が、深紅にその色を変えました。

 カードの裏を表に返すように?

 違います。

 変わったのは世界ではありません。

 変わったのは男のでした。

 そう、色を認識する脳が、赤を緑と誤認していたことに気付いたのでした。

 男の子には赤と緑の区別がつかなかったのです。

 それは絶望を伴った衝撃で、その夏の日から、男の子は身も心も化け物になったのでした。

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