8 人形

「日月さん」

 思わず、わたしが声を発す。

 暗闇の中に見えた人影が日月に思えたからだ。それも成長して陰を見せなくなった日月ではなく、あのときの屋敷に貰われてきたばかりの幼い姿の日月。

「日月さん」

 もう一度、わたしが日月に向かい声をかける。

 既に立派な若者に成長した日月は、今では母の欠かせぬ片腕だ。常に見せる爽やかな笑顔からは想像すらできない老獪な商売人としての才を多くの企業経営者たちに認めさる。日月の噂は日本ばかりでなく、海外の投資家たちにも知れ渡る。

 が、そのときわたしの目の前に立っていたのは、まだ成長する前の日月。わたしが愛した日月。わたしを愛してくれた日月。けれども、あの日月は今わたしの許にはいない。日月は風呂場でのわたしの戯言を憶えているだろうか。それとも長い年月を隔てた厚い壁の向こうに置き忘れてしまっただろうか。

 あのとき以来、わたしは自分がいずれ屋敷を出る覚悟でいることを誰にも話していない。それはわたしの将来の目標。気分が挫けそうなときには遠い夢に変わる。日月と出会い、初めて自分を顧みたあの十四歳の冬が過ぎ、十九歳の冬を迎えるまで、わたしの決意は幾度も目標から夢に変わり、また夢から目標へと擦り寄る。

「ああ、そうなんだ」

 そこにいた日月に触れ、初めてわたしはそれが人形であることに気づく。蝋人形のように蒼白だが、つるつるした感触はない。手触りは木彫り人形のような暖かさ。が、露出した表面の何処にも木目はない。

(どうなっているのだろう)

 わたしが思う。

 ここが夢の世界であることははっきりしている。この夢がわたしの心の中のどんな想いの産物なのか知らないが、夢を見ている自覚がある。それともこれは胡蝶の夢で、わたしがこれまで現実だと思い回想してきたことすべてが実は夢で、現実のわたしは生まれもせず、既にこの世から退場しているのだろうか。

「まるで本物のようだ」

 思わず、わたしが吐息を漏らす。目の前の暗闇に立つ日月は息をせず、また身体を微動だにしない。けれども、まるで本物の日月のようにわたしには感じられる。

 人形の日月は、あの日とまったく同じ服装をしている。子供用の白いワイシャツ。子供用の焦茶色吊ズボン。子供用の真っ白な靴下。それに服の上からは見えないが、子供用の白い下着を身につけているだろう。わたしは悪戯心を起こし、人形の日月の服を一枚一枚丁寧に折り畳みながら脱がし始める。まるで、あのときの脱衣所でのシーンを懐かしむように。

 あのときから半年くらいの間、わたしと日月はいつも一緒に風呂に入る。おそらくその方が時間が半分で済むだろうと考えたはずの女中の桜根さんや執事の山路はその行為を不審がらない。が、山路からそのことを聞かされた母が良い顔を見せない。

「仲が良いのは結構です、それを咎めるのではありません」

 言葉を濁してはいたが、母はわたしと日月が一緒に風呂に入る行為を明らかに嫌ったようだ。理由はわからない。そのことがあり、ある日を境に、二人で風呂に入ることがなくなる。わたしと日月二人にとって風呂は格好の息抜き場だったが、母や嫌がるのでは仕方がない。もっとも遠い先代がわざわざ造らせた風呂のこと、何かの機会にわたしと日月とその他三人以上で湯船に浸かることはままあったのだ。たとえば菖蒲湯や柚子湯のときがその例か。 

 日月と二人で風呂に入ることがなくなったわたしだが、母とは何度も一緒に入っている。子供の頃の話ではない。夜、仕事先から帰った母が不意に、わたしが風呂に浸かる脱衣所に現れ、

「馨さん、ご一緒して良いかしら」

 と言い、入ってくることが月に数回ある。わたしが屋敷を出て行くまで習慣的に続く。それは日月にしても同様で母と二人で風呂に入る。それなのに何故、わたしと日月が二人で風呂に入るのを母は嫌ったのか。日月と二人、理解できない、と笑い合ったものだ。

 今にして思えば、母は余計な心配をしていたのかもしれない。わたしと日月がどうにかなってしまうと考えていたかもしれない。確かにわたしは風呂場でいつも日月に悪戯をしたし、思春期の真っ只中、日々興味の尽きない高揚した気分を感じている。が、それはありえない心配なのだ。わたしは日月を愛している。だからこそ、日月とどうかなろうなどとは考えない。選択し得ない選択肢なのだ。

 けれども実際のところは、どうだったのだろう。わたしはそれで良かったが、日月にとっては、やはり困った出来事だったのだろうか。

 最初の日からしばらくし、日月がわたしの悪戯に悪戯で応戦するようになる。わたしの背中や胸を手で触ったり、舌で舐めたり、わたしが髪を洗って油断していると脇の下を擽ってくるようになったのだ。もちろんそれは子供心にも他愛無い、まったく危険のない遊びだったはず。けれども、そうではなかったのだろうか。

「ふうん、こうなっているんだ」

 人形の日月の服をすべて脱がし終えると、わたしは美しいが動かぬ裸体をしげしげと眺める。肉がなく、ぺしゃんこで、ただ細いばかりなのに何故、これほど日月は綺麗なのだろう。あのとき日月の中で唯一邪悪そうに思えた性器さえ、身体の他の部分と調和し、大層美しく感じられる。

「でも、大きくなったら違うのだろうか」

 シュルレアリズム系列に属する画家とはいえ、師匠Hに絵の基本を叩き込まれたわたしは、バランスの重要性を熟知している。有名なダビデの彫像といえども、性器だけが勃起していたなら、異常なバランスになるだろう。だから勃起した性器があるとすれば、それに見合う身体の動きが必要なのだ。が、そのことを知ったればこそ、わたしは日月のアンバランスを見たくなる。だから可能と確信したわけではないが、人形の日月の性器に息を吹きかける。ついでポキリと折れぬよう細心の注意を払い、こわごわと触れる。両手で。

 暫くの間は何も起こらない。

 が、時を経、性器がゆっくりと大きくなる。太さを増す。鎌首を擡げる。人形の他の部分は変化していない。長いが最初は細かった人形の性器だけが、まるで別の生き物のように妖しく蠢き、わたしを誘う。けれども、わたしにそれ以上のことが出来るわけもない。ただその存在感に驚嘆し、ともすれば自分の存在を無視するかのように、わたしの両掌から逃げ出そうとするそれを、どうにか飼いならし、留めようとするだけで精一杯。だからなのだろうか。ふと性器から目を逸らし、人形の顔を見たわたしが驚く。人形が涙を流していたからだ。性器が精一杯膨らんでも身体に用意がないので何も放出できないことを、まるでわたしに詫びるように。

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