6 入浴

 たまに屋敷にやって来る親戚や近村の子供たちを屋敷の風呂場に案内するとき、皆きゃらきゃらと浮足立つ。屋敷にやって来るのが初めての子供でも何処で噂を聞くのか同様に騒ぐ。観光地にでもやって来た気分なのだろうか。その点からすれば、日月は子供ではない。が、大人というのではなく、わたしの意見では人形となる。その肌はどこまでも白く滑らかで、またひんやりと冷たく感じられる。

 が、わたしがいくらそのときそう感じたといえ、日月は無論人形ではない。服を脱がせ裸にしても木の表面は現れないし、稼動用の球体関節が露になるわけでもない。

「あとはじぶんでぬぎます」

 されるがまま、わたしに上半身を裸にされると、そこから先、日月が人間の子供に戻る。流れるような動きでズボンや下着を脱ぎ、わたしの前に裸体を曝す。乱れ籠に目を遣れば、中の衣服が綺麗に折り畳まれている。投げやりなわたしの動作が無様な動物の動きに思える日月の洗練された所作だ。

「では、こちらへ」

 わたしは脱衣所の所定の場所に仕舞われた石鹸と糸瓜(へちま)それに手拭を手に取り、風呂場のガラス戸を音を立て開ける。途端、熱い蒸気がわたしたち二人を包み込む。

「桶はこれ。腰かけはこれ」

 わたしが風呂場の一隅に片付けられた桶と腰かけを二人分運び、一対を日月に渡すと、その場でしゃがみこみ、桶で掬ったお湯を日月にかける。ついで自分も湯を浴びる。日月を促しつつ、ゆったりと湯船に身を浸す。数年前に亡くなった祖父だったらここで、

「あーっ、極楽、極楽」

 と唱えていたことだろう。

「ふーっ、いい湯加減だ。日月さん、気持ち良いですか」

「はい、かおるさん。とてもきもちよいです」

 とっぷりとお湯に浸かった日月。その日月を、わたしが見るとはなしに見る。

 日月が本当に人形ではないのは頬や全身の上気でわかる。富士の山頂付近を飾る雪のように真っ白だった日月の皮膚が、今では柔らかい紅色に染まっている。常識で考えれば当たり前の色の変化が、わたしには西洋の手品を見るよりも不可思議に感じられる。それで悪戯心が起こったのかもしれない。広い湯船の中をそろそろと日月に近づく。日月の背中側にまわり込み、自分の両膝の上に日月の尻を乗せようと図る。日月はわたしの目論見に気づいたようだが抵抗はしない。

「母さんもよくそうやって、ぼくをひざの上にのせてくれました。もうずっと前の、小さいときのことでしたが」

「ふうん。では、わたしはあなたの母さまの代わりなのか」

「いえ、そうではありません。かおるさんはかおるさんです」

「ということならば、日月さん、ここではあなたもあなただよ。わたしの弟で、お母さまの子供で、この屋敷の跡取り息子だ」

「かおるさんは」

「わたしはいずれ、この屋敷から出て行くよ。もちろん、まだずっと先の話だけれど。きっと、そうなるような気がする。だとすれば日月さんがこの屋敷の後を継がなければならない。お母さまは、そこまで考えてあなたを引き取ったんじゃないかな。わたしの考え過ぎでなければ」

 わたしが今まで自分でも言葉に出来なかった本心を明瞭に日月に語る。そうか、わたしはこれまでそう思い、この屋敷で暮らしてきたのか。父の死を目前にし、何処までも混乱したあのときの自分の心境が、日月を前にしてすっきりとわかる。何故、今まで自覚できなかったのかと不思議になる。

「日月さん、今のことは内緒だよ」

「はい、かおるさん」

「でも口に出したら、自分にそれが出来るかどうか自信がなくなってきたよ」

「じぶんを信じればいいんです、かおるさん。じぶんを信じるんです」

「それがいちばん難しい」

「だけど、むずかしいから、それができるんです」

「ああ、それはそうだね。簡単だったら目標にも攻撃対象にもならないから。自分の頭の中で想像を繰り返し、そのうち飽きてしまい、敷かれたレールの上を歩いているんだ」

 言い終え、日月の身体をぎゅっと抱き締める。わたしに抱き締められた日月の身体は細く、また薄かったが、それでもわたしの抱擁をしっかりと受け止めてくれる。わたしは安心し、また悪戯心を起こす。日月の身体を擽り始める。

 こちょ、こちょ、こちょ。

「かおるさん、やめてください。くすぐったいです」

 こちょ、こちょ、こちょ。

「かおるさん、あっ、きゃっ、やめて、かおるさん、きゃっきゃっきゃっ」

 初めて日月と自分が打ち解け合えた気分になる。さすが単細胞なわたし。スキンシップを文字通り肌で通わせたわけだ。

「もうそろそろ出ないとのぼせちゃうかな」

「はい、かおるさん」

 わたしたちは湯船から上がると互いの身体を洗い合う。日月の性器は小さな身体の割に長く立派で、この先何人もの女性を泣かせるのでは想像させる。

「大きくなっても、女の子を泣かせたりしては駄目だよ、日月さん」

 さすがの日月にも言葉の意味がわからないのか、きょとんとした表情をわたしに返す。が、それさえ日月の芝居なのかもしれない、とふと思う。

「だけど、あなたなら誰かを不幸にすることはないだろうね」

 わたしは遊んでみたくなり、日月の性器に手を伸ばす。

「どれ、大きくなるかな」

「あっ、やめてください、かおるさん、くすぐったい」

 わたしの掌の中にしっかりした感触を残し、日月がすうっとわたしから逃げる。さすがに深追いせず、日月をわたしの悪戯から開放する。入浴の続きとして日月の頭の上からざあっとお湯をかける。しっかりと目を瞑らせ、髪の毛を洗うともう数回、同じようにお湯をかけ、石鹸の泡を流し去る。

「わたしは自分で洗うから、先にお風呂に浸かってなさい」

「はい、かおるさん」

 そう応える日月の声を聞きながら、この先に待つ自分の将来に思いを馳せる。

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