5 友人
見晴台からの帰り道、わたしたち二人は幾人の村人たちと擦れ違う。心の裏側でどう思っているかは知らないが、大抵の村人たちは、わたしたちに『こんにちは』と挨拶してくれる。が、中にはあからさまに警戒する人もいる。わたしは慣れているから平気だが、日月は厭な思いを重ねたかもしれない。お化け屋敷の新参者として近隣の村人たちの噂の対象となったからだ。
「おう、葛城。久しぶり」
屋敷のすぐ近くまで戻ったところで声をかけられる。声の主は松浦昭吾。この地での、わたしの唯一の理解者だ。
「確かに久しぶりだね。最後に会ったのは、わたしの誕生会だから春かな」
わたしが問うと昭吾が答える。
「違うだろう。夏に蓮沼池で一緒に蚊に刺されたよ」
「ああ、そうだった。思い出したよ」
「あのときは、たいそう暑かったな」
「そうだね」
あの夜、わたしは父の病やその他種々のことで混乱し、夕食後、堰が切れた川の水のように屋敷の外に飛び出している。結果的に夜半家に帰ることになるが、誰もわたしの幼い放蕩に気づかない。屋敷自体が混乱の最中にあったからだ。
「いろいろと大変だったな」
「ありがとう、松浦くんには迷惑をかけたね」
「別に迷惑じゃないが、驚いたぞ」
片目を瞑り、松浦昭吾がそう続ける。ついで、わたしたち二人だけにしかわからない秘密の合図を送ってくる。
「で、そっちのちっちゃいのが、あれか」
「あれはないだろう。葛城日月だよ。月日の『日』に同じ月日の『月』。わたしの大切な弟だ」
わたしが言うと、それまでわたしと松浦の会話の成り行きを探っていた日月が松浦にぺこりと頭を下げる。
「葛城日月です。どうぞ、よろしくおねがいいたします」
「はいはい、こちらこそよろしくね」
松浦はそう口にしつつ、握力のありそうな大きな右手をぐいと日月に差し出す。日月はわたしの了解を求め、ちらりとこちらを振り返るが、わたしの顔色を読み、そのまま自分の小さな右手を松浦に差し出す。
「礼儀正しいんだね。さすがお屋敷の坊ちゃんだ」
「今日はお化け屋敷とはいわないんだね」
「そんなのは、おまえと二人のときしか言わねえよ。それにおれが言うときのそれは単なる冗談だ」
「わかっている」
「相変わらず、おまえは頼りないな。ちっちゃいの……じゃなかった、日月くんに迷惑をかけるなよ」
「きみにいわれる筋合いじゃないさ」
それから暫く近況を報告し合い、互いに惜しみながら二手に別れる。
「きっぷのいい人ですね」
「ふうん。そんな言葉を知っているのか。ああ、とてもいい奴だよ。松浦くんはわたしたちを差別しない。立場が違うから喧嘩をしたことはあるが、いつでもわたしをわたしとして扱ってくれる」
「好きなんですね」
「向こうがわたしを気に入っている気持ちよりも、もっとたくさんわたしの方が彼のことを好きだと思うよ」
「すてきですね」
「でもまあ、それはわたしが思っているだけかもしれないけどね」
松浦昭吾と知り合ったのは戦時下の学徒動員時。尋常小学校在学時にも勤労奉仕に駆り出されたことはあるが、苦労がその比ではない。都会で全寮制の中学校に入学してすぐ、疎開目的で屋敷に連れ戻されたわたしは、両親の考えもあり、工場勤務を免除されない。地元の学校の校舎は既に軍需生産工場に変わっており、落下傘や軍服の生産、更に各種航空機の部品製造までを請け負っている。工場での作業そのものがかなりきつく、また臨時で農作業や開墾作業に借り出されたときには死ぬ思いをする。が、その場での浦昭昭吾との出会いは、心の中に灯る一束の松明のようにわたしの心に輝きを与える。
「日月さんの友だち第一号には誰がなるんだろう」
わたしは問うたが、散策で疲労困憊の日月は聞いていなかったようだ。
「おやしきが見えてきました」
最初に屋敷を一周し、寄り道もせず、林道を見晴台まで登り、休息し、その後単に戻ってきただけの道程だが、それでも往復で四時間以上経過している。
「あんれまあ、どろどろになって」
屋敷の玄関で女中の桜根さんに出迎えられ、そう言われる。
「山路さんが、風呂の用意だ、と仰っていなければ忘れてましたよ」
既に風呂が沸いていることを告げる。山路のタイミング良さは天下一品。
「そんなに汚れているかなぁ」
が、自分ではそれほど汚れた感じがしない。
「そんなら姿見をご覧なさいな」
桜根さんが言うので見てみると思いの他、顔が汚れている。日月の顔は出かける前と殆ど変わらないというのに。
「日月さん、あなたは別の意味でお化けだね。さあ、一緒にお風呂に入ろう」
「それがよろしいでございますね。お着替えを用意しますから」
「ありがとう、桜根さん」
先に用を足し、ついで日月を連れ、風呂場に向かう。西洋風な屋敷の外観から想像できない純和風檜造りの浴場。やたらと広い。
「脱いだ服は、乱れ籠の中に出しておけば良いですから。ところで日月さん、昨日、お母さまか誰かとお風呂に入られましたか」
わたし自身は昨日風呂に入らなかったので聞いてみる。日月も昨日は疲れており、夕食後ベッドに入るとすぐ眠ってしまったという。とすれば、勝手がわからず戸惑ったとしても不思議はない。
「裸になるのが恥ずかしいのかな、日月さん。どれ、わたしが脱がせてあげましょう」
既に着ていた服をすべて乱れ籠の中に放り投げたわたしが、日月の服を両手で引っ張り上げながら口にする。
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