2
六人は鴻城希槻の屋敷に到着すると、その中庭へ向かった。屋敷のその場所はどういうわけかひどく損傷している。落城したトロイアほどではないにせよ、ちょっとした神様が暴れまわった、というふうでもあった。
その中庭では、二人の人物が待っていた。一人は千ヶ崎朝美、そしてもう一人は――
「何で、神坂先生がここにいるんですか?」
アキはすっとんきょうな声を出した。
そこには、アキの通う衣織学園の数学教師である神坂柊一郎の姿があった。おそらく学校の時と同じスーツ姿だったが、その姿はこの屋敷にいるほうがしっくり来ている感じがした。
「……室寺さん、あんた説明してくれてないのか?」
神坂はちょっと苦々しげな表情でそちらのほうを見た。が、室寺は急に耳の調子が悪くなったとでもいうふうに、それを聞き流している。
「先生も委員会の人だったんですか?」
アキはそんな二人には構わず、人なつっこい鳥みたいな様子で訊いた。
二年前の学園での出来事に関して、アキはこの教師に対していくつかの推測を行っていた。魔法使いであること、何らかの秘密組織に属しているかもしれないこと。あの時は最後まではぐらかされるだけだったが、図らずもその推測はあたっていたらしい。
「いや、違う」
けれど神坂は、首を振った。
「違うんですか?」
アキはひどくがっかりした顔をしている。屋台で金魚を取り逃した子供みたいに。
「そうではなくて……」神坂はいささか面倒くさそうに説明をした。「俺は結社の協力者として、委員会のスパイをやっていた」
「結社――ということは、委員会の敵ってことじゃないんですか?」
アキはちょっと混乱した。
「ああ、だが俺は委員会に内通していた」
「?」
「いわゆる、二重スパイというやつだ。はじめは結社に属していたが、途中から委員会に鞍替えした」
「……何だか複雑ですね」
と、アキは感心していいのか呆れていいのか、よくわからない口調で行った。確かに、スパイ小説じみた話ではあった。
神坂はしかし、そんなアキには構わずに子供たちの一人に顔を向けた。古い写真でも引っぱりだすような、どこか懐かしそうな様子をして。
「君が、宮藤晴だな?」
声をかけられて、ハルは不思議そうな顔をする。
「そうですけど、確か面識はありませんよね?」
「ところが、俺のほうではあるんだよ。間接的にだがな」
そんなふうに言われても、もちろんハルにわかるはずなどない。
「……昔、君が小学生だった頃、劇の脚本を書いたことがある」神坂はあっさりとネタばらしをした。「例の、魔法使いが出てくるやつのをな」
言われて、ハルはようやくどういうことなのかを理解する。同時に、ちょっと複雑な表情で神坂のほうを見た。
「あなたは、知っててあれを書いたんですか?」
神坂は芝居がかった仕草で、申し訳なさそうに肩をすくめてみせる。「――悪いが、そのとおりだ」
だが実のところ、神坂が結社を裏切ったのはそれをきっかけにしてのことだった。完全世界を求めるということが、どういうことなのかを理解して。それはある意味では、この不完全世界そのものを破壊することでもあった。少なくとも神坂には、この世界に対してまだ未練を持つだけの理由が存在していた。
「道理で、あの劇がハル君に不評だったわけですよ」
とアキが横から、うんうんとうなずいている。神坂を非難するような視線を向けながら。
「しかしお前たちも勝手に劇の最後を変えてしまったんだから」神坂は反省の感じられない態度で言った。「おあいこというところだろうな」
それに対してアキが何か言いかえそうとするのを、室寺が押さえた。今は、そんなことをしている場合ではない。
「――その話はまた今度にしてくれ。今はこっちに見て欲しいものがある。特に、佐乃世さんにはな」
室寺はそう言うと、全員を連れて中庭にある東屋へと向かった。さっきまでいた場所と比べて、そこに損傷らしい跡は一つもない。東屋に入ったところで、
「……何か壊れてますね」
と、身も蓋もない表現だったが、ナツが的確な一言をはなった。
そこには、粉々になったガラス片とおぼしきものが床一面に広がっていた。その下には、それとは関係なさそうな奇妙な座標計じみた装置が埋めこまれている。床の両脇には何かを支えていたらしい鉄棒が、光が降ってくるのでも待っているかのように突き立っていた。何かが壊れている、という以外に表現のしようがない。
「こいつは元々、大きなわっかのような形をしていたらしい。そこの鉄棒で支えるくらいのな」
と室寺は説明した。あくまでそれは、推測でしかなかったが。
ガラス片をじっとのぞきこんでいたフユは、けれどその言葉を聞いて何かに気づいたような顔をしている。何でもない模様が、本当は見なれたものだと気づくみたいに。
「もしかしたらこれ、うちの母親が作ったものかもしれないわね……」
とフユは慎重に発言した。「昔、これとよく似たものを見たことがある気がする」
もっとも、粉々になったガラス片はほとんど原型をとどめてはいなかったので、確言することはできなかったが。
「何にせよ、こいつは一種の通路になっていたらしい」と室寺が補足した。「完全世界までつながっている、な」
「別世界に行くための穴を開ける魔術具、ということですか? 空間をワープするみたいに」
ハルは首を傾げるようにして訊いた。だとしたら、相当特殊な魔法といっていいだろう。
「そうだ――」
と答えてから、室寺は一瞬はっとするような顔をした。今のハルの言葉と、それからフユの発言を考えて、室寺の中で何かの回路がつながる気配があった。それは六年前の、例の出来事とも直結している。
だが、そのことについては言わないことにした。現状と直接の関係はなかったし、あくまで推論の域を出ないことでもある。それより今は、早急にとりかかるべきことがあった。
「こいつが何であるにせよ、佐乃世さんにまずお願いしたいことがあります」
と言って、室寺は来理のほうを見た。
「ええ――」来理はわかっている、というふうにうなずく。「私の〈
佐乃世来理の魔法〈福音再生〉は、〝壊れたものを元の形に修復する〟ものだった。それは魔術具のような特殊な物品にも作用する。魔法管理者としては非常に有用な魔法といってよかった。ただし、この魔法が効果を及ぼすのは、あくまで無機的な物質にすぎない。
「実のところ、私がこのお屋敷に連れてこられたのも、同じ理由だったのよ」
と来理はちょっと苦笑するように言った。
「同じ理由、ですか?」朝美が訊きかえす。
「そう、鴻城希槻もそうだったの。彼の場合は、試験運転のようなことをしたときに、ほんの少し傷がついてしまったという程度だったけれど」
「直せますか、こいつを?」
室寺はあまり期待はできそうにない、という顔で訊いた。ジグソーパズルにしても、いくらかピースが多すぎる。
「時間はかかるでしょうけど、おそらくは……」
ガラスの欠片を一つ拾いながら、来理は言った。そう、時間をかけさえすれば、元に戻すことはできる。それが何であるにせよ、生きてはいないものなら――
「……そうね、ここまで壊れてしまっていると、急いでも一週間というところかしら?」
空模様を見る航海士みたいに、来理は言った。
「では申し訳ないですが、そのことについては佐乃世さんにお願いします」
室寺は言ってから、全員のほうに向きなおった。
「――とりあえず、話を整理するためにもまず今回の首謀者について説明しておこう」
「首謀者?」アキが首を傾げる。
「あるいは犯人か、容疑者といってもいい」
そう言って、室寺はにやりと笑った。例え名探偵になって事件を解決できなくとも、その説明役くらいなら十分にこなすことができるのだ。
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