3
室寺以下、八人はそろって屋敷の一室に腰を落ちつけた。床が市松模様になったモダンな部屋で、客間らしい雰囲気をしている。膝丈の背の低いテーブルを囲んで、八人がそれぞれ席に着いた。室寺と朝美が両端に座り、三人ずつが向かいあった位置についている。
もちろん八人の誰も、そこが本来の主人である鴻城たちのよく過ごしていた場所だとは知らない。住人を失った部屋は奥行きを欠いて、明るく射しこんでくる光さえ、どこかよそよそしい感じがした。
「お茶もお菓子もなくて悪いが、さっそくこいつを見てもらおう」
室寺はそう言って、まずは朝美のほうに目配せした。朝美はうなずいて、机に置いたノートパソコンの画面をみなの見やすいほうへと動かす。
そこには例の偵察機が最後に写した、牧葉清織の映像が示されていた。確認しやすいよう、顔だけを拡大した静止画にして表示してある。
「おそらくは、そいつが今回の事件の犯人と思われる、牧葉清織だ。神坂に確認したところ、本人に間違いないと言われた」
室寺は淡々と、噛んで含めるように説明した。それから、画面が暗転するまでの過程が動画で再生される。
「――この屋敷はいくつかの魔法で保護されていたらしいが、それらはすべて解除されている。映像にも示されているとおり、やったのはもちろん牧葉清織だろう」
「魔法の解除は、どうやって?」
フユはじっと画面を見つめながら訊いた。もちろんこの少女には、画面の男と奈義真太郎とのあいだにどんな関係があったのか、などということは知るよしもない。
「今のところ、方法は不明です」朝美が答えた。「魔法そのものを除去したのか、魔術具を破壊したかのどちらかと思われます。ちなみに牧葉清織の〈神聖筆記〉は、文字を書き換える魔法だそうです」
「文字を?」フユがもう一度訊く。
「魔法のワードプロセッサーというところですね。文字でさえあれば、肉筆でも印字でも、素材さえ問題にしないということです」
「……この人、こっちに気づいてませんか?」
アキは難しい顔をして画面の人物をのぞきこんでいる。
「おそらく、そのとおりです」朝美は答えた。昨日の朝に、室寺ともその点については話しあっている。「ただ、どうやって撮影を察知したのかはわかっていません。偵察機にどんな処理を行ったのかも。何らかの魔法によるものだとは思われるのですが――」
「…………」
ハルは説明を聞きながら、じっと画面をのぞきこんでいた。正確には、清織がその手に持っているらしい本のことを。そしてハルは、牧葉という名前のもう一人の女性のことについても思い出していた。
それが何を意味しているのかは、まだわからなかったけれど――
「時間経過についても、整理しておこう」
と、室寺は言った。
「この映像が撮影されたのは昼の遅く、まだ俺たちが公園で戦闘中の頃だ。ほどなく、車が一台通過するのが別の偵察機に捉えられている。屋敷の前に放置されていたのと同じものだから、鴻城の車と考えて間違いないだろう。それからしばらくして、ニニとサクヤの二人が俺たちの前から離脱した。おそらくその時に、鴻城に何らかの異変が起こったんだろう」
「屋敷にあった焼け跡のようなものは、そのことと関係があるのかしら?」
来理はふと気になったように訊いた。少なくとも彼女がその日の最後に見たときには、屋敷におかしなところなどなかったのである。
「何とも言えんところですね」室寺は難しそうに言った。「何らかの戦闘があったと考えるのが妥当だが、それが誰と誰のものなのかはわからない。例の子供二人がここまで戻ってきたのなら、その二人と牧葉清織のあいだで何らかの衝突があったと考えるのは自然な流れだとは思えますが」
「というか、あの二人はここまで戻ってきたんですか?」
アキが挙手をしてから質問する。
「残念ながら、偵察機には撮影されていません」朝美が返答した。「何しろ、地上しか映していませんでしたから。あの二人は上空を飛行していたでしょうし。ただ――」
「ただ?」ナツがうながす。
「これは鴻城希槻や牧葉清織にも言えることですが、あの二人が屋敷を出たことも確認できていません。周辺の偵察機には、何も映っていないからです」
「にもかかわらず、この屋敷には見てのとおり誰一人として残っていないわけだ」
室寺は大げさに手を広げてみせた。カードを渡して、おかしなところがどこにもないことを確かめさせるみたいに。
「二人の人間がここにやって来たのは確実だ。それからもう二人も、おそらくは。ところが出てきた人間は一人もいない。一種の密室状態というわけだ。まあ、可能性としてはいろいろ考えられるが」
「それからもう一つ、気になることがあります」
朝美はそう言って、パソコンをもう一度操作して全員のほうに向ける。
「時間的にはだいぶあとになりますが、別の車が一台この屋敷にやって来ているようです。この車だけは、出入りが確認できています。誰が、何をしに来たのかは不明ですが……」
画面には、あまり特徴のない車が走り去っていくのが映しだされていた。車種くらいなら判別可能だが、ネームプレートなどは位置的に見える角度ではない。
「しかし何にしろ、状況的に見て牧葉清織が事の中心にいるのは間違いないだろう」
室寺は、いったん話の流れをまとめるようにして言った。
「おそらく、やつは通路を使ってこの世界の外側に消えた。そして誰も追ってこられないよう、それを破壊した」
「――牧葉清織を向こう側に行かせないため、誰かがその前にあの魔術具を破壊した、というのはどうだ?」一応指摘はしておく、という感じで神坂は言った。「あるいは、佐乃世さんの修復後に何らかの理由で自然に壊れたということもありうる」
「今は最悪の事態を想定して行動するのが無難だろう。楽観的な可能性を排除する必要はないが、俺たちにはそんな暇は残っていないかもしれない」
言われて、神坂は本の埃でも払うような仕草で肩をすくめる。そして、そのままページをめくるみたいにして続けた。
「では、その牧葉清織については一つ伝えておかなくちゃならんことがあるな」
「例の秋原尚典のことですか?」朝美がはっとしたように口を挟む。「ですが、あの話は、その――」
何故か歯切れの悪い朝美に向かって、室寺は言った。
「牧葉清織のことについては、全員が知っておいたほうがいいだろう」
「ですがこれは、あまり中学生向けの話とは言えませんよ」
朝美は抗議する。が、
「聞かせてください」
と、ハルはそんな二人に向かって言った。
「その人のことについては、できるだけ多くのことを知っておいたほうがいいと思うんです」
当人にそう言われて、朝美は口を噤むしかない。それでもまだ、札をめくるべきかどうかためらうようにではあったけれど。
「――秋原尚典という、鴻城に仕える執事のような老人がいた」
神坂は朝美とは違って、ひどく淡々とした口調で話しはじめた。数学の簡単な証明を、生徒たちに説明していくみたいに。
「彼は魔法使いではなかったが、鴻城のもっとも信頼していた人物だった。多くの秘密も知っていたに違いない。その秋原尚典が死体で発見されたのが、例の日の昼頃の時間だ」
「……殺された、ということですか?」
ナツは冷静に訊きつつも、少し緊張している。
「おそらくは、な」
その曖昧な言いかたに、フユが顔をしかめた。「おそらく?」
「老人が発見されたのは、県庁の十九階にある展望ラウンジだ」神坂はあくまでも淡々としている。「その場所で彼は、内臓をそっくり抜き取られた状態で死んでいた。ただし、血は一滴も流れていない。消えた内臓がどこにいったのかも不明だ。体を切断されたような跡もなく、どうやって内臓だけを摘出したのかも――殺されたとすれば、かなり特殊な殺害方法ということになるだろう」
一瞬、空気の隅々まで凍りつくような沈黙があった。部屋の外側まで、いくらか巻きこんで。
「目撃者によると、老人は直前まで誰かと話をしていたそうだ」神坂は加える。
「牧葉清織?」アキが短く質問した。
うなずいて、神坂はやはり淡々と続ける。まるで、そうするのが正しいとでもいうように。
「牧葉清織と老人が話をしてしばらくした頃、牧葉清織のほうだけがその場を去っていった。老人はその前に、倒れるように座りこんだ。目撃者によると、二人は何か言い争いのようなことをしていたが、手を触れることもなかったそうだ。そのあと、老人の異変に気づいた目撃者が緊急通報した」
前ほど温度の低くはない沈黙が、あたりを覆った。だが、話はこれで終わりではない。
「……その際、隊員の一人が置いてあったバッグに気づいたそうだ。おそらく、牧葉清織が持ってきたものだろう。そこに何が入っていたか、わかるか?」
挑発するような神坂のもの言いに、朝美が判事みたいに注意をうながした。「神坂さん、できれば事実だけを簡潔にお願いします」
了解した、というふうに神坂はうなずく。多少、皮肉っぽい感じではあったけれど。
「簡潔に言うと、バッグの中には秋原尚典の孫娘の首が入っていた。彼女の自宅では、その両親の死体も確認されている。彼女自身の胴体のほうも、な。頭部の切断面は、現実離れした鋭利さだったそうだ。鋏で紙を切るみたいに……それから、これは妙な話なんだが、首からは大量の出血があった。バッグから滲みだすほどの、な。ところが、その時まではどこにも血痕など見つかっていない。まるでそれまでは、首だけで生きていたとでもいうふうに――」
沈黙の温度が、また下がったようでもある。
「その首というのは秋原さんを脅迫するために使われた、ということでいいんですか?」
自分でもその発言にためらいながら、ハルは訊いた。
「状況的に考えて、そうだろうな」神坂は少し疲れたように息を吐いた。「俺の知っている範囲でいえば、牧葉清織はそういう人間だ。それが必要なことなら、彼はそれをやるだろう」
「わざわざ内臓を摘出したのは?」
ナツはやや戸惑いながら、慎重に訊いた。その問いには、室寺が答えている。
「おそらくは、俺たちへの見せしめだろう。邪魔をするなら同じ目に遭う、そういう警告だ。何にせよ、相当やばい魔法の持ち主なのは間違いない。殺したのは、一種の慈悲のようなものだろう。言いたくはないが、これだけの目にあって秋原尚典がまともに生きていけたとは思えん」
声にはならない深いため息のようなものが、部屋に満ちた。引力が変わって、海の水位が変化するみたいに。
「――最後にもう一つ、報告しておくことがある」
と、室寺は言った。
「それって、いい知らせですか? それとも悪い知らせですか?」
アキが警戒するように訊く。これまでの話にしても、相当なものはあったのだから。
「今のところ何とも言えん」と室寺は難しい顔をした。「ある意味ではいい知らせではあるし、ある意味では悪い知らせでもある」
「できれば簡潔にお願いします」
ナツがちょっとため息をつくように言った。簡潔なのも考えものではあったけれど。
「つまり、だ」室寺は言った。「壁の拡大が停止した」
一瞬、どう反応していいのかわからない沈黙があたりに降りてきた。月の軌道が一センチだけずれた、とでも言われたときのような。
「――それは、つまりどういうことなんですか?」
代表して望遠鏡でものぞくように、ハルが訊いた。
「今、俺が言ったとおりだ」頼りない天文官は言う。「出現してから続いてきた魔法の壁の拡大が、一昨日から完全に停止した。ただし壁そのものは依然として健在だ」
「…………」
「原因は不明――だが、牧葉清織が向こうで何かしている、と考えて間違いはないだろうな」
室寺は肩をすくめるようにして言った。
「そもそも、その牧葉清織っていうのは何をしようとしてるんです?」
と、ナツが訊いた。
「…………」
室寺は神坂のほうを見る。が、元二重スパイはあっけなく首を振った。
「そいつはわからん」
「じゃあ、あの壊れたわっかの向こう側ってどんな世界なんですか?」
とアキが詰問でもするように訊いた。
「それも不明だ」神坂は弁解にしてはあっさりとした口調で言った。「そもそも、向こう側がどういう世界なのかを知っていたのは、鴻城希槻と一部の人間くらいだからな。完全世界を実現するための魔法、ということくらいしか俺にはわからん……」
それじゃあ、とアキがなおも訊きかさねようとしたとき、不意に声がしている。
「そこからのことについては、我が説明しよう――」
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