二つめの終わり
1
自室にいたハルは、クラクションの音に気づいて顔をあげた。
窓の外には、見覚えのある車が停まっている。住宅地には不似あいな、無駄に無骨で無駄に頑丈そうな車だった。室寺蔵之丞の車である。
緊急事態だということで室寺からの連絡があったのは、今朝のことだった。一応、学校にはいつも通りに出席し、放課後にはまっすぐ家に帰っている。その時間に、室寺が迎えにくるという話だったからだ。
来理の誘拐や公園での件については、ハルは父親である宮藤恭介に説明をしていた。魔法のことに関しては知っているので問題はなかったが、恭介はさすがに渋い顔をした。どう考えても、子供が首を突っこむような案件ではない。
けれどそれが、魔法に関係したものだというのも事実だった。
だとすれば、魔法使いでない人間が口を挟める余地はあまり存在していない。そのことを、宮藤恭介は誰よりもよく知っていた。
どこかの岩に閉じこめられた猿みたいに不承不承ではあったが、恭介はハルが自由にすることを許可した。危険を承知で公園まで来理の救出に向かうことも。
ほかの三人がどうやって家族を説得したのかは、ハルは知らなかった。フユの母親はもういろいろなことを知っているし、ナツの両親にしても一度だけそのことに深く関わっている。三人の中ではアキが一番説明が大変そうだったが、ハルには何故か、彼女がそのことで苦労したという想像がつかないでいる。
何にせよ、ハルは車がやって来るとすぐに玄関まで向かった。父親は仕事中で、まだ帰ってはいない。どんな事態が起こるにせよ、そのことについてきちんと説明することだけは約束していた。
靴を履いて外に出ると、車のドアはもう開いていた。舞踏会に向かうにしては、いささか優雅さに欠ける馬車ではあったけれど。
ハルが乗車すると、後部座席にはアキたち三人と、それから助手席には先日助けられたばかりの来理の姿があった。
「いったい、どこに行くんですか?」
ハルは音を立ててドアを閉めながら、室寺に訊いた。
「さるやんごとなきお方の、お屋敷さ」
と魔法使いの老婆にしてはやや筋骨隆々とした様子で、室寺は言った。
「――その鴻城希槻っていうのは、結局どういう人なんですか?」
とアキは身を乗りだして訊いた。彼女は後部座席の、室寺のすぐ後ろに座っている。
「俺たちにも確かなことはわかっていない」
室寺は前方に注意したまま、落ちついた声で答えた。
「例の結社のボスらしいこと、委員会に匹敵するくらいの魔法の知識があること……それくらいだ」
「あの人はおそらく、今生きている魔法使いの中では、一番古くから完全世界を求めている人物でしょうね」
助手席から、来理が言った。とても静かな、夜中に降る雪のような声で。
「そんなに年寄りってことですか?」
後ろから、ナツが確認するように訊く。「――ちょっと失礼な質問かもしれないですけど」
「いいえ、彼は老人というほどの歳ではないわ」来理は軽く笑いながら答えた。「少なくとも見ためには、壮年の男性と変わらない」
「歳をとらない?」
フユが端的に質問する。
「どういう仕組みなのかは、私にもちょっとわからないわね。でも私が若い頃(もちろん私にもそういう頃があったのよ、と来理はナツのほうに向かって微笑む)彼に会ったのと、ついこのあいだ会った彼の姿は、少しも変わらなかったわ」
おそらくはその中身も、と来理は心の中でだけつけ加えておく。
「自分の複製を作って転生みたいなことを繰り返している、とかっていうのは?」
ナツは言って、けれど自分でもその意見にあまりぞっとしない顔をしている。
「さあ、どうかしら……」
来理は難しそうに首を傾げた。あるいは、そんな魔法や魔術具も存在しているのかもしれなかったが。
車は商店街の信号で停まった。その車は普通の犬の群れに一匹だけ大型犬が混じっているようで、多少目立っているようでもある。
「――でも、その人はもういなくなっちゃったんですよね?」
と、アキが再び質問した。
「来理さんにかかってた魔法が解けちゃったんだから」
それは運動公園からニニとサクヤの二人が去っていったあとにも言われたことだった。あの不可解な撤退からほどなくして、来理はそのことに気づいたのである。
「何かが起きたのは、間違いないでしょうね。ちょうど、額かどこかについていた印が消えたような感じがしたから……」
来理はその時のことを思い出すようにして言った。
「うちの母親も、同じようなことを言っていたわね。鴻城希槻に何かあったんだろう、って」
フユも同意する。彼女の母親である志条夕葵にも、〈悪魔試験〉はかけられていた。
「てことは、やっぱり死んじゃったんじゃ……」
とアキはあまり穏当ではないと思いつつも、その単語を口にした。
「少なくともこれから向かう屋敷に、やつはいなかった」
室寺はハンドルを握りながら、声だけで答える。
「そのことも含めて、これからいろいろと調べなきゃならん――」
信号が変わって、車は発進した。室寺の車は躾のいい犬みたいに、まわりと速度をあわせている。どうやら、以前のアキの忠告に感じるところがあったらしい。
しばらくして、道は閑静な住宅地に入っていた。道路を走るほかの車もいなくなって、海の少し深いところにでも入ったみたいに、急に時間の流れが変わっている。
「そういえば、体のほうは大丈夫なんですか?」
と、ハルはふと気になっていたことを訊いた。室寺は感情をうかがわせない口調で答える。
「体のほうにそれほど問題はない。筋肉痛なんぞはあるが、そのうち回復するだろう。だがな――」
「だが?」ハルは首を傾げた。
「魔法の揺らぎが、うまく作れん」
室寺は指の動かしかたでも確認するみたいに、何度か手を握ったり開いたりした。
「……それはやっぱり、公園でのことが?」
当然、あの時のことが何らかの影響を及ぼしていると見るのが自然だろう。
「わからん」
室寺は短く答えて、手を元に戻した。
「――ただ、魔法を限界以上に使いすぎたのは事実だ。ただでさえ不完全な、その魔法をな。あるいはそのせいで、俺の中の魔法的な何かが壊れたのかもしれんし、魔法の力そのものが失われてしまったのかもしれん」
「…………」
「それが元に戻るかどうかは、今のところ不明だ」
室寺は明日の天気についてでも口にするみたいに、そう言った。
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