7
一人の少女が、橋の上を歩いていた。
ましろの髪は光で作った漣にも似て、その風貌には神話的な種類の美しさがあった。月明かりをほんの少し色づけしたような、そんな肌をしている。シンプルだが、どこか時代がかったドレスを着ていた。
それは、魔法委員会の会長である祖父江周作に対して、自分のことをウティマと名のった少女だった。自分のことを〝世界〟だという少女――
橋の上では、何台もの車が行き来していた。無粋な物音に、春の陽射しもどこか迷惑そうな様子をしている。光にはかすかな濁りが生じ、春の濃度は少しだけ下がっているようでもあった。土手沿いの桜は、すでに散りかけている。
少女はけれど、そんなことなど気にしたふうもなく歩いていく。春の陽気に誘われて散歩に出かけた、というわけではない。彼女にはある役目があった。
橋の半ばあたりまで来ると、彼女は足をとめる。その場所に、特に何があるというわけではない。空間に歪みが生じているわけでも、時間の流れに亀裂が現れているわけでも。
少なくとも、魔法使いでないものにとっては――
彼女はその場所に、そっと手をのばした。そこに何があるのかを、彼女は知っていた。完全世界と不完全世界のあいだに生じた境界線。錯視によって本来は存在しない線が知覚されるように、その境界は魔法使いにとっては壁となって存在していることになってしまう。
その壁は、正確には筒状ではなくドーム状になって広がっていた。もっというなら、球状になって広がっている。境界は完全世界の中心にあるその樹から、すべての空間に等しく拡散していた。
彼女は壁面を、軽くなでてみる。本棚のあいだから出てきた、古くて色あせた写真を懐かしむみたいに。
そこは偶然ながら、以前に室寺がその魔法を使って全力で殴打した地点でもあった。どんなものでも破壊しうる、その拳で。けれどもちろん、壁には何の痕跡も残ってはいない。罅割れどころか、かすり傷一つさえ。いかなる魔法によっても、その壁を破ることは不可能だった。
彼女はその場所に、そっと指をあてる。
まるで、飛んできたシャボン玉に手を触れるみたいに。
――その途端、壁には穴が空いていた。人が一人通れるくらいの穴が。光を切断しようとするのと同じで、どんな手段、どんな魔法を使っても不可能なはずのことを、彼女はいとも簡単にこなしてしまっていた。
自動ドアでもくぐるようなごく気軽な調子で、彼女は穴を通りぬける。するとその背後で、壁は元へと戻っていた。まるで、おかしなことなど何も起こらなかった、とでもいうように。
再び、彼女は橋の上を歩きはじめた。もう薄れかけてはいるが、絨毯みたいにして道の上に敷かれた春の空気を踏みしめながら。
彼女の口元から、かすかな鼻唄がもれだす。
懐かしいというにはあまりに古代的な、遠い遠い昔の調べが。
――「不完全世界と魔法使いたち⑥ ~物語と終焉の魔法使い~(下)」へ続く
不完全世界と魔法使いたち⑤ ~物語と終焉の魔法使い~(上) 安路 海途 @alones
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