3
朝食に用意されたのは、やけに豪勢な食事だった。
ベーコンやソーセージ、ベイクドビーンズ、ロールパンにスコーンといった組みあわせである。財宝を奪ってきたばかりの山賊みたいに山盛りにされてはいたが、朝はあまり食べないので、来理は半分以上は残している。
庭に面したテラスには、摘みとってきたばかりの新鮮さで春があふれていた。広い自然風の庭園を見ると、太陽と草花が人にはわからない言語で話しあっているようでもあった。その中に埋もれるような格好で、白い洋風の東屋が建てられている。
来理はイスに座って、食後のコーヒーを口にしているところだった。風味は豊かだが、とげとげしいところはない。食事も飲み物も、用意してくれたのは秋原という執事然とした老人だった。おそらく、歳は同じくらいだろう。
ちょうどコーヒーを飲み終わったあたりで、その秋原老人が現れた。おかわりを注ごうというのだろう。もしかしたら、どこかで様子をうかがっていたのかもしれない。
「いえ、もう十分です」
来理はそれを押さえて、微笑んだ。賓客として扱われるのはけっこうだが、これでは誘拐されたという気がしない。
「そうですか――何かご要望のことがあれば、すぐにご用意いたしますが?」
「家にいるときより寛がせてもらっています。ありがとう」
と、来理は微苦笑しながら慰撫するように言った。実際、その点での不満のようなものはない。
それから来理は、この老人に向かって庭のことについていくつか質問した。植えつけの時期や方法、土の世話、虫対策といったことについてである。秋原は庭仕事の権威として、的確に応答した。その口ぶりからして、どうやら本心からこの仕事を愛しているらしい。
話が一段落してしばらくした頃、また秋原がやって来た。主人が会いたがっている、という旨を伝えにきたのである。丁寧至極ではあるが、もちろん来理に断る自由などない。
来理はそのまま老人に案内されて、客間のほうへと向かった。そこに、屋敷の主人が待っているという。
扉を開けて部屋に入ると、その人物はテーブル近くにあるイスのところに座っていた。
その姿を見て、来理はひどく複雑な表情を浮かべる。夜の暗闇と、太陽の光を無理に混ぜあわせたような、そんな。
「お久しぶりですね、鴻城希槻――」
と、来理はその男の名前を呼んだ。
「ああ、そうだな。あんたも息災そうでなによりだ」
鴻城は、言った。にやりと、どこか悪魔的な表情を浮かべて。
「……あなたとは、もう二度と会うことはないだろうと思っていました」
けれど来理は、どこか表情を決めかねたような様子で言っている。
「俺のほうはそうは思わなかったがな」鴻城は鋳型を使って成型したような声で言った。「もう一度会うくらいのことはあるだろうと思っていた。何しろ、俺には人より余計に長い時間があるんでな」
来理は嘆息するような目で、この男のことを見つめる。確かに、その言葉通りのようだった。
「あなたは少しもお変わりないようですね」と来理は言う。
「それだけが取り柄でね」
「いったい、どんな魔法を使っているんですか? それとも、石長媛でもお招きになったんですか?」
「それは秘密でね。例えあんたにでも、簡単には教えられない」
「でしょうね――」
来理は少しだけ笑う。その秘密は、決して幸福なものではないのだろうと思いながら。
そこまでの会話を交わしてから、来理はあらためてイスの一つに座った。部屋の中には、二人しかいない。何となく、檻のない牢獄にでも入れられたような緊張感があった。
「――それで」と来理は一応、表面だけは冷静に訊いた。「いったい、私に何の用があるのですか?」
「ちょっとした失敗をしてな」
鴻城は相手のことなどまるで斟酌しない口調で言った。
「あんたの魔法が必要になった。たいした問題でもないとは思うが、大事の前の小事と言うんでな」
「私が素直に協力すると?」
「するさ」
鴻城は面白くもなさそうに言う。
けれどそれは脅しでも、ましてやはったりなどでもなかった。この男がその気になれば、ほとんどの人間は逆らうことなどできないのだ。例え獅子の皮をまとった英雄ほどの力や意志があったとしても。
〈悪魔試験〉は、そういう魔法だったのである。
この魔法は〝その願望を言いあてられた相手は、術者に対して絶対服従する〟というものだった。試験に失敗した人間は、どんな命令も拒否することはできない。ただし、その強制効果には欠点もあった。相手の望みが変化した場合には魔法効果が解除されてしまうし、願望の言いあてに失敗した場合には、主従関係が逆転する。
だが完全世界を求める人間は、その願いを決して捨てることはできない。魔法が解けることはありえなかった。
「あなたの魔法を使うつもりですか?」
来理はほんの少し、ため息をつくように言った。完全にではないが、鴻城の魔法についてはその仕組みを理解している。
「あんたを試験するのは心苦しいが、確実を期すためにはいたしかたがないんでな」
鴻城の態度は、そのセリフほどにはしおらしくはなかった。
「でも、私にどんな願いがあると? すべての魔法使いが、完全世界を求めるわけではありませんよ」
その言葉に、鴻城は何故かふっと笑った。今まででは、一番自然な笑みである。けれどそれは、記憶の中の何かを笑ったようでもあった。
「あんたの言うとおりだが、しかし実際には簡単な話だ。あの二人も言ったと思うが、あんたにはどうにもならない願いがある」
そう言って、鴻城は魔法を使った。揺らぎが広がって〈悪魔試験〉の形を作り、準備は完了する。
「それでは、試験を開始しよう。あんたの願いは、〝孫の無事〟だ――」
瞬間、確かに魔法は発動する。鴻城の作った揺らぎは来理を捕らえ、縛りあげた。凶暴な狼をも戒める鎖で。右手を代償に差しだすこともなく。
来理は諦めたように肩を落とし、目をつむった。
「やはり、あなたには誰も逆らえないようですね」
鴻城は影のように重さのない動作で、イスから立ちあがった。部屋の中にあった牢獄に似た緊張感は、すでになくなっている。それはもう、来理の魂の中へと移ってしまっていた。
「さて、それではさっそく仕事にかかってもらうとするかな」
言ってから、鴻城はさらに続ける。
「それが終われば、孫のところに帰してやろう。俺はサディストじゃないんでな。ただし、その時にはまたもう一仕事してもらうが――」
そう言う鴻城希槻の表情は、確かにサディストですらなかった。
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