「来理さんが誘拐されたって、どういうことですか?」

 と、アキは憤慨したように言った。

 佐乃世来理の自宅には、六人の人間が集まっていた。四人の子供たちと、委員会の執行者である室寺と千ヶ崎朝美である。本来の家の主人だけがそこにはいない。それだけで、家の中は何百年も放置されたお城みたいにがらんとしていた。

 居間にあるテーブルには、上座に室寺が座り、その反対に朝美。あとはハルとアキ、ナツとフユが並んで席についていた。

「今、説明したとおりだ」

 アキに対して、室寺は鷹揚に返事をした。

「佐乃世さんは結社の連中に拉致された。この家にはいないし、所在も不明だ」

「無事なんですか?」

 ナツは努めて冷静な口調で訊いた。

「おそらくは、な。家の中に争った形跡は見られない」

「そもそもどうして、佐乃世さんを?」

 フユが当然の疑問を口にした。

「わからん、見当もつかん」室寺は世界記録を狙えそうな勢いで匙を投げた。「目下のところ、調査中だ」

「例の壁と何か関係が?」ナツはあまり期待しない声で訊く。

「そいつも不明、同じく調査中だ」

 室寺の返答は予想通りだった。

「……仕事、してるんですよね?」

 と、アキは思わずじと目を作ってしまう。

「残念ながら、な」室寺はさすがに苦笑した。「情報がないんで、俺たちとしてもどうしようもない状況だ。無能の謗りはまぬがれんが」

「魔術具を使って、跡を追うことはできないのかしら?」と、フユ。

「管理者の許可がなければ、魔術具の使用は不可能だ」室寺は返答した。「当然だが、管理者は佐乃世さんなわけだ。問題を解くヒントをもらうには、先に問題を解いてしまう必要がある。それに〝追跡魔法〟のようなものでは、うまくいかない公算が大きい」

「例の隠れ家ってやつですか?」ナツが訊く。

「そうだ、佐乃世さんが連れていかれたのは、おそらくそこだろう。となると、通常、魔法を問わず、あらゆる探索手段は簡単には通用しなくなると思っていい」

 部屋の中に、短い沈黙が降りた。八方塞、というやつだろうか。

「壁は概ね円形って話でしたよね」ナツがふと思いついたように言う。「なら、その中心に何かあるんじゃないんですか?」

「文殊の知恵はけっこうだが」室寺はハルのほうを見て肩をすくめた。実のところ、その意見はすでにハルのほうで出されている。「一応、それはもう調べてある。が、めぼしいものは発見できなかった。円の中心にある場所は民家の裏山にある、ただの空き地だ。例の隠れ家の周辺からも離れている」

 もう一度、話が途切れた。ウグイスの鳴き声が、場違いな長閑さで響いた。時間はひどくゆっくりと流れている。

「――じゃあ、わたしたちにできることはないってことですか?」

 アキは難破船の上から、諦めて空を眺めるような調子で訊いた。

「いや、そうでもない」

 室寺の返事は意外だった。

「実は連中から、こんなメールが届いた」

 その言葉と同時に、朝美が一枚の紙をテーブルの上に置いている。

 用紙には、冒頭に日付けらしい数字が記されていた。ただし、今日のものではない。それから二つの数字「36572759・136705703」、おしましに「N・E」。

 ――ほかには何も書かれていない。

「届いたのは、ちょうど今朝のことだ。ついでに本人からの電話もあった。変身した偽物のほうからかもしれんが、まあおそらくは間違いないだろう。様子はわからんが、元気そうではあった」

「来理ばあちゃんは、何て?」ハルが訊いた。

「メールの場所で待っているそうだ。ほかのことについては話せない、と。おそらく鴻城の魔法をかけられているんだろうな」

「それって、どんな魔法なんですか?」アキが訊く。

「相手の弱みを握ったら、言いなりにさせる魔法だ」

「……王様の床屋さんには朗報ですね」

 アキがうなっているあいだに、ハルは数字の意味に見当をつけていた。

「――たぶんこれは、地図座標だ」

 と、ハルは数字を指さしながら言った。

「Nは北緯、Eは東経だと思う。桁数から見て36と136は、この付近にあたるから。数字に区切りがないから、十進数表記だと思う」

「千ヶ崎、調べられるか?」

 言われて、朝美は端末機を取りだす。ただの端末機ではなく〈転移情報〉でハイスペック化されたものだった。いくつか操作してから、朝美は手をとめる。

「どうやら、その通りみたいですね」

 彼女は端末機の画面を全員に見える位置に置いた。

「座標は天橋市立総合運動公園の入口を指しています。指定した日時にここまで来い、という意味でしょう」

「露骨だな。何の用意をしてるのかは知らんが、罠ですって言ってるようなものだ」

 室寺は顔をしかめた。

「でも、ほかに方法はない?」と、ナツ。

「それも事実だ」

 室寺の渋面はますます深くなった。

「委員会は壁の外側で手出しできない。内側にいる執行者は俺たち二人だけ。ほかに頼れるほどの組織もない……通常の社会組織はあてにならんだろう。これは魔法使いの戦争だ」

「でも、行くんですよね?」と、アキ。

「――ああ、もちろんだ」

 室寺は一転して、にやりと笑ってみせた。

「これは連中を一掃するチャンスでもあるんだからな。罠だろうがなんだろうが、知ったことじゃない。俺の力をみくびったことは後悔させてやるさ」

 威勢のいい啖呵が切られたその時、

「――ぼくも、行かせてください」

 と、ハルは静かに告げた。

 これが委員会と結社のいざこざであることはわかっていた。けれどそこに関わっているのは、自分の祖母なのだ。もう、放っておくわけにもいかない。

「うむ」

 室寺は難しい顔をした。戦力としては、いくらでも魔法使いの手は必要だった。が、何といってもまだ子供である。けれど――

「俺たち、だよな?」

 と、ナツは当然のことのように言った。

「だよね」

 アキもすぐさま同意する。

 最後に残ったフユも、同じ意見のようだった。

「今度の日曜日に集まるところがなくなるのは、やっぱり困るでしょうしね」

 四人の様子からして、その意志を翻させるのは難しそうだった。

「――わかった、お前たちも連れていこう」

 室寺がそう言うと、朝美が慌てるように制止した。

「いいんですか、室寺さん……?」

「構わんさ」室寺は覚悟を決めたように言葉を続けた。「どっちにせよ、これは世界の未来を賭けた戦いだ。俺たちのすべてに、そのことに関わる資格がある」

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