二つめの始まり
1
「――いい? 魔法の揺らぎを作るの。そうしてゆっくり、それを魔術具に近づけていく」
と、佐乃世来理は指示した。
場所は、夕凪町にある彼女の自宅の一室である。部屋の床と天井には奇妙な模様のようなものがあり、壁面は白い漆喰で固められていた。窓はなく、今は明かりも消されて、小さなロウソクの炎だけが暗闇に浮かんでいる。
「……はい」
アキはうなずいて、手元にある物体に意識を集中させた。二人は小さな机を挟んでイスに座っている。机の上には、すり鉢のようなものに丸い球を乗せた、奇妙な物が置かれていた。
それは〝発光魔法〟の魔術具だった。魔法には揺らぎを形にするために魔術具を利用する一般型と、魔法使い自身を利用する特殊型が存在している。〝発光魔法〟は文字通り、光を作るための魔術具だった。
二人は現在、魔法の訓練中だった。佐乃世来理は、魔法委員会によって〝管理者〟と呼ばれる役柄を委託されている。その仕事は、主に魔術具の収集や管理についてのものだったが、希望者に対して魔法の訓練を施すことも含まれていた。魔術具の利用と、管理者自身が魔法の扱いに長けている、という点で都合がよかったからである。
この部屋も一種の魔術具で、〝魔法室〟と呼ばれていた。魔法の揺らぎの強化や、その精度の向上、制御の補助といった効果が得られる。揺らぎをうまくコントロールできない初心者には、うってつけの場所でもあった。
部屋を暗くしているのは、集中力を高めるのと、魔法の発現を確認しやすくするためである。
「揺らぎを近づけたら、魔術具からの反応に注意して。目をつむって手探りするみたいに、その形を理解するの。見ためではなく、その魔法の形をね――」
言われたとおり、アキは揺らぎとその感触に注意する。
「魔術具はお手本のようなものよ。トレースすべき形を教えてはくれるけど、線は自分で引かなければならない。魔術具の形をよく見て、揺らぎをそれにあわせるの。ゆっくり、小さなコップに水を注ぐみたいに」
アキは言われたとおり、慎重に揺らぎを魔術具の形にあわせていく。
魔術具は切れかけの電球みたいに、不規則に何度か明滅した。どう見ても、成功しているとは言いがたい。アキはため息をついた。
そんな様子を見ながら、来理はどうしたものかと考えている。この少女には何か、アドバイスが必要なようだった。
「いい、アキ――? 揺らぎを形作るイメージは人それぞれよ。自分にあったイメージを思い浮かべなさい。例えば、そうね、絵を描くようなイメージ、パズルを組みたてるようなイメージ……どんなものだって構わない。そのイメージが自分にあっていれば、揺らぎのコントロールはうまくいくはずよ」
イメージか、とアキは思う。
けれどどんなものがいいだろう。料理のレシピ、裁縫の型取り、踊りの振りつけ、書道の書きとり――学校の授業を次々と思い浮かべてみるが、どれもいまいちぴんと来なかった。
(音楽は、どうかな……?)
アキはふと、音に耳を澄ますイメージで魔術具の形を探ってみた。そうすると、前よりも少しだけその形がはっきりとわかる気がした。それから、聞こえた音の種類にあわせるようにして魔法の揺らぎを作る。ちょうど、楽器で演奏するみたいに。
揺らぎは今までよりずっと正確に、安定して魔術具と同じ形を作った。世界をわずかにだけ組み変えて、青白い光が夜の月みたいに部屋の中を照らす――
「そう、いいわよ。そのイメージを忘れないようにしなさい。じゃあ今度は、揺らぎを強くしてみて。形はそのままで、密度だけをあげる」
アキは音量をあげるため、楽器を強く、フォルテで弾くイメージを浮かべた。
けれどその途端、形の輪郭はあっというまに狂ってしまう。強くしようとしすぎて、音程を間違えてしまったのだ。魔法の光は膨らみすぎた風船みたいに、一瞬だけ強く光って消えてしまう。あとにはロウソクの明かりだけが、何事もなかったように揺れていた。
「ちょっと急ぎすぎたみたいね」来理は特に失望した様子もなく言った。「今日のところは、これで十分。格段の進歩よ。揺らぎのコントロールだって、すぐにうまくなるわ」
アキは深く息をついて、肩を落とした。実際のところとしては、あまり誉められている気はしない。
「……ハル君やフユはともかく、ナツにだって簡単にできるのに、どうしてわたしにはこんなに難しいんだろう」
と、アキは愚痴をこぼした。
「何事にも向き不向きというのはあるわ。空を飛ぶのだけが鳥じゃない。走るのや、泳ぐのが得意な鳥だっている。でも、それはそれぞれでしょ? 魔法だって、そう」
なぐさめられて、アキはうーんとうなってしまう。確かにそれはそうなのだけれど。
「――今日はこのくらいにしておきましょう。最後に私がやってみせるから、よく見ておいてちょうだい」
来理はそう言うと、机の上の魔術具に手をかざした。そして、魔法の揺らぎを作る。
揺らぎは鍵穴にぴたりとはまるように、その形が一致していた。アキの時よりずっと明るく、くっきりとした光が部屋を照らす。星の光をいっぱいに集めれば、こんなふうになるのかもしれなかった。
「未名さん、て……ハル君のお母さんて、どんな人だったんですか?」
不意に、アキはそんなことを訊いている。どうしてそんなことを訊いたのか、アキには自分でもわからなかった。その質問は偶然見つけた落し物みたいに、気がつくと口をついて出てしまっている。
来理はけれど、特に気にした様子もなく答えた。
「そうね、あの子は――未名は頭のいい子だった。ハルを見ていれば、それはわかるようにね。そのくせ妙に頑固で、言いだしたら聞かないところがあった。自分が間違っているとわかっても、それを素直に認められないところが」
何かを思い出すように、来理はかすかに笑う。そして続けた。
「……けれどあの子は、何よりも失うことを怖れていた。変な言いかたをすれば、物事を大切にしすぎたのよ。この世界で何かを失わずにいられるなんて、無理なことだったのに」
来理が静かに語るそのあいだにも、魔術具の光に変化はない。揺らぎはまるで、鉱石か何かみたいに安定している。でもそこに、わずかな違いがあるのにアキは気づいた。本来は同じはずの音階が、厳密には一致しないのと同じくらいの。
「――部屋の明かりをつけてくれるかしら、アキ」
やがて来理は、いつもと同じ口調で言った。
「この不完全世界の私たちにふさわしい明かりを、ね」
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