反抗期ロボット リベリオンⅩ

zankich

 1 シュンヤとレイカ


 1 シュンヤとレイカ


 少年の名はシュンヤと言った。

 市立の学校に通う小学五年生。成績はそこそこ悪くて頭よりも体を動かすほうが得意。

 それ以外は友達とふざけあうのが楽しい普通の少年。

 その時のシュンヤは学習塾に通うことになってちょうど十日目だった。

 苦手な社会と英語が中心で――まあ、大学生の先生が面白いからとりあえず通っている。

 軽いランドセルを背負ってやや赤みが増してきた太陽を見る。

 眺めるとまぶしくて、すぐに前を向くと、駄菓子屋で万引きをしようしている女子を見つけた。

 シュンヤも経験があるので、その独特の雰囲気が伝わり、瞬時に観察した。

 掴まる――そう判断してシュンヤは赤いランドセルの女子に近づく。

 背後の気配に振り返った女子はシュンヤのクラスメイトだった。

「――……ッ!」

 パーカーのフードを被った膝丈のジーンズのクラスメイト――レイカが薄い唇を噛み締めてシュンヤを睨み付ける。そのポケットに十円のガムとチョコが入っているのはわかってる。

「ここのばーちゃん、目はしょぼしょぼだけど、耳はめっちゃいいよ」

 店内から伝わる気配で、既にバレていることを教えると、レイカはポケットに突っ込んでいた手を出して乱暴に商品棚にばらまいた。

 レイカはシュンヤを睨み続けている。女子からここまではっきり敵意を向けられることは初めてで、後悔が積み上がる。

「なんだよ……」

 泣かれるか攻撃されるか――どっちにしてもすぐ逃げるつもりで身構える。女子とケンカなんて後が面倒なだけでいいことなんてない。

 レイカは無言で睨み続けている。シュンヤは小学生なりの場数なので、一人の女子がこれほどの気を張る強さを知らない。ただ負けじと睨み返してやるだけだ。

 どちらかが折れる、ということはなかった。地震が二人の意思を削いだのだ。

「ッ!?」

 地震というには少しおかしかった。

 まるで新宿駅の動く歩道みたいに地面が滑ったように感じたのだ。

 次に風が吹いた。埃を抱いた風。

「うぅっ! ぺっ、ぺっ……」

 口に入った不快感から、砂のようなものだとわかる。

 風はすぐにやんで、目を開けると手に付いた砂が見える。

「白い砂……?」

 ざらつく感触は紛れもなく砂なのだが、粉のように真っ白で細かい。口に入った味はまずい。すぐに駄菓子屋の横につけてある水道に手を伸ばす。

「ぁ……」

 小さな声が出てはっとなった。同じく地震と突風に遭ったレイカと目が合う。

「……ほら」

 水道を譲ってやるとレイカは無言のまま口をすすいだ。次は手、顔、男みたいにばしゃばしゃ音をたてて洗う。

 シュンヤは周りを見る。

 今さらになってレイカと一緒にいることの危険さを思い出したのだ。

 まず警戒すべきなのはクラスメイト。そして、可能性としては低いけど、見られた時のヤバさで言えば、レイカの父親。

 これはヤバい。絶対にヤバい。避けなければならないシチュエーション。だけど避けるためにはこの校庭に白線を引く石灰を被ったみたいな状態のまま一度家に帰らなければならない。塾は通学路の途中にある。家に帰ってからだと面倒くさくなる。かといって塾で洗うとなればトイレしかない。実際には教員室にも水道があるけれど、そんなことシュンヤは知らない。

 こうしてレイカが顔を洗うほんの十秒程度の時間、シュンヤが戦慄する原因であるレイカの父親は〝ヤバい〟奴だった。

 レイカが転校してくる事でPTA会議が開かれた。その時に洩れた話題だと、レイカの父親が元の学校の児童を殴ったという話。

 それで父親が引っ越してレイカもこっちに転校してきた。

 PTA会議が開かれて母親連中が拒否しろなんて訴えたが結局は受け入れるしかなかった。

 そんなやり取りがあったことで、レイカは転校初日からハブられていた。髪はメンズのブリーチでギラついた金髪――ずっとパーカーのフードで隠していて、体育の時に見た――それと、擦り切れたジーンズ。教師も最初からびびっていて、誰も話しかけようとはしなかった。

 シュンヤだって、万引きをしようとしていたのがレイカだとわかっていれば声なんてかけなかった。赤いランドセルとおざなりな手つきが見ていられなかっただけなのに――

「終わった」

 たったその一言だけでシュンヤは心臓が止まりそうだった。

 濡れた顔をパーカーの袖口で拭うレイカ。シュンヤは「あぁ」とか返事をして水道でばしゃばしゃ洗う。

 近くにレイカがいる。しかもこっちからは見ることが出来ない。今この瞬間にレイカの父親が現れて髪を掴まれたらどうしよう。恐怖心のメーターが振り切れて三秒ぐらいで頭を上げた。

「じゃあな、パクんなよ」

 それだけ言ってシュンヤは水に濡れた目を開けないでレイカに背を向けた。レイカが立ち止まっているのはわかる。顔を上着でごしごし洗って少しだけ振り返ると、レイカは別の方向に歩き出していた。

 その一日ずっとシュンヤはびびっていた。塾で勉強らしいことをしている時、家に帰る時、メシ喰うとき風呂に入る時クソしている時――いつレイカの父親が怒鳴り込んでくるのかと思うと一人になるのが怖くて、ずっと両親がいるリビングでゲームして怒られた。


 翌日。

 シュンヤはレイカと一緒に歩いている。

 時間は午後四時。小学生は家に帰れと怒鳴られる。

 放課後の校庭でサッカーをして、友達全員と別れた直後にレイカは現れた。

「ちょっと来て。見てよ」と、言われただけだ。

 レイカが先を歩いていく。優先道路から小道に入り、その奥は工業地帯のはずで、特に廃棄された空き地が多いはずだ。

 いわゆる〝冒険スポット〟というやつで、仲間と何人かで繰り出し、珍しい物を拾ったりエロ本を見つけたりする。中学生がいたりして逃げたこともあればアベックを覗くこともある。草と鉄屑が放置された立ち入り禁止区域。

 女子と二人で入っていけば、それはもう都合の良い展開ばかりが浮かぶはずだが、レイカが相手ではむしろ命の危険を感じる。

 連れて行かれた廃工場にレイカの父親がいて、ぶん殴られるだけが用事なのかもしれない。

 だからといって逃げることもできない。逃げた先で捕まって金玉を蹴り上げられるかもしれない。尿道がきゅっと締まった。

 小道の塀がブロック造りから木の板やトタンに変わる。

「こっち」

 レイカがトタンの切れ目に隠れるように入る。

 シュンヤもくぐると、自分の背より高く伸びた雑草にびくびくする。今この草陰からでかい男が出てきて殴られたらどうしよう。脳内で多数のパターンを思い浮かべるが、一発避けるのが精一杯で他にもたくさん大人が出てきて奥でレイカがにやりと笑う光景に行き着いてしまう。

「もう着くんだけど、とりあえず聞いてね」

 前を歩くレイカが少しだけこっちを振り返って言う。パーカーを被った頭の向こうに工場の割れた窓が見える。

 とにかくびびりまくっているシュンヤはかくかくニワトリみたいに頷く。

「ロボット見つけたの」

「ぁあ?」

 意味がわからない、という意味の返事。しまったと思うが、レイカはそういう反応が来ると予想していたように、前を向いて続ける。

「でかいロボット。ドラえもんとかじゃなくて、ガンダムとか、そんな感じの、人が乗るみたいなの」

「……へぇ」

「信じないよね」

「まあ、なぁ……」

「もうすぐそこ、見ればわかる」

 廃工場のぼやけていた輪郭がはっきり見えてきたぐらいでレイカは右に曲がっていった。雑草が背高く伸びていて、でもよく見れば人が通った後が残っている。シュンヤも後をついていく。いつの間にかレイカの父親のことなど忘れている。

「ここ」

 レイカが止まると、その向こうには雑草がないみたいで、シュンヤは隣りに立とうとする。

「穴になってるから気をつけて」

 忠告は遅かった。

「うぅわぁっ!」

 レイカの立っている右隣を踏んだ瞬間、その足場が崩れてシュンヤは滑り落ちた。

 ドン、と足の裏に衝撃があって、止まる。

 ずいぶんと硬い感触だ。土や砂じゃない。工場や工事現場にある薄い鉄板でもない。

 何か?

 ロボットだった。

「……うそ」

 だと思った。

 現実だった。

 灰色の曲線がいくつも折り重なって装甲板になっている。シュンヤがいるのは左足の膝の皿で、立ち上がって見ても全体像が掴めない。

「何だよ、これ……」

 崩落した土と根の崖を上り、レイカの隣りまで戻ると、その全体がはっきりわかった。

 ロボットだ。

 人型ロボット。大きさは巨大。水平に指してあっちに足がある。反対方向に指してあっちに頭がある。太陽の光りが反射して、頭がどんな形かもよくわからない。とにかくでかかった。

「どうしたんだよ、これ」

「見つけた、ここで」

「いつ?」

「昨日」

「地震の後?」

「そう」

 レイカがロボットと地面との溝を指す。白い砂が詰まっていた。

「あれ、昨日の地震の」

 風に乗ってレイカとシュンヤの顔についた白い砂。

「何で俺に?」言うのか? という質問。

「他に言う人がいなかったから」

 そうか、と思う。レイカはクラスでハブられてる。シュンヤも流れに逆らわずにハブにしていた。無関心であると言ったほうが正しいが、同じことだ。

「どうすんの、これ?」

「わかんない」

「警察に言う?」

 レイカが沈黙した。何を考えているのか、すごく真剣な表情で薄い唇を噛んでいた。唇の端に赤黒いかさぶたのようなものを発見した。

「もったいなくない?」

 どういうことだ? 訊き返そうとして悟る。

 レイカはこれを自分たちの所有物にしようと言ったのだ。

「何言ってんだよ、こんなの」

 どうしようもないに決まっている。このロボットが何なのかわからないし、動くかどうかもわからない。動かし方もわからない。動かせたとして、どんな能力があるのかもわからない。

「実験しよう」

 レイカがランドセルを投げ捨て、飛び降りてロボットの膝に立つ。

「おい!」

 見下ろす形になったシュンヤが制止するが、こちらを見上げるレイカは冷めた目つきで、

「怖いの? オトコのくせに」

 小学生の男子を焚きつけるには充分な言葉だった。

 舌打ちをしてシュンヤもランドセルを投げてロボットへ飛び降りる。

 シュンヤはまず爪先まで行った。そこから大股歩きで頭に向かって歩き出す。ほぼ一直線。膝から足の付け根、胴から腰、胸、首まで行って止まる。

二十一歩。頭を除いて二十メートルくらい。

ロボットの顔をよく見てみる。馬鹿でかい卵にゴーグルをつけただけみたいな面白みのない顔。売れないロボットアニメの雑魚キャラみたいだ。

「ねぇ、こっち来て」

 レイカがロボットの胸の辺りに立って呼んだ。

 胸板がやや出っ張っていて、アルファベットが綴ってあった。

「R……E……り? REBELLION……Ⅹ……? りべ、りおん……? と、エックス?」

 REBELLION―Ⅹ

 シュンヤは暗記した。記憶力には自信がないが、これだけインパクトが強ければ覚えていられるはずだと思う。家に帰って英和辞典で調べよう。

「アメリカのかな?」

 レイカが再び訊く。もちろん、シュンヤにわかるはずなどない。しかし謎のロボットには確かに英語が書かれている。英語を使う国などアメリカ以外にも腐るほどあるけれど、大国は伊達ではない。ロボット兵器の一つや二つ完成させていてもおかしくはない。

 シュンヤの頭の中で赤い警戒ランプが回る。

 これはひょっとしたら本当にアメリカの秘密兵器ロボットなのではないか? 完成し、日本の秘密政府に見せつけ、あわよくば売りつけようとしていた。飛行機に乗せて空輸中、何らかのトラブルでロボットが落下。昨日の地震は落下の衝撃で起きたのだ。

 あるいは、秘密組織の極秘開発なのかもしれない。近くには自分たちが何か余計なことをしたら今すぐ出てきて捕まえて改造人間にしてしまうつもりなのかもしれない。

 カマキリ人間になった自分とレイカ。並んで改造人間。

 最悪だ。

「ね……なぁ!」

 虚勢を張るにも時間が要る。アルファベットを見つめて空想を膨らませていた間にレイカはすでに胸板からは消えていて、左脇の隙間を見下ろしていた。

「ねぇ、何かある」

 今すぐ帰ろう。

 シュンヤは主張したかったが、そのためにはレイカの傍に行く必要がある。それならいっそ逃げてしまえばいいんじゃないか? ダメだ。ここまで来た道を覚えていない。迷子になったら死ぬ。大げさだが一大事だ。

 しかし、それを訴えに近づいても、レイカが目に宿している妙な迫力に圧されて彼女が指差す機体の脇の部分を見てしまう。

 梯子があった。ここから地面に降りるためのものだろう。その途中にハッチと思しきもの。

「中に入れるんじゃない?」

「もうやめよう」

 たまらずシュンヤは言った。軽蔑するようなレイカの目。だがもう限界だった。

「もう帰ろう。触んないほうがいい」

「今さら? オトコのくせに」

「関係ねぇ。もうダメだ帰るぞ」

 レイカの手首を掴まえて引っ張った。

「いやっ!」

 強い力ではねのけられて、シュンヤはしりもちをつく。こちらを見下ろすレイカの顔の上半分はフードの陰に隠れて見えないが、眼光の鋭さは刃物のようだった。

「もういいよ、帰れよ!」

 レイカが怒鳴る。口の動きがはっきりわかる。噛み締める歯も――

「あたし一人でいいよ!」

「何だよ……! 何でだよ!」

 人がせっかく忠告してやっってんのに――言葉尻で勢いつけて立ち上がると、平手打ちされた。

「――……は?」

 頬骨からこめかみの辺りを打たれて頭がぐらつく。蔑む目つき。このクソ女。

「ガキがっ!」

 むき出しの膝に拳をぶち込む。自分もガキだとかいう矛盾は受け付けない。ガキはガキ。ふざけた奴。男も女も関係ない。

 レイカが呻いて膝と腰を折る。頭がちょうどいい位置に下がってきた。髪の毛を掴んで引っ張る。

 耳元でバカでかい裏声を出す。

「うる――!」

 さい、まで言わせない。髪の毛から離した手をぎゅっと固めて首の後ろ――うなじに落とす。また呻き声。悔しさが伝わる。

 なんだ、弱いじゃないか。

 パーカーのフードを掴んで引っ張り、はずみをつけて押すとレイカは倒れた。太陽の光りでギラつく金髪、窪んだ腰、丸いジーンズの線と細い足。

 鳩尾と両脇にズンと来る感覚。加虐心という言葉があるのをシュンヤは知らない。コイツを今、好きにできると思った。

 シュンヤは十一歳。読んだエロ本は十冊ぐらい。登場人物を見ていて、平均的に高校生くらいで卒業できるもんだと思っていた。それ以上に、仲間意識から女子と話すことは抜け駆けみたいで嫌だった。

 だが実際に相手を見てみれば、そんなことは吹き飛んだ。エロ本の中にはロリコン漫画もあった。あばら骨の浮き出た気持ち悪い体つきの女子を犯す漫画。有り得ねぇ何だよこれと悪態をついていたが、現実はこんなにも柔らかそうで掴んでみたくなる。

 肩を掴んで仰向けにさせる。どんな表情か見ものだ。怒りか、怯えか、泣いているのか? 許すものか、これは罰だ。人の忠告を聞かなかった報いだ。

「殺してやる」

 目を突き刺されたような気がした。自分の下で短く荒い息を繰り返しながら歯を軋ませるレイカ。

「お前も殺してやる」

 レイカに覆い被さったまま、シュンヤはへこたれてしまった。先ほどまで太鼓を叩いていた征服感は逃げてしまった。

 レイカは自分を殺すだろう。

 今じゃなくていい。明日の朝、カッターナイフで切りつけてやればいい。明後日の朝、赤信号で押してやればいい。明々後日、ハンマーでぶん殴ればいい。

 レイカは、人を殺すつもりで生きている。

 誰を? 自分か?

 父親か?

「乗りたいのか?」

 自分の影が邪魔でレイカの表情ははっきり見えない。しかし、小さく頷くのは見えた。

 シュンヤは身動き一つできないで、四つん這いになっている自分の体の下からレイカが這い出るのを見ているだけだ。

 怖いとかじゃなかった。

 楽しい訳でも、もちろんない。

 レイカは立ち上がる。殴った膝が震えている。シュンヤは尻を落とし、あぐらになり、片膝を立てる。

 幽霊のような足取りでレイカは梯子に足を乗せて、ロボットと土の裂け目に身を沈めていく。

 ハッチを開けたみたいだった。すぐに閉じられる。

 それから数分間、シュンヤはただ片膝を立てた姿勢のまま空を見上げていた。

 今日は塾の日じゃない。けれど、そろそろ帰らないと何か言われる。


 ――殺してやる。


 ぞくっとした。


 ――お前も殺してやる。


 次に変だと思った。

 お前も、とレイカは言った。つまり、シュンヤ以外にも殺したい相手がいるんだということだ。

 ひょっとしたら……いや、間違いない。


 レイカが殺したいのは、自分の父親だ。


 嫌な噂が立つ父親だ。シュンヤが両親に思う何倍もの殺意を抱いてきていたのかもしれない。

 第一、その噂がなければレイカが転校初日から全校生徒に無視されることもなかった。

 女子どもが行う、クソくだらないおしゃべり。互いに見せ合うノート、手紙。

 そういったものを奪われた生活。遠くで見ているだけしか許されない人生。

 先生が教室で振りかざす道徳の授業。レイカという異物を孕んで教授されるいやらしい道徳。全員が思う。そこにいる小汚い女は何だと。

 同じじゃないのか。

 人間は皆同じだと教えているのに、まったく逆の証明をしている。

 担任のやりにくいという顔を見るだけでわかる。全員がレイカを邪魔者として見ている。

 こうして考えているだけで、シュンヤは自分は違うと勘違いしてきた。勘違いだとは気づかない。それが勘違いなのだから。

 俺は理解している。

 俺はレイカを無視していない。

 ついさっきまで、自分の下に征服してやろうと思っていたことは棚に上げていた。

 他のガキどもとは違うことをしている。

 俺は特別なんだ。

 ロボットの上であぐらをかいているだけなのに、シュンヤは自分が特別なんだとまで思い込み始めていた。

 空ばかり見ていて気づかなかったが、いつの間にかロボットは何らかの起動を見せていたようで、ところどころで青白い光りを放っている。

 シュンヤは梯子のほうへ行き、梯子を降りてハッチを開けた。快適な風が顔にぶつかる。

 中はシュンヤがちょっと頭を下げれば立って歩ける通路になっていて、その奥にレイカの横顔が見えた。

 レイカのいるスペースはコックピットらしく、青白い光りが点灯している。

「動かせるのか?」

 コックピットに入ってレイカに訊ねると、曖昧な返事があった。

「ようやくわかってきたところ。シミュレータもついてる」

 コックピットは副座式で、レイカが座っているメインシートの後ろにサブシートがあって、シュンヤはそこに座った。レイカは何も言わなかった。どうでもいい風だった。

 両の肘掛けにレバーがあって、足元にはペダルがある。頭上にはゴーグルがあって、シュンヤはなるほど、とゴーグルを被った。


〈MEETING〉

〈SIMULATION〉

〈OPERATION〉


 青一色の中に三つの文字列が並んだ。

 会議と試験と行動。

 画面操作はレバーで出来る。一番上の〈MEETING〉でボタンを押す。

 青一色から、緑一色に変わり、〈MEETING〉の文字だけが残った。

〈オペレーター・チェック……サンプル・ジャパニーズ――言語モードを日本語に変更しますか?〉

 耳の後ろに当たっているゴーグルのバンドから骨伝導で声が聞こえる。

 シュンヤは画面に表示される日本語表示・ON/OFFをONにした。

〈了解。以後の現行操縦者搭乗時は言語モードを日本語表記に設定します。搭乗者設定を行います。あなたの名前は?〉

 まさか機械に名前を聞かれるとは思わなかった。シュンヤは自分のフルネームを告げる。

〈登録完了。ニックネームを設定しますか?〉

「……シュンヤで」

〈了解。シュンヤ様でよろしいですか?〉

「様はいらない」

〈了解。シュンヤを状況別個体識別番号002に登録しました〉

 そんな調子でロボットはシュンヤの情報を登録していった。

〈完了。個体識別に必要な情報の登録は完了しました。他に登録したいことはありますか?〉

「ないよ」

〈了解。現状、当機は一つのミッション・ミーティングに参加しています。閲覧、もしくは参加しますか?〉

 ミッション・ミーティング? 作戦会議ということか?

 シュンヤはゴーグルを外して前の席に座っているレイカを見た。

 レイカはメインシートでこちらを見ないでずっとゴーグルをしたままレバーを動かし続けている。おそらく、このミッション・ミーティングというのを行っているのはレイカだろう。

 シュンヤは再度ゴーグルを装着して、Yes/NoでYesを選択した。

〈確認。参加権限があります。ミーティングナンバー・1への参加を承諾します〉

 ゴーグルの画面いっぱいに地図が現れた。

 どこの地図だろうと思うのはほんの数秒で、予想通りの場所であることがすぐにわかった。


 シュンヤとレイカの町の地図だ。


 市役所、警察、消防署の位置。シュンヤは自分の家の場所を見つけた。それから、自分たちの現在地。

 矢印が伸びている。赤い点滅。そこをチェックする。


 レイカの家だ。


 友達と冷やかしに行ったことがある。六畳一間のアパート。


 レイカは本気で父親を襲うつもりだ。

 今も新たな情報が地図上に記載される。衛星写真やナビサイトの画像まで貼られて同じ町に住んでいるシュンヤでさえ知らない隠し道のようなものまで教えてくれる。

 ここからこのロボットで家まで行って父親を殺害する。レイカの意志がはっきりとこの地図に現れている。

 シュンヤはレバーをいじくってロボットのデータを調べてみた。

 装備――ナイフが二本。手首にガトリング砲。

 ジェネレータ―――87%待機中。

 各種センサ―――頭部、頸部、背部、両手足主要各部、良好。

 ふと思った。このロボットの名前をまだちゃんと知らない。

「えーっと……」

〈いかが致しました?〉

「そういえば、このロボットの名前は?」

〈当機の識別個体名はリベリオンⅩです〉

「リベリオン……でいいんだ……意味は?」

〈〝反逆〟です〉

「は、はん……?」

〈報告。参加しているミッションが更新・保存されました。閲覧もしくは修正を行いますか?〉

 シュンヤは反逆の意味を聞き逃した。

〈メインシート権限で当機管制をシャットダウン致します。作戦開始予定時刻はフタサンマルマルです。尚、作戦開始には識別番号001の指示が必要です〉

 それだけ告げてリベリオンⅩは機能を停止させた。

 ゴーグルを外すと、疲れた雰囲気のレイカがいた。わずかな明かりを金髪だけがチカチカと反射する。

「メインシートの起動権限は私のものだから。勝手なことしないでね」

 レイカはコックピットから出ていった。

 シュンヤはあれこれいじってみたが、リベリオンⅩはもはやレイカがいなければ動かなくなるように設定されたらしく、起動セクションから動かなかった。

 諦めてコックピットから出ると、レイカはもういなかった。

 もう夕日が沈みかけている。怒られるかもしれない。

 しかし、シュンヤは今日、もう一度ここに来ようと決めていた。


 フタサンマルマル――二三時ちょうど。

 シュンヤは二二時三十分に家を抜け出た。

 寝るのが早い父はともかく、母には気づかれただろう。しかしシュンヤは帰るつもりは最初からないつもりで出て行った。

「家出だな……」

 自転車に跨りながら呟く。

 家出をしたいと思ったことは数え切れないほどあるが、それで生きられる社会じゃないことは知っている。

 誰かにすがらなくちゃ生きられない。

 しかし、レイカはすがる相手がいない。

 ベッドの中でシュンヤは悶々と考えた。親にも頼れない世界。

 うまい食事も、いつの間にか沸いている風呂も、帰ってきたら平然と洗濯されている着替えやベッドも――シュンヤは一つとして賄うことが出来ない。

 学校の宿題を確認することも、答えあわせをすることも、忘れたノートや教科書を借りることも――レイカは出来ない。

 どうにかして、彼女の望みを叶えてやりたいと思った。

 好きだとか、そういう事にはなんかしたくない。

 とにかく一秒でも長く、レイカといたい。

 自転車を使ったから、五分くらいでトタンの塀の前まで来る。

 息を切らして、邪魔な草を払いのけて歩く。

 乾燥した土の窪地。月明かりを反射する灰色の無感情な機体――辞書で調べて知った意味、反逆の武器――リベリオンⅩ。

 ぐぉん……!

 リベリオンⅩの関節が青白い光りを放った。慌ててシュンヤは機体の膝に降りて、手をつきながらもコックピットハッチまで走った。

「レイカ!」

 ハッチを開けて叫ぶ。ここからじゃよく見えないが、こちらに反応する素振りは感じられない。

 べたべたと這うようにスペースを潜り抜けてコックピットに出る。レイカは既にゴーグルをつけてレバーを握っていた。

「おい!」

 声をかけるが、また反応はない。

「おいってば!」

 手首を掴むと、ようやく体温が感じられた。

「触らないで」

 わかりやすい拒絶だった。

「邪魔よ、邪魔しないで」

 にべもなく拒絶を重ねる。

 今さらシュンヤはレイカを止めるつもりはなかった。

 ただ、このロボットを見た者同士、仲間になりたかったのだ。

 だからシュンヤは舌打ちをしながら後ろのサブシートに座り、ゴーグルをつけた。

「……ありがとう」

「!」

 声にもならない呟きのようなそれだが、確かにシュンヤの鼓膜を叩いていた。

〈オペレーター・チェック――状況別個体識別番号002シュンヤでよろしいですか?〉

「そうだ」

〈これより当機はミッションナンバー・1を実行します。操縦権は全てメインシートに委譲されていますが、よろしいですか?〉

「あぁ、うん」

〈ご武運を〉

 ゴーグル・ディスプレイのメッセージウィンドウが収納され、地図が表示される。ここからレイカの家まで――父親を殺しに行くのだ。

〈状況、開始〉

 リベリオンⅩが告げる。

 がくん、と体が揺れる。リベリオンⅩが立ち上がったのだ。

 ディスプレイに夜空が浮かび上がる。その光景がだんだんと下がり、廃工場と平行になる。

「本当に、動いた……」

〈シークエンス、再チェック――全て順調です〉

 右半身に浮遊感、リベリオンⅩの右足が上がり、すぐに下ろされる。

 この巨大ロボットはただのデクの棒ではない、しっかりと歩き、運用できるロボット兵器なのだ。

「だ、だいじょうぶか?」

 二歩、三歩――リベリオンⅩは確実に歩を進める。

「平気、なんだ、こんな余裕だったんだ」

 レイカの手足となった巨人が前進し、トタン塀を破壊した。ここにリベリオンⅩはついに衆目に曝されることになった。

 深夜、犬の散歩に出ていたスーツ姿の女性が足元にいた。

『ライル! ダメ、こっち来てライル!』

 大きめのラブラドール・レトリーバーが吠えている。そのリードを必死に引っ張るオフィス・レディーにレイカが低い声で笑った。

「試してみようか?」

 それは悪魔のささやき声だった。

 レイカがレバーを動かすと、リベリオンⅩの右腕が三〇度ほど上がり、手首に収納されていたガトリング砲が鈍く光った。

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 女性は電柱にすがりついて錯乱しているようだった。リードはとっくに手放されていて、ラブラドールが足元に噛みついている。

 慌てたシュンヤがゴーグルを外して制止すると、ガトリング砲は下ろされて、レイカが今度は高く笑った。

「ウソに決まってるじゃん。時間の無駄だもん」

 言いながら操作するレバーでリベリオンⅩの足にローラーが装着された。

「さっさと、アイツを殺すよ」

 足首のブースターに点火して、リベリオンⅩが滑るように走り出した。被りなおしたゴーグルに速度計が表示されて、あっという間に五〇キロを超えたことを知らされた。

 後背部のカメラが家々に明かりが点くのを捉える。

「ホント、コイツ……なんなんだ!」

 めまぐるしく変わるゴーグル・ディスプレイの数値、風景を浴びながらシュンヤは叫び訊いた。

 どこかの国の新兵器?

 未来からの贈り物? 

異星人の超技術?

「反逆者のロボットなんて……」

 駅前の街路を伝い、道はまた閑散としてきた。

 反逆者――レイカも反逆者だ。

 身長二十メートルほどの巨大ロボットは膝を曲げていても四階建ての建物をゆうに超えている。

『前方の不審……不審車両! 止まりなさい! ただちに停まりなさい!』

 パトロール中だったのだろう、パトカーが後ろを追いかけてきた。サイレンの音、拡声器越しの警告。

 当然、レイカが止まることはない。

「これは計算外だったね。でも、問題ないよね」

〈作戦難度から考慮すれば、警邏車両一台は問題ありません〉

「で、でもよ、通報して集まってくるぜ?」

 既に無線で警察署に連絡しているはずだ。日本の警察は緊急を察知してから現場到着までおよそ二分。

〈作戦対象まで残り二〇秒。現着までには完遂可能です〉

「に、二十秒……?」

 それから二回、道を曲がって汚れた石塀の通りに出た。知っている道だ。レイカの家――アパートがある通り。

〈作戦対象まで残り十秒、攻撃準備を〉

「もうしてる」

 冷淡なレイカの声。その言葉どおり、右手首の砲口が再び上がっている。

 シュンヤのゴーグル・ディスプレイに緑色の照準線が映っている。二階建てのアパートの壁が映った時、黄色に変わり、すぐに赤くなる。

〈発砲、許可を!〉

「いけっ!」

 連続する砲声は思った以上に強烈だった。

 リベリオンⅩの外ではそれ以上の轟音が響いているはずだが、マイクが調整してシュンヤに運んでいる。それでも、発砲したという現実を知らせるために胸の悪くなるような音になっている。

 アパートは二階部分を舐めるように掃射して、天井を落とした。

 発砲してからきっかり十メートルでリベリオンⅩは止まり、振り返った。足元には慌ててブレーキを踏んだパトカーが一台。

 遠くからサイレンが聞こえる。応援はもう数十秒で来るようだった。

『操縦者はただちに武器を捨てなさい! 繰り返す! 武器をただちに捨てなさい!』

 拡声器からの警告が連続する。拳銃は持っていないようだ。

 もちろん、レイカはそんな警告など聞きはしない。ガトリング砲はしまうが、代わりに左手にナイフを逆手に握った。

 一方、シュンヤは喘息を起こしたみたいに動悸に苦しんでいた。

「ひ、人が……!」

 ディスプレイに映されるアパート。緑色の丸で表示される生体反応が次々と赤色に変わっている。

 六……七人。レイカはガトリング掃射で一息に七人を殺したのだ。

 瓦礫に血が伝っている。煙が上がる。

 周囲の喧騒は狂気を孕んでいた。呆然、憤怒、怨嗟。全てがリベリオンⅩに向けられている。

 崩れた建材から伸びるあの丸いシルエットは……手だ。

 確かに甘く考えていたのは自覚している。それでもある程度は覚悟してレイカについてきた。やはり見過ごすことはできないから。

 しかし、現実に人が死んだという実感が客観的に伝えられると、やはり平静ではいられなかった。

〈――メッセージ、伝言があります〉

「え……?」

 突如、鼓膜を叩いた機械の声にシュンヤの動悸は一瞬だけおさまった。

〈――これは、予言と言うべきか、あてはまる言葉が探しにくい〉

 パトカーが集まっている。しかしリベリオンⅩはナイフを持ってアパートに近づいている。

〈これからの出来事は呪いか、神の試練なのか、わからないが、宿命であることは間違いない〉

「な、なんだ……?」

 瓦礫の中から這い出してくる男。黄色にマーキングされる。レイカの父親なのだろう。

〈俺たちは幾つものループを繰り返す。その度に歴史は進み、様相を変えていく〉

 何のことなのか、さっぱりわからなかった。このメッセージはレイカには聞こえているのだろうか?

「死ね……死ね……」

 口癖であるかのように呟く声が聞こえる。

 ナイフを握った腕は既に高く、垂直に振り上げられている。

〈これから起こる事は次元力の導きだ。すぐに思い出すことが出来る〉

「レイカっ!」

 シュンヤはゴーグルを外した。しかし、頭の片隅が悟っていた。間に合わない。

「死ねぇぇぇぇっ!」

 人間の身長以上もあるナイフが一瞬でレイカの父親を引き裂いた時、シュンヤの視界が虹色に瞬いた。

「!」

 ずん、と地震がきたような衝撃がくる。

〈しかし、記憶と記録が一致する訳ではない。どこかで間違いが生じる可能性はある。しかし、決して、レイカだけは手放さないでくれ〉

 シュンヤの目の前で何かが浮き、虹色の光りを発していた。

「レイカ!」

 シュンヤは光りを払いのけ、レイカの肩を掴んだ。

 やはり、この機体――リベリオンⅩがシュンヤとレイカの前に現れたのは誰かの仕業だったのだ。コイツは確かに今、レイカの名前を呼んだ。

 レイカの肩はとても硬く感じた。呆然としているようだった。シュンヤはレイカのゴーグルをむしり取り、強引にこちらを向かせた。

「ありがとう……」

 声は震えていたが、レイカは泣いてはいなかった。

「……シュンヤ」

 そして、リベリオンⅩのコックピットは虹色の光りに包まれた。

〈シュンヤ、レイカ……君たちはここで死ぬ。しかし、魂と縁は――〉

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