生きる意味と死ぬ理由
人には、神から与えられた役目、使命があると、エナは生まれてからずっと教えられてきた。
その教えを、疑った事もない。ずっと信じている、今も、これからもずっと。
だけど、その教えに従っていていいのか、やりたくない事はやりたくないと、エナは思うようになってきた。
そう強く、自らの勤めに反発を覚えたのは、リーンバルム公国を滅ぼす決議が通った日。
かの国は邪悪な魔獣使い達の国で、世界の混乱を企てていた、らしい。だから神の裁きを以てかの国を焼き尽くす。
王宮に、竜の滅びの息を!
邪悪な民に、救いの裁きを!!
巫女であるエナは、裁定した。
そしてリーンバルム公国が滅んだ。
「……」
半ば意地のようにして飲んだ花の蜜は、これまで食べたどんな蜜よりも薄かった。
蜜というよりは、さらさらとした甘い液体だ。
エナが蜜を飲み干すを見届けて、フロンは手を差し出した。
「さあ、始めましょうか」
「なにを、」
戸惑うエナに、フロンはもう片方の手を自分の胸に当て、ウィンクをばちっと決めながら言った。
「私とあなたの終わりを。一緒にいきましょう」
――巫女を、そのままにしてはおけない。
国が滅ぼされ、王子と一人残された時、破壊竜の発動を許した巫女だけは何としてでも殺そうと、フロンは心に決めた。
蜜も飲み、巫女は巫女だけとなった。樹も破壊した。もうこれで、巫女が生まれる事はない。目の前の彼女が、最後の一人。
エナの細い肩に、フロンは手を置いた。
魔獣の力を使うまでもない。腰に吊るした細い剣で一突きでも、両手に力を込めて首を絞めれば、簡単に殺せそうだ。
しかし、そうは魔獣たちが許さない。
古からの盟約に従い、魔獣たちは暴れ出す。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
いつもの、痛みの比ではない。いつもはちくちくぼそぼそと、弱々しく引っ掻かれるような、痛み。今のこれは、体内から出ようと爪を立て、牙で食らいつき穴を開けられているかのような激痛。とても痛い。立っていられなくなる。
微笑む事は容易いが、しかし立っていられなくったフロンは、エナを巻き込んで倒れ込んだ。
「あ」
間抜けな、可愛らしいエナの悲鳴が響く。
「……大丈夫?」
一度折れてしまえば、立ち上がるのはひどく難しい。
「だい、じょうぶじゃないです。めっちゃ、いたいですけど……」
仰向けに押し倒された形となったエナは、フロンの顔は見えなかった。小さく震え、ふわふわした髪がちょうど頬にあたり、くすぐったい。
泣いてるみたいだ。
しかし、笑っているんだろうな、と、エナは思った。
さっきノインと会話していた時、辛い時にこそ笑えと、フロンは笑いながら言っていた。
「ちょっと、わたしのむかし、ばなし、きいてくれます?」
「……いいわよ」
何故このタイミングで、と思ったが、興味も引かれてエナは肯いた。
「ありがとう……私はね、もうご存知だとは思いますが、神殿に滅ぼされたリーンバルム公国の魔獣使いです。代々王様に仕えてきました」
「ノインも、そうなのよね?」
「魔獣使いが、うちの国にしか生まれないんです。門外不出的な?」
あはは、と、声を上げてフロンは笑った。身体大きく震え、下敷きになっているエナはちょっと痛い。
「私達は、生まれる前から魔獣を飼っています。その魔獣は先祖代々受け継いできたもので……それですね、魔獣と私はほぼ同化しているんですが、人と魔獣ですからね、相容れない所がありまして、痛いんですよね、なんていうか、ぽりぽりかじられているような……ともかく、痛いんです。ただ生きてるだけでも。そんなのって、酷いと思いません?」
ノインも、似たような事を言っていた。ひどいと思う、そう言おうとしたら強く抱きしめられて、エナの呼吸は一瞬止まった。
「痛みがないのは戦っている時だけ、魔獣を使っている時だけ痛みがない……いえ、戦ってるから、痛いんですけどね?」
ぎゅっと、抱きしめる腕に力を込めながら、フロンは言葉を続ける。
ずっと思っていた事。考えていた事。
「ここに生まれてきたのはただの巡りあわせ、意味なんか、ない。絶対に、ない。ある筈がない、意味があるとしたら、それが運命だというのなら、私は運命を呪いたくなる。なのに、不思議ですねえ、ただただ死んでいくのは許せません。お穏やかに老いて死ぬなんて、許せない」
「……そう」
「だから、貴方を殺して死にます。そうすれば、私は私の死に意味をあげられる」
死とは、旅立ち。
次なる世界への。
神殿ではそう教える。今は亡き聖人たちも次なる世界へ旅立ち、後から来るものを待っている。
そして旅立ちの時を告げるのは天にて全てを見通す神で、人はただ粛々と日々を真摯に生き、その日を待つのだ。
すべては善き世界へと逝く為に。
「死ぬのに、理由がいるの? 死は、選べるものなの?」
エナにとって、死は待つもの。神より与えられるもの。
選べるなんて、考えもしなかった。
「はは、素敵な神殿の教えではそうですね、ただ生きて行けばいい……でもそんなのは、生きているのに死んでいるようなもんです。貴方みたいにね」
こつんと、遠くから小石を投げられた感覚。
遠すぎて、小さすぎて、石を投げられたことに、石が落ちているのを見て初めて気づく。
「ただ生きてるだけでも辛いのに……そんなつまらない人生は嫌です。どうせなら、華々しく……」
八つ当たりを、縋りついて泣き出しそうになるのを立ち上がる力に変えて。
フロンは小さな棒のような身体を抱きしめるのは止めて、立ち上がる。
簡単簡単、力の向かう方向をくいっと、ちょこっとだけ変えるだけ。
抱きしめていた腕を離し、さらさらな砂の大地の上に突き立てる。みしみしと身体中が痛みで震える。血が出た方が、楽な気がするほどに。流れれる地ともともに、痛みのいくらかは出て行くだろう。きっとそう、痛みばかり溜まって行ったら、いくら丈夫な身体でも参ってしまう。
膝を引いて、立ち上がろうとして、なんとなくフロンは顔を上げた。
走馬灯、というべきものか。
国が滅んでから、ここまで来るのは、長かったような短かったような。時間で言えば、一カ月も経っていないだろう。
国境付近の宿屋の主人に無理を言って護衛を探してもらって。紹介してもらう傭兵を片っ端からあれやこれやと理由をつけてダメ出しして。途中から、トーマスと競い合うようにダメ出しの粗さがしレースとなった。うんざりした様子の宿の主人には申し訳なかったが、トーマスとあれこれと言い合うのは、楽しかった。
傭兵を見つけるのに、一週間ほどかかっただろうか。宿の主人の奥さんにはとても世話になった、彼女の作るお菓子はどれも最高で、最強に美味しかった。ずっと居たかったぐらいだったが、宿の主人が最後に良い男、ではなくて、格好いい傭兵、でもないか。普通に信頼できそうな傭兵を紹介されて、トーマスも気に入ったので、それにした。
トーマスが気に入る。
それが最重要な、傭兵を選ぶ基準だった。
傭兵は、自分の代わりにトーマスを守ってくれる者だから。
若い男であるのも、良かった。聞けば家族もなく、天涯孤独だとか。ますます上出来だと思った。人も良さそうだったし、何も言わずとも、託さずとも最低限の面倒は見てくそうだ。
「フロン!!!!!」
だというのに。
折角選んだ傭兵は、
「お前、ふざけんなよ!!! おれを置いて一人で行くなんて、ふざけんな!!」
唐突に目の前に現れたトーマスの傍に居ない。
代わりに、
「巫女様から離れなさい、この外道。よくも好き勝手にしてくれましたね」
先ほど調子よい事言って別れたばかりの、妹が居た。
「……あはは、」
ぺたりと力が抜ける。
また、細い身体の少女に負い被るのはみっともないので、ようようとフロンは仰向けに転がった。
これは、少々、いや、かなり格好悪い。
まさか追ってくるとは。
セオドア達では止められなかったのか、残念。
そして、あの傭兵は何をやっているんだか。
ブラッドストーンがなければ、ここに来れる筈がない。ブラッドストーンだけでも、ここには来れない。魔獣使いでないと、ここには来れない。
ここに居ない、という事は、ブラッドストーンを手放したのか。
折角のブラッドストーンを。物の価値を知らん馬鹿者め。
フロンはロイを罵った。
ブラッドストーンとは、フロンの心臓でもある。フロン自身の血を長年かけて凝縮したもので、もう一人のフロンとも言っても良い。あれに、どれほどの魔力が込められている事か。使い方次第によっては、フロンだって勝てないかもしれないのに。
折角、ロイの好きなように使える状態にして渡したのに、これでは意味がない。
「ここにロイが居なくてよかったな、お前今最高に不細工だぞ」
「……失敬な、私はいつでも美人ですよ。というか、それが弱っているか弱い女性に対する言葉ですか」
「元気そうだな!」
「おかげ様で」
弱っている姿を見て、怒りのピークは過ぎたのか。
トーマスはいつも調子に見えた。
が、やっぱりそれは、
「よし、遠慮なく殴るぞ」
勘違いだった。
――男の子が、女の人を殴っちゃだめですよ。
なんて、いつもの軽口を言えないのは。
「……あはは、」
後ろめたい所が、あるからだろう。
殴られても仕方ないと思う程度には。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます