第五話 いつもの風景

 神殿を出てどうするのか。お金も無い。

 ただただ外に出たかった。その先へと、更に遠くへと行ってみたい。見たこともない景色が広がっているに違いない。それを、見てみたい。 

 やりたい事は単純。

 ただし、目的を達成する手だてが思い浮かばない。

 エナはとぼとぼと、痛む頭を押さえながら、ひとまず港の方へと歩いていた。

 聖都は島で、一番近い国へ行くのにも、船で三時間程かかる。聖都を出るには、まず港へ行く必要がある。

 いつも見ていた、沢山様々な船が停泊している様子を。

 大小色々で、大きい船は建物のように大きい。

 エナが見た中で最も大きい船は、真っ黒な船だった。外壁も鋼のようで、まさしく動く建物。一体何人乗れるのだろうと、エナはその大きさに圧倒された。

「こんな所に居たのですね」

「!」

 見つかった。

 項の痛みに気を取られ、いつの間にか静かな、人気のない方へと進んでいた。

 細い路地で、前方は行き止まり。袋小路に迷い込んでしまった。

「……」


 観念して振り返ると、そこには知った顔が立っていた。


「……ノイン」


 神官騎士のノイン。

 エナの従騎士でもある。


「残念です、巫女様。黙って神殿を抜け出すなんて、懲罰ものですよ」

「罰はもう、受けているわ……」

「そうでした」


 がくりと膝をつきながら、弱々しく呻くエナに、素っ気なくノインは肯いた。

物静かな、女だ。

 肩の辺りですっきりと切りそろえられた茶色の髪、伏し目がちな瞳は蜂蜜色で、人形のように美しく、人形のように生気がない。いつも傍に居るが、エナはノインが笑った所を見た事がなかった。


「さぁ、帰りますよ」


 ノインはうずくまるエナに近づき、手を差し伸べた。

 

「……嫌よ」

「我儘、言わないで下さい。貴女が神殿から出て、生きていける筈ないでしょう?」

「嫌、嫌ったら、嫌」


 ゆるゆると首を振る。


「……罰から、逃れられる術はないですよ?」 

 

 子供に言い聞かすというよりは、淡々とノインは言った。ぎこちなく、下を向いたままのエナの頭を撫でながら。 

 従騎士であるノインは、エナの中にある罰についてよく知っている。巫女と従騎士は対であり、エナの対の騎士であるノインも、エナではない程にしても、罰の痛みを感じていた。


「帰りましょう、私たちの居場所はあそこしかありません」

「……嫌」

「そう、ですか……なら、」


 ノインは言葉を切った。

 続く言葉は、無い。頭を撫でる手も止まった。

 どうしたのかと、エナが顔を上げれば、


「寄り道して、帰りましょう」


 生気のない、暗く沈んだ表情のまま、ノインは言った。


「……は、」


 一瞬、エナの頭は痛みを忘れるくらいに真っ白になった。だがそれもすぐに気のせいだと分かる、強烈な痛みが戻ってくる。前よりも強く。

 余りの痛みに、エナは再びうずくまった。世界を遮断するように。おかしい、痛みは自らの内から湧いてくるのに。エナは痛みの中で、あまりの馬鹿々々しさとどうしようもできない理不尽さへの怒り、その理不尽に抗えない無力感に苛まれ、身体の力が抜けた。

 力の抜けたエナの身体は支える力が無くなり、地面に熱い接吻を与えようと崩れ落ちた。

 誰も手を差し伸べてくれない。だが、大地ぐらいは手を差し伸べずとも受け止めてはくれるだろう。例えそれが固く暖かくなく、優しい香りのしないものであっても、受け止めてくれる。もう、それだけで良い。


「立ち上がって、私につかまってください。少しは痛みが和らぐ筈です」


 雑多な路が受け止める前に、ノインが掴んだ。強くエナの肩を抱き、身体を密着させて腕を引っ張り上げ、自分の肩に回した。 


「立ち上がります」


 立ち上がれますよね、とは聞かなかった。

 淡々と言い、ノインは力なくうなだれるエナを無理矢理立たせた。

 そして、進む。

「……」

 神殿に帰るのか、それ以外にはない。

 決死の家出も、ここまでか。

 逆らう気力も起きずに、エナはノインが進むままに連れられて行く。

 

「……どこに、行きますか」

 うなだれたままのエナに、ノインは声をかけた。

「……帰るんじゃ、ないの?」

「寄り道して帰る、と言ったでしょう」

 寄り道って、本気だったのか。

 ここは港。神殿とは街を挟み、対岸に位置する。


「……アイス、食べたい」

「それだけですか」

「服、買ってみたい」


 エナに服を選ぶ権利はなかった。用意された服に袖を通すだけ。今日はどれを着よう? これは昨日着たし、あっちのは一昨日着た。もう、着ていく服がないじゃない! 今月ピンチなのに!! こっちとあれで組み合わせて行くしかないっ! って、本で読んだ女の子のように悩んでみたかった。


「他には」

「かふぇで、こーひーを飲んでみたい」

 

 デートの定番。甘いケーキも一緒に。


「分かりました。それぐらいの時間は、確保しましょう」

「……本当に?」

「嘘は言いません。貴方にまた抜け出されると、私も痛いですから」

「そう、ね」


 神殿を出ると決意した時、一つ罪悪感を感じたのはノインの事。

 巫女と神官騎士は運命共同体。巫女の痛みは神官騎士の痛みであり、神官騎士の痛みは巫女の痛みとなる。

 

「……私のこと、怒ってないの?」

「はい、怒っていません」

「痛く、させたのに?」

「貴方に殴られたのでは、ないので」

「同じことじゃない?」

 

 痛くなるのは、分かっていた。なのに、決行したのは、エレナの我儘でしかない。


「貴方も、同じくらい痛かったでしょう」

「それは、そうだけど……」


 きっと、エナは同じことをされたら許せない。許せるはずがない。我儘で痛みを負わすなんて、傲慢すぎる。


「私なら、きっと怒るわ。ぶたないと、気が済まないかも……」

「巫女がそんな言葉を使ってはいけません」


 どこまでも冷静で淡々としているノイン。神殿の中でもいつも同じで、おかしかった。ここは神殿の中ではないのに。神殿から、抜け出したかったのに。

 変わらないノインの姿に、エナは安堵していた。 

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