第17話 想うこと、それこそ運命




 その日、花与はなよはなんだかにやにやとしていて気持ち悪かった。

 まるで誕生日のために家族が用意しているサプライズに気付いていながら、何も知らないフリをし損ねている子供のような顔だった。

 そんな、悪ガキめいた顔をしていた。


「な、なんなのさ……」


「べっつにー……?」


 一路いちろは嫌な予感を覚えていた。

 しかし花与から特に何か言ってくることもなく――


「じゃあ、僕は学校行くけど……。ハナ姉は今日はどうする? アテもなく人探し続ける?」


「うーん、まあそうしとこっかなー」


「そ、そう……。それじゃあ」


 既に目的の人物は見つかっている――そのことを隠していることに軽い後ろめたさはあったものの、とりあえず今日はまだ、だ。




 登校し、一路は伊遠いおんがやってくるのを今か今かと待ち構えていた。

 昨日の電話では用件しか伝えきれず、結局その後も合流できずに帰宅してしまったから、早く会って〝あのこと〟を彼女に相談したい――


(それに、昏石くらいしさんの方もハナ姉から何か聞いてるかも――)


 そうやって一路がそわそわしていると、


来藤くどうくんおはよーっ」


「え、あ、おはよう……多牧たまきさん……?」


 いつに増して笑顔が可愛いまつりが、ほとんど小走りといってもいいような勢いで近づいてきた。


「サエさんから昨日の話きいたよっ、脚本うちのクラスでやるんだよね? というかほとんどわたしがやっていいんだよねっ? ありがとーっ、嬉しい!」


「あ、う、うん……? よかったね……?」


 手を握られてぶんぶん上下に振られる。なんだかやけにテンションが高い。ちょっと周囲の視線が気になるくらいに。


(僕はほとんど何もしてないんだけどなぁ……)


 ほぼほぼ冴枝さえださんと飛張とばりが決めていた感はある。

 昨日の打ち合わせはいろいろと盛り上がり、もういっそまつりを呼んでこの場で脚本の話をしようという段階にまで行ったくらいで、最終下校時刻にならなければたぶんそういう流れになっていただろう。

 劇の内容は既存のものをモチーフに少し脚色するといったところで収まったが――


「来藤くんは演じるとしたらどんな役がいい? 女性役とかいけるよ!」


「え? えー……いやー……」


 木とかで、と言いかけて、それも結局舞台に上がるのだなと考えると、やっぱり無難なのは裏方だろうかと思いなおす。


「……衣装のことなら安心して? 着付けとかわたしがやったげるから大丈夫、みんなにあのことはバレないようにするよ……!」


 と、瞳をきらきらさせながら声を潜めるまつりである。

 なんだかもう自分の身体が目当てなんじゃないかという気さえしてくる積極さで少し恐いくらいだ。


(まあ多牧さんが楽しそうで何よりだけど……)


「あっ、そうだ!」


「え、今度は何……?」


「昼休み……じゃ、ちょっと時間足んないかな――放課後! 放課後あけといてね!」


「う、うん……?」


 その勢いに流されるように頷いてしまったが――


 ともあれ。


(昏石さん……)


 ようやく、待ちに待った伊遠が教室にやってきた。

 あまり意識することがなかったが――席も後ろだし、気付いたら登校していたという感じでこれまで気にすることもなかったが、普段の伊遠はこれくらいの遅い時間に登校してくるのだろう。


「…………」


 伊遠はなんだかぼんやりした顔をしていて、どこか眠たげな様子で、もしかすると単純に寝坊したのかもしれないが。


(疲れてるのかな……? そういえば夜、ハナ姉いなくなってたし……)


 別に四六時中、一緒にいる訳ではないし、夜なんて特に、もしかしたら成仏してしまったのではないかというくらい存在を感じないこともある。


 以前、


『幽霊って眠らないの……?』

『さあ……? 自分でもよく分かんないけど……ぼんやりしてたら朝になってるっていうか、気付いたら時間が経ってるって感じ』

『それをひとは睡眠っていうんじゃないのかな……』


 あるいは存在が消えかかってるのではないかとも思ったが――


(昨日の放課後はずっと昏石さんといたみたいだし……まさか夜も昏石さんのとこに行ってたとか……?)


 そのせいで寝不足だったりするのか、伊遠は小さなあくびをもらして――


「ぁ、」


 目が合った。


「――――っ」


 じわじわと赤くなる伊遠である。


「……お、おはようございます……」

「おはよう……」


 なんだか声もかけづらい。


(まあお昼にゆっくりでもいいか……)


 さっきまでそわそわと落ち着かなかったのに、まつりとのやりとりのせいもあったのか、今では少しリラックスしてものを考えることが出来る。


(そういえば……今日で一週間とかになるのかな……?)


 つい一週間前の今頃なんて、一路は伊遠のことをまったく意識していなかった。

 この何日かで、いろんなことが変わったように思う。

 それだけ、苦労も伴う日々だった。

 花与の葬式の日から今日までの、いろんな情景が脳裏をよぎった。


(走馬灯じゃないんだから……)


 いやいやと首を振りながらも――


 もしかすると、どこかで感じていたのかもしれない。

 今日で、終わるのだと。




 お昼に、昏石伊遠は食堂で来藤一路と一緒に食事をとった。

 まつりとのあの一件で昼食をともにしてからというもの、気付けば当たり前のように毎日そうしていた。

 たいていは花与に関する話題で間をつないでいたけれど、思えば不思議なものだ。

 ほんの一週間前には、いつだって一人で食事をしていたのに。


 今日は特にこれといった会話もなかったが、しかしそれが気まずくない時間。

 なんだか自分の居場所が出来たような気がして、感慨にふける。


 ――何かが、変わったのだろうか?


「えーっと、さ」


 と、先に食事を終えた一路が口を開く。


「昨日の電話の件、なんだけど」

「あ、はい……」


 その話がくるだろうことは分かっていた。

 むしろ、今の今まで特に触れてこなかったのが不思議なくらい。


 一路は何か、思いつめたような、困り切ったような、難しい顔をしていた。

 それから、あいまいに苦笑する。


「そうだ、昨日……ハナ姉に付き合わせちゃったみたいで、ごめんね……」


「あ、別に……。わたしも、楽しかったので」


「楽しかった……?」


 きょとんと首をかしげてから、気を取り直したように一路は続けた。


「その……絶対そうだっていう確証はないんだけど、90パーセントくらいそうなんじゃないかって思える人を見つけたんだ」


 昨日――例の『ヒメ』さん、見つかったんだ、と。

 そして、学園祭の打ち合わせの合間にかけていたためだろう、一路は早口に告げたのだ。


『見つけたんだけど、ちょっとハナ姉にはまだ内緒にしててほしいんだ。なんていうかだいぶ様変わりしてて、ハナ姉が思い描いてるような〝女の子らしい女の子〟じゃないっていうか――まあだいぶイケメンになっててさ。もしかしたらショック受けるかもだから』


 それだけではすぐにはどういうことなのか分からなかったけれど――


『ほぉー……』


 と、それを隣で聞いていた花与が、何かに納得がいったというように深く息を吐き出していたのが印象深い。


 そのことはまだ、一路には黙っておいた方がいいのだろう。


(昨日の夜めちゃくちゃ釘刺されたし……)


 ともあれ、今は一路の話を聞こう。

 見つけた『ヒメ』とはどんな人物だったのか――


「もうほんと、灯台下暗しっていうか……隣のクラスの子で、名前は飛張日々姫ひびきっていうんだけど――」


 飛張=ヒメという可能性に行き着いたのはつい昨日のことらしいが、一路はそれ以前にも飛張と面識があったのだという。

 そして、彼女はなぜか一路のことを昔から知っている風だったこと。


「確証はないんだけどさ……たぶんそれ、ハナ姉が自分のこと『イチロー』って名乗ってたんじゃないかって思ったんだ。それならさ、ハナ姉が『ヒメ』のことすぐに打ち明けてくれなかったのも辻褄が合うっていうか……」


「でも、どうして花与さんが名前を偽ったりするんですか……?」


「うーん……これは僕の想像なんだけど――昔のハナ姉って、ガキ大将っていうか、だいぶ男の子っぽくてさ。『花与』って名前が似合わないってからかわれたりもしてて……かくいう僕もそれでバカにしたことあるから――」


「それで……?」


「もしかしたらハナ姉、恥ずかしくなって、とっさに『ヒメ』の前で、適当な――僕の名前を名乗ったんじゃないかって」


 昨日の飛張もなんだかそんな感じで、今の自分には似合わない名前、みたいなニュアンスで『ヒメ』と口にしていたらしい。それがきっかけになり、思い出したそうだ。


「ハナ姉の話聞いてる限りだと、『ヒメ』って子はすごく女の子らしい女の子で、将来的には美知志に通っててもおかしくないようなお嬢様風の子ってイメージだから――」


 そういう子の前で、女の子らしくない自分が、女の子らしい『花与』という名前を名乗ることが恥ずかしかったのではないか――


「いやぁ、ほんと、僕の想像っていうか妄想なんだけどね? 話半分で聞いてよ? ハナ姉に限ってまさかそんな、とか僕も思うんだけどさ――ただ、この数日、ハナ姉の未練について調べててさ、三年生のクラスとか行って……まあ、ハナ姉も人並みに女子高生やってたんだなって、ちょっとイメージ変わったから……」


 そんな可能性も、あったんじゃないかと。


「〝女の子らしい〟っていうのがキーワードだとしたら、僕の身体がこんな風になっちゃったのも……なんか、腑に落ちるかなぁって」


 こんな風……、そう言われて伊遠にはすぐにはピンとこなかったが、やがて思い至る。


 直にこの目で見た訳ではないが、一路の身体は表に見えない部分で――見えないように工夫しなければならないほど、いわゆる女体化しているらしい。

 なかなか信じがたい話だが、まつりの反応は確かにあの件以来、同性に対するそれになったし、花与も「これはマジ、ヤバいからほんと」と話を聞いてもすぐには呑み込めない伊遠に訴えていた。どうやら一路の家族にもそのことは伝わっているらしいとも。


『なんていうか、自分の霊力? パワーが恐ろしくなるね……。いやまあ私が原因とまだ決まった訳じゃないけど!』


 とは花与談である。


 もしも一路の言うようなことが花与の未練に繋がっているなら――「女の子らしくなりたい」とかそういう想いのようなものが一路の身体に現われたのかもしれない。


 なんにせよ一路はこの数日、その問題も一人抱えながら、学校でも苦労してきたのだ。

 一路にとって花与の成仏は、そういう現実的(とは少しいいがたいような)問題にもかかわっている。


「僕がこんな目に遭ってるのも――ハナ姉が僕の名前をつかったから……ていうのは、こじつけすぎかな? でもそう考えたら、飛張くんが僕に声かけてきたのにも説明がつくんだよね」


 飛張=ヒメだとしたら、彼女は『イチロー』と名乗った花与のことを〝男の子〟と思っているはずで――〝男〟であり『イチロー』という名前を持つ一路に関心をもってもおかしくないのでは――


「でもそれって――その飛張さんも、花与さんのことを探していた……そういうことになります……?」


 自問するようにつぶやくと、一路は「そうかも」と頷いた。


「昨日飛張くんと話した感じだと……なんていうか、遠回しに『憶えてるよね?』ってきかれてるような感じでさ。気のせいかもだけど。でも――」


 もしもお互いに「さがそう」としていたのなら――


「こうして偶然みたいに巡り合えたのも、不思議じゃないのかなって……」


 そう思える、と。


「それで……?」


「え?」


「花与さんの未練については、何か……?」


「な、なんかグイグイくるね、今日はみんな……。目力というか、なんというか」


「す、すみません……」


 つい、興奮してしまった。

 赤くなる顔を自覚し、目を伏せる。

 一路の考えを、肝心な未練に関する考えを聞きたいと気が急いていた。


 これまでの話が、昨日の花与との会話に繋がっていたからこそ――


「正直……僕も、『それで? だから?』って感じでさ、まあこういうこと考えてはみたけど、それがハナ姉の未練なのかってきかれると……。でも、昔『ヒメ』に対して嘘をついた後ろめたさとか、本当は女の子でしたって打ち明けたいみたいな想いは……未練にならないかな……?」


 前提からして想像に域を出ない、不確かな推測にすぎないけれど――


 一理ある、とも思う。


「――まあ、それはそれとして、なんだけど」


 と、一路は話題を変えようとするように、居住まいを正して伊遠を見つめた。

 それにつられて伊遠も猫背気味な背筋を伸ばす。


「昔のイメージと違ってて、ハナ姉がショックを受けるかも……っていうのは、まあ僕の考えすぎかもしれない。見つかったこと黙っててほしいって頼んだのは、別に理由があってさ――今日は、そのこと相談したくて」


「相談……? 別の理由……?」


「うん……。未練については、まだなんとも言えない。でも、飛張くんに会ったら……さがしていた『ヒメ』を見つけたら、ハナ姉はもしかしたら成仏しちゃうかもしれない」


「……そう、ですね」


「なら、すぐにそうしなくてもいいんじゃないかって――」


「え……?」


「せめて、さ。学園祭終わるまで――最後の学園祭なんだからさ――」


 一緒にいたい、と思ったのか。

 それとも、花与にそれを見せたいと続けたかったのか。


 一路は言葉を途絶え、視線を落とした。


「…………」


 消えなくても、成仏しなくても――このままでもいいんじゃないかと、伊遠もそう思う。


 だって、それは誰の迷惑にもならない。

 ただ、一路にとってはそれが女体化という問題に繋がりはするけれど――伊遠にとってそれに伴う苦労は想像するに余りあるけれど。

 思い返すに、教室での一路は花与の存在もあったのだろうが、常に周囲の視線を気にしていた。体育の時なんか、更衣室を使わないようにしたりとその事実が周囲に露見しないように気を配っていた。

 仮に他人にバレたとして、それでどんな弊害が出るか……正直まつりのように嬉々とするケースしか参考にできるものがないのでなんとも言えないが、あまり喜ばしいことばかりでもないだろう。


 そうした苦労を分かった上で、背負った上で――「もう少しだけ」と言う。


 そこには相応の想いが、覚悟がある。


 だけど――、と。


「わたしは……」


 うまく言えないけれど、なんとか言葉を紡ぐ。

 相談されたのだ。それにちゃんと、自分の想いでこたえたい。


「花与さんの未練は……どちらかというと、〝心残り〟なんじゃないかって、思います」


 未練と、心残り。どちらも大した意味の違いはない。

 少しだけ、ニュアンスが異なるくらい。


 未練が死後も諦めきれない何かであるなら、心残りというのは――


「それはたぶん、それが気になって落ち着かなくなるような……うまく言えないけど、とにかくこうしたいって――ヒメちゃんさんに会っておきたいっていう、そういう気持ちがあるんじゃないかと」


「…………」


 一路が顔を上げる。


「それを抱えたままだときっと、学園祭も純粋に楽しめないと思う……。気になって、たくさんのお客さんの中でもヒメちゃんさんのことをさがしちゃうような――」


 見つかったという事実を知ってしまったからこそ、なおさらに。


「学園祭まで待ったとしたら――最後に残るのは、寂しさだけになると、思うんです」


 お祭りが終わってしまったという――花与が消えてしまったという、寂しさだけが。

 これまでの、短いながらもたくさんのことがあったこの日々の終わりに、残ってしまうと思うから。


「わたしは――会えるなら、出来るだけ早く。たとえ最後の学園祭を見れなくても、その前に消えてしまっても……花与さんにとって、〝それで良かった〟ってことなんだと……思い、ます」


「…………」


 一路はハッとしたように口を開きかけ、唇を噛み、視線を落として、それから――顔を上げた。


「……そう、だね。それで良かったって、ことなんだよね――成仏できないんなら、また別の原因とか、さがさないとだしね」


 少しだけ泣きそうな、苦い笑みが浮かんでいた。


「もう少しだけっていうのは、僕のわがままだ。最後くらい……ていうか、もうずっとハナ姉の好きにさせてるけど――最後くらいは、ね」


 出来ることをしてあげたいと、そう思ったから――


「今日の放課後、きっと飛張くんも来ると思うから――その時に」


 この未練を、終わらせよう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る