第16話 わずかばかりの違和感




 ――ところでイチローくん。ボクと昔、どこかで会ったことない?


 そんなまさか、と思った。

 いや、いくらなんでも出来過ぎている。

 きっとただの偶然だろう。

 今のもただの、いつものナンパだ。


 ……相手が女の子だったというのが、ちょっと複雑だけれど。




 話は週明けの月曜、その朝にさかのぼる。


「あ、来藤くどうくんおはよー」

「……おはよう、多牧たまきさん」


 と、あの件以来、顔を合わせると率先して声をかけてくれるようになったまつりと挨拶を交わす。

 関係としては大きな進展だが、


(……完全に女友達って認識だ……)


 まつりの気軽さは同性に対するそれで、そんな気はないはずなのに、なんだか失恋でもしたような心地になる。

 このままでいいのだろうかとも思うが、仕方ない。普通、幽霊にとり憑かれて身体が女性化したというよりは、最初から女の子だったという方がまだ呑み込める。


 それはそれとして、まつりは『そういう設定なんだねうんうん、分かった。誰にも言わないよ』と言ってくれたので口外される恐れはないだろう。まつりは男装している女の子というシチュエーションをとても気に入っている。その楽しみを奪うのもなんだか申し訳ない気分だった。


「多牧さんに訊きたいことがあるんだけど……」


 気を取り直して、一路いちろは早速まつりに、隣の区でゴスロリ衣装に身を包んだ『ヒメ』という名前の女の子を知らないかと訊ねた。現在もそうした格好をしているか分からないが、これくらいしか手がかりがない。


 まつりは少し考えてから、意外な返事をくれた。


「名前は違うけど、昔、親にそういうカッコさせられてたっていう友達ならいるよ。同じ部活の子で――あ、そういえば、名前に『姫』って漢字入ってるよ。〝日々姫〟《ひびき》っていうんだけど……」


「ヒビキ……?」


 きっと、偶然に違いない。一路はそう思った。

 だって、ほら、あれだし、それにまさかこうもあっさり見つかるはずがない――それが偶然、同じ名前だったというだけだろう、と。


 ふと浮かんだ考えを否定するように、一路はとっさに話題を変えていた。


「同じ部活って? 多牧さん部活入ってたんだ」

「わたし、演劇部なの」


 言われてみれば、それは彼女の好きそうな部活だと思う。男装だったり女装だったり、きっとそういうシチュエーションが豊富に楽しめる。


「まだ一年だから、裏方くらいしかさせてもらえないんだけどね。でも今度の学園祭、誰もやらないんなら脚本させてもらおうと思ってるの!」


「へえ――」


 と、一路はこのとき半ば他人事のように感じていたのだが――




 その日の放課後、隣のクラスで行われた打ち合わせの席である。


「おや、そちらのクラスは既存の劇をする予定で内容は特に決めていない? じゃあ脚本はこちらに任せてくれないかな? もちろん相談はするよ。それでどうかな演劇部の飛張とばりさん?」


「オーケイ、ボクはそれでいいよ冴枝さえださん。みんなもそれでいいよね?」


 流れるような採決で、あっという間に脚本の話はまとまった。

 この二人グルなんじゃないかな、と一路は思った。


 それはともかく――


(今朝、多牧さんが言ってたヒビキっていうのは、トバリくん……飛張さんのことなのかな、やっぱり。『日々姫』なんて名前、そうそう被らないだろうし……)


 雑談を交えながら出し物の打ち合わせをする、隣のクラスの生徒たち――男子も女子もいるが、飛張日々姫はその中心的な存在のようだ。

 同性である女子からは軽い羨望の対象になっていて、男子ともまるで同性のように気軽に気兼ねなく接している。


 一見すると、爽やかな印象を受ける好青年だ。一路よりも背が高く、快活そうで、なんとなく先輩っぽい雰囲気を持っている。これで一路と同じ一年生というから驚きだ。談笑のなか、時折見せる無邪気な表情に同年代らしさを感じる。


(それに、女の子……)


 未だに信じられないが、こうしてスカートを……女子の制服を身に着けている飛張は、なるほど確かに〝ボーイッシュな女の子〟である。


(こんな偶然あってもいいのか……? これといったアテもなく捜し始めた昨日の今日で……? というか既に会ってたとか……)


 呆然とする一路をよそに、冴枝さんと飛張の二人を中心にして打ち合わせは進む。

 座っているだけでいいようなので、一路は一路で突然ふってわいたようなこの事態をどう受け止めるべきかを検討することにした。


 まず――本当に、彼女が花与はなよの捜していた『ヒメ』なのだろうか?


(全然想像してた感じと違うけど……)


 花与から話を聞いて描いていたイメージでは、ゴスロリを着ていたというからもっと女の子らしい、お淑やかな少女を想像していた。

 しかしいま目の前にいる飛張は、いっそ真逆ともいえる、まるで男装などが似合いそうな〝王子様〟だ。


「おや、来藤くん?」


「ふぇっ!? な、ななな何かな冴枝さんっ?」


「……驚いたのは分かるけれどね、あんまりじろじろ見るのはいかがなものかと思うよ? それとも何かな、もしかして飛張さんに見惚れちゃったのかね?」


「い、いや……別に……ちょっと、考え事を……」


 探るような視線にうろたえ、飛張を含めた周囲の生徒の目に委縮してしまい、応える声はぼそぼそと嘘くさいものになってしまった。


「どっ、どこかで会ったことあったかなぁ、って……思い返してて……」


 おまけに、慌てて付け加えた言い訳は胡散臭く、こちらを見る冴枝の瞳に妖しい光が宿る。


(ヤバい……。何がどうヤバいのか自分でも分からないけど、冴枝さんに突っ込まれるのはヤバい……っ)


 何か余計なことまでほじくり出されそうで焦りが加速する。


 しかし、それが運よく功を奏した。


「と、飛張くんって――あっ、飛張、さんは」


「好きに呼んでくれていいよ? なんなら〝ヒメ〟とでも。自分で言うのは、さすがに恥ずかしいけどさ」


「――!」


 冗談のつもりだったのかなんなのか――現に周囲にはウケている――飛張のその発言に、一路はほとんど無意識に彼女がだという確信を得た。


 続いて、


「それで? ボクに何か?」


「あ、いや、大したことじゃないんだけど……ゴスロリとか、着たことあるっ?」


 ストレートにたずねたのは純粋に、焦りからずっと気になっていたことが口を衝いてしまっただけだ。

 その質問に周囲は怪訝そうな反応を示し、一路はこれをどう取り繕おうかと頭を抱えたくなったが、


「あるよー? 昔ね、親に着せられてたこと」


 飛張の一言に、わっと女子たちが湧く。


「今はこんな見た目だけどね」


 衣装の話かな? という冴枝さんの言葉によって、興奮を残したままその場の流れが学園祭の出し物に関する話題へと戻っていく。

 意図したものなのかは分からないが、さすがは委員長――


(ともあれ……)


 ほとんどハプニングめいてはいたものの――


(つながった……)


 昔ゴスロリを着てた『ヒメ』……条件は合っている。まつりが言っていたのも飛張のことで間違いない。日々姫だから『ヒメ』と呼ばれていたのだ。もしかするとクラスや部活でもそういう愛称で呼ばれているのかもしれない。


(ハナ姉が捜してた子……こんな身近にいたなんて。これだけ人気なら、割とすぐ見つかりそうなものだけど。まあ、だいぶ様変わりしてるし、むしろ見つかったのが奇跡だ……)


 ただ、一つ気になるのは――


(なんで、僕なんだ……?)


 この打ち合わせが始まる前、飛張が自分は女子だと打ち明けた直後――


『ところでイチローくん。ボクと昔、どこかで会ったことない?』


 そう、たずねたのだ。


(ゴスロリもそうだけど、こんなに目立つ子と会ったら、そうそう忘れないよな……)


 断言はできないが、一路としては彼女と、この学校で会う以前の面識はないつもりだ。

 あるとしたら花与の方のはず。

 花与との接点はあっても、一路とのつながりはないはずである。


(でも、思い返せば最初からやたらと親しげに僕に声をかけてきて……)


 親しい人――それこそ花与くらいしか呼ばない、『イチロー』という愛称で一路のことを呼ぶ。


(多牧さんとは知り合いみたいだし、あの件のことで僕の話を聞いた……? そうでなくても、ぜったい悪い噂ひろがってるだろうし、それで僕の名前が変な風に伝わってる可能性も……)


 しかしそれなら、一路は女の子の胸を触った性犯罪者として扱われるべきである。にもかかわらず、飛張は最初、いじめられているように見える一路を助け、その後も好意的に接してきた。


(ハナ姉がまだ何か隠し事してて、それに僕が関係ある可能性……。昔、僕について聞いた……、それなら「会ったことある?」にはならないか)


 ぐるぐる、ぐるぐる……。


(ハナ姉が僕にとり憑いてるんだとしたら、その怨念オーラみたいなものを感じ取って……?)


 さがしていたものが見つかったというのに、また新たな謎が生まれたような気分――


(というか……そうだよ! 見つかったんだよ。とりあえずこれは〝見つけた〟ってことでいいんじゃないかな……? 昏石くらいしさんにハナ姉の相手させちゃってるし、一応連絡しとかないと……)


 そう思うとどこか、一刻も早く報告だけでもと考える傍ら、


(だいぶ様変わりしてるし、これ知ったらハナ姉、ショック受けるかも――)


 と、ごく自然に、ふと無意識に頭に浮かんだ言葉に、一路は我がことながら首をかしげる。

 それは小さな、引っかかりだった。


 なぜ「驚く」ではなく、「ショックを受ける」なんて思ったのだろう?


 自分でも分からない。大したことではないように思える。

 だけど何かが、引っかかったのだ。



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