第15話 変わらないを見つめている




 放課後、一路いちろが学園祭の打ち合わせのため、隣のクラスを訪れているその頃――


「それで……見つけるアテはほんとに、なんにもないんですか……?」


 学校を出た昏石くらいし伊遠いおんは、花与はなよと合流する。


「んー……見つかったらこう、何かピーンとくるものがあるんじゃないかなー、と」


 どこからともなく現れた花与はこちらを気遣ってか、ひと気のない方へと移動しながら話を進める。

 頭の後ろで腕を組み、後ろ向きに歩く花与の姿は、その小さめな背丈も相まってその辺を歩いている小中学生とほとんど変わらなく見える。

 彼女が実は死んでいるなんて――幽霊だなんて、誰が思おうか。

 そもそも、他の人には見えないのだが。


「ほら、イチローとか昏石ちゃんがどこかにいるかはなんとなく気配? で分かるし」


「気配……。レーダー的な……?」


「そんな感じ? そんな感じで今も昏石ちゃんのこと見つけたし」


 それは便利な話だが、都合のいい話でもある。

 つまり、


「本当に、なんにもないんですね……」


 具体的な手掛かりは、何一つも。


 学校で一路から、彼が昨日得た情報――花与が『ヒメ』という少女を探している、という話を聞いたのはいいのだが、その少女はもう何年も前に引っ越してしまっていて、この街にいるかどうかも分からない。探そうにも本名は不明だし、当の花与が顔も憶えていないという。憶えていても数年経っているから様変わりしているかもしれない……。


(それなのに、探そうって……)


 モチベーションとしてはあれだが……。


(前向きだなぁ……)


 見つかると、見つけるつもりでいる花与のその前向きさは見習いたいところではある。


(楽天的とも言うけど……)


 現実問題として、なんのアテもなく……昔その子と遊んだ場所を巡るだけというのは、地道にやるとしても骨が折れるし、相当な幸運にでも恵まれなければ目的の人物に巡り合うことはほとんど不可能だろう。


 せめて聞き込みでも出来ればいいのだが、今の花与には無理な話だ。

 そこで、自分の出番である。

 本来なら一路も同行するはずだったのだが、途中で冴枝さんに捕まってしまったため、本日は伊遠一人だ。


 しかし、ここで問題がある。


「仮に見つかったとして……あの、どうすればいいんでしょうか、わたし……」


「どうすればって――」


 おうむ返しにつぶやいてから、花与ははたと気が付いたように軽く目を見開き、そして腕を組んで首をかしげた。


「……どうしよう? 考えてなかった」


「えー……」


 運良く問題の『ヒメ』が見つかったとして――花与が話すことが出来る訳でもなし、聞き込みをするにも、くだんの『ヒメ』かどうか確かめるためにも、声をかけるのは伊遠の役割だ。

 しかし『ヒメ』とはなんの面識もない、言ってしまえば縁もゆかりもない赤の他人である自分にどうしろというのか。


 仮に見つかったとして、どう声をかければいいのか。

 人見知りする伊遠には――そうでなくても見ず知らずの他人を呼び止め話を聞くのは、誰だって少なからず勇気がいるだろう。

 自分から声をかけるなんて、とてもじゃないが――


(せめて……)


 なんでもいいから何か、話の取っ掛かりがほしい。


(というか、そもそも――)


「……あ! それならさぁ! いいアイディアがあるよグッドアイディア!」


「そうですか……あまりアテにしないでおきます……」


「いやいやいや! ……あのね? この前うちに来た時にさ、とってもらった本あるでしょ?」


「あ、はい……。まだうちにありますけど……? そういえば来藤くんも本がどうとか言ってたような……」


「それそれっ、それ私がヒメちゃんから借りっぱなしになってるやつでさー。それを見せるなりすればなんとかなるんじゃないかなーっと思ってる訳ですよ私は! 伏線だったのだよあれ、お母さんに片づけられる前にちゃっかり確保したのです」


 共通の思い出の品があれば確かに、話をする取っ掛かりにはなるだろう。


 しかし――


「でもそれって……相手が花与さんのことを憶えていた場合だけ、ですよね……?」


「へ……?」


「いや、あの……そのヒメちゃんさんが、花与さんのことを憶えてるとは限らないというか……」


 例の本についても、花与に貸したのを忘れ、「失くしてしまった」と思い、そもそも〝思い出の品〟にすらなっていない可能性もある。


「あー……」


 ぽかーん……と、口を半開きにしたまま呆然とこちらを見つめる花与である。


「あ、いや、その……」


 花与の年上らしからぬ雰囲気(そして見た目)のせいか、ついうっかり、言いづらいと思って遠慮していたことを漏らしてしまった。


「ごめんなさい、あの……」


 さすがにショックだったかもしれない。花与のことだ、きっとそんなこと考えもしなかったのだろう。まだまだ短い付き合いだが、それくらいは察することは出来た。


「あ、うん、大丈夫……」


 声にも力がこもっていない。

 その表情をたとえるなら、鳩が豆鉄砲を食ったようとでも言えばいいのか。


「ただ、なんていうか、うん……意外っていうか、考えもしなかった……」


「ですよね……」


「でも、そうだよね……私、自分のことばかり考えてた。いやまあ、ちょっとは思ったこともあるけど――ちょっとショックだったけど、私だって常に意識してた訳じゃないし、ほんと言えばつい最近まで忘れてたんだもん」


 これが〝未練〟っていう方が不思議なくらいでさ……。

 と、宙を泳いでいた花与の視線が、ゆっくり地上に落ちていく。


「ヒメちゃんは……お父さん亡くなって、引っ越してさ。転校して……もしかしたら親が再婚したりして、新しい家族できて。私よりも激動の人生送ってるはずで……普通に、特に変わったこともなくこれまで生きてきた私が忘れてたくらいなんだし、あっちがそもそも憶えてるって方が無理あるよね……」


「…………」


 返す言葉もない。


 口を滑らせてしまった自分にうんざりする。

 やっぱり、人と話すのは苦手だ――


「でも、――うん」


 視線が上がり、顔が上向く。

 そして伊遠を見上げ、どこか不敵に微笑んだ。


「ま、気にしないで。忘れてたらそれはそれで好都合じゃん?」


「好都合……?」


 花与の口からそんな難しい言葉が出てくるとは思わなかった。相手は二つ年上の先輩なのだと思い出す。


「見つけてさ、私がって知ってもさ――ほら、私もう死んでるし? それ知っちゃったらさ、なんか微妙な感じになるんじゃない?」


「それは……、そう、ですね……」


「それにこれが私の未練なら、会っちゃったら消えちゃうかもだし……そうしたら、今みたいに昏石ちゃんとかイチローに、代わりに何かしてもらうことも出来なくて」


 本当にもう、死んでしまったという事実だけが残るから。

 悲しいとか空しいとも言い難い、遣る瀬無い想いだけが。

 そうなるくらいなら、いっそ。



「忘れてたなら、それはそれでいいかなーって」



 だから、気にしないで――と、そう続きそうな笑顔に。

 つい、「ごめんなさい」と返しそうになって、


「そう、ですね……」


 頑張って、笑顔を返す。


 何気なかった。さりげなかった。

 ごく自然に、当たり前のように、「消えちゃうかも」と――あっさりと、まるでなんでもないことのように軽く。


 ことの重みを理解していない? それとも覚悟を決めている?

 それとも、幽霊になったから?


(消えるって――分かってるけど)


 分かってるからこそ――恐くないのか、と。

 自分が彼女の立場なら、それはとても恐いと感じることなのに。


 恐くないのか、と。

 そう聞きたくなってしまう。

 でも、答えはなんとなくわかっている。


(たぶん、きっと――)


 当たり前のように、受け入れているのだろう。

 彼女は、そういう人だと思う。


 仮に無理をして、明るく装っているのだとしても――


(聞くのは、野暮だ。そういうことは、もう――)


 悲しいとか、空しいとか、遣る瀬無いとか。

 考えたってもはやどうしようもなくて、仕方ないことだ。

 だからもう、そういうことはたくさんで。


 笑顔でいよう。

 せめて最後まで、明るく。

 前を向こう。




「あの……一つ、いいですか?」


「何?」


「あの、花与さんは……生前、会ったらどうするつもりだったんですか?」


 というか、そもそもなんで会おうと、探そうと思ったのか。


(昨日、うちに来た時――)


 やっぱりなんの気なしに、といった感じで、『ヒメ』という名前の女の子を知らないか、とたずねられたのだ。

 その時は事情を知らなかったが、今日になって一路からも同じ質問を受け、花与が人を探していると聞いた。


(そうやって、一人でも探そうとしてた――それがきっと、花与さんの未練)


 死んでも死にきれないくらいに、会いたかった人だ。

 言いたいこと、やりたいこと……何か――


「どうするって……、うーん……」


「まさか、それも考えてない……? まさかですよね?」


「いやぁ……うーん……」


 口笛でも吹きそうな顔をして目を逸らす花与である。


「会えば、こう、何か感じるものがあるんじゃないかなー……と……」


「…………」


 ついさっきも同じようなことを聞いた気がする。


 まるで行き当たりばったりの出たとこ勝負だ。計画性の欠片もない。

 これが本当に未練かどうか分からない……一路が言っていたこともなるほど頷ける。


 伊遠からするととうてい考えられない思考だが、ただ、まあ……これもこれで花与らしい。そういう人なんだなぁという印象は出会った時から変わらない。

 彼女のそういう人柄というか、細かいことを気にしないような性格には好感が持てる。

 真似したくはないが。


 そして――乗っかりたくはないけれど。


(わたしが、やるしかないんだなぁ……)


 他の人には見えないし声も聞こえない花与に代わって、見も知らぬ人に声をかけ、聞き込みしたり、もしも見つかったら何かしら話さなければならない――正直なところ、伊遠には荷が重い。

 だから、やるからにはもう少し、未練にまつわるちゃんとした理由を聞きたいところで――実を言えば、一路からも「僕相手には話したくないこともありそうだし」と言われているから、何か聞けるなら聞きたいものだが、この調子だとあまり期待できないか。


(なんというか、どれも「なんとなく……」って感じだし……、それだけ悩みがない人生だったってことなのかな――)


 重い理由じゃないことに気持ちが軽くなる。

 思わず苦笑してしまうのは、彼女の人徳というやつなのかもしれない。


 頑張ろうと、前を向けるのも。

 前を向こうと、思わせてくれるのも。


(よし――)


 手当たり次第に声をかける勇気はまだちょっとないけれど。

 とにかく、動き出そう。

 誰か、何か……花与のレーダーに引っかかる人がいるかもしれないし――


 と。


 とりあえず伊遠が顔を上げた時、滅多に鳴らない携帯電話が着信を告げて震え出す。

 こんな時に誰だろうと思ってみれば、表示されていたのは「来藤くん」――そういえばと、連絡先を交換していたことを思い出す。


来藤くどうくんから電話です……」


「イチロー? 出し物のやつ終わったのかな?」


 突然の電話に緊張しつつ出てみれば、むこうも何やら緊張した様子で。


『あ、ごめん……えっと、メールとかで連絡しようかなとも思ったけど、うまく書けなくてその、思い切って……こっちの方が手っ取り早いかと』


 電話越しでも伝わるくらいの緊張感。声まで潜めているものだから、会議の途中にでも抜け出して、こそこそ隠れながら慌ててかけてきているかのようなイメージが浮かぶ。


『今……ハナ姉、近くにいる?』


 ふだんなら「はい」とすぐ答えていたところだが、伊遠はなんとなく花与の様子を窺った。

 話を聞いていた花与がぶんぶん首を横に振る。


「い、いませんけど……?」


『そ、そっか……。それなら――いや、あのさ、まだハナ姉には伝えてほしくないんだけど――――』


 ――例の『ヒメ』さん、見つかったんだ、と。


 思わず、花与と顔を見合わせた。



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