第14話 最後には、きっと




 金曜の昼休み、花与はなよの姿が見えないのを見計らって、一路いちろは花与が在籍していた三年生のクラスで聞き込みを行った。


 花与の友人たちの顔は葬式で見たので覚えており、すぐに見つけることが出来た。


 生前の花与に何か変わったところはなかったか――と、なるべく事件性を匂わせたりして彼女たちに責任を感じさせないよう気を付けながら、一路は彼女たちから花与に関する話を聞いた。


 花与はここ最近、夏休み前くらいから付き合いが悪くなったらしい。放課後遊びに誘っても、用事があるからと一人で先に帰ってしまうことが増えたという。

 花穏の話を聞いた今だと、その時にはもう人探しを始めていたのだろうと分かる。

 夏休みも使って、記憶を頼りに隣街を歩き回っていたのかもしれない。友人の一人がたまたまそんな花与を目撃していた。


 ある友人は、以前花与も交えて話した恋バナのことを気にしていた。その友人に彼氏が出来たことをきっかけに始まった女子高生らしい話題。彼氏とか、好きな人はいないのかと水を向けられた花与は曖昧な返事をしていたという。

 その会話以降、少し花与の様子がおかしかったそうだ。それがちょうど花与が放課後一人になり始めた時期と重なるため、友人は自分が何か気に障ることを言ってしまったのではないかと気にしていたそうだが、夏休みに一緒に遊ぶ機会があったため、杞憂だったのだろうとこれまで忘れていたらしい。


 それからもう一つ、面白い話を耳にした。

 昨年、花与のクラスにあの美知志みしるしから転校生が来たという。

 花与はそのいかにもなお嬢様といった感じの転校生にとても興味を示していて、美知志についていろいろとたずねていたそうだ。周りは花与が美知志に興味を持っていたことを意外に思ったという。残念ながら件の転校生には会えなかったが、花与の美知志への興味はこれで確信に変わった。


 それがどう花与の未練に繋がるかは分からなかったものの、これらの情報から、一路はなんとなく、花与の未練は恋愛絡みなのではないかと予想を立てていたのだが――




「えっと――つまり、ハナ姉は人探しをしてたってことでいいんだね?」


 未田いまだ家から自宅に戻った一路は、早速花与に事実を確認することにした。

 花穏かのんから話を聞いた今、もはや躊躇うことはない。あそこまで明らかにされれば花与もいい加減話してくれるだろう。


「まあ、そういうこと……かなぁ」


「しかも……相手は小学生の頃の友達? なんで今になって探そうと思ったわけ?」


「いや、まあ、思い出す機会はいろいろあったんだよ? 受験の時とか……」


「受験っていうと……」


 まさか、美知志に受験したのもそのためだったのか?

 となると、花与の探している相手というのは――女の子か。

 てっきり相手は男の子で、淡い初恋のようなものを想像していたのだが――


「なんか……散々引っ張ってきたし、もうちょっとこうドラマチックは未練を想像してたんだけど――」


 一路は正直な感想を口にした。


「しょうもないね」


「だから最初から言ってるじゃん! これが未練なのか自分でも分かんないって!」


「痛ッ!?」


 ……久々に殴られた気がする。


(まあ……)


 人の抱える悩みとは大抵そういうものだ。傍から見ればしょうもなくても、本人やその周りにとっては大事だということもある。

 一路が想像したようなドラマチックな未練なんて、小説やドラマの中だけの話だ。面白くおかしく脚色されていなければ誰も赤の他人の悩みに興味など示さない。


 ともあれ。


「とりあえず、順序立てて一から教えてくれない?」


「え? なんで?」


「いや、ほら、人探しなら僕でもなんとか出来そうだし……。さっきも言ったけど、成仏とかおいといて……ハナ姉が何か困ってるなら、力になりたいっていうか……」


 言っていて、なんだか気恥ずかしくなってくる。

 先ほどは花穏の前で、花穏に対して話していたからあまり意識しなかったけれど。


「と、ともかく……その子について、もうちょっと詳しく教えてくれない? 隣の区の話なら、多牧たまきさんから何か聞けるかもしれないし」


「私を口実に話しかけようって魂胆か……」


「別にそんなつもりはないけどさ……。多牧さんは向こうの中学出身らしいから」


「んー……じゃあ……」


 花与もまた気恥ずかしさからか、少し躊躇うように口を濁してから、出会いの経緯を語り始めた。


「花穏が言ってたけど……イチローたちいなくて、ちょうど友達も旅行とかでさ、遊ぶ相手いなくて暇してたんだよね。お父さんも仕事があって、どこにも出かけられなくて……」


 退屈を持て余し痺れを切らした花与は、家出する覚悟で飛び出したのだという。


「あの頃は私も若かった……」


 さすが花与と言うべきか、隣の区とはいえ、小学生の足では結構な距離になる。家出する覚悟というやつはそれなりに確かだったらしい。

 そして、疲れ切り、休もうと立ち寄った知らない公園で、例の女の子に出会った。


 当時の花与と同じか年下といった感じの幼い少女で、いいところのお嬢さんみたいな印象だったらしい。

 花与が美知志について調べていたのも、その子が進学するとしたら美知志のようなお嬢様学校だろうという考えからだそうだ。


「ゴスロリっていうか……すごいカッコしてたんだよね。だけどかなり可愛くて。イチローなんか普通に惚れるね」


「僕はロリコンじゃないから大丈夫」


「え」


「……なんだよその反応」


 いいから続けて、と促すと、


「その子、リュック背負ってたんだよね。まるで家出でもするみたいに……。それでなんとなく声かけたんだよ」


 しかし、その子は花与のような家出ではなく、父親の入院する病院に向かおうとしているところだった。ただ、途中で道に迷い、疲れ果てて公園で休んでいたらしい。

 事情を聞いた花与はその子を病院に案内した。


「私がお亡くなりになった病院ですよ」


「……そういう冗談やめてくれる?」


 それ以降、花与はその子と例の公園で待ち合わせて遊ぶようになった。その子は花与のようにアクティブなタイプではなく、遊ぶといってもこの辺の案内をしたり、図書館で涼んだりといった具合だ。その子のお父さんのお見舞いにも何度か行ったそうだ。

 花与には退屈じゃないかと一路は思ったが、それはそれで花与にとっては新鮮な体験だったらしい。


「ひと夏の思い出です」


 いちいち茶化すようなことを言うのはたぶん、花与も照れくさいのだろう。大目に見ることにして、一路は黙って話の続きを待つ。


「まあ、それで――その子のお父さんが亡くなって、その子はお母さんの実家に引っ越すことになったんだよ。それでお別れ。おしまい」


「ていうことは……。え? じゃあその子、この近くにはもう住んでないってことだよね? それじゃいくら探しても――」


「戻ってきてるかもしれないじゃん?」


「いやまあ、ハナ姉だってさすがにそれくらい分かってるよね。何かこの街にいるって根拠があってそうし――て。全然根拠になってないんですけど! え? バカなの? ハナ姉バカなの?」


「バカって言うな」


「痛っ」


「バカって言う方がバカなんですー。だから痛い目に遭う」


 理不尽だ……。

 一路は殴られた頭をさすりながら考える。


 なんの根拠もなく探し回るほど、花与もさすがにあれではないだろう。

 何か――たとえば、再会する約束をしたとか、なんらかの理由があってそうしているはずだ。それも結局はその子が街に戻っている根拠にはならないけれど。


(まあその理由は今はいいか……。いるかどうか分からないのに探すっていうのはモチベーション的にあれだけど……)


 気を取り直して、一路は訊ねる。


「さっきからその子その子って言ってるけど、名前くらい知ってるよね? 顔は……憶えてても、成長して変わってるだろうからあまり期待できないけど」


 花与だって昔は……ちょうどその小学生の頃は、どこからどう見ても男の子といったやんちゃな子供だった。ガキ大将、暴君。そんな花与から離れて過ごす夏休みはとても平和だったことを思い出す。

 それが今ではこんなにも女の子らしい。……少なくとも見た目は。身長はあの頃からあまり変わっていない気もするが――自分の背が伸びたからそう見えるだけかもしれないが――ともあれ、今の花与と当時の花与はまったく別人に見えるはずだ。


 数年でこうも様変わりするのだから、花与が出会った女の子も当時とはだいぶ変わっていると考えるべきだろう。さすがにゴスロリは着ていないと思う。


「いやぁ、それが……」


「え? 何? 確か……ネットで名前調べてたとか聞いたんだけど?」


「そうなんだけどね……。フルネームは分からなくて……。下の名前も正直合ってるのか分かんないんだよね……。『ヒメ』っていうんだけど」


 それも、本人が名乗った訳じゃないという。その子が自分のことを『ヒメ』と呼んでいて、お見舞いに行った際に出会ったその子の両親もまたそう呼んでいた。

 ただ、そのニュアンスはどちらかというと愛称といった感じで、本名かどうかは怪しい。


「正直、ゴスロリの印象が強くて、顔もあんまり憶えてないっていうか……。なんかその、ヒメって感じなのは憶えてるんだけど。ほら、もうだいぶ昔のことだしね? それから私もいろいろあって……死んじゃったりとか、激動の人生を送ってきたわけで」


「そんなんでよく探そうと思ったね……」


 まあ、現実なんてこんなもんだろう。恋愛小説じゃあるまいし、普通は何年も前にほんの少しの間だけ一緒だった相手の顔なんて憶えていない。初恋の相手であれば良き思い出として記憶に残っているかもしれないが、同性同士だ。むしろ出会いの経緯を話して聞かせられるくらい憶えていたことの方が驚きである。


 それなのに、どうして今になって――思い出す機会はあったというが、何がきっかけになって、昔別れた女の子のことなんて探そうと思ったのだろう。


「なんていうか……」


 花与は自分の胸に手を当てる。生前着ていたままの制服をぎゅっと握り、


「胸にしこりがあるっていうか。変な感じで。その子から本借りてたんだけど、返さないまま別れちゃったからかな……」


 まさか、たかが本を返しそびれたくらいで、成仏できずにさまよっているのか?


 本当に、話を聞けば聞くほど、こんなことが花与を死後もこの世に縛り付けるほどの未練なのかと疑わしくなってくる。

 あるいは、これくらいのことが未練になるくらい、花与は悩みのない人生を送ってきたのかもしれない。だとしたらなんとも彼女らしいと思えて、一路は苦笑をもらした。


「む」


 それを見咎めた花与が顔をしかめる。


「ひとは真面目に話してるのに笑ってんじゃないよ! 私これ乳がんじゃないかってお母さんに相談したくらいなんだから!」


「乳がんって……」


 そんな、「胸の動悸が治まらない、これって病気?」「それは恋だよ」みたいな、ラブコメにありがちな鈍感キャラじゃあるまいし――


「若くても発症のリスクはゼロじゃないんだからね!」


 どうやら本気で言っているらしい。乳がんについてわざわざ調べたのだろう。


(だけど、考えてみたら……ハナ姉は割と鈍感かも。自分が死んだことにも気付かないまま帰宅したくらいだし……)


 ふと浮かんだ考えを「まさかね」と振り払った。




「……話は変わるんだけど――ハナ姉は、成仏について、どう思ってる」


 言い出しづらいことだったが、花与の未練が分かった今、これだけははっきりしておかなければならない。

 もしも例の少女を見つけることが出来たら、花与は成仏してしまうかもしれないのだから。


「前も言ったけど、私としてはどっちでもいいって感じ。ほんとだよ? そもそも、死んだっていう実感が薄いからさ……」


 気付いたら、こうだった。それは前にも言っていた。車にぶつかって、かすり傷程度で済んだと思っていて、そのまま帰宅したのだ。そして家族の反応から自分の死を悟ったのだと。


「だから、成仏……消えるってのも、よく分かんない。この世への未練、やり残したこと、心残りっていうのも、正直、あんまり。だけど――」


 だけど。もう一度呟いてから、


「花穏の気持ちとか聞いて……、なんか、もっとちゃんと話せば良かったって、思った。嫌われてるって勝手に思ってたけど、そうでもないんだって、今更分かってさ。お母さんとか……イチローのことも、こうなってから初めて知ったこと、たくさんあるし。昏石くらいしちゃんのことも、気になる」


「……昏石さん?」


「あの子、ぼっちみたいだからさ……。良い子なのに、友達いないから。私が生きてたら、先輩として仲良くしてあげたかった。死ななきゃ知り合えもしなかったんだけど、だからこそ――どんどん、心残りが生まれてくるんだよね」


 死んでも死にきれなくなるくらい、今になって、想いが溢れてくる。


「だから、たぶん、きっと――これで良かった。そう思えた時、私は成仏できるんじゃないかって思う。なんていうか、心がすっきりするような、そういう……何か」


 だから、と。花与は一路を真っ直ぐ見つめて繰り返す。


「イチローは難しく考えなくていいから。私が消える時はイチローのためとか、嫌々消えるんじゃない。きっと満足して、これで良かったって、そう思って消えるんだよ」


 だから、私のために働くんだぞ、と彼女は笑った。




 ――週が明け、月曜日。

 一路はクラス委員の冴枝さえださんに捕まり、隣のクラスとの学園祭の出し物に関する打ち合わせに参加することになった。


「なぜ?」


「君は私に少なからず恩を感じているだろう? それを返す機会だと思ってくれればいいよ。……こういう面倒ごとに関わりたいという者は少ないからね。しかし私がクラスの代表として勝手に決めてきたら反感を買いかねない。既に私へのヘイトはくすぶってるから、これをきっかけにクラスの和が乱れる恐れもある。君はその対策、緩衝剤といったところだよ」


 みんな劇に決まったら決まったで、それはそれでやる気みたいだからね、と。


 冴枝さんはいろいろ考えてるんだなぁ、と一路は感心というよりもはや呆れるような気持ちになる。


「クラス委員って大変だね」


「好きでやってるから、大変だとは思わないよ。私は日常に刺激を求めてるんだ。トラブルを解決するのは楽しい。君も私とは仲良くしておいた方がいいよ? 私はいずれ生徒会長になって、この学校を支配するつもりだからね」


 どこまで本気なのか、真に受ける一路を見てくすくすと笑う。彼女にだけはこの身体の秘密を知られる訳にはいかないと真剣に思った。


 そんな未来の生徒会長と一緒に隣のクラスを訪れると、むこうは五人も居残っていた。一路たちのクラスと違い率先して劇を選んだだけあって、やる気のある生徒が多いようだ。一路はその中に見知った顔を見つけて固まった。


「やあ君、奇遇だね? 君も実行係なの?」


 飛張とばりヒビキだ。


 ただ、一路が固まったのは苦手意識のある彼と出くわしたからではない。

 彼の、その格好にあった。


「えっと……、飛張……くん、だよね……?」


「うん?」


 と、彼も、冴枝さんも、他の生徒たちも首を傾げる。


「あぁ――」


 何かに気付いたように飛張は声をもらし、自身の着ている制服を――白いブラウスにチェックのスカートという女子の制服を、見下ろした。


「ボクは胸がほとんどないからね、そういう勘違いはよくされるよ」


 彼の――いや、〝彼女〟の言葉に周りも合点がいったのか、苦笑した。戸惑う一路だけが取り残される。


「これでも〝日々姫ひびき〟っていう――『ヒメ』って漢字の入った名前、してるんだけどね」



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