第13話 音もなくこぼれおちる
休日はだいたい部屋で読書をしている。友達がいない訳ではないが、類は友を呼ぶというやつで友達もほとんどインドアなため、遊びに誘われることは滅多にない。
その日も花穏は自室のベッドで横になりながら、読書を楽しんでいた。
階下でインターホンの鳴る音が聞こえてくる。続いて、母が自分を呼ぶ声。今手が離せないから代わりに出て、と。花穏はゆっくりとベッドから身を起こした。
こういう時、特に今日のような日曜の午後は、姉の
これからは、そうもいかない。
「…………」
部屋を出て階段を降りる。玄関は階段を降りてすぐ左手にある。
見ればドアが開いていて、見知った顔ぶれが並んでいた。
隣に住む
「こんにちわ、花穏ちゃん」
と、
彼女が家に来るのはよくあることだ。初は花穏の母と仲がいい。
「……イチ兄は?」
日向も揃ってやってくるのは珍しいが、そこに一路の姿がないことに花穏は疑問を覚えた。
「い、一路はそのー……学園祭の準備で学校に行ってるんだ」
ぎこちない調子で日向が答える。初が笑顔で隣を小突いた。
「…………」
花穏はしばらく三人を見つめてから、どうぞと家に上げた。
本を読んだりネットを見たりするが退屈を持て余し、仕方ないので勉強して時間を潰すから成績はまあまあ良い方だが、本当はもっと友達とお喋りをしたり外で遊んでみたりしたいと思っている。
しかし友達がいないので、今日も部屋でいつも通りの日曜日になる。
と思っていた。
「昏石ちゃんはなんでイチローのこと気にしてるの? 好きなの?」
ちょうど暇していたところに、花与が現れたのである。
「す、好きとかじゃ……ないですけど……」
悪い人ではないと思う。友達として――友達だと思ってもらえているのかは不安だが、そういう意味でなら好きだ。
だけど気にしているのはそういうのとはまた異なる理由からだ。
「幽霊が視える人って、初めてだから……。何か困ってるなら、力になりたいって」
自分以外に幽霊の視える人は、少なくとも身近では一路が初めてだった。
親近感みたいなもので、そんな彼が困っているなら、何か、なんでもいいから助けになれるように頑張りたいと思った。
自分自身、いろいろと苦労してきたから。
伊遠は幼い頃から他の人には見えないものが視えてきた。休日に外を出歩かないのもそうしたものが視えてしまうためだ。
友達にも親にも信じてもらえないそれのせいで、昔から孤独を感じる機会が多く、気付けば人見知りになっていて、うまく人と話せない引っ込み時間な性格になっていた。
こんな自分を変えたい――
ずっとそう思っていた。
「情けは人のためならずって言いますか……」
巡り巡って、自分のためになる。
一路に関わることで、こんな自分を変えるきっかけになるかもしれない。
普段はそう思っても踏み出せないが、同じ〝仲間〟が困っていると思えば、勇気を振り絞ることが出来た。
「ふうん……そっかー……」
話を聞いて頷く花与は、何か考え込むような顔をしていた。腕組みなんかをしたりして、こんなにも人間らしいというか、〝普通の人〟みたいな仕草をする幽霊を視るのは初めてだ。これまで積極的に関わることを避けてきたから、言葉を交わすのももちろん彼女が初めて。
彼女はいったいどんな未練を抱えているのだろう。どうしてこの世に留まり続けているのか――
「まあ、あれだね。昏石ちゃんみたいな子がいてくれたら、私いなくてもイチローは大丈夫だね」
「いえ……私なんてまだまだです、そんな……」
一方その頃、来藤一路は自室待機中だった。
窓際に立ち、カーテンに閉ざされた花与の部屋の様子を窺っている。
鍵が新調されたようなので、前のように侵入することは出来ない。それに、片付けが進んでいたとしたら、あの部屋に日記が残されているかどうかも怪しくなってくる。少なくとも、探す必要が出てくるだろう。
前回の侵入は花穏に気付かれ、失敗した。もしもまた侵入するのなら、今度は花穏のいない時を狙い、日記を探せるだけの時間をつくらなければならない。
(だけどのんちゃんはインドア派……。休みの日はだいたいいつも部屋にいるみたいだし、かといって平日は僕より帰りが早い……)
花穏のいない間を狙うというのはなかなか難しい。
本人を誘い出すなど、こちらから仕掛けでもしなければ――
「お」
その時だった。
花与の部屋のカーテンがゆっくりと開き始めたのだ。
「よし……!」
見れば、窓の向こう、花与の部屋から小さな女の子が手を振っている――遥だ。
遥はそのまま鍵を開けると、窓を開いた。一路は小さくガッツポーズしていた。
(上出来だ……!)
遥に頷いてみせると、小学生の妹は頼もしさを感じるような頷きを返し、すぐに花与の部屋を出て行った。
(父さんたちがおばさんを、遥がのんちゃんを引き付けてる間に……)
一路は自室の窓から身を乗り出す。窓の下にある出っ張りに足をかけて完全に外に出ると、この前と同じ要領で向こう岸に飛び移った。今回は窓が開いていたから以前よりも幾分か気が楽だった。
そして、無事に侵入を果たすことに成功した。
(やっぱりないか……)
一見した限りだと、花与の部屋は前回と大差ない様子だが、机の上のノートパソコンの電源は落とされ、その上にあったはずのノートは消えている。花穏が持っていったのか、あるいは花与の母が気付いてどこかに片付けたのか。
(おばさんに持っていかれてたら厄介だけど……)
とりあえず一通り探してみようと思い、手近な机の引き出しを開いてみる。こういうところにあれば話は早かったのだが、そう都合よくはいかないものらしい。
(……のんちゃんの部屋、いってみるかな……)
これはなかなかハードなミッションだ。失敗した時のリスクも高い。仮に見つけても、きちんと内容を確認するとなると時間がかかるし、持ち出せば入ったことに気付かれる。見つけたらすぐその場で確認する他ないが、花穏の部屋に長居するのは精神的な余裕を奪われ、肝心の日記の確認が疎かになってしまいかねない。
時間が必要だ。少なくとも日記の内容を写真に収められるくらいの余裕が。
(父さんたちを信じよう)
こんな、我ながらどうかと思う計画に協力してくれた家族に委ねよう。
(パッと覗いて見つからなければ……この前は見れなかったハナ姉のパソコン確認するだけでもいいし――)
そう思いながら一路は振り返り、
「なにしてんの」
反射的に身構えた。
「な、なんだ……ハナ姉か……」
そこにいたのは花与だった。ふて腐れたような顔でドアの前に立っている。
まるで花穏みたいな口調だったから驚いてしまったが――
「な、何……? 邪魔しないんじゃなかったの……?」
「邪魔はしないよ」
拗ねたようにそっぽを向いてから、
「まあ、その……私のせいでイチローと花穏がこじれるのもあれだし、さ。見張りくらいしてあげてもいいかなーって……」
「…………」
その意外な申し出に、裏を疑ってしまうのはきっと花与のこれまでの行いのせいだろう。
ただ、一路としては最悪、花穏に見つかっても構わないとは思っていた。
(あの時――のんちゃんに日記を没収された時)
花穏は日記を部屋に残していった。あれは一路なら覗かないという信頼であり、ある種の脅迫でもあった。物理的に覗くのは簡単だったが、一路の心がそれを許さなかった。ちょっとでも覗けば、今後の花穏との関係にずっと後ろ暗いものがつきまとうような気がして、保身に走ったのだ。そうしてせっかくのチャンスを自ら棒に振った。
だけど今回は花与のため、ひいては自分のために、心を鬼にしてでも――そういう覚悟を決めていた。
もちろん、見つからないのが良いに決まっている。花与のその申し出は願ってもないものだった。
「あれはたぶん、花穏が自分の部屋に持ってったんだと思う。あのままにしてたらお母さんに見つかるから」
「出来た妹だね……」
妹というものは兄や姉より優秀なのかもしれない。
(だけど……どうしたんだろう、急に)
いったい花与にどういう心境の変化があったのか、気にならないと言えば嘘になる。
やはり家族にバレ、伊遠やまつりにも一路の身体のことを知られたことが影響しているのだろうか。
(……まあ、
ともあれ、善は急げだ。花与も壁をすり抜けて部屋を出て行き――
そしてすぐに戻ってきた。
「ヤバい花穏きた!」
……見張りは出来ても、足止めまではさすがに無理である。
「ちょっ、えっ、遥~っ!」
妹に文句を言っても仕方ない。遥はよくやってくれた。
(どうしよう早くどこかに――)
パニックに陥っている間にも、さっきまでは聞こえなかった足音がはっきりと廊下に響き――
「……やっぱり」
まるで一路の気配を感じ取っていたかのように、勢いよく部屋のドアが開いた。
「の、のんちゃん……」
呆れているとも怒っているとも受け取れる無表情で、ドアを開いた格好のまま動かない花穏に睨まれる。視界の端で花与が「わ、私しーらないっ」と顔を背けていた。
「イチ兄だけこないのはおかしい、と思ってた」
花穏はドアノブにかけた手を下ろしながら、ゆっくりと、一路をなじるように呟く。
「学園祭があるのは知ってる。けど、日曜に登校してまで準備するような時期には、まだ早い」
「う……」
事前に両親と打ち合わせていた言い訳の一つだ。結局それを補強できるような理由は思い浮かばなかったらしい。一路が花穏の休日の過ごし方を把握しているように、花穏もまた一路に休日一緒に遊びに行くような友達が少ないことを知っている。それを見越しての言い訳だったのだが、裏目に出てしまったようだ。
「イチ兄は、何がしたいの」
「…………」
何がしたいのか。素直に目的を告げれば、協力してくれるのだろうか。
だけど、花穏は花与の妹だ。姉の幽霊を成仏させるため、なんて、打ち明けるのにはそれなりに勇気がいる。下手をすればそれこそ今後の関係にひびが入りかねない、これはそんな繊細な問題だ。
だけど――今度こそ、と。
一路は覚悟を決めたのだ。
「ハナ姉の、日記が見たいんだ」
「……どうして」
たずねられ、一路は一呼吸おいてから、思い切って告げた。
「ハナ姉を成仏させるために」
「…………」
花穏は表情一つ変えない。
「……僕には、ハナ姉の幽霊が視える。ハナ姉は生きてる間に何かやり残したことがあって、その未練が今もハナ姉をこの世に縛り付けてて、成仏できないでいるんだ。僕はその未練がなんなのか、知りたい。そのために日記が必要なんだ。ハナ姉は、教えてくれないから」
一息にそう告げて、一路は小さく息をついた。花穏の反応を窺う。少しだけ、恐かった。
「…………」
花穏は怪訝な顔をして一路を見つめている。まるで真意を推し量ろうとするかのように、じっと。視線を逸らすことは出来なかった。
「姉ちゃんが、」
やがて、花穏は囁くような声で言う。
「……その未練っていうのを教えないってことは、姉ちゃんは成仏したくないんじゃないの」
「それは――」
一路も考えた。本人は分からないと言っていたが、果たして本当はどうなのか。
答えはやはり見えないけれど、一路個人の考えとして、このままではいけないと思う。
その想いを花穏に告げてから、一路は室内に視線を巡らせた。もう誰も使うことのない、花与の部屋。花穏もその視線を追って、こころなしか表情を陰らせる。
「……成仏を別にしても、少なくとも僕はハナ姉が抱えてる何かをどうにかしたいって思ってる」
何かあるなら、せめてその何かを解決してあげたい。
「そう」
花穏は一つ頷いてから、
「だけど、日記は渡せない。プライベートだから。姉ちゃんも、やっぱり誰かに見られたいものじゃないと思うし」
「……そっか」
そう言われてしまうと難しくなる――
「でも……信じる信じないは別にして、私も、姉ちゃんのことで気になることがある」
意外な言葉に、一路はハッと顔を上げた。
「気になることって……?」
たずねると、花穏は視線を伏せるようにしながら、
「姉ちゃんは、人を探してたみたい。昔、小学生の頃に少しの間だけ遊んでいた、友達」
「それって……」
思わず花与の方に視線を向けそうになるが、顔を上げた花穏の目がそれを許すまいとするように再び一路をじっと見つめた。
「誰かは、私も知らない。イチ兄も知らないと思う。夏休みで、イチ兄たちがおじいちゃん家に行ってた時みたいだから。暇してた姉ちゃんは遊びに出かけて、その先で偶然知り合った相手」
「……初耳だよ」
「私も知らなかった。だけど、姉ちゃんはここ最近、その誰かのことを探してたみたい。ネットで名前調べたり、住所とか」
「……ん? ちょっと待って」
プライベートは?
聞いているとなんだかまるで、花与の日記を読んで初めて知ったみたいな口ぶりだし、もしかするとパソコンに残っていた検索履歴も?
「妹だから、セーフ」
「…………」
……まあ、勝手に覗こうとしていた一路にどうこう言う資格はない。
「とにかく。姉ちゃんはいろいろ調べてたみたいだけど……名前はうろ覚えで、家の場所も昔の記憶だからはっきりしてないし、その辺りの地域はこの何年かでだいぶ変わってるから、見つけられなかったみたい」
「……なるほどね」
これでいろいろと、合点がいく。
「他にもいろいろ、その誰かと遊んだ場所とか、行った場所、思いつく限りいろんなところを調べたみたい。でも、収穫なし。たぶん事故に遭った日も、放課後、その誰かの家を探して徘徊してたっぽい」
一路にとっては大きな収穫だった。ここまで情報を得られたら充分。あとは花与から直接きけるだろう。
「……日記読んで分かったのは、これくらい。たぶん、イチ兄が見ても何も分からなかったと思う。字、汚いし。脈絡ないし。他はロクでもないことばかりだし」
「あはは……」
心のはけ口にしていたようだから、いろいろと書きなぐっていたのだろう。あるいは考えを整理するために綴っていて、本人以外には読み解けないような内容になっていたのかもしれない。
それを読み解けたのは、さすが妹といったところか。
あるいは、読み解きたいという想いがあったのか。
花穏は独り言のように、
「姉ちゃんとは、最近……もうずっと、ちゃんと話せてなかったから。姉ちゃんが私のことどう思ってたのか……知りたくて。あんまり、良い妹じゃなかったと思うし。もっとちゃんと、話せてたらって、今はすごく、後悔している。そしたら何か、困ってることがあったんなら、力になれたかもしれない」
そうしたら、もしかしたら――事故に遭うことも、なかったのかもしれない。
そう言って、花穏は一瞬だけ表情を歪めた。
だけど、彼女はすぐにその感情を押し込めるように、硬い表情をつくる。
「――姉ちゃんは、今いるの?」
「え」
不意に問われ――
……………………、
「……いないよ」
「……そう」
花穏はそう頷いてから、しばらく押し黙って。
「じゃあ、姉ちゃんに伝言」
「……うん。何?」
「……お母さんたちのことは、大丈夫だから。姉ちゃんいなくても、私が……ちゃんと、するから」
それはきっと、その決意の表れなんだろう。
元からあまり感情表現が得意な方ではなかったが、今はより意識して――しっかりしようと、心を強く律している。
「……だから、えっと、」
ぎこちなく、それでも想いを伝えようと懸命に。
「だから、安心して……その、お眠りなさい」
「……ぷっ、」
思わず噴き出してしまった。
「笑うな……」
「ごめんごめん……。でも――」
自分よりも背の高い女の子の頭に手を置いて、一路は言う。
「あんまり一人で抱え込まないで。僕もいるし……うちの父さんも母さんも、心配してるから。何かあったら、ちゃんと頼ってよ?」
「……うん」
花穏は一つ頷いて、それから――と。
「窓から入るのは、犯罪だから。危ないし、やめて」
「……以後気を付けます」
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