第12話 たとえ明日が見えなくても
翌日――教室の空気は未だにぎこちなく、学園祭の出し物についての採決は混迷を極めていた。
「こうなったら、『劇』にしよう」
その混迷を、クラス委員の
「昨日も言ったように、このまま何かを始めたところで上手くいかないだろう。劇なんて、その代表格とも言える出し物だ。だけど、だからこそ、嫌でも協力していかないといけない」
そして学園祭のために協力する――そういうきっかけがあれば、そのひと押しがあれば、男女の仲の改善も多少は進展するのではないか。昨日の冴枝さんの発言でそれぞれの心境に変化は起きたように思えるが、喧嘩した子供がそうであるように、和解というやつはなかなか難しいものだ。そのために、きっかけが要る。
……というのが、頼れるクラス委員、冴枝さんの考えだ。
今朝、まつりを通して相談したら、彼女から先のような提案があったのである。
「まあ、クラスでの出し物とはいっても、各々、所属する部活の出店の方もあるだろう? 劇にしろなんにしろ手を貸せない者も多いはずだ。なら、クラスの出し物がなんだろうと実際のところ構わないというのが大半じゃないかね?」
冴枝さんはクラスの大半が部活に入っていることも把握しているらしい。押しつけがましい一方的な決定ではなく、状況を鑑みた妥当な提案として、クラスメイトたちに自分の意見を述べている。
ちなみに、なぜ劇なのかといえば、先の和解のためのきっかけ作りもそうだが、他に上がっている候補よりも、クラス全員に均等に仕事を与えられるからだという。それこそみんなが一丸となって、それぞれに役割を持ち、一つの目標に向かって努力できる。
そもそも、みんな学園祭に対して強い熱意を持っている訳じゃないというのが冴枝さんの考えだ。それなりに楽しめればいい。自分の時間を割いてまで準備や練習をしたいと思う者は少ない。しかし何かを成し遂げたという思い出や充実は欲しい。我がままで、ありふれて、誰もが思う、学園祭という一大イベントへの意欲。
その点、劇はみんなで協力して成し遂げた時の充実は大きそうだが、練習や小道具の準備など拘束されることも多いのではないかと
『劇と言えば演劇部がいるからね。私たち素人がどんなに頑張っても見劣りするだろう。なら、逆に考えればいい。私たちはただ自分たちが楽しめる、ラフなものをやれればいい。何かのパロディとか。小道具もありものを再利用すればいいだけだよ。本格的なものはむこうがやってくれる』
自分たちが――クラスの人間が楽しめれば、大好評とまではいかなくても、お客さんもそれなりに楽しめるんじゃないか。
「何か反論はあるかな? そもそも学園祭自体に乗り気じゃない者は黙って出席だけとってればいいと思うよ。別に、出し物に参加しなくても、他所もいろいろやってるからね、それを廻るだけでも学園祭は楽しめる」
まるでクラスでの出し物に対するこだわりを失わせるような物言いである。
ただ、反論は起こらなかった。反論する気もなくなったみたいな空気のようにも感じたが。
なんにせよ、やや強引な気もしたものの、教室の空気を換気することには成功したのかもしれない。
翌日から、少なくとも一路の体感では、男女の間のぎすぎすした何かは薄らいだように感じたからだ。
一つ問題があったとすれば――
「隣のクラスも劇をやるらしい。どこかしらと被るとは思っていたけれどもね」
こちらは合同で一つの劇を行うという話に持っていくつもりらしい。万が一の人手不足も補えるし、他所の手を借りることで準備への負担が軽減されると思えば、今より気楽に参加できるようになるだろう、とのこと。
「それに、今のうちのクラスは男子の立場が弱い。隣にはちょうど、男子の立場から物を言ってくれる〝女子〟がいるからね。これでパワーバランスは良い感じになって、文句を言いあいつつも和気あいあい、喧嘩するほど仲がいい的な感じでまとまってくれるんじゃないかな」
ことの発端となった身としては、いろいろ考え事態を解決へと導く冴枝さんには頭が上がらなかった。
「なに、私の力じゃない。学園祭というビックイベントさまさまだよ。私としても、クラス委員としてこの空気はどうにかしなければと思っていたところだから」
彼女はそう言って笑う。
「あとは
これでクラスは通常営業だよ、と。
なんとも頼もしいそんな彼女に、一路は自分の不甲斐なさを痛感した。
――部屋に帰って割とすぐに、その違和感には気付いた。
(ん? カーテン……?)
窓から望める
確かこの前侵入した時には開いていたし、戻ってくるときにも開けたままにしておいたはずだ。花穏が閉めたのだろうと、その時はあまり気にしなかった。
それよりも、今は花与だ。
「なんか、僕が帰ってくる時にはいつもいるよね、ハナ姉。学校じゃたまにいなくなるのに」
お陰で花与を気にすることなく、今日は前々から考えていた三年生の教室での聞き込みを行えたが。
「私だって年がら年中イチローの面倒見てる訳じゃないよ。……部屋にいるのは、ほら、たまたま、あれだから」
大方また一路が自分の部屋に侵入しないよう見張るためだろう。
花与に邪魔されるのは承知の上だ。それでも、なんとかしたい。
「ハナ姉が素直に白状してくれたら、僕だって人のプライベート覗くような真似はしないよ」
花与の未練について、本人が教えてくれないのだから、その日記を見る他に知る手段がない。花与の友人たちに聞き込みんでみたがこれといった情報も得られず、残された手掛かりは今のところあの日記だけなのだ。
「白状って――私だって、分かんないのに」
「…………」
心当たりはあっても、ハッキリそうだと自覚している訳じゃない、ということだろうか。
困ったような顔で視線を伏せる花与を見ると、それ以上の追及は躊躇われた。
ふと思う。
花与は本当は、成仏したくないのではないか……、と。
成仏するということは、消えるということだ。
具体的にどうなってしまうのかは分からないが、それは即ち、もう一度死ぬということにならないか。
そもそもが、一度理不尽に奪われた命だ。いきなり、突然、なんの前触れもなく、これからも当たり前に続くはずだった日々が唐突に途切れ、花与はその一生を終えることになった。当然本人が望んだことじゃない。誰も望んでいなかった。
花与にとって今この瞬間は、終わってしまった人生の続きだ。ありえないけれど、あって然るべきだった時間。花与が死後もこうして存在していることは、誰にも咎められることじゃない。
だから、一路には無理強い出来ない。
出来ないけれど――
(……この世に残ってるのは、良いことじゃないと思う)
花与を縛り付けているのは、未練――生前遂げられなかった何か。心に残り、今でも彼女をとらえて離さないような枷。
そんなものに囚われたまま存在し続けるのは……うまく言い表せられないけれど、少なくとも健全な生き方ではないように思う。
それが彼女を悩ませるものであるなら、なんとかしたい。
……そういう想いが、胸にある。
「――まあ、」
と、不意に、花与がそっぽを向きながら、
「あれが見たいんなら、勝手にすればいいと思うけどね」
「……?」
「別に、もう邪魔しないよ。……私死んでるんだから、生きてる人間のやることに口出しするのもね。そのたびに
「…………」
それは少し、寂しい言葉だった。
「そ、それなら、日記の内容っていうか……心当たりある未練について教えてくれれば」
それとこれとはまた別の話なのだろうとは分かっている。
止めはしない。だけど、自ら明かすつもりもない。打ち明けるのに抵抗がある。花与もまたそういうジレンマを抱えているのだろう。
(まあ、日記の中身なんて家族にも知られたくないことだから仕方ないけど……)
「ていうかー、私、自分でも何書いたか覚えてないから、教えようもないんだけどね」
「はい? いや……僕も小学生の時に夏休みの宿題で書いたくらいだから、よく分からないけど……普通は憶えてるもんじゃない?」
「その時思ったことをばーって書いて、それですっきりしてるからさー」
心に溜まった鬱憤のはけ口といったところだろうか。想像していた『日記』のイメージとは違ったが、なんというか、花与らしい。一路は思わず苦笑する。
ただ、そうなると、探している未練の手がかりが書かれているかは怪しくなってくる。心の内を書き出しているのなら、本人も自覚していない、何か思いもよらない発見があるかもしれないが。
だからこそ見られるのは恥ずかしいと思うものの、具体的に何が恥ずかしいかは自分でも分かっていないから、見たいなら勝手にすればいい。そういうことなのだろう。
「まあ――見れるもんならね」
にやり、とでも続きそうな台詞に、一路は嫌な予感を覚えて窓に飛びついた。
カーテンで閉ざされた花与の部屋の窓をよくよく観察してみる。
何か……普段何気なく目にしているそれに違和感がある気がするのだが、それがなんなのか分からない。花与が変なことを言うからただそんな気になっているだけかもしれないが―
「窓のカギ、直ってるんだよねー」
「え」
そんな、まさか。でも確かに、詳しくは分からないが、言われて見れば。
「どうして……」
窓に目を奪われたまま、無意識のうちにこぼれていた疑問に、花与は何気ない調子でさらっと答えた。
「お母さんが部屋片づけてるんだよ。カギ直したのもその一環じゃない」
「…………、え?」
うっかり聞き流しそうになった。それくらい平然と、花与は言ったのだ。
(片付けてる、って……)
それは――それが意味するのは。
一路は呆然と花与を振り返る。花与は何を考えているのか読めないような真顔をしていたが、すぐにその顔を背けてしまう。
(そうだ……)
これもまた言われてみれば、だが。
押し入れにでも突っ込んだのだろうと思っていたが、来客が来るならまだしも、花与の部屋があんなにもきれいに片付いていたのは、考えてみればおかしい。
花与はいつも通り家を出て、そして帰ってくるはずで、だけど事故に遭ってその一生を終えた。当然花与は自分がその日死ぬことになると予想していないのだから、花与の部屋は彼女が普段生活していた時のままであるはずなのだ。
親が勝手に入って掃除するのを許すような年頃でもない。だからそこには何かしら生活感のようなものが残されていて然るべきはずなのに。
(薄かった……)
もうちょっと、何か目につくものがあっても不思議じゃないはずなのに。
前に侵入した時にはもう、花与の母は部屋を片付け始めていたのだろう。
思えば、伊遠が花与の家に上がった時も、「欲しい本があったら他になんでも持っていっていい」と花与の母に言われたらしい。
(片付け、か……)
よく、亡くなった子供の部屋をそのまま残してある、という話を聞く。
だけどみんながみんなそうする訳じゃない。片付けて哀しみを忘れようとしたり――前に、進もうとしたり。残された遺族の想いも様々だ。
遺品の整理、というやつである。
現実的な問題として、たとえば中身のあるゴミ箱なんかをそのまま放置しておく訳にはいかないだろう。まだ使える衣類だってある。本も、埃が積もるに任せるより、人にあげるなり売るなりすることが出来る。再利用できるものはいくらでもある。
携帯やパソコンだって、使う人間がいないのだからいずれは処分するしかない。少なくとも電話会社との契約は必要なくなる。
そうやってどんどん、彼女の生きた痕跡は消えていくのだ。
(おばさんがひどい訳じゃ、ないんだよ)
そうすることで、花与のことを思い出したり、昔を懐かしんだりして、自分の中の気持ちを整理していく必要があるのだ、きっと。
完全に部屋の中身を片付ける訳ではないだろうけれど、それでも――
(……分かってたこと、なんだけどな)
花与の死という出来事は、残された人たちのこれからに影を落とす。今日聞き込みした花与の友人たちはきっと、彼女のことを思い出して、これまでのように学園祭を心からは楽しめないだろう。ただのクラスメイトだって、同級生の死は忘れられない出来事になったはずだ。
たとえ時がいつか癒すものだとしても、少なくとも今は。
彼女のいない現実は続いていく。
だけどいつまでも塞ぎ込んではいられないから、花与の友人たちは花与のぶんまで学園祭を楽しむのだと笑う。前を向く。そうやって進んでいく。いつかそれが日常になる。時が癒すというのは、ただ待っているだけじゃない、自分の心を変えていかなければ始まらないのだ。
それはいいことなのだろうけど。いいことなんだと、分かるけれども。
「ハナ姉……」
こうなる前にもっと早く、成仏させてあげられたら良かった。
花与の気持ちを想像すると、胸が締め付けられるようだ。
「なんか、その……漫画でも読む? 代わりにページめくってあげるよ……」
励ます言葉もロクに思いつかなくて、こんな自分が情けなかった。
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