第9話 君の目に映る全てが その1




 花与はなよの部屋に忍び込んだ、その日の夜のことだ。


「ハナ姉さ」

「んー?」


 意味もなく……本当に意味もなくひとの部屋のベッドでごろごろしている花与に目を向け、小学生の頃から使っている学習机で宿題を片付けていた一路いちろはその手を止めて問いかけた。


「僕に何か、隠してることない?」


「何かって何かね」


「……ハナ姉、自分の未練に心当たりないみたいなこと言ってたけどさ、本当は……何か、あるんじゃない?」


「だから、何かって何」


 ベッドの上でうつ伏せになり顔だけこちらに向け、花与は睨むような視線を寄越した。


「だから、あれだよ……あれ」


 昔から一路は花与のこうした態度に弱い。追及するとだいたい手が出るからだ。現に今も、訊くなと書いてあるかのような顔をしている。

 これ以上はマズい。マズいとは思うものの……。


「自分がなんで成仏できないか、本当は分かってるんじゃないの? 分かってて、僕に言いたくないんだ。僕に言えないようなことが……というか、僕にバレたらマズいことでもあるんじゃないの?」


「…………」


 花与は一路にじっと視線を注いでから、ふいにすっと顔を背けた。馬鹿にするでも怒るでもない、珍しい反応だ。花与も少しは大人になったのかもしれない。


(……もしかして、図星?)


 言いながら思いついたのだが、花与が生前密かに調べていたと思しき何かは、まさか一路自身に関わることなのだろうか? だから素直に教えてくれない?


 しかしあのノートに書かれていた美知志みしるし学園などの地名を見ても、一路には何もピンとくるものがなかった。美知志といえばお嬢様学校だが、そんなところに通うお嬢様な知り合いなんて当然いない。強いていえば花与が受験したというくらいの接点がある程度だ。


 ふと、


(……そもそも受験したのは、美知志にある何かを調べたかったから……?)


 そんな考えが浮かぶも、花与と美知志の接点だって受験以外には考えられない。


(受験か……。友達と一緒に受けてはみたけど、自分だけ落ちた、とか……?)


 いろいろ考えてみるのだが、だとしたらあのノートに書かれていた美知志以外の地名はいったいなんなのだろうという話になる。

 いくら考えても、答えのようなものさえ見つからない。


 花与のことはだいたいなんでも知っているつもりだったが、交友関係をはじめとした、花穏かのんの言うところのプライベートな部分に関しては自分が思うより分かっていなかったようだ。


(……分からないなら、探ってみるしかないかな。ハナ姉の友達に話を聞いたりして……)


 と、一路が今後の方針を決めていると、


「やっぱりさぁ」


 沈黙に堪えかねたのか、花与が不機嫌そうに口を開く。


「前にも言ったけど、原因は私じゃなくてイチローにあるんじゃない? イチローが頼りないから心配なんだよきっと」


「ハナ姉がそこまで殊勝な精神の持ち主だとは思えないんだけど」


「失敬な。私ほど面倒見のいいお姉ちゃんもいないよ。現に今日だって、イチローが女の子に話しかけられるように協力してあげたじゃん」


「そのせいであんなことになったんだけどね」


「それもこれもイチローが不甲斐ないせいじゃない?」


 文句はいくらでも浮かぶが、否定は出来なかった。

 原因は自分にある。花与のせいにするのは単なる現実逃避、八つ当たりだ。

 一路がもっとちゃんとしていたら、事態が大事になる前にまだなんとかフォローできたかもしれない。


「…………」


 花与のことも、この身体のこともあるが、まずは自分のことをしっかりしなければ――自分が頼りないせいで成仏できないという線だって消えた訳じゃない。

 それに。


(……僕が頼りないから、未練についても話せないのかもしれない)


 まずは明日、まつりとちゃんと話せるように努めよう。




 四時間目の体育を終え、昼休みになった。


昏石くらいしさんがやってくれた……!)


 授業が終わってすぐ、興奮した様子の伊遠いおんが、まつりと話せる機会をつくれたと報告にきてくれたのだ。人見知りするらしい彼女にとっても、そうした約束をとりつけるのは一苦労だったのだろう。やたらと嬉しそうだった。


 彼女の努力にも報いるため、一路は覚悟を決めて約束の場所――食堂を訪れる。


(お昼を食べながら話そうってことかな……?)


 人で溢れた食堂を見渡せば、テーブル席に向かい合って座るまつりと伊遠の姿を見つけた。

 一路もそこに加わるため、食券を買い、昼食を受け取るため列に並ぶ。


(早く早く……)


 そわそわする一方で、緊張も高まってくる。果たして本当に口をきいてもらえるのか――


「おや。君は」


 と、落ち着かない一路に、背後から声がかかった。


「奇遇だね、こんなところでまた逢えるなんて」


「えっと……?」


 中性的な顔立ちをした長身の人物が立っていた。

 誰かと思えば、体育の時、仲裁に入ってきた少年イケメンだ。あの時と同じジャージ姿だが汗臭さとは無縁の爽やかスマイル、フレグランスな香りまで漂ってくる。


(たしか……飛張とばりくんだっけ?)


 あのあと彼はクラスメイトに呼ばれて去っていったが、彼のお陰か一路はその後、嫌な想いをせずに済んだ。イケメンを前にすると平凡な男子たちの結束は固まるものらしい。


「さっきは、どうも……」


 一応お礼を言っておくと、少年は気さくな笑みを浮かべて、


「君も食堂なんだね? どう? 一緒に食べない?」

「え? あ、えっと……友達が一緒なんで……」

「あー、そっか残念。ところで、」


(な、何なんだこの人……!?)


 親しげというか馴れ馴れしいというか、ついさっき初めて口をきいたばかりのはずなのに、どうしてこうも気さくに話しかけてくるのだろう。やたらと絡んでくる。食事を断られても普通に世間話を振ってくる。

 いったい彼には、自分がどんな風に映っているのか。


(ちゃんと制服着てるのに……)


 雰囲気としてはまるで女子にナンパするイケメンだ。

 まさかと思うが、彼には自分が女の子のように見えているのか――

 可愛ければ男でも問題ない、なんて狂った言葉が脳裏をよぎった。


「もうじき学園祭だね? そっちのクラスは出し物とか決まったの?」


 そういえばもうそんな時期か、と一路は少しだけ戸惑いを忘れ、感慨に耽る。

 花与の件があってすっかり忘れていたが、月末には学園祭があるのだ。一般公開もされているので、昨年は進学先の下見もかねてちょっとだけ覗いた。今年はその学園祭に参加するのかと思うとなんだか不思議な気分だ。


 去年は、そこに花与がいた。

 来年はもっと面白い模擬店がやりたいなと言っていたのを思い出す。

 ……来年は、イチローのクラスの出し物も覗きに行くからね、と。


(……なんだかんだで、このままだと実現しそうだなぁ……。いや、実現するかな、今のクラスの空気で……)


 はあ、とため息。


「どうかしたの?」

「べ、別に……。そういえばまだ話し合ってないなぁと」

「うちのクラスもだよ。今日あたりかな?」


 などと話している間に順番が来て、一路は昼食を受け取ると逃げるように飛張の元を離れた。その勢いのまま、まつりと伊遠のいる席へ向かった。まつりはうどん、伊遠は和食セットを注文したらしい。


「えっとー……ここの席いいかな?」


 事前の打ち合わせ通り、一路は伊遠の隣の席へ。向かい側に座るまつりがちらりと面を上げて視線を寄越した。そして。


「……ごちそうさま」


 トレイを持って席を立つ。既にどんぶりの中身は空だった。


「え――」


 愕然とする他なかった。


「は、話が違うんだけど……」


 伊遠の方を見れば、彼女の口元にご飯粒がついていた。なんだか毒気が抜かれてしまう。もともと手伝ってもらっている身で、責める道理はないしその気もなかったものの……。


 一路はそれとなく自分の口元を指先でつついてみせる。一瞬きょとんとしてから、それに気づいた伊遠は頬を赤く染めた。ご飯粒を摘まんで口に入れる。その仕草がなんだか可愛らしい。伊遠はそれからおずおずと口を開いた。


「一緒にお昼食べようって、誘ったんだけど……」


「それ、昏石さんと一緒に食べるって話で、僕のこと含まれてないんじゃ……」


「……ご、ごめんなさい……。今度はちゃんとするから」


「いや、いいけどさ……。完全に僕のせいだし……」


 ただ、まつりにあんな態度をとられると、伊遠がまた機会をつくってくれたとしても、ちゃんと話せるかどうか、自信がなくなってくる。


 本当に、心底嫌われてしまったのかもしれない。

 そう思うと、もはや仲直りなんて不可能な気がしてきて、その日の昼食は味気ないものになった。


「これ、あげるから、からあげ……元気出して」

「ありがとう。代わりにこれあげるよ、魚の目玉……DHC」

「それはいらないかな……」




 そして――放課後、ホームルームで、クラス委員の冴枝さえださんが学園祭の出し物についての採決をとった。


 こういうことはだいたい意見が分かれ長引くものだが、今の一路たちのクラスはもっと酷かった。意見が分かれた上に男女で割れ、どちらかが案を出せばもう一方がそれを批判する口論に発展した。

 それを見越した上で、冴枝さんはホームルームという短い時間にこの議題をねじ込んだのかもしれない。


「はいはい、じゃあ今日はここまで! 明日ちゃんとした時間とるから、それまでにみんな、もう少し頭冷やしておくように! じゃなきゃ、せっかくの学園祭、嫌な空気のままぐだぐだになるかもしれないからね?」


 さすがは委員長だと、一路は思った。彼女の一言をきっかけに教室はシンと静まり返った。自分なんかじゃこうもいかないだろう。どうかに事態を収拾できないかと思っていた自分が馬鹿みたいに思える。


 このまま教室の空気が良い方向に向かうのなら、無理してまつりに謝らなくてもいいのではないか……。彼女も自分を避けていることだし――


「……ダメだ」


 弱気を振り払う。

 それとこれとはまた別の話で、一路は今一度ちゃんと、まつりと話をつけなければならないと強く思う。


 まつりの席に目を向ける。口論には参加せず、採決の間もずっと硬い表情をしていた。この後のことを考えているのかもしれない。

 伊遠の努力のお陰で、一路は再びまつりと話せる機会を得ることが出来たのだ。

 今度こそ本当に、ちゃんと口をきいてもらえそうなのだ。

 せっかくのこのチャンスを、無駄にする訳にはいかない。



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