第7話 知らない世界を覗き込む




 廊下を歩く足音が聞こえてくる――


(このタイミングで人が来るなんて……やっぱり僕がガサゴソやってたのが気付かれて……?)


 ドア横の壁にぴったりと背をつけて、一路いちろは息を殺して廊下の気配に集中する。



 ……がちゃり。



 ノブを回す音が響き――



「……ふうぅううう……」


 自分でも大袈裟だと思うほどのため息が出た。そのまま膝から力が抜け、危うく音を立てて倒れ込みそうになる。


 ……どうやら、向かいの部屋だったようだ。


(のんちゃんか……)


 花与はなよの妹、花穏かのんだ。

 安堵から、壁に背を預けたまま座り込んだ。


(ともあれ、音に注意しなくちゃ……)


 思いついたことがあって、一路は足音に気を付けながら花与の机に近付く。改めて引き出しを開き、例の何も書かれていないノートを取り出した。

 ぎっしりと書き込まれインクを吸ったような厚さがあるが、ぱらぱらめくってみても内容は完全に白紙だ。鉛筆等で書いたものを消したような跡も見られないが――


「確か……」


 引き出しの中を漁り、キャップ部分にライトのようなものがついた蛍光ペンを発見する。キャップ横のボタンを押すとライトが光るものだ。

 具体的な商品名は知らないが、これがどういうものかはなんとなく一路にも分かった。


 ライトを白紙のノートに当てると――


「出た出た……」


 蛍光色の文字が浮かび上がった。

 丸っこくて拙い文字で日記のようなものが書かれている。漢字が少なくほぼひらがなで、字自体も汚いしサイズが違っているしで読みづらい。


「えーっと……小学生の時のものかな」


 ライトを当てながらぱらぱらめくってみるが、ノートの後半はほとんど白紙だ。恐らく途中で飽きたのだろう。花与にはそうした日課が長続きするような印象がない。


「期待してたようなものじゃないなぁ……。ここまで昔のものだと本人も覚えてなさそうだし……」


 パッと見た限りだと、未練というには些か幼すぎる内容だった。それに日々の出来事よりも両親や妹、一路への不満が綴られている。未練ではなく怨念がこもっていそうだ。このノートを供養したら案外成仏するかもしれない。怨念にしても可愛いものだが。


「やっぱり調べるならパソコンの方かなぁ……」


 と、ライトを当てながら適当にページを流していたら、ノートのちょうど真ん中のページでそれが止まる。この辺りにはもう既に何も書かれていない――


「ん?」


 そこにこれまでとは違う、きれいに書かれた文章があった。丁寧な筆跡とは言い難いが、明らかに先ほどまでの日記とは異なる。何より、漢字も使われていた。ごく最近書かれたものかもしれない。

 文字はきれいになったものの、太いペンで書かれているためインクが滲んでおり、漢字になるとこれはこれで読みづらい。それでもある程度は読み取れた。


「なんとか学園……」


 地名のようなものが箇条書きにされている。そのうちのいくつかには横線が引かれていて余計に読みにくくなっているが、一番上の『なんとか学園』には線が引かれていない。


「これ、美知志みしるし……?」


 そう思うとそう読めてしまう。

 美知志といえば、お嬢様学校で知られた女子校だ。花与が以前自分の学力も考えずに受験して見事に落ちたあの学園である。


 パンフレットからして花与の性格とは程遠い雰囲気を感じさせるところで、周りはみんな無理だ無理だと言っていたのだが、本人がどうしてもやると言って聞かなかったことを覚えている。

 入試自体はうまくいったと本人は豪語しており、面接で落とされた、面接官の先生の好みで落とされたのだと主張していたのだが――


「まさか、あそこに入学できなかったことをずっと引きずって……?」


 というかそもそも、どうしてあんなフィクションの世界のような学園に行こうなどと思ったのだろう。

 前に美知志の生徒を見かけたことがあるが、それこそ住んでる世界が違うような印象だった。花与があのお嬢様風の少女たちと一緒にいるところなんて想像できない。


(だからこそ憧れがあるのかもだけど……)


 しかし仮にそれが未練だとして、いったい自分に何が出来るだろう。


(まだそう決めつけるのは早いけど……)


 ノートには学園の他にも見知った地名がいくつか書かれているようだ。読みにくいのは相変わらずだが、文字の形でなんとなく判別できる。

 それにしても、この横線は何なのだろう。普通に考えると、なんらかの候補をリストアップし、線が引かれたものはダメだった……といったところか。じゃあこれはなんのリストなのか?


「そういえば――」


 ふと思い出したことがあり、リストを確認する。


 ……あった。花与が事故に遭った場所だ。


 花与はなぜか通学路から離れた場所で事故に遭った。葬式の時も花与の友人たちが話していた。未田いまださんどうしてあんなところで……、と。花与と高校生活をエンジョイしていた彼女たちからしても、放課後の生活圏から離れた場所だったのだ。


「……これは何か……」


 成仏に繋がる手がかりになるかもしれない。少なくとも花与は、このリストに載った場所に行って、そこで事故に遭った。何かを調べるなりしていたのなら、それが果たせなかったことは未練として申し分ないのではないか。


「線が引かれてない場所は美知志も含めて三か所……一つは事故に遭った所か。ここを調べてる途中に……。でもいったいこれってなんだ……?」


 読み取れる範囲だと、学校や公園の地名という共通点はあるが、他の接点は思い浮かばない。強いてあげるなら、どこも同じ市内にこそあっても『近所』と言うにはずいぶん距離のある場所だ。


「何か調べてたんだとしたら……」


 一路の視線は机の上にあるノートパソコンに固定される。今どき調べものといえばネットで検索が常識だろう。履歴の中に何か残っているかもしれない。


「まあわざわざ現地に出向いてたくらいだし、ローカルな調べものだとは思うけど、一応そういう可能性も浮上したからには……ねえ?」


 自分に言い聞かせるように呟きながら、一路は花与のパソコンに手をかける。


「履歴を見るだけ……まあついでにブログなりなんなりが見えちゃうこともあるかもしれないけど……。ほら、よく使うページって勝手に表示されるものだからさ……」


 手が滑って開いてしまうこともあるだろう。おまけに、そういう頻繁に開くページというのは大抵パスワードなどが記録された状態になっているものだ。ログインを押せば入力要らずで入れてしまうものである。


「というわけで……」


 一路はノートパソコンを開く。電源に指を乗せた時だった。



 ぴんぽーん



「!?」


 心臓が跳ね上がる。


 はーい……、と階下から花与の母の声が聞こえてきた。


「な、なんだ……」


 思わずぎょっとしてしまったが、今のはパソコンが発した音じゃない。玄関のインターホンだ。訪問販売か何かだろう。


「ふう……」


 悪いことをしている自覚もあって、やたらと鼓動が早い。やっぱりやめようかという弱気な考えが頭をよぎる。


「と、とりあえず開こう……。開いて、ほら、パソコンってそもそもパスワード必要だしね。そっちはサイトのように記録されてないものだと思うし……」


 それでダメだったら――


 パソコンが起動し、ディスプレイが明るくなる。ロゴが表示され、ほらもうすぐ、サインイン画面が表示されるはずだ。適当に思いつくパスワードを打って、それでダメなら諦めよう。一路はそう思ってキーボードに指を置いた。デスクトップが表示される。いくつかのアイコンが画面の左端にきれいに並んでいた。


「……ん?」


 まさかのパスワード要らず。


「く……不用心な設定して……!」


 お陰で調べ放題じゃないか!


 一路は唇を噛んでから、意を決してブラウザを開こうとマウスカーソルを動かした。


 その時だった。



「そこまでだイチロー!」



 唐突に花与の声が響いた。



「う……、」


 叫びそうになるのを寸前で堪えた。心臓がばくばく鳴っている。すぐ向かいの部屋には花穏がいるのだ、大声は出せない。


(ハナ姉……!)


 振り返ると、ドアを通り抜けて現れたらしい、花与が部屋の入口で仁王立ちして一路を睨んでいた。パソコンを開いたあたりから見ていたのかもしれない。


「ひとのプライベートを覗こうとするなんて、そんな破廉恥には制裁が必要だね」


「僕はハナ姉のためを想って行動してるんじゃないか……」


 一路はそれとなく身構える。制裁といえば暴力に決まってる。花与は他の人には声も聞こえなければ触れることも出来ない幽霊のくせに、一路に対しては生前同様に接触できるのだ。


 しかし、花与は何もせず、ただ不敵に笑みを浮かべているのみだ。一路は不審に思いながら、とりあえずパソコンを閉じて手打ちにしようとして――


(また……!)


 誰かが階段を上ってくる音が聞こえ、花与を無視してすぐさまドア横の壁に移動する。


(あれ……? でも誰だ? のんちゃんは部屋に……じゃあおばさん? だとしたらマズい、さすがに部屋に入られたらここじゃバレる……!)


 これは無理をしてでもベッド下に潜り込むしかない。


 一路は床に這いつくばるようにして、なんとか狭い空間に体を押し込む。うつ伏せになってもかなりぎりぎりだ。それに埃っぽい。ゴキブリでも現れないかと戦々恐々としながら、誰かの足音に耳を澄ませる。


 ……案の定だ。


(入ってきた……!)


 部屋のドアが開かれるのが見えた。誰かの足が部屋に踏み込む。立ち止まる。室内を見回しているのかもしれない。花与の足が動く。振り返ったのだろう。母親との対面に思うところもあるだろうが、今はそれより自分の身が心配だった。


(まあ別に警察に突き出されたりはしないだろうけどさ……)


 それでもやっぱり気まずいものはある――



「お巡りさんここです! 犯人はベッドの下です!」



 ――花与が現れたこのタイミングで、誰かが部屋に入ったきたことを、一路はもう少し気にするべきだったのだろう。


 その瞬間、花与の捨て台詞が蘇る。


『イチローがその気なら……私にだって考えがあるから!』


 幽霊に何が出来るはずもないと思っていた。


 だけど違った。



「――――っ!?」



 ベッドの前に誰かがやってきて、そして――その下を覗き込んだ。


 目が合った。



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