第6話 振り返るばかりが思い出じゃない




「決めたよ、僕はハナ姉は成仏させる」


 学校から帰宅し、自室で一人になった一路いちろは誰ともなしにそう宣言した。

 すると、気まずくなったのか保健室以降どこかに姿を消していた花与はなよが窓から入ってくる。


「……一路はそれでいいの? マジで私を消しにかかるつもり?」


「な、なんだよ……同情を誘おうたって、そうはいかないぞ……」


「そうじゃなくて」


 花与は困ったような顔をして、


「私は正直どうにでもなれーって感じなんだけど、一路は私がいなくなって……なんだろうね……後悔? とか、しないかなーって」


 正直、まだ心は決めかねている。


 本当に花与が消えてしまってもいいのか。成仏させてしまって、果たして自分は後悔しないのか。


 しかし、このままではいけないと強く思うのだ。現実的な問題として、このまま花与がいるとロクなことにならない。それは今日の騒動を振り返れば言わずもがなだろう。

 この女体化との因果関係は不明だが、花与の死後にこうなったのだから、無関係とは思えない。花与が成仏すれば一路の日常は帰ってくる。


 ――花与のいない日常が。


「まあ、イチローがそうしたいならすればいいとは思うけどね? だけど、具体的にどうやってこの私を成仏させるっていうの?」


 私だって自分の未練が何なのか分からないのに、と胸を張られても困る。


「一応、僕にだって考えはあるんだ」


「へえ、どんな?」


「ハナ姉自身が自分の未練について分からないなら……ハナ姉の過去を調べる」


「調べるって……」


 芸能人じゃあるまいし、私のことなんてネットに載ってる訳が――と、呟いていた花与の表情が固まる。


「わ、私、ブログとかやってないからね!?」


「……え、何その反応。もしかして――」


 一路の視線が自分の机の上にあるノートパソコンに向くと、花与はがばっとその前に立ち塞がる。そんなことをしても無駄なのだが、花与からこちらに攻撃できる以上、そうして徹底抗戦の構えをとられると動きにくい。


「そっか……。死後もそういうものって残るから……。黒歴史としてネット上に残ったものを処理して欲しくて化けて出たのかもしれないね? ははは、僕がちゃんと笑い飛ばしてあげるから、大人しくそこをどいてくれるかな?」


「フーッ! フーッ!」


 まるで猫のように威嚇してくる。

 とはいえ、一路が考えていたのはネット上の遺物ではない。


「ハナ姉、確か日記書いてるんだよね?」


「ぬあっ……!? な、なななななぜにそれを、」


「昔のんちゃんから聞いたんだよね。ハナ姉の机の上にあったのを偶然見ちゃったらしいよ?」


「ぐ……」


「まあもう死んでるんだから」


「……こ、こうやって私を辱めて、成仏させようって魂胆か……っ」


「違うよ。これからそれを覗くんだよ」


 怒りか羞恥か、とにかく顔を真っ赤にした花与が涙を浮かべながら凄まじい形相でこちらを睨んでいる。それにしても、幽霊なのにどうやって紅潮しているのだろう、と今更なことを思った。


「ハナ姉の部屋はそのままにしてあるみたいだから……きっと日記も探せば見つかるはず。問題は部屋に入れてくれるかどうかだけど……目的が目的だし」


「さ、さすがに娘の部屋には入れないよ! いくらイチローだからってね! 私はお母さんを信じてる!」


「そこの窓から忍び込むから問題ないか。確か、鍵は壊れてたはずだよね、ハナ姉の部屋」


「く……」


 窓越しに花与の部屋を見るたびに思い出す。その昔、花与は窓からよく一路の部屋に侵入していたのだ。距離はあるが、飛び移れないこともない。


(ちょっと恐いけど……)


 娘を失ったばかりで、その悲しみも癒えていないだろう花与の母親に、花与の日記を見たいから――花与を成仏させたいから部屋に入れてほしいと頼むのは、少しばかり気が引ける。他に何か言い訳も思いつかない。


「……僕は、やるよ」


「なんか重大な決意でもしたような顔してるけどさ……! やめよ? 危ないよ? 私の二の舞になっちゃうよ?」


 一路が対策に自分の部屋の窓にカギをかけていたせいで、飛び移れずに落下して花与が大怪我をしたことがあったのだ。あれ以来、花与が窓から侵入してくることはなくなった。


「僕が怪我しないように、変な邪魔しないでよ?」


「う……」


 こうして釘を刺しておけば問題ないだろう。


「い、イチロー……後生だから、やめようぜ? ね?」


「ハナ姉がそれ言うと説得力あるけど……」


「ひとの日記覗くとか、プライバシーの侵害だって」


「よく言うよ。クリスマスなんか、よくひとの部屋に侵入してたくせに」


「あれは善意のサプライズで……!」


「真冬の朝にいきなり毛布剥ぎ取られた上に叩き起こされたんだよ!? 顔に雪の塊のせられてね! 目覚めるのが楽しみなクリスマスだっていうのに、朝から散々な目にあったよ! お陰で風邪ひいたしね!」


 こうして怒鳴っていると、なんだかどんどん花与に対する遠慮のようなものがなくなっていく。思えば常々花与には酷い目に遭わされてきたのだ。その報復に日記を覗いて何が悪い。


「僕がハナ姉の未練ひみつをしっかり見つけて、ちゃんと成仏させてあげるから」


「くう……悪い笑みを浮かべやがって……イチローのくせに……!」


 早速窓を開けて、外を確認する。地上二階。眼下にはブロック塀。花与はあれに激突して足と腕を骨折している。

 花与の部屋までの距離は二メートルもない。お互いの部屋の窓の下には突き出た部分があり、花与はそれに飛び移っていたようだ。


「これなら……」


 どくどくと鳴る心音を意識しながら、窓から身を乗り出し、下の方にあるでっぱりに足をかけた。両足をついて、完全に窓の外に出る。


「ハナ姉、邪魔しないでよほんと……? こればっかりは冗談じゃ済まないから……道連れとかご免だからね?」


 最後に今一度念押しすると、


「イチローがその気なら……私にだって考えがあるから!」


 神妙な顔でそう宣言したかと思うと、花与は部屋の壁をすり抜けてどこかに消えてしまう。


(な、なんだ……? 今のハナ姉に何が出来るっていうんだ……)


 不穏な予感を覚えつつも、一路は花与の部屋に顔を向ける。あの突き出たでっぱりに足をかけ、うまく飛び移れれば――


(昔のハナ姉よりも足の長い今の僕なら余裕……!)


 片足を伸ばせば、届く。残った足ででっぱりを蹴って体重を移動し、そのまま花与の部屋の方に全身を移した。バランスを崩しかけて一瞬ひやっとするも、すぐに窓枠を指先で掴んで持ち直す。


「ふう……」


 一息ついてから、窓に手をかける。カーテンが開いているので部屋の中を覗ける。鍵は……思った通りだ。ゆっくりと窓を開く。


「おじゃましまーす……」


 花与の部屋に無事忍び込めた。


 いつも窓越しに目に入るが、実際に入ったのはいつ以来だろう。きれいに片付いた机、サメのぬいぐるみが置かれたベッド、漫画の詰まった本棚……特に変わったところはない。


 だけど――この部屋を使う人は、もういない。


 思い出だけが残された部屋。まだ埃は積もっていないが、花与が亡くなって以来誰も入っていないのかもしれない。

 そんな……彼女の残り香を感じるような空気を掻き乱すことに抵抗はあったが。


「まずは、机……」


 後ろめたさを引きずるように、一路は机の引き出しを検める。カギがかかっているものの、高価な机ではないからコツが分かれば簡単に開けた。結構使い込まれたかのような古めの大学ノートが入っている。早速当たりかと期待したが、中には何も書かれていない。


(日記の代え、かな……それにしては――)


 あるいは、その下に隠れた品々を隠すための蓋代わりだろうか。


 そう思って期待して、引き出しの中、日記の他にも何かしら未練に繋がるようなものはないかと物色してみるのだが――何かのおまけと思しき雑多な品物が複数、ライトのようなものがついたペンや擦り切れ汚れたストラップ、押し花の栞……等々はっきり言って一路には価値の分からないがらくたばかりだ。それでもカギのかかった引き出しに入れているということは、花与にとって思い入れのある品物なのだろう。


 他の引き出しには……年賀状や友達からの手紙といった未練に繋がりそうであるものの、一枚一枚調べるのが億劫になる束が収まっている。割と几帳面なのか、それとも単に物を捨てられないだけなのか、漫画の単行本や文庫本の間に挟まっているチラシなどもまとめられていた。


(こういうのをちまちま調べるくらいならいっそ、ネットでブログとかSNS調べた方がまだ……)


 しかし、本人にも自覚のない、心当たりのない未練なのだから、そうした直近のものではなくもっと昔に生まれた心残りなのではないか。


(……本当は知ってて隠してるのかもしれないし、ネットの方も調べた方がいいとは思うけど)


 それにしても、花与がそうしたものを利用していたとは意外である。あれでも女子高生なのだから不思議ではないが、性格的にそういうイメージが湧かなかった。


「……ハナ姉のパソコン……」


 机の上に置かれている。

 ネットを調べるとはいっても本名でブログなりSNSなりをやっていなければすぐには見つからないだろう。なら本人のパソコンから直接調べた方が手っ取り早い。


(でもパスワードあるだろうし……それこそプライバシーの侵害っていうか……)


 いくら相手が既に死んでいるとはいっても、その幽霊が視えている一路には躊躇いがあった。


(プライバシーの……)


 それでもやっぱり、好奇心を抑えられない自分がいる――


(考えがあるとかなんとか言ってたけど……)


 理性や良心の類が花与の言葉を脳裏に蘇らせるが、一路の手は机の上にあるノートパソコンに伸びる。


 その時だ。


「やばっ……」


 足音が聞こえた。

 階段を上ってくる足音――


(がさごそやってたのが気付かれて……? とにかく隠れないと――あ、窓!)


 窓を閉める。自分の部屋に戻ろうかとも考えたが、こうも慌てた状態だと転落しかねない。

 それから一路は室内を見回す。

 押し入れがあるものの……ダメだ。たぶんいろいろ入っている。花与のことだ、この部屋がこんなにもすっきりしているのはきっと、あそこに物を詰め込んでいるからに違いない。開けたら雪崩に見舞われかねない。


(ベッドの下……!)


 ――に潜り込もうと思ったが、狭い。頑張ればぎりぎり隠れられるかもしれないがそうこうしているうちに足音は廊下に到達し――



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