第4話 見えないはずのその景色




 死後も現世をさまよう霊というものはどうやら、生前果たせなかったことが未練となって現世に魂を縛られてしまうらしい。

 そして未練を解消できないままこの世に留まり続ければ、それはやがて地縛霊になり、生きている人々を呪い続けるようになる。


 いわゆる悪霊というものだ。


 事故で死んだのなら、生きている人間を同じような目に遭わせ、何かを果たせず死んだのなら、それを果たした誰かを妬み、とり憑いて不幸にする……。


(ネットで拾った情報を総括すると、だいたいこんな感じ)


 とにもかくにも、既に死しているものが現世に留まっていていいわけがないのだ。

 それはきっと自然の摂理的な何かに反しているに違いない。

 たとえるなら、卒業したはずの先輩が今なお教室や部活にいるようなもの。これでは下級生たちが気まずくてやっていられない。


(……そうだ。だからいつまでも居座ってもらっちゃ困るんだ……)


 ――そうやって様々な理由をつけて花与を成仏させる正当性を自分に説こうとするのは、心のどこかで花与はなよに消えてほしくないと思っているからだろうか。


 一路いちろは奇跡の中にいる。失われ、もはや二度と戻らないはずの当たり前の日々がこうして今も続いている。これを奇跡と言わずしてなんと呼ぼう。


(ハナ姉は、まだ居る……)


 居て、何かあるわけではないが、やはり居ないことは大きな意味を持つ。


(でもそれは、僕の中だけだ。みんなにとってハナ姉はもうとっくに死んでいて、その現実を受け入れようとしていて……。僕もちゃんと前に進むべきなんだ)


 だけど、それじゃあ、今もまだこの世に〝居る〟彼女自身はどうなるのだろう?


(うう……)


 悩める一路が自分の席で頭を抱えていると、


「えーっ、うんうん唸って大丈夫でありんすかね? 来藤くどう一路くん」


 上から突然クラスメイトの声が降ってきて、驚いて仰け反りそうになった。

 そうだ、ここは学校、教室の中だ。ループする思考に悩まされ、周りに意識を向けられずにいた。


(あ、危ない危ない……今の僕は身体に爆弾を抱えてるんだ、気を付けないと)


 もしかすると現実逃避したい気持ちもあったのかもしれないが、そんなことより。


 顔を上げるとそこにはクラス委員の冴枝さえださんの姿があった。


 一応クラスメイトだから話をすることはあっても、朝の、まだ教室が静かなこのタイミングで声をかけられたのは初めてだった。正直あまり親交もなく、ついでに言えば苦手意識もある相手なものだから、まさか〝あのこと〟が気付かれたのではないかと訝しんでしまう。


「え、えっと……?」


「とりあえずおはよう来藤くん。ところで何か悩みがあるなら相談にのるから放課後ふたりで出かけませんか」


「はい!?」


「――と、こちらの方が申しておる」


 そう言って冴枝が引っ張り出したのは、中学生っぽい印象の残る小柄な同級生。


「い、言ってないよ……! いやほんと、サエさんの言うことは本気にしないでっ、あぁでもその、別にふたりで出かけたくないとか、別に来藤くんはご免って意味ではなくて……っ」


 あたふたとテンパる姿が見ていて可愛らしい、クラスメイトの多牧たまきまつりだ。背丈が一路よりもだいぶ低く、まるで小動物みたいな女の子である。

 身長もそうだが、きれいに切り揃えたショートの黒髪もなんだか子供っぽく、あどけなさの残る顔に浮かんだはにかんだ笑みには心がくすぐられるかのようだ。


「とりあえず、」


 と、冴枝さん。


「多牧さんが君を気にかけているようだったから。声をかけてみようとね」

「え……? 多牧さんが?」


 思わずおうむ返しになってしまうくらいに信じられなかった。


「ちょっ、サエさんってばまた変なこと言ってっ、わたし全然これっぽっちも気にしてないから来藤くんのことなんて!」


「…………」


 照れ隠しなのかなんなのか、よく分からないがとりあえずちょっと傷つく。


「しかし私も気になってはいたんだ」


「冴枝さんまで?」


「どうもこのごろ君に元気がないように思えてね、今日にいたってはこれみよがしにため息なんかつくものだから、もしかして恋の悩みでも抱えているんじゃないかと。ほら、女は恋をして美しくなるというけれど、今日の来藤くんはなんだか色っぽいから」


「ッ」


 とっさに片手で自分の口元を覆った。それだけで隠し通せるものかは怪しいが、反射的な行動だった。


「ん? まるで『しまった、気付かれた』みたいな顔をしておるが?」


 目敏い冴枝さんの後ろに戻ったまつりも不思議そうにこちらを見ている。


「えっ、あ、ちがっ、その……ほら、ため息をつくと幸せが逃げるっていうじゃないですか、ええ、はい。それで、しまった、ため息ついてたかー、と……」


 幸せを逃さないように口を覆ったのです、あはは……と、自然な動作で手を机の上に戻した。


(マズい……やっぱり女子には分かるもんなのかも……)


 胸に包帯こそ巻いてきたが、そうそう気付かれるはずもないと楽観的になっていたせいで他に小細工はしてこなかった。普通に、堂々としていれば大丈夫だと思っていた。


(だって僕は別に女装して女子校に忍び込んでるわけじゃないんだ。もともと男で、みんなもそれを分かってる。直に胸をさわられさえしなければ気付かれるわけがないし、そんな疑いをかけられることだってない。僕さえ普通にしていれば、誰も気になんかしない)


 しかし、怪訝そうにこちらを見る冴枝の視線に焦燥感があおられる。もしかすると自分の想像以上にこの変化は深刻で、傍目にもはっきり分かるものなのかも……。


(そ、そうだ……実際冴枝さん、というか多牧さんは僕のことを気にしてて……)


 普段話す機会のない彼女たちが声をかけてきたという、変わった出来事。

 身体が女性化したことと関連づけるのはいささか強引かもしれないが、可能性がないわけではない。


(や、やっぱり何か悟られたんじゃ……ハナ姉も、顔が前より女の子っぽくなってるとかなんとか……)


 服の下に隠れた胸ならまだしも、顔まではさすがに隠すことは出来ても不自然すぎる。そうなってしまったら、いったいどうすれば。


(いや、落ち着くんだ僕。今のは単に雰囲気とか、フェロモン? 身体が女性化してるんだから、そういうもののせいでなんとなく違和感を覚えられただけで……。こんな怪現象そもそも現実的じゃないんだし疑うことすらありえないよ、あははは)


 そう信じたかった。




「へいへいイチロー、見ちゃったよー、お姉ちゃん見ちゃいましたよー」


 再び天から声が降って来たかと思えば、今度は本当に教室の天井付近に人が浮かんでいた。

 花与である。学校の制服姿で、スカートの中が見えそうで見えない位置で仁王立ちしていた。


「…………」


「無視? 無視するの?」


「……言っただろ、教室じゃ話せないって……」


 一路には視えても、他の人に花与の姿は見えないのだ。つまり花与に応えると、傍からすれば一路が何もないところに向かって独り言を喋っているように映る。

 ただ、今は登校している生徒もまばらで、自分の席でぼそぼそ喋っているぶんには不審に思われないだろう。


 一路は机に突っ伏し、周りから口の動きに気付かれないよう注意しながら、


「それで……見たって、何が?」


 花与は自身の在籍していた三年生の教室に行っていたはずだ。そして帰ってきたらこの――空元気。何かあったのだろうか。


(そりゃまあ……あるだろうなぁ。ハナ姉がいなくなってあとも、生きてる僕らの日常は続いていくわけで……友達が他の子と仲良くしてるの見たり、最悪、自分の悪口いってるとこに出くわしたり……)


 そう思うから、花与との会話にも応じるのだ。

 それが出来るのは、自分しかいないのだから。


「見ちゃったんだなぁ、イチローが女の子に話しかけられてによによしてる、と・こ・ろっ」


「…………」


「え? それは周囲の目を気にしての無視? それとも本気のスルー?」


「……両方」


 気を遣って損したという落胆も含む。


「まあいいや。で、どっちがイチローの意中の相手? 大きい方? 美人だよねー」


「べっ、別にそういうんじゃ……」


「なんだそのテンプレ反応は! ツンデレかよ! まあ恋バナはこんな人が大勢いるとこでするもんじゃないかー」


 やっぱり、思うところはあったのだろう。無駄にテンションが高すぎるから。


(ここに居続けることで、ハナ姉はこれからいろんなものを見る)


 自分の居ない景色を、本来なら知るはずのないものを。


「でも意外だなぁ」


 ナーバスな一路などお構いなしの能天気な声が聞こえる。


「あんなにお姉ちゃん大好きだったイチローがねぇ……。こればかりは幽霊にでもならなきゃ分かんなかっただろうなぁ」


「……っ、」


 別に花与のことが好きだったわけじゃない。お互いに年の離れた妹はいるが、一路と花与は姉弟同然の関係だった。本当の家族じゃないぶん、実のきょうだいよりも、場合によっては友人たちよりも特別な絆があったように思う。

 信頼を寄せあえて、家族に言えない秘密や悩みを相談できて、しかし時には意地を張って隠したりして――だからこそ、その喪失は大きかったのだろう。


 失ってはじめて、これまで見えなかった意味に気付くなんて。


「そういう話きかないからさぁ、ちょっと心配? だったり、なかったり。これで安心できるってもの――、」


「じゃあ成仏したら?」


「なにその塩対応。言っとくけど、こんなんじゃ全然だからね? 今はただイチローが片想ってるだけじゃん。どうせこのままずるずるで卒業を迎えるよー」


「う、うるさいなっ」


 片想いだからなんだ。別に、こんなのは高校の、いっときの感情で。それが大人になって社会に出てまで続くものとは限らない。将来いっしょにいる相手になるなんて保証はない。


 だから、仮にこの想いが叶ったからといって、花与の心配が解消されるものではなく――


(僕はハナ姉に成仏してほしいのか、してほしくないのか、ほんとどっちなんだ)


 未練があるというなら、自分こそまさしくそうだ。

 迷惑でも、うるさくても、やっぱりかけがえのない存在であることに違いないのだろう。


 だからこんなにも――葛藤する。


「私みたいにいつ死ぬか分かんないんだし、後悔しないようにアタックすべきじゃない? やっちゃおうぜ! あっちだってイチローのこと気になってるっぽいし!」


「いや……、」


 ふと、思った。


(……彼氏はいなかったっぽいけど、好きな人がいなかったとは限らない……よね)


 もしかして、さっき三年の教室を覗いてきたのは?


(うーん……それでその相手が他の女子と仲良くしてるの見たりしたんじゃ……)


 告白できなかったこと。それが花与の未練だったりするのだろうか。


 なんにせよ、やっぱり〝死後〟があるべきではない。

 得られるものはあっても、傷つくことが多いと思うから。


「分かった」

「およ?」

「……ちょっと、頑張ってみる」


 そうすることで、花与が成仏できるかもしれないなら。


(ついでに僕の身体が元に戻るなら)


 一路は決意した。




「……しかしいったいどう声をかければ……!」


 すぐに挫折した。


「もう、男を見せるんじゃなかったのー?」


「だってこれまで特に接点もなかったんだよ!? ていうかそれなのに急に声とかかけちゃったりしたら余計に不審がられるかもしれない……っ。さっきだって、」


「そりゃあ、友達や家族ならまだしも、むこうはただのご近所な私が死んだことなんて知らないし、イチローがそれで落ち込んでるなんて分かるわけもないんだから。おまけにいわゆる女体化で悩んでるなんて知る由もなく。あっちからしたらイチローが突然ローテンションなってて不審がるのも当然っていうか。イチローテンション」


「アホなこと言ってないで……何か考えてよ」


「え? 私に振る? うーん、そうだなぁ……とりあえずアタックしてみたら、案外むこうから何か振ってくるかもよ? それにアドリブで応える」


「僕は豚の貯金箱じゃないんだぞ! 砕け散ったって面白いことなんかあるもんか!」


「それならむしろ思ったより中身がなくてがっかりするから適切な表現?」


「砕け散ること前提なのやめてよ!」


「最初から弱腰なのはイチローじゃん。そんな弱腰で突っ込んでも砕け散る以前に、頭ぶつけて痛い思いするだけだよ?」


 いろいろ雁字搦めで既にもう頭が痛い。

 そんな頭を抱える一路だったが、


「はあ、仕方ないな――お姉ちゃんにとっておきの秘策があります」




 ――その結果、何がどうしてこうなったのか。


(この、手のひらに伝わる今やおなじみとなった柔らかな感覚はいったい……)


 もみもみと指を動かしていると、


「ひ……っ、」


 少し上の方から、自分のものではない声が聞こえてきた。

 なんとなく顔を上げると、そこには。


(多牧さ、ん……!?)


 いったいぜんたいどういうわけか、一路はクラスメイトの多牧まつりを壁に押し付け、その小さな胸に顔を埋めるような格好になっていて――


「まさかのラッキースケベ。やったねイチローっ、思わぬ形でラブコメの王道展開突入だぜ!」


「うわっ、あのっ、ごめん――、」


 慌ててまつりの上から身をどかすも、時すでに遅く。


「うっ、うう、」


 うわぁああああああーん……。


 少女の泣き声が朝の教室に響き渡った。



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