第3話 逝き残された、ということは
そうして迎えた
時間はしんみりと過ぎていった。
式には親類や一路の家族の他に、花与のクラスメイトや友人たちも訪れていた。涙ぐむ例のおっぱいソムリエを見て花与は元気づけようと必死に、懸命に話しかけていたが、誰も彼女の存在に気付くはずもなく、その姿は滑稽で、空しくて、そしてとても哀しかった。
この娘の親だけあって花与の両親は比較的明るく振る舞っていたが、火葬場ではその頑張りも限界に達して、
「――で」
葬式を終えて自宅に帰ってきた一路は制服を脱ぎながら、
「なんで成仏してないの、ハナ姉は」
やっぱりひとの部屋のベッドを占拠している幼馴染みの幽霊に問いかける。
「さあ……? 私にもさっぱり。というか、さっきまであんなにつらそうだったくせに……え? 何? イチローは私に消えてほしいわけ?」
「べ、別にそういうわけじゃないけどさ……。それと、つらそうだったのは胸が苦しかっただけで、」
「悲しみで胸がいっぱいだったんでしょ?」
「今朝になって突然膨らんだこの胸のせいだよ!」
正直なところ、葬式の間中ずっと気が気でなかった。
普通に制服のシャツを着たのでは隠し切れない胸の膨らみがあって、これが周りにバレないかと冷や冷やしっぱなしだった。
一応たすき代わりに包帯をキツく巻いて押さえつけたり、タオルをシャツの中に詰めて全体的に太っているようにしてみるもこれは蒸れるし、やや前屈みになって過ごすも慣れない猫背で腰を痛めるし……。
「……いろいろ、疲れた」
身体も心も、何もかも。
「社会人めいた哀愁を感じさせる重い台詞だね……」
ブレザーを脱ぎ包帯とタオルを外すと、一路は花与に構わずベッドに倒れ込んだ。
「お、おぉう、イチローのくせに大胆じゃん……お姉ちゃんに膝枕してほしいの?」
特に狙ったわけではないが、突っ伏した先にちょうど花与の太ももがあった。とはいえ、膝枕なんてしてもらえるはずもなく、半ばその太ももを通り抜けて埋もれている状態だ。
「僕はもう疲れたよ……」
しかし、これはまだ始まりに過ぎないのだ。
今日は土曜だが、週が明ければ平日、登校しなければならない。今日のようなことをこれから先、学校にいる間はずっと続ける必要があるかと思うと気が滅入って仕方ない。
「ハナ姉はどうして僕にとり憑いたりしたんだよぉ……」
「どうしてだろうねぇ……。ここは実の妹にとり憑くのが順当じゃないかと私も思うよ。けどあの子、お姉ちゃんのお葬式にもかかわらず涙ひとつ見せなかったからなぁ……」
「……まあ仲悪いもんね……。でものんちゃんだって内心じゃ悲しんでるよ……、たぶん」
花与の妹で今年中学三年生になる
(どこかのハナ姉と違って、のんちゃんは大人だからな……)
いろいろ、思うところはあるだろう。
(だって、姉妹なんだから)
残された家族のことを考えると、花与の存在を伝えたいと思ってしまうが――
(仮に信じてもらえても、視えないんじゃどうしようもないよなぁ……)
花与の言葉を代弁することは出来ても……。
「あ」
「うん?」
「そうだ。ハナ姉が成仏しないのはきっと、現世に〝未練〟があるからだ」
「まあ、よく聞く話だけど……」
体を起こしてベッドの上で花与と向き合う。
その身体は今や骨となり灰となり、そして煙となって消え――それでもまだ残るものがある。
そこに意味を求めてしまうのは、いささか都合がよすぎるだろうか。
「僕にとり憑いたのはきっとその未練を解決させるためなんだよ。今のハナ姉は僕以外なにも触れないんだろ? だから代わりに僕に何かさせるためにとり憑いたんだ。だってハナ姉、僕のこと都合よく使える下僕か何かだって思ってるに違いないんだからさ!」
「失礼なって怒ってぶん殴るべきなのか、使われる気満々でいる弟分のことを哀れに思うべきなのか……。とりあえずここはその奉仕の精神を心ゆくまで利用しよう」
「いや、意味もなく使われる気はないからね? 僕はただ……、」
何か未練を残しているのなら、何か、生きている間に成し遂げられなかったことがあるのなら、それを代わりに果たしてあげたいと――そうすることが、喧嘩別れで終わってしまった花与に対する贖罪になるのではないか、と。
(悪いのはハナ姉だし謝ってほしいのはこっちで、別に僕が責任を感じる必要はないんだけど……)
なんにせよ、このわだかまりを解消する最後のチャンスだと思うから。
「ほら、ハナ姉が成仏すれば、この身体も元に戻るかと思って」
「まだ私が原因だと決まってないのにー……」
非現実的な出来事が二つ重ねって起きているのに、それらを結び付けるなという方が無理な話だ。
そして結び付けてみると、ある仮説が生まれる。
(ヒトって脳の思い込みなんかが実際の感覚に影響を及ぼすことがある、みたいなことをテレビで見た。スポーツマンだってその日の気分なんかでパフォーマンスに違いがあるらしいし)
少なくとも、脳や精神が肉体になんらかの変化を及ぼすことは間違いない。
世の中には、過去のトラウマから心を閉ざし喋れなくなったり、目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったりということから、失った肉体の一部が痛むという〝幻肢痛〟といった変わった事例もある。
単純に、嫌いな虫を見つけて恐怖心から肌が粟立つ、鳥肌が立つといった肉体の変化だってあるのだ。
「ハナ姉にとり憑かれたことで、ほら、心霊番組なんかで悪霊とか悪魔にとり憑かれて人が変わったっていうのあるよね、そんな感じで……ハナ姉の影響で僕にも精神的な変調が起きて、それが身体にあらわれてる、とか?」
今度はただのオカルトだけでなく現実的なたとえも持ち出したからか、花与も一笑にはふせないようだった。
「まあそう言われてみれば、女体化したことも納得できる……かなぁ?」
自分の発想というのもあるだろうが、筋は通っているように思える。現実に起こりうるかどうかなんて話は今更だし、ともかくこう考えれば『花与を成仏させる=元の身体に戻る』説を今後の指針に出来る。
「ハナ姉の未練ってやつが、女性の身体じゃないと解決できないものだから僕がこんな目に遭ってる……という考えも出来る」
自分で言ってみて、
(え? それって……そうだよなぁ、ハナ姉、彼氏とかいなかったっぽいし……僕なら死ぬ前にせめて女の子と手くらい繋ぎたいと思う……)
一応、それこそ花与に手を引っ張られたことくらいあるが、それは一路の望むシチュエーションではない。
(――いや待てよ、そうなると僕は女の子としてハナ姉の代わりに、男と……?)
顔が赤くなったり青くなったりする一路を見て花与は首を傾げながら、
「それなら花穏にとり憑くもんじゃない? わざわざ身体の性別変えるなんてミラクル起こすより。私としては、むしろ……」
「むしろ何?」
「イチローにだけ私のことが視えてるってことは……ねえ?」
「な、なんだよ……。お母さんじゃあるまいし、まさか僕のことが気がかりだとでも……?」
「ほら、花穏はしっかりしてるから……他に気がかりといえば」
「僕はハナ姉に心配されるほど――ん? 待てよ。そうだ。原因は僕かもしれない」
「およ?」
どうしてすぐに思いつかなかったのだろう。あるじゃないか、自分たちの間には。
「ハナ姉、謝って」
「……はい?」
「ハナ姉が現世に残した未練、それは僕への謝罪だったんだよ。ハナ姉はずっと、それこそ死後に化けて出てくるほどに後ろめたかったんだ。だからほら、僕に謝れば未練も解消されて成仏できるはずだよ」
「いや、待って。謝るって……何? 私こうなる前にイチローになんかしたっけ?」
「はあ……?」
まさか忘れたとぬかすのか、この人は。
「……去年の春だよ。僕が家に忘れ物して、ハナ姉が僕の中学までそれを届けにきたんだ」
「あー……、」
すると彼女は高校生である自分が中学校に入るのはいかがなものかと理由をつけ、おそらくその場の勢いだろうが、一路に向かってその忘れ物を投げたのだ。
「それが僕の顔面にまさかのクリーンヒット、僕は無様にも鼻血を出して倒れ、それ以降みんなの笑いものさ! お陰で僕の中学最後の一年は惨憺たるものだったよ!」
当時気になっていた女の子からも笑われ、一路はその恥ずかしさや怒りを花与にぶつけ、それからというもの気まずくなって花与を避けるようになったのだ。
「えー、それなら前にちゃんと謝ったじゃん」
「軽くね! 吹けば飛ぶような軽い謝罪だったよ!」
「そのまま笑い飛ばしちゃおうよ。この際だから、水に流してさー」
花与は知らないのだ。
――お前の姉ちゃん、ほんとは男なんじゃねえの?
クラスメイトにそう言われたことが、なんだか恥ずかしく、そして悔しかった。
花与は自分が周りからどう見られているのか、どう思われているのか、そういうことをまったく意識していない。まったく分かっていない。
(馬鹿にされてたのはハナ姉なのに、なんで僕がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ)
もっとひとの気持ちを知ってほしいものだと思う。
「ほんっと、馬鹿は死んでも治らないんだね」
「はあ? 私、馬鹿じゃないし。頭いいし」
「高校受験の時、お嬢様学校を受験して落ちたくせに」
「あ、あれは……面接で落とされたんだよ! こわい先生がいて! テストの方は、まあ、その……」
「のんちゃんも言ってたよ。自分の学力も弁えないで
「なっ、ぬ……うう……! イチローのくせに!」
「痛ぁっ!? ちょっ、この悪霊め! 謝るつもりがないんならどっか行っちゃえ! 誰が未練なんて解消してやるもんか!」
「いいもん別に! 私は自由気ままな余生をエンジョイするもんね!」
「何が余生だよ! ハナ姉の人生はとっくに終わってるよ!」
花与を追い払ってから思い出した。
(ハナ姉どうにかしなきゃ、僕の問題も解決しないんだった……)
その後、一路は花与の機嫌を直そうとぺこぺこ頭を下げる羽目になった。
――その頃。
「おかーさーん、おにーちゃんがなんか変ー。お部屋でひとりでしゃべってるー」
「お兄ちゃんも疲れてるの。今はそっとしておいてあげて、
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