第2話 不思議と生まれるこの想い




「――ほう、つまり、いわゆるこれが〝女体化〟というやつなのだね」


「そう……なるのかな……」


 突然目の前に化けて出てきた幼馴染みにも見てもらって、一路いちろにもようやく状況の整理が出来てきた。


「まとめると――」


 昨夜、少なくとも入浴した時点ではなんともなかったはずの身体が、今になって気付けば女性のそれへと変異していたのだ。


 まずは、胸。触って確かめみたところ、これは魂が抜けたように過ごしたこの数日の怠惰が祟った結果の産物しぼうではなく、間違いなくいわゆる〝おぱーい〟だ。

 クラスに一人や二人、肥満体質な男子がいるが、その脂肪の塊とは見た目からして大きく違う。


(なんというか、形が整っている……)


 ハリがあって適度な弾力があり、小ぶりながらもお茶碗くらいのサイズに盛り上がっている。

 制服のシャツに着替えながら本物の女子である花与はなよにも見てもらったところ、


「これは紛れもない本物のおっぱいだよ。友人と名乗るのも恥ずかしいけど、知り合いの自称おっぱいソムリエも頷くレベルの。私のもこんな感じだし」


「そ、そう……」


 ひとのベッドを占拠する幼馴染みから思わず目をそらしてしまった。


「ところで、下はどうなってるのかなー……なんてことをお姉ちゃんは気になるのですが」


「見せるわけないだろ!」


 上半身ならともかく、なくなってるとはいえそこはさすがに耐えがたい。


「……そのー、そんな一夜で消えてなくなるようなミニマムサイズだったの?」


「う、うるさいな! そういう次元の話じゃないんだよ!」


 服の上からでは分からないが、下半身にあるべきはずの、男性の象徴ともいえるあれは完全に消えている。とれた、とかそういう感じでもなく、完全に別物と化しているのだ。

 つまり、直截的な言い方をするなら、女性器に。


「――それだけでも充分なのに、なんていうか、肌とか髪の質みたいなものも……」


 骨格にも変化があったのか、全体的にスマートになっているような気がする。これは一度全身を鏡で確認してみる必要がありそうだ。


「元から女の子っぽい見た目だったけど、今はいっそう、というか完全に女の子だよね、イチロー」


「うう……」


 泣きたくなる。いったい何がどうなればこんなことになってしまうのだろう?


「何か……変なものでも食べた?」


「そんな覚えはないけど、原因には心当たりがあるんだよ、僕」


「短冊に『女の子になりたい』って書いたとか?」


「ハナ姉のせいだ、絶対」


 断言できる。

 直近で起こった異変でまず思い浮かぶのはこの幼馴染み、未田花与の死。そしてその時間、搬送中か病院にいたはずの彼女と遭遇したこと――


「さすがにこじつけじゃない?」


「これは死んだハナ姉の呪いだ! それ以外にこんな怪奇現象が起こる理由が思いつかない! ハナ姉が僕にとり憑いてるんだ!」


「とり憑いてることは否定できない……」


「ほら、こういう話よくあるじゃないか。なんだか肩が重いと思ってたら、実はそこに霊がとり憑いてたってやつ! 霊障っていうんだっけ? とり憑かれたせいで身体に異変が起こってるんだよっ」


「そう言われても、私だって好きで死んだわけじゃないし……なんでイチローにとり憑いてるのかもさっぱり……」


「…………、」


 こちらもそう言われると、返す言葉に詰まる。

 そもそも、この状況はなんだ。


(死んだはずのハナ姉と普通に話してるって)


 我ながら頭のおかしい話だと思う。


 ――体の異変を確認しようとして窓に近付いたら、その向こうに彼女が浮かんでいた。

 死んだはずの、幼馴染みが。

 驚きはしたものの、思いのほかあっさりと受け入れることが出来た。

 だって、身体が女性化してるなんて異常事態よりも、これまで一緒に過ごしてきた幼馴染みと話していることの方がよっぽど現実らしい。


 花与が死んだなんて、未だに信じられない。

 混乱しているのもあったのだろうが、だからこそ突然部屋の窓をすり抜けて入ってきた花与の存在も受け容れることが出来たのだ。


「ところで……ハナ姉、これまでどうしてたわけ……?」


 あの日に出くわして以来、今日この日この瞬間という絶妙なタイミングまで一切姿を見せなかったというのに。これまでいったいどうしていたのだろう。

 気になってたずねると、


「まあ、うん、そうだね。私もいろいろ、最初は混乱してたんだけど――」




 ――当初は、死んだ自覚がなかったらしい。


 車にぶつかって多少すりむいた程度だと思っていて、去っていった車に対する怒りを持て余しながら帰路に着いた。一路と出くわしたのはその道中だったようだ。


「家に帰ったら誰もいなくてさ。夜遅くに帰ってきたと思ったら、こう……なんか、泣いてるし、話しかけても反応ないし……」


 家族の会話の内容から、自分の置かれている状況を察したという。

 歩道に乗り上げてきた車にぶつかって倒れ、それを目撃していた通行人が救急車を呼んだらしい。搬送中に家族へ連絡しようとして、意識が途絶えた。花与の母親はその時ちょうど一路の母・はじめと一緒で、それで一路にも話が届いたのだ。


 花与はその後、病院で息を引き取った。

 警察の話だと、ひき逃げ犯は飲酒運転をしており、花与とぶつかった後にまた別の事故を起こして捕まったそうだ。


「それで……まあ、落ち着いてからは、いろいろ、幽霊らしく空とか飛んだりして街の中を巡ってたんだよね。いやあ、驚きと発見の連続だったよ。映画とか舞台とかタダで観られるし、彼氏いないって言ってた友達がすんごいブラコンだったり、あのお嬢様学校にほんとにおほほほって笑うお嬢様口調の子とかいて……目の前で騒いでても誰も私に気付かないし、何やっても自由っていうか……」


 最初こそ明るく振る舞っていたが、一路はすぐに花与が無理をしているのだと気付かされた。


「これがいわゆる肉体からの解放ってやつなのかと……あははは……」


「……ハナ姉」


 床に座っている一路には、ベッドの上で顔を俯ける花与の表情はその前髪に隠れて窺えなかったが。


 なんとなく、向こうが透けて見えそうな花与の身体に手を伸ばした。

 指先でつっついてみて、すぐにひっこめた。


「――て! しんみりしてるかと思ったら、ひとを動物のうんこか死体みたいに突っつくなアホ!」


「痛ぁっ!? あれ!? 何!? 僕が今さわった時はすり抜けたのに! なんか頭が痛いんですけど!? 殴られた? もしかして僕いま幽霊に殴られたッ?」


「おりょ……? たしかに殴った感触が。試しにもう一回」


「いったぁっ!?」


 平手だったのでさっきよりはマシだったが、確かに今、頭をはたかれた。その証拠に一路は床に顔面を打ち付けて二重に苦しんでいる。


「さすがイチロー……昔からいじられ体質だねぇ。とり憑いてるだけあって、イチローだけは殴れるみたい。今日までなんにもさわれなかったのに。せっかくいつまでも本屋さん居座れるかと思ったらページめくれないわマンガ手に取れないわでほんと生き地獄だったのに」


「生き地獄も何も死んでんだけどね、ハナ姉は」


 床を這って距離をとりながら、一路は改めて花与を見上げる。


「ていうか、なんでうちに来たわけ?」


「そりゃあ、誰も私に気付かないから。やることもなくなって、自分の部屋でしんみりしてたら……」


 花与が視線を動かした先には窓があり、その向こうには花与の自宅、そしてカーテンに閉ざされた彼女の自室がある。


「そういえば窓のカギ壊れたままだったなぁ、とか、イチローには私のことが視えてたなぁ、とか思い出して」


「僕の存在はだいぶ後になって思い出されたわけですかそうですか」


「いや、その……」


 言いづらそうにしながら、


「今日、お葬式らしいし? 身体なくなっちゃったら、今度こそ死んじゃうっていうか、消えちゃうのかなって思ったら……まあ、会っといた方がいいのかなぁ……とか思って」


「…………、」


 お互いにいろいろあって、その混乱に助けられる形で気兼ねなく話せているものの……もともと、ちょっとした喧嘩状態にあったのだ。


(そりゃぁ、会いづらいか……)


 今日が本当に最後かもしれないという理由がなければ、自分が花与の立場でも会いにいくことは出来なかっただろう。


(お葬式、か……。そうだ、今日が、最後なんだ)


 だから一路は喪服代わりに制服に着替えているし、階下の家族も今頃その準備をしているはずだ。


 今日は未田いまだ花与の葬式がある。

 別れを済ませれば、その身体は火葬場へと運ばれる。


(身体がなくなっちゃったら、か)


 そうしたら、今目の前にいる、自分にしか視えない彼女もまた消えてしまうのだろうか。

 生きてる間はひとを引っ張り回す傍若無人だし傍迷惑な暴君で、死んでるくせに化けて現れたかと思えばすぐに手が出るところは変わらない厄介な幼馴染みなのに。


 寂しいな、と。

 少しだけ、思った。



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