第1話 前編

 第三回京都アカデミー看護師国家試験模擬試験、一万八千五百六十二人中、六百八十位。学校内順位百五人中一位。総合評価Aa判定。


 そう記された成績表を眺め、私は喜びと嬉しさと優越感に浸る。自然に零れ出る笑みは最早抑えようがなかった。学校内とはいえ一位は一位。ひっそりとトイレの個室へと移動し、にやりと微笑み順位部分をアイフォンで撮影する。日頃気苦労ばかりかけている小豆島にお住いの両親も、この結果を見ればさぞや安心してくださるであろう。ニヤニヤと今も納まらない笑みを顔面いっぱいに表現しながら写真を両親へ送信する。上機嫌ついでにもう一件、主婦のごとく掃除機をかけている我が愛キメラ、ポチにも送って差し上げよう。送信すると、数十秒後に彼から返信が来た。


『おめでとう。帰りに卵買ってきて』


 あまりにそっけなさすぎる反応に、私は自分の顔が一瞬で真顔に戻るのを感じた。そうだ。何を浮かれていたのか。一位を獲ったとしても当日合格できなければなんの意味もないではないか。

 卵、買い忘れないようにしないとなぁ。

 私はらくがきアプリを起動し『卵』と記すと、その画像をそのまま待ち受けにした。

 さて、そろそろトイレから出よう。冷静に考えればうら若き女子がトイレでニヤニヤしながら引きこもるという絵面は中々きついものがある。

 帰ろう。今日はこの後講義もない。。

 深くため息をついてトイレから出ると、そこには煌びやかな服装に身を包んだ化粧の濃い女子集団が並んでいる。混ざり合う香水の香りに眉を寄せ、私は速やかに手を洗い、女子集団を華麗に避ける。すると、何者かに鞄を引っ張られ、強制的に引き留められた。一体誰だ。バスが行ってしまうであろう。文句の一つでも言ってやろうとその方向を振り返ると、そこには見覚えのある女子生徒が立っていた。黒髪のショートボブに濃い化粧、白のカットソーにゼブラ柄のショートパンツに身を包んだ派手な印象の女子は、確か同じ学部かつ同じ学年の月原美亜子。通称ツッキー。半年間同じグループで実習しただけの関係だが、同じアニメを見ていたことをきっかけにたまに話すようになった程度の関係だ。ツッキーの隣には、彼女の友人の花宮優樹菜が控えている。彼女はツッキーのように派手な外見ではなく、花柄のワンピースに白いカーディガンと清楚な服装の綺麗系の女子生徒である。

「あぁ、ツッキーと花宮さん。おつかれ」

 私が挨拶すると、ツッキーは「おつかれ」と満足そうに笑みを浮かべ、花宮さんも「おつかれ」と穏やかに微笑んだ。

「いーちゃん、もう帰るの?」

「まぁ、用事ないし」

「お茶行こうよ」

 なんということか、この大事な時期にカフェで女子トークに興じようなどとは。思い返せばこの娘、成績優秀で実習中も「私は挫折を知らない」などと豪語して数々の課題を楽々クリアしていた。国家試験など余裕ということであろう。

 まぁしかし、今回は私の方が成績は上だったようだが。

 再びにやけそうになる顔を必死に真顔に戻しながら、『お茶』に行くかどうかを考える。次の模試まで一か月近く余裕があるため、別に今日くらいお茶へ行くのは構わないのだが、いかんせん、先ほどポチから任命された『卵を買いに行く』という使命がある。

 ――まぁ、卵くらい多少遅くなっても大丈夫だろう。

 それに、よく考えればツッキーとは、実習の打ち上げくらいしか学校以外での付き合いがなかった。今日の日付は十一月七日。残り少ない学校生活、これもいい機会かもしれない。

「あぁ、うん。いいよ」

 軽い気持ちで頷くと、ツッキーは花宮さんと顔を見合わせると「え、まじで?」と心底驚いた顔をした。人を誘っておいてなんなんだ、この反応は。少しばかり不愉快さを感じていると、ツッキーは嬉しそうにニヤニヤと笑い「じゃあ、外で待ってて」と言ってトイレへと消えていく。笑みの理由を聞こうと花宮さんに視線を向けるが、花宮さんも「またあとでね」と微笑み、別の個室へと消えていった。一体なんなのだ。胸の奥がもやもやとするが、彼女たちがトイレへ消えてしまった以上どうしようもない。

 とりあえず、帰りが遅くなることをポチに連絡しないといけない。私はアイフォンを操作してポチの番号をプッシュし、耳に充てる。

『もしもし、伊周?』

 小さな雑音と共にポチの声が聞こえる。テレビでも見ながら電話しているのか、少し声が聞き取りづらかった。

「あぁ、ポチ? 今日お茶しに行くことになったから遅くなるかも。あ、卵は遅くなってもいい?」

『別にそれはいいけど。友達と?』

「友達というか、まぁ、同じ学部の人と」

『同じ学部?』ポチは怪訝そうな声でそう問い返す。『伊周、友達いたの?』

 失礼極まりない反応ではあるが、実際に同じ学部に友達と呼べる人間は著しく乏しいので何も言えない。

「同じ実習グループだった人だよ」

『ふぅん。そっか、息抜き楽しんできてね』

 そう明るく頷くと、ポチはそそくさと電源を切る。やはりテレビでも見ながら話をしていたのか。タイミングが悪かったなと思いながら、私はアイフォンをしまい、外へと出た。


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