化け物の街
@ume1116
プロローグ
机の上で鈍い音を鳴らしながらアイフォンが震える。画面の方へと目を向けると、新着メッセージの知らせが一件、表示されていた。私、
帰ろう。
私はカーキ色の薄手のコートを羽織り、大学の図書館を後にする。十一月の空気は少々肌寒い。コンビニによって暖かいものでも買おうか。いいや、そんなことをしている間にいやしい差出人にカレーライスをすべて平らげられてしまいそうだ。早く帰ろう。そう決意して校門をくぐったその時だった。何かが肩にぶつかった。きっと通行人と接触してしまったのだろう。謝ろうと、その方向へと目を向けた。
そこにいたのはウサギの耳をはやした、十代半ば頃の人型の雌がいた。ウサギ耳の雌は、首にしっかりと首輪を嵌められ、白いロリータの服に身を包んでいる。彼女は申し訳なさそうな顔をしながら「ゴメンナサイ」とたどたどしい言葉を発した。私は会釈をすると、彼女の首輪から伸びる鎖の先、おそらく飼い主であろう中年の男性を見上げる。赤いチェックのワイシャツは私が今コートの下に着用していると全く同じものだ。中年男性とファッションセンスが被ったという事実は、うら若き大学四年生の女子として。なかなかショックな事柄だっだ。私は小さくため息をつくと、小さく欠伸をして駅へと向かう。私が通う大学の最寄駅はこの地域では比較的大きな駅であり、人通りが多い。ため息をつきながら私は次から次へと反対側から向かってくる人々の群れを避けて歩く。まったく、人混みというのはどうしてこうも煩わしいのか。早く帰ってしまおう。『キメラと共に友になる世界を』という三流お笑い芸人も凍りつくセンスの見出しが書かれたチラシを配る鹿の角を持つ雌の手を避け、やかましい騒音で演説を繰り広げる、鹿の雌と全く同じワンピースを身にまとった女性の声に顔をしかめながら、私は駅のホームに向かった。
『獣耳を持つ人型の生き物、《キメラ》。私達人間は彼らに首葉を嵌めて従えて来ました。でも、今こそ、その考えを改める時が来たのです。
キメラは人間です。我々と同じ心を持つ対等な存在なのです。分かり合えるのです。
キメラに解放を。キメラと手と手を取り合い『友』として共に笑いあえる世界を』
***
「おかえり」
帰宅すると、笑顔で我が家の『ペット』、ポチが穏やかにほほ笑んで出迎えてくれた。犬型の雄である彼は、黒い毛並みの垂れた耳に反して白いショートボブの髪をしている。女性的な顔立ちの彼は、無邪気に笑いながら、パタパタと黒い艶やかな毛並みの平べったい垂れた耳を揺らしてこちらに歩み寄ってくる。その愛らしい姿に愛しさを感じ、私は彼の頭を撫でながら「ただいま」と返す。何度触っても素晴らしいさわり心地だ。
「ずいぶん遅かったね。国家試験の勉強? 看護師さんも大変だね」
「まだ看護師じゃないよ。それに勉強してればいいだけだからね。実習に行かされてた時に比べればずっといい」
「あの時は大変だったもんね。あ、そうだ。カレー温めてくるよ」
はは、と苦笑いをしながらポチは台所へかけていく。私はパンプスとコートを脱ぐとリビングへと向かい、ソファに腰を掛け、テレビを眺める。液晶画面の向こうでは最近流行りのアイドルがニコニコと愛想笑いを浮かべて熊耳の雄と、デレェと鼻の下を伸ばしている青年にマイクを向けている。
「あ、それ。可愛いキメラ特集なんだよ」
いつのまにか背後に立っていたポチの声に驚きビクリと身を震わせる。
「脅かさないでよ」
「ごめんごめん。ホラ、カレー温まったよ」
そう言うポチから私はカレーが入った皿を受け取る。ホカホカと湯気の立つカレーをかき混ぜながら「キメラ特集ねぇ」と呟く。
「そんなのよりアニメ見たいんだけど。夕方録画してたやつ」
「そんなのって何さ。キメラ的には可愛さを追求するために見ておかなければならない大事な番組だよ?」
眉を吊り上げて憤慨するポチに私は「えー」とリモコンを手に取り強制的に録画再生ボタンを押しDVDを起動させる。
「あ、何するの。もう。勝手だなぁ」
「あんなの見なくても、ポチは世界一可愛いよ。……あ、そうそう。そういや最近可愛いキメラ増えたね。駅でも結構たくさん見かけたよ」
「話を逸らしたね、今」
深いため息をつくとポチは私の隣に座りテレビに目を向ける。どうやらテレビチャンネル主導権はあきらめたらしい。
「で、どんな子がいたの?」
「あー、なんだったかな。ウサギとか鹿とか……。あ、鹿の子が演説を手伝わされていたよ。なんか飼い主とおそろいの服着てさ」
「ふぅん。選挙ってまだ先だよね。なんの演説をしていたの?」
「さぁ、なんだったかな」
私はなんとなく遠くに目をやり、先ほどの女性の演説の内容を思い出そうとするが、全く思い出せなかった。確か、友達がどうとかこうとか言っていた気がするが、具体的な内容は思い出せない。忘れるということは大した内容ではないのだろう。私はカレーをスプーンで掬った。
「たぶん、くだらないことだよ」
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