第10話

二年三組に向かって廊下を歩いていたとき、比空は自分の考えを述べた。

「わたし、実は久住佑が一番怪しいと思ってるの」

「なんでだ? 知り合いか?」

「ううん。話したことは全然ないけど、こう、態度とか視線とか見てたらそう感じるの」

「あやふやだな。もっと具体的にないのか?」

「あるよ。奥苗、プールの授業とかのとき、久住くんがどんな目で女子のこと見てるか知ってる?」

「いや、気にしたことねーな」

「久住くんって結構サボり癖があって、たまに授業とか勝手に抜け出したりしてるんだけど、プールの授業だけは絶対に休まないの。そんでビート板胸に抱えてぷかぷか浮きながらじーっと女子のこと見てるの。その目がいやらしくて、ねっとりとしてて、気持ちが悪い」

 比空は自分の胸を抱いて身震いしてみせた。

 そんな奴がいたのか。同じクラスだけど全然気づかなかった。

「比空も見られたりするのか?」

 そうだとするなら、なんとなく久住に敵意を抱いてしまいそうだ。

「ううん。見られない。なんでだろうね」

 小首を傾げる比空。比空の体型を見る。欠点があるようには見えないが、久住の好奇心をくすぐるものがないのだろうか。

 二年三組の教室に入る。

 ほとんどの生徒が昼食を終えていて、教室の中に残っている生徒は小さなグループをいくつかつくって談笑していた。視線を巡らせる。久住佑は窓の枠に寄りかかって、外に身を乗り出していた。グランドを眺めているのかもしれない。

「おれが一人で行くか?」

「ううん。同じクラスだし、わたしも一緒に行く」

 近づいて、比空は久住佑の背に声を掛ける。

「あの、ちょっといいかな?」

 久住は頭をよじってこちらを見る。

 短く切り揃えられた髪に、鋭い目つき。普通にしていても相手に威圧感を与える顔立ちだった。

 久住は比空の顔を認めると、またかというようにため息をついた。

「なに? プールの時間にじろじろ見てたことで文句でも言いに来たの?」

 小馬鹿にするような口調。

 比空は目を丸くしていた。どうやら比空が気づかなかっただけで、久住佑はプールの授業中に比空を見ていたようだ。

「おい。誰に許可もらって見てんだよ」奥苗は威圧的に言い寄る。

「少なくともお前以外の誰かだよ」久住が言い返してくる。

「はいはい。言い争いは一度置いといて」比空が奥苗と久住の間に入った。「それよりも訊きたいことがあるんだけど、いま大丈夫?」

 久住は少し警戒するように身を引いた。

「まあ、大丈夫だけど」

 久住は目で奥苗に質問するよう促す。

「あのさ、後輩の綾瀬真麻のブルマに触ったことあるか?」

「なっ」驚きの声を上げたのは比空だった。

 責めるような目でこちらを見てくる。どうやら少し直球過ぎてしまったようだ。

「綾瀬、真麻か」

 久住は奥苗と比空を交互に見る。

 その態度は不自然なほどに落ち着いていた。久住は不審そうに奥苗たちを見る。

「お前らなんだ? 綾瀬の友だちとかか?」

 妙に親しげな物言いの久住。

「いや、そういうわけじゃないんだけど、わたしたちちょっと綾瀬さんに頼まれごとしてて」

「ふーん」久住は疑うような視線を比空に向ける。そして再び窓の外に顔を向けてしまった。「知らないな。綾瀬のブルマなんて。触ったことないし」

「おい。嘘つくんじゃねーよ」

 奥苗は久住の肩をつかんだ。

 明らかな嘘だ。比空の能力は間違えない。

 久住が奥苗の手を強く払い落とす。

「ちょっと。やめなよ」

 比空が制するように言う。

 久住は敵意を表すように奥苗と比空を睨んだ。

「もう行ってくれよ。これ以上話すことはないんだから」

 奥苗と比空は互いを見たあと、その場から離れた。

 教室の外に出て、廊下の隅で話し合う。

「あいつ、嘘ついてたな」

「そうね」

「この状況で嘘つく理由なんか多くはないよな」

「うん。久住くんはやっぱり怪しいね。綾瀬ちゃんの名前を親しげに言ってたことも変だった。後輩だし、接点なんかないはずなのに」

「あいつがブルマとか、他の人の下着を切ったってことか?」

「ストーカーは相手のことを親しげに話すっていうしね。とりあえず現時点では一番疑わしい」

「まだ続くだろうしな」

 比空はなにが、と言いたげにきょとんとした顔になる。

「下着がハサミで切られることがだよ。七王国だろ。っで、ブルマと縦縞が切られた。あと五つある。動物柄と純白とTバックと紐パンとノーパンだ」

 比空の表情が険しくなる。

「そっか。なんとしても防ぎたいね」

「……防ぐってどうするつもりだ? 女子生徒全員のパンツの柄でも訊くつもりか?」

「うーん。それは無理だろうね。履くパンツの種類ってのは一日一日変わるから」

「じゃあ、どうするつもりなんだよ?」奥苗の声はやや荒くなる。

 自分たちは警察でもなんでもない、ただの高校生だ。現場検証ができるわけでも、有益な情報がどこからか突然に沸いてくるわけでもない。持ち合わせているのは、相談部を訪れた生徒からの情報と、比空の能力ぐらいだ。この二つで今まで起こった事件を解決させることなんてできるわけない。

「それは今から考えるよ」

 真剣な表情の比空。奥苗は空いていた廊下の窓から校舎の外を眺める。グランドとは反対方向なので、民家やマンションが建ち並んでいるのが見えた。

「もう十分だろ」

「どうしたの?」

「これ以上はおれたちがすることじゃないってことだよ。教師に伝えに行くからな」

 比空は奥苗のワイシャツを強く掴む。

「それはだめだって言ってるじゃん」

「聞き込みもやった。犯人も絞れた。これから傷つけられるかもしんねー、下着もわかった。十分だろ」

「相談部に相談されたことだよ? 相談は聞くことだけじゃなくて、相談者の悩みがなくなって初めて終わりだよ。それに、もし先生たちに言ったら、綾瀬ちゃんとか被害にあった子たちの下着が傷つけられたことが先生たちに知られるんだよ?」

 比空の訴えるような瞳。

「きっと先生たち詳しく訊くよ。どんな下着だとか、どうしてそんなことになったのかとか。もしかしたら帰りのホームルームとか全校集会で扱われるかもしれない。その時、綾瀬ちゃんたちがどう感じるかわかるでしょ?」

「わかんねーわけじゃねーけど」

「なんで先生たちに相談せずに、わたしたちのところに来たのかちゃんと考えてよ」

 比空の言うことを理解はできた。けれど比空の気持ちに共感することはできなかった。

 なぜ自分の助言を比空が受け入れてくれないのかわからない。なぜ奥苗の意見よりも、この間知り合ったばかりの子の相談を大切に思うのか納得できない。

「おれはやらねーぞ」奥苗は吐き捨てた。

「なんでさ?」

「何度も言ってるだろ。おれたちがすることじゃねーよ」

「……なら、勝手にすればいいよ。そもそも一緒にやって欲しいなんて頼んだ覚えない! だいたい、そうやって投げ出すなら、最初っから相談受けないでよ!」

 比空は強い口調で言い返してきた。

「じゃあ、勝手にしろよ」

 奥苗は比空に背を向ける。

「やりたいなら一人でやれ。おれはやらねーよ。比空と一緒にやって面倒なことに巻き込まれんのはごめんだ」

 怒りがそのまま言葉として口をついて出る。

 比空の顔を見ることができない。奥苗はそのまま足を進める。反論が返ってくると思ったが、比空は何も言わなかった。

 午後の授業が始まる。

 奥苗は横を向いて前の座席に座っている比空が目に入らないようにした。

 放課後、比空が振り向いて口を開こうとする。

「おれ、帰るからな」

 比空は口をつぐむ。奥苗は足早に教室を出て、一人で帰路についた。

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