祝福の風の匂いは甘く 05

 塔の最上階、この城で空に最も近い場所。そこでアビスは眠っていた。

 そこは四角い部屋だった。塔自体は正円の形をしており、その中を四辺で切り取って最も大きな正方形を形作っている。大理石を積んで作られた床や壁は磨き抜かれてまるで鏡のようだった。そこかしこに張り巡らされた幾重もの布を編んだ綱がその壁に映り込み、部屋の広さを錯覚してしまいそうな光景を作り出している。

 部屋の奥に設えられた祭壇の上で彼女は眠っていた。部屋中に張られた綱は蜘蛛の巣のようにその祭壇に収束しており、彼女の身体は絡み付いて中空に固定されている。まるで羽化直前の繭のようにも見えた。

 アビスは瞼をおろし、子供のように穏やかな顔をして眠っている。世界を胎内と認識し、そこに死者を産み落としていた彼女が、胎内をたゆたう仔のように静かに眠りにつくことは稀だ。

 眠り続ける彼女を見つめ続ける男がいる。疲れ切った顔に、ぎらぎらとした欲望だけを残し、ぶつぶつと「もう少しだ、もう少しだ」と繰り返している。

「早く私のもとに戻ってこい――ディオサ……!!」

 変わり果てた、いや本性を現したラービーナ・ニウィスの王が、狂喜の入り混じった哄笑をあげた。



 想像するならば、土竜の手だろうか。五本の指には大きく尖った爪があり、指の間に水かきがあるから一つの大きなスコップのようにも扱える。先端の爪で固い土を崩し、手の平で土を後ろに掻き出す。

「ドリルで問答無用に進んでいったほうが早いとは思うのですが、崩落の危険もありますしね」

「そうね、最悪私は死なないけど、貴方が死んでしまったらそこでおしまいだもの」

 フォルトとディオサの声が、人一人がやっと通れるトンネルの中でくぐもって響く。

「まさか、地中から城に入ろうだなんて、考えてもみませんでした」

 フォルトはそう苦笑しながら、慎重に、だが効率的に土を掻き出し前に進んでいく。

そう、ディオサがフォルトに提案したのは、地中からの侵入。フォルトの砂鉄操作の真骨頂、土木作業によるトンネル作りだった。城に一番近い公園の花壇から掘り始め、すでに王城の真下に入りこんでいる。

「風祭の塔は城の奥、城壁に近いところよ。もう少し頑張って」

「はい」

湿度は高く空気も薄い。最低限の浅い呼吸でやりくりしながらの作業は容赦なくフォルトの体力を削っていった。偶に大きな岩に行き当たってしまって迂回したり、空洞が存在しているところを最小限の振動で突き崩したりと、作業には神経も使うので、疲労はいつもの比ではなかった。油断すればトンネル自体が崩れ、生き埋めになってしまう。

「駄目だ――少し朦朧としてきました。休憩します」

 トンネル内にフォルトは蹲り、浅い呼吸を繰り返す。壁に背を預けるのも憚られて三角座りをして膝の間に頭を埋めていると、そっと肩を抱かれディオサの柔らかな膝に頭を置くよう促された。

「そんな縮こまってたら、もっと疲れてしまうわよ」

 一国の姫君だった亡者に膝枕をされてフォルトは動揺するが、ここで暴れても危険なだけだ。冷たい死者の肌に身を預けていると、次第に呼吸が楽になった。僅かに空気の流れを感じる。トンネルの入り口からディオサに向けて、ゆるやかに風が吹いているようだった。

「これは、ディオサ姫が?」

「一応まだ能力は残っているわ」

 さっきからずっと空気をトンネル内に引き込んでくれていたらしい。

「一応、ですか?」

「ええ。停滞する死者と流動的な風はどうやら相性が悪いようね、実は、私もう人を害するだけの風を持たないの。父だけしか知らないことなのだけど」

 何故だろう、清々しいほどにディオサは微笑んでいる。

「こんなそよ風程度の力しか残っていなくて、父はいたくショックを受けていたわ。それもあって私を本当に生き返らせることにしたみたい――私にとっては、この位の力で十分なのにね」

 不意に、見上げるディオサの顔が歪む。神出鬼没で飄々としていた彼女の人間らしい表情を見るのは、これで二度目だ。居た堪れなくてフォルトは体を起こす。地中から再び鉄の土竜の手を生み出して再び進みだす。彼女は無言でフォルトの背に続く。

「――ディオサ姫、貴女はなぜ死んでしまったのですか?」

 公式には崩御理由は公開されていない。国葬の際も棺桶の蓋は終始閉じられていたものだから色々な噂が流布したが、最終的に戦の際に負った傷がたたって亡くなったというのが通説だった。だが、遺骸はそもそも入っていなかったのだ。謎は余計に深まる。

「そうね、これから向かう場所にも関係があるし、貴方には聞く権利があるわね」

 その声と同時に、鉄の爪が今までと違う感触を返した。こつり、と固い感触だが岩のような厚さはない。鉄の手のひらで丁寧に目の前を払うと、煉瓦を積まれた壁が現れた。

「あった……!!」

フォルトは壁を壊そうと鉄の手に力を籠めた。

「――私は自殺したのよ」

「――え?」

ディオサの淡々とした告白がその集中を一気に霧散させた。壁の前に立ち尽くして呆然とするフォルトの背にそっとディオサの薄い手の平が添えられる。

「この世界に嫌気がさして、死んだの。よく晴れた日で、雲一つない青空は本当に綺麗だった。首都から少し離れた鈴蘭の群生地で、私が一帯の花を揺らすと人には奏でられないハーモニーが響き渡る、お気に入りの場所。そこで私は自分の能力で、自らの身体をバラバラに引き裂いて自殺した。見届け人はたった一人。私の愛しい騎士、ミレーユだった。葬送のために黒い喪服に身を包んで、私が咲き散る姿を目に焼き付けてくれた」

 ディオサの声につられて、フォルトはその光景を目を閉じて夢想する。ディオサの起こすそよ風が前髪を煽り、まるでその鈴蘭の花畑に立っている気分になった。細い茎に大きくコロンとした白い花が鈴生りに咲いて姫の死を嘆き喜び、真っ赤な血飛沫が青い空の下で、生の最後の謳歌のように羽ばたく。

「そうか――だったら、今の貴女は、さぞ無念でしょうね」

 自らの手で、自らを殺した。ディオサほどの人間がそれを選び取ったならば、きっとそれは正解で、彼女の人生の完成でしかなかったはずだ。それを力欲しさに残った生者共に掻き回されれば、わずらわしいことこの上ないだろう。

「本当よ。それで、全部綺麗に終わるはずだったのに。後はマディスに全部引き継いでもらって、能力に頼らない国に時間をかけて戻っていくと思っていたのに――結局もっと沢山の人を巻き込んで酷いことが起こった。だから、私は王を許さない……さあ、壁を壊して、取り返すの、私も貴方も」

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