祝福の風の匂いは甘く 04
逃げ込んだ先は、橋の下にある工房だった。レンガ積みの頑丈な橋は城下に流れる運河を渡るためのもので、その橋の下には大小いくつもの工房が建ち並んでいる。
「元々自分たち武具職人は、製造技術を他国に盗まれないように、こうして一か所に押し込められてたっす。でも時代は変わって、自分達特殊技能のある職人が商業組合を作って交渉権を主張するようになってからは、逆に国がおいそれとこの橋に介入できないように変わりつつあるっす。策士策に溺れるってやつっすね」
壁中に据え付けられたフックに、片っ端から体中に仕込んでいた工具を引っ掛けながらウィズダムが説明する。
「特に能力者を輩出した貴族階級が工房のパトロンになって庇護してくれるようになってからは、殆ど此処は違う国みたいに扱われてるっす。その位、良い武器は戦力の要になるってことっすね」
工具を下して体が軽くなったのか、大きく伸びをしたウィズダムは気の抜けた猫のような雰囲気を出している。確かにここは安全なのだろう、とフォルトも気を抜きかけた瞬間、ウィズダムがすぽんとツナギまでぬいだものだから慌てて顔を逸らす。
「?どうしたっすか?」
タンクトップにショートパンツという出で立ちになったウィズダムが不思議そうな顔をする。どうしてこうアビスといいウィズダムといい無頓着なのだろう。気を遣う自分のほうがおかしいようにすらフォルトは思えてくる。
「とりあえず騎士様は体を休めてくださいっす。まだ本調子には遠いんっすよね?」
ウィズダムにベッドを勧められるが、さすがに気が引けて小さな仮眠用のソファを借りる。薬を必要とするような傷は大体塞がっているので、横になっていなければいけないわけではない。
だが、傷が完全に治ったところで、アビスを助けられるかどうかフォルトには確信が無かった。弱った自分の姿を、虫篭の虫を観察するような目で見てくるウィズダムに、意を決して声をかける。
「ウィズダリア。知恵を貸してくれないか?」
「はいっす?」
「君は、私に力が欲しくないかと言った――私の答えはイエスだ」
目を閉じると橋の下、水底のさらに下、地中で蠢く砂鉄の気配を感じる。フォルトを守ろうと自走して付き従い、願うだけで砂鉄は鋼鉄となり、刃となり、鎚となる。自己の半身ともいうべき存在に包まれると胎内にいるような安心感があった。地に足を着けていれば少なくとも死ぬことも無いと思っていた。だから、今までこれ以上を望むことも無かった。
「私は――飛ぶことのできない地虫だ。空を見上げることしかできない。鉄は重く、風を捉える翼にはなりえない。剣士としては凡庸で、とても王や大量の衛兵相手に大立ち回りをできる実力は無い。それでも、なんとかアビスを助ける能力が欲しいんだ」
真摯に助力を乞うたにも関わらず、ウィズダリアの反応は酷いものだった。
「はんっ!能力能力能力ぅ?やっぱり能力者なんてそんなもんっすか!才能に溺れて縋って、肝心の場面で砂鉄が届かなぃ?そんな能力を軸に自分の戦闘スタイルを組んでたなんて、馬鹿もいいとこじゃないっすかね」
「――返す言葉も無い。私は、軍に言われるがままに、私の勝てる試合だけをしていればいいと思っていたんだ。だが、どうしても今だけは勝つだけの、いや彼女を助けるだけの力が必要だ」
視線を逸らさないフォルトを睨みつけて、ウィズダリアは壁に飾られていた一際長い刀を握るとフォルトの鼻先へ突き付けた。無骨だが曇り一つない刃の、すぐに業物とわかる一振りだった。ウィズダムは細腕でその長剣をしっかりと支えたまま、滔々と語り出す。
「能力者は才能で戦い、魔術師は知識で戦う、そして剣士は剣技で戦うっす。一昔前の軍人はほとんだ剣士だったのに、ここ数年で能力者の軍人化と、魔術師のシステム化による魔術技師の台頭が著しいっす」
「君は余りそれが気に入らないようだね?」
「自分は亡きゴイル様が使うような、正統派の剣を造ることを矜持としてたっす。だからゴイル様が亡くなったと聞いた時はショックだったし、悔しかったんす!」
ウィズダムの怒りは少々この状況では場違いのようにフォルトには思えた。
「じゃ……じゃあ、その正統派筆頭のマディス王子に君もつけばよかったのでは?」
「近衛騎士隊なんて虫唾が走るっす!曲がりなりにも妃付だったゴイル様の死を、あんな忌み事のように処理した奴等なんて騎士の風上にも置けないっす!」
今は国を二分する派閥争いと、アビスを犠牲にしての禁忌の技による亡者の再誕という火急の事態を対処するために皆が奔走している中で、彼女の難癖のような怒りをぶつけられても困る。だが、フォルトはおおまかにウィズダムの行動の意味を理解しはじめていた。
「でも、天剣は、ギミック満載の、どちらかというと戦闘補助の武器じゃないか」
「自分はだから、だから……この天剣は、今の軍の状態への皮肉をこめて作ったっす」
彼女を突き動かすもの、その衝動。それは拘りだ。
職人としての、絶対に捨てられない拘り――武器造りにおける信念。
愚直なまでのその思想が、彼女を駆り立ててフォルトを助けるに至ったのだ。
「今の剣士の扱いは酷いものっす。一番安定して軍を維持できるのは、研鑽と努力で戦う力が身に付く剣士の存在によるところが大きいのに、下手をすれば一代限りで絶える能力者が現れるたびに軍の編成や武器の形状が変わるんす。自分は魔術師も嫌いっすけど、能力者はもっと嫌いっす」
「手厳しいな。だが否定はしない。私など畑を耕す位が分相応です」
「そんな余裕のあるところもっすよ。ちなみに、魔術師も能力者は大っ嫌いっす。自分達が苦労して会得した知識以上のものを、能力者は術さえ編まずに発現させる。だから、天剣は、能力者撲滅!という見解の一致したマブダチの魔術師と造り上げたものっす」
ウィズダリアが剣先でフォルトの天剣のホルダーに留められていたマニュアルを弾き上げる。放物線を描きマニュアルが彼女の空いた左手に納まった。長剣を床に突き刺すと、なめし革のカバーを剥がし取る。隠されたページがフォルトの目の前で露わになり揺れた。
「これは――?」
「その様子じゃあ、何本か既に天剣を使ってるようっすけど、ちゃんと【虚空】には手を出していないようっすね」
フォルトはホルダーに留まった、光さえも吸い込む黒い柄を無意識の内に触る。
「君が、最後まで使うなと言ったからな」
「賢明っす」
マニュアルをもう用済みとばかりにウィズダムは投げ捨てる。
「あんたらは、能力を手足のように使うっすよね?まるで体の器官の一部のように、どのくらいの力で、どのくらいの範囲でその力を使えるかは、呼吸するのと同じぐらい把握してる――とは、実は自分達は思ってないっす」
「馬鹿な、私の力を私が理解していない?」
「息をするのと同じように、歩くのと同じようになんて、結局理解しているんじゃない、無意識は理解から最も遠い習得方法っすよ」
鼻で笑ってウィズダムがフォルトににじり寄る。
「天剣に込められた魔術は、基本的に認識差異を能力者に起こさせて力の発動の仕方を捻じ曲げる、という理論で編まれたものばっかりっす。【有明】みたいな素直な威力増大型もあるっすけど、【雲翳】とかはまさに誤認型っすね」
「能力の誤認――?」
「そうっす、だからあんたら能力者は単純だって言いたいんす。すぐに誤る。すぐに間違える。そんな“誤認”を続けたら、肝心要の能力はどうなると思うっすか――?」
冷たい技術者の瞳で、まるで自分を実験動物か何かのように観察してくるウィズダム。
「……まさか、そんなことが……」
「――どうなるかを証明してくれる第一号が、騎士様っす」
ウィズダムが口の端を持ち上げて笑う。
「騎士様、良く考えて使ってください――その剣は貴方を窮地から救う力をくれるっす。それと同時に、あなたの大切なものを壊すために自分達が造った剣だということを」
淡紅色の瞳が至近距離でフォルトを覗き込む。
「【虚空】は、この国最強の能力者だった方の能力を基本設計に組み込んで作った、特別な一振りっす。偶然騎士様の能力と相性が良かったからできた、奇跡の剣っす」
「そうそう、だからこそ、私は貴方を選んだのよ」
ゆったりとした声が、唐突に二人の会話に割入った。妙に甘ったるい、不思議となじみのあるトーン。
「誰っす!」
ウィズダムが床に刺した剣の取ろうと振り返った時には、磨き抜かれた剣先が、鏡のように自らの瞳を映し出していた。
「こんばんは、元気してた?」
青い髪をツインテールにしたディオサが、剣を構え微笑んで立っていた。妙に甘い声。まるでアビスの声の成分を溶かし込んだような。溶け合いつつある、と言っていたマディスの言葉がフォルトの頭を過ぎる。
「ディオサ様――!」
「アビスとの魂の同化が急速に進んでいるの。前みたいに好き勝手に蘇えれなくなりつつあるわ。彼女が眠っているときだけ、私は魂の海に戻り自由に動くことができる」
「じゃあアビス様はまだ」
「存在しているわ。残された時間は少ないけど」
不思議な言い回しだった。生きているではなく、存在している。では短い時間の先にあるのは、やはり死ではなく消失なのか。フォルトはソファから立ち上がり声を荒げる。
「そんなことはさせない!アビス様の身体は、アビス様の魂は彼女のものだ!貴女になど渡さない!」
「わかっているわ――それに、私だって、もううんざりなのよ」
ディオサはどこか疲れた口調で言うと、突き付けた剣先で震えているウィズダムに気づいて小首を傾げた。
「い――戦姫……」
「ああ、貴女のことも知っているわ。非能力派で剣技だけを重んじるテイカーの系譜ね?でもその割に、面白い武器も作るじゃない。能力憎しと言いつつ、その才能はどんなジャンルの武具にも発揮されている。特にそこの騎士様の黒い剣なんかとびっきりね」
ディオサの言葉にがたがたと震えるウィズダム。青い髪を揺らして戦姫が剣を下す。
「やあね、怒ってるわけじゃないのよ。むしろ感謝しているわ。あの男――王を倒す一縷の望みを生み出してくれたことに。そして愚かなマディスの暴走が生み出した私の唯一の心残り、死して後に生まれた願いを叶えられる千載一遇のチャンスを与えてくれたことに」
ディオサはつかつかとフォルトの傍まで歩み寄り、その胸倉を掴みあげる。この細腕の何処にこんな力が隠れているのだろう。
「寝ているところ悪いけど、もう出発よ。貴方の力が必要なの」
「戦姫――あなたは一体何を望んでいるんだ?」
「ついて来てくれれば、すべてわかるわ」
じりじりと焼け付くような戦姫の視線には、焦りさえ感じられた。残された時間が少ないもの特有の、決意に満ちた気配。不可解だった。彼女は、もう幾許もしないうちにこの世に蘇生するはずなのに。
「貴方が仕えるべき人も返します。だから、力を貸して――お願い、私にも、あの子を返して」
この言葉が、フォルトの迷いを断ち切った。掴みどころのないディオサ唯一の真実。その声に籠められた誠実な願いは、今自分のぼろぼろの身体を動かす唯一の原動力と同じものだった。
「わかりました。策が、あるんですね?」
ディオサと、ウィズダムがそれぞれ頷く。図らずも二人の助力を得られることになれば、心強いと言えなくもない。
フォルトは痛む体を起こして立ち上がる。
窓から満月が覗き、そこにかかる月暈が淡い虹を空にばら撒いている。万華鏡のようだ、と彼女を思い出す。あの光のように儚いものを掴み取り手にできるだろうか。
胸に湧いた不安を感じたのか、弱点だらけの半身の砂鉄が水底で蠢いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます