祝福の風の匂いは甘く 03
「やっぱり、会ってたんだな。ディオサ様に」
声と同時になだれ込むように甲冑を着込んだ兵隊達が部屋に雪崩れ込んできた。流れる風を刻んだ豪奢な白い鎧は近衛騎士隊のものだ。フォルトは抵抗する暇も無く兵士達に囲まれる。
「ラーストチカでは王直属の兵で、次は近衛騎士隊ですか……ほんと、もてもてですね」
だが、ここは岩盤に覆われた山では無い。ベッドの上でフォルトは薄ら笑いを浮かべる。バーリオルの人間は必ず一階に寝室を置く。砂鉄操作が上階では覚束なかったり、届かなかったりするからだ。
地面の下で砂鉄が今にも飛び出したいと脈打っている。
「シエル、お前は近衛騎士隊(シロアリ)側か」
「……恥ずかしながら」
「まあ、私からしたらどちらも敵には変わり無いがな」
殆ど八つ当たりに近い感情だが、今のフォルトにはどうでもよかった。長年連れ添った戦友が自分から情報を引き出すために見舞いに来た事も、城の中できな臭い権力闘争が勃発していることにもさして興味は無かった。
今フォルトを動かしているのは、熟れた花の匂いを撒き散らして魂を操る、あの万華鏡の瞳を持つ姫への思いだけだ。
「死んだ姫に、どうしてまた皆して固執する?」
「無礼な!姫君に対してその言い草、首を落とすぞ!」
近衛騎士の一人が叫んだ、顔に見覚えがある。城の廊下で絡んできた騎士だ。我が主を腐り姫と蔑称で吐き捨てた人間に言葉遣いで物言われるとは心外だ。
こいつから殺るか。フォルトが射るような視線を向けた時、凛とした声がその場を沈めるように響いた。
「やめておけ――知らぬ者への一方的な叱咤は、滑稽にも映るぞ」
部屋中の視線が声の主へ向けられる。視線を一身に受けることは日常と同義なのだろう、まったくたじろぐ事無くマディス王子はフォルトの前に進み出た。
「こんな粗末な屋敷にまでご足労いただき大変恐縮の至りでございますよ。マディス様」
シエルが驚愕した顔で嫌味を吐くフォルトを見つめる。相手は王族、しかも第一継承者だ。同僚の振る舞いが信じられないもの無理はない。
「先に言っておく。我等が正義だ」
仕様も無い前置きだな、とフォルトは思ったが、信念だけを瞳に宿したマディスは典型的な主人公(ヒーロー)の出で立ちだ。見た目に騙されやがったなシエル、とフォルトは内心で舌打ちした。
「我等王族を守る近衛騎士隊は、王の暴走に対する牽制としての機能を果たすための組織だ」
意外と面倒見がいいのか、淡々とマディスが語りだす。相性問題上フォルトはそのタイプの輩の話の腰を折りたがるのだか、今回ばかりはそうはいかない。
「王の暴走?」
「お前達末端の軍人が一番肌身に感じているだろう……近年の戦争の頻発を。色々な言葉騙しや情報操作で、他国からの進行を受けて迎撃しているだの、応酬で攻め込んでいるだの言っているがそれは嘘だ。近年の戦は、ほぼすべて自国の先制で始まっている」
初めて聞いた話だった。胡乱な顔をするフォルトに向かって「駆り出される側の人間の間隔はその程度か」とマディスは憐れむような視線を向ける。
「そうだ――父上は野心を持ってこのラービーナ・ニヴィスの領土を広げようとしているのだ。国民の意志――いや、大多数が穏健派を占める王族の意志さえも無視してな……その王の暴走のきっかけを作ったのが――姉上、ディオサだったのだ」
そこでマディスが目を伏せた。初めて見せる痛切な表情だった。
「気高く聡明で、戦の才覚があった姉上はたった十歳で初陣を飾られた。そこで発揮された圧倒的な能力は敵将をものの一時間足らずで降伏させるに程のものだったという。その眩いばかりの力に王の目は焼かれてしまったのだ――そして盲目の瞳で夢見たのは、世界さえも手に出来るという、果て亡き欲望」
「ディオサ様は、そんなに強いのか?」
「戦の将としてもずば抜けたものがあった。青い甲冑に身を包み、ヴァルハラから舞い降りた戦乙女を具現化したような姿を現せば、兵の士気も否が応にもあがる――だが、和え上を最強と評する理由はやはり天賦の能力があってこそ。地上最強、それが我が国の戦姫に与えられた揺るぐことのない称号だった」
信仰に近い言葉でディオサを讃えるマディスが、同時に父の娘への妄信を非難するのが滑稽で、フォルトは息を薄く吐いて笑いを逃がす。
「だが戦姫は死んだ。御身がヴァルハラに呼ばれたのでは?」
「黙れ!姉上の思いも知らぬ輩が!」
ついに出たフォルトの悪癖に顔を顰めてシエルが場を取り成そうとする。
「――あはは、だからマディス様。先ほどご自身でも申されたように、彼は何も知らないのですから」
場を和ませるには些か乾燥し過ぎた笑いが逆効果となったのか、いきり立ったマディスに大きく体をシエルは突き飛ばされた。
「ふざけるな!利害ばかりに目を奪われ不義を重ねる臆病な鼠共が!そんな事だから、ヴァローナで取り逃がすことになったのだろう!」
フォルトが冷えた声でマディスを打った。
「――戦場の最前線で、利害を獲らねば肉片になるだけですよ」
好きでフォルトもシエルもこのような体裁を保っている訳ではない。守りたいもの、取り返したいものがある。泥水を啜ってのし上がろうという気概があるからこそ、そうあろうとしているのだ。マディスも落ち着いたのか、いからせていた肩を落とした。
「なら今ここでもその獣のような嗅覚で選択をしろ。我等につけ。妄執に捕らわれた王が行おうとしている、禁忌の秘術を阻止することが、このラービーナ・ニヴィスを救う唯一の手段になるのだ」
「禁忌の秘術――?」
「……換魂の法。お前の大事なお姫様を原料にして、王の信仰する姫を再生する。そんなとんでもない禁術さ」
シエルが口を挟む。まどろっこしく不親切な王子に業を煮やしたのだろう、非常に分かりやすい説明で、だからこそフォルトの受ける衝撃も大きい。シエルが続ける。
「徹頭徹尾すべてディオサ様の為――いや、ディオサ様無しでは果たすことのできない、世界征服と言う野望の為に王が画策していることだ。ディオサ様が亡くなってからの、王のすべてはそこに尽きる。ディオサ様が亡くなった時、その御力に依存していたラービーナ・ニウィスは国が傾くほど戦力を減退させたからだ。その後王がアイビス妃をお連れしてそのポジションを埋めたことで何とか元の体裁を保っているが、軍も、王族も、その事実に表立ってはいないものの危機感もっている。その筆頭がマディス様率いる近衛騎士隊だ――彼等はその刃を尖らせて、王を討つ組織に変化しようとしている」
「いや、お前の言ってること、わからない」
呆然としていて、思わず出たフォルトの言葉は間抜けですらあった。
「父上は、何としてでも姉上を、戦姫をこの世に呼び戻したかった。だから、血眼になってその方法を探し、そして彼の一族の存在を知った。生と死を揺蕩う、世界を別のかたちで捉まえる能力をもつ者の存在を」
「それでアビス様を浚ったのか?ならそれでディオサ様を生き返らせて戦わせれば終わりだろう?そうすれば二度と可愛い姫が死ぬこともない。万々歳です」
フォルトは天上の頂で微笑んでいたアビスを脳裏に浮かべた。彼女は幸福そうだった。何も知らずに、死者に囲まれて、もう失う恐怖などないのだということも知らずに無邪気に。
そんなものじゃ足りなかったんだ、とシエルが顔を歪めた。
「二つ問題があった。一つはディオサ様の遺体が見つかっていなかったこと――フォルト、お前も薄々気づいていたんだろう?神出鬼没の青髪の娘の正体を。そして、どこにでもいるというその悍ましい意味を」
「まさか――戦姫の遺骸は」
「そうだ、姉上の遺骸は、無数に解体され国中に隠されている――それも、姫付きの騎士の手によってな」
国葬は、空の棺で行われたのだ、とマディスは自嘲気味に笑う。
「そしてもう一つの問題は、一時(ひととき)の生き返りなどでは父上の気が済まなかったことだ――父上が望んだのは、戦姫の完全なる復活。再誕だ。ネクロマンシーなどという穢れた術で姉上が使役されることは、どうしても許せなかった」
アビスの力はそんなものじゃない、そう叫びだしたかったが、フォルトは唇を噛んでマディスとシエルを睨みつけた。
「換魂の法はこの世界で最も難しい術と言われている。アイビス様の能力は輿入れした直後、まだまだ未成熟だった」
シエルはフォルトが理解できるよう、殊更ゆっくりと言葉を切るように吐き出す。フォルトはその言葉の意味をすぐに悟り、同時に激昂した。
「……だから――!!だから彼女を戦場に出したのか!!力の使い方を覚えさせるために!!……なんて、そんな理由で……あんまりに酷過ぎるだろう!!」
何という運命の悪戯か。あの天上では死すら彼女の幸福を奪うことはできなかったはずなのに、王は彼女を剥製のような幸せの庭から連れ出して、地上の地獄に叩き落としたのだ。
「そして同時に、アイビス様に国中を巡らせることで、ディオサ様の遺骸を探すための羅針盤の針にもしようとした。そうやって親衛騎士隊(クロアリ)はディオサ様の遺骸を回収していたんだ。近衛騎士隊その動きに気づいて対抗したことで、戦姫の遺骸を巡って、二つの騎士隊の間の対立が決定的なものになった」
「……アビス様はどこまでも置いてきぼりなのだな」
沈みきったフォルトの声を無視してマディスが続ける。
「王宮では、アイビスは姉上の部屋で、姉上の遺品に囲まれながら生活していた。食器さえも姉上の物を使わされていた。本人は気づいていなかったが、四年の月日をかけてその魂は限りなく姉上に肉薄し同化できるように下拵えされていたのだ。徐々に同調している素振りも確認されていた。鏡越しで自らに話しかけるように、あの女が無意識の内に姉上と話しているのを見た時は寒気がしたものだ」
気づけばフォルトの手は痙攣していた。彼自身は気づいていない。だが彼は、その時、心の底から怒っていた。
耳に入ってくるすべての情報が憎かった。自らが仕えていた妃は、この国にすべてを奪われていたのだ。苦境の中でも自らの選択で進もうともがいていたアビスは、その実すべての幸福な未来を閉ざされた上で生かされていたにすぎなかったのだ。
「――じゃあ、アビス様が連れて行かれたということは。準備が整ったということなのですか?」
ラーストチカで集落から包みを抱えてきた兵がいたのを思い出す。そう、あの場所にも青い髪の女、ディオサがいた。ということは、あそこにも遺体の一部があったはずだ。
「王の動きを完全に掌握できているわけではないが、王城の聖域である風見の塔を、祭事の時期でもないのに開錠して何か準備をしているようだ」
「なんだ、場所が分かっているなら話が早い」
起き上がろうとしたフォルトに無数の刃が突き付けられた。フォルトが剣呑な目を向けると、害意はないとばかりにシエルが首を振る。
「風見の塔は何層にもなる高い建造物だ。王はその最上階におられる。王自身も戦姫程ではないとはいえ、風を操る能力者だ。お前は役に立たないよ」
ちっ、と思わず舌打ちが出る。まただ、自分の弱点を易々と突かれ、手も足も出ない。血が滲むほどこぶしを握り締めて、それでもフォルトは弱弱しく口を開く。
「それでも――俺は、アビス様を助けたいんだ……!!」
「なら、入念な準備がいるってもんっすよ!」
真昼の太陽のような明るい声。場違いなその響きにフォルトは呆気にとられて部屋を見渡す。不意をつかれた近衛騎士達もきょろきょろしていると、フォルトのベッドの天蓋が嫌な音を立てて軋み、裂けた。
「ちぃーーーっす!」
勿忘草色の小さな頭が、ぷらんと逆さになってフォルトの眼前に現れた。
「どうっだったっすか~自分の作った剣の出来は?」
緊張感に満ちた場で、場違いににこにこしならが話しかけてくる刀鍛冶の少女――ウィズダリアに、思わず「何度も命を救われたよ」と返してから、はっとしてフォルトは大声をあげる。
「なっ、なんで君が!?」
「へへーん。面白い話、たくさん聞かせてもらったっす♪騎士様、あっ元騎士様っすかね、が腐り姫に手を出した挙句に騎士の任を解かれたって聞いて、お見舞いにきたっすよ」
「それ、お見舞いじゃなくて完全に笑いに来ただけだろう…」
「そうとも言うっすかね」
けらけらとひとしきり笑ってから、不意にウィズダリアは目を細め、大人びた表情で小首を傾げた。
「で、戦う力が欲しいっすか?」
「おいっ、お前ら勝手に話を――」
「なまくら騎士サン達は、黙っててくれないっすか?」
言葉と共に、数本の手裏剣が彼らの足元に突き刺さる。たじろぐ兵士達に冷笑を浴びせ、ウィズダリアは「どうするっす?」とフォルトに手を差し出した。
「決まっているだろう」
その言葉と同時に、床を突き破り地面から無数の鉄柱が生え、フォルトの周りを取り囲んだ。ウィズダリアは満足そうに頷くと天蓋から飛び降り――手に持っていた愛用のトランクを勢いよく開く。
転がり出てきたのは、丸い宝珠、ちょうどフォルトの短剣に装着しているものと同じサイズだ。
「ほんとは武具用に術師さんに籠めてもらったものっすけど、大盤振る舞いっす!」
宝珠が光り輝くと煙幕が部屋中を立ち込め、天上に届くほどの大きさの妖獣が二匹現れた。麒麟だ。鞭のように長い鱗に覆われた固い尾が縦横無尽に振り回して、部屋中を破壊する。誰もが床に伏せ、人ではないものの横暴をやり過ごすしかない。
「こっちっす」
そんな中、ウィズダムがフォルトの手を引いて割れた窓から脱出を図る。兵士たちは暴れる麒麟に釘付けになってそれどころではない。
「待てフォルト!行くな!」
逃げるフォルトの背に、シエルの悲痛なまでの叫びが刺さる。
「俺たち約束しただろう!家の再興のために、何してでも手柄を取ろうって!!馬鹿な上司のために命の綱渡りして、へらへら笑って……それができたのは、お前がいてくれたからだよ!これでうまくやれれば、城の中の権力図が変わる、上手く立ち回れば、俺たちの夢がかなうんだ。だから、だから今度こそ――」
シエルの顔は、泣きそうにも見えた。フォルトはじっとその海のように青い瞳をみつめて、それから悲しそうに笑う。
自分は変わってしまったんだと、痛感する。
「情報提供ありがとう。私はもう行くよ」
有無を言わさない表情でそう言うと、踵を返してその場から去る。
自分の捨てたものと、これから拾いにいくものの重さを無意識に推し量りながら。
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