祝福の風の匂いは甘く 02
「坊ちゃん、お食事はここに置いておきますよ」
「――あぁ、ありがとう」
カーテンの閉め切られた薄暗い自室で、ベッドに横たわるフォルトは力無く部屋を去り行くビーニャに礼を言った。柔らかく煮られた薄味のパン粥が陶器のボウルの中で湯気を上げている。ゆっくりとそれを啜ると胃に温かい感覚が伝わり、同時にじくじくと塞がったばかりの傷が痛んだ。思わずスプーンをシーツの上に取り落とすと、横から手が伸びてそれを拾い上げる。
「食べさせてやろうか?」
砕けた口調で笑いかけ、シエルが悪戯っぽくスプーンを振った。ベッドサイドに置かれた椅子にはここ数日間彼の専用だ。ある意味厚顔だ、とフォルトは思う。他の同僚や元上司はバーリオルの屋敷に全く訪れていない。王の怒りに触れるのが怖いからだ。
王の勅命で騎士の任を外されたフォルトへの風当たりは強い。辛うじて軍人としての権限や、その時に賜ったことになっている勲章は剥奪されていないが、その名誉など泥に埋もれて見えなくなっているに等しい。国中ではこのスキャンダラスな一件に様様な噂が飛び交っており、ある事無い事が流布されて酷いものらしい――とは今日シエルから聞いた話だった。
「命辛々王都へ戻ってみれば……」
フォルトの口の端が歪む。彼に似合わない、獰猛で皮肉な笑い方だった。
「俺としては、お前がのこのこ戻ってきたことに吃驚したがな」
シエルに連絡が入ったのはフェルゼンにフォルトが到着した数日後だった。馬にほとんど引っかかっているだけの状態でフォルトは見つかった。ラーストチカから下山してきたらしいが、フォルトに下山中の記憶は殆ど無い。ただ体中に幾度も落馬したと思しき打ち身の痕や、馬の鞍にしがみ付いて剥がれた爪を見るとやはり自力で下りてきたことだけは確かなようだった。
街の病院で目を覚ましたフォルトはシエルにすぐに連絡し、まだ十分に身体も動かない中で王都までこっそりと運んでもらったのだ。
「せめて傷が治って人の噂が収まるまでは病院にいれば良かったのによ」
シエルの咎めるような口調は心配からきているものだ。こんな状態で王都へ帰還しても心労にたたるだけだと思っているのだ。
「――嫌な予感がするんだ。あそこじゃ情報が入ってこない」
それは、去り際のアビスの言葉や、兵達の彼女への態度に起因するものだった。王都に蠢く闇が、ここにきてアビスに牙を剥こうとしている。ラーストチカの彼女の故郷や、死人達からきいたアビスの能力の成り立ちを知って感じたのは、彼女の力が如何に強大で融通が利かず、かつ危険だということだった。その上で疑問に思うのは、なぜ王がそんな力を欲したのかということだ。
自分が王であったら、絶対にラーストチカの一族には手を出さない。フォルトはそう断言できる。なぜなら危険だからだ。彼女の力は際限なく死者を呼び出して生者を狩ることができる。疲れず、傷付かず、死ぬことのない無限の兵団を、彼女は意のままにとは言わないまでも、ほぼ自分の望みどおりに動かすことができるのだ。彼女自身は死者の魂まで操ることができないと言ってはいるが、モワノーのように要となる人物を一人でも虜にできれば、容易く彼等は彼女に従うだろう。それに彼女は魅力的だ。少なくとも自分が死者だったら必ず力になろう思う。
自国に国一つ吹き飛ばせる爆弾を抱えようなどという酔狂な考えを、何故王が持つに到ったか。それはリスクを負ってでも叶えたい目的があるからに違いない。
「王が国を失う覚悟を持ってでも叶えたい何か……?」
「あ?」
「それを知るために王都まで戻ってきたんだ。シエルは心当たりないのか?王のことで城内で何か噂が立ってるとか」
「城内はお前と腐り姫のスキャンダルで持ち切りだっての……その影で気になる話がぽろぽろあがってんのも事実だけどな」
シエルはビーニャに出してもらった茶を飲んで口を湿らせ、周りに人の気配がないことを確認してから口を開いた。
「近衛騎士隊(シロアリ)と、王の親衛騎士隊(クロアリ)の間で、何か揉め事が起きてるらしい」
「あそこは前から仲悪いだろ」
「それが、今回は様子が違う。人死にもでてるんだと。しかも城内でさ」
「はあ?頭がどうかしたんじゃないのか?」
暗殺と言えば家路に着く時など城下で行うのが常である。城の中で殺すと言うことは、そのまま容疑者を狭める形となり当人達にとって不利益極まりない。
「何が起こっているのかまではわかんねえが、相当切羽詰まったことになってるのは確かだ。なりふり構わずに近衛騎士側が王直属の親衛騎士団に突っかかってるってのが大筋の見立てだと」
「それは、王への反逆に等しいぞ?」
「だから、なりふり構ってねえって言われてんのさ。プチクーデーターだよ」
フォルトは城内で近衛騎士達に詰問された事を思い出す。そういえばあの時は王の部屋の前で彼等に絡まれた。あそこは親衛騎士隊(クロアリ)の縄張りだというのに。
「そうだ――あいつら、青い髪の二十歳ぐらいの娘の事を気にしていた」
そして、アビスの事を蔑みながら、同時にアビスの騎士の座を欲していた。プライドの高い彼等の矛盾した要求を、フォルトはただの嫌がらせだと思っていたが、それ自体が勘違いだったのだ。
彼等は彼等の利益と目的があり、それを得るために動いていたに過ぎなかったのだ。
「青い髪――?この国でそんなに珍しいもんじゃないだろうに」
シエルが鼻を鳴らして眉根を寄せ、それからぽつりと呟く。
「……聞いてきた奴等が近衛騎士っていうなら、一人心当たりはある」
「本当か!?」
「だが――その方は既にこの世にいない」
本来ならそこで話は終わりだろう。だが、ことアビスが関わる事においてはそのルールは通用しない。
「誰なんだ?」
「お前も知ってはいるだろう?五年前に崩御された戦姫、ディオサ様だ」
フォルトの身体が硬直する。ここでまた王族が登場するとは。確かに青い髪と揃いの青い甲冑を身に着け、万の兵士を指揮して戦場を駆け抜けた姫がこの国にはいた。腐り姫とは違う、生粋の勇将として名を馳せた一騎当千の女傑。フォルトも話だけには聞いていたが、いざ青髪の娘と聞いても、五年前に亡くなった姫とは結びつかなかった。
「その、ディオサ姫の顔は?どんな顔をしていた?」
「俺に聞くなよ。肖像画なら城にあるんじゃないか?女傑なんて誉めそやされていたとは思えないほど可憐で美しい方だったとは聞いた事があるよ。城にいるときは足まで届く青い髪を揺らしてよく庭園で花と戯れていて、その姿は天女にも似た姿だったらしい」
枯れ木も花の賑わいと薔薇の花壇に寝転んでいたどこかの主とはえらい違いだ。
「胸は、胸はなかったんじゃないのか?」
素っ頓狂な質問に「それこそ知るかよ」とシエルが呆れ顔でフォルトの額を弾いた。だがフォルトは真剣な表情で考え込んでいる。
「青い髪の姫君……行く先々で出会った青い髪の娘――」
おかしな話だった。どこにでも彼女は居て、それこそ天上の集落にさえも現れて――死者にしても余りにその出現は突飛だ。これではまるで――
「彼女の遺骸がどこにあるかわからない――か?」
驚いてフォルトが顔を上げると、シエルが戦場でするときと同じ、冷たい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます