あなたが愛する玩具の庭は 06
翌日、朝靄の晴れるころに、二人は集落を発った。集落中の住人達が彼女を見送る。掻き集めてきたのだろう、味の薄いお茶と、昨日慌てて作ったのだろう木の実や茸を混ぜたかたいパンを道中の食事にと持たされる。アビスが居ない間、ここはただの無人の廃墟だ。そんな中で彼女を思いやり、できる限りのことをしてやろうとする住人達を見て、フォルトは切ない気持ちになる。
彼等にとっては、アビスがすべてなのだ。
そして、アビスにとっても彼等がすべてなのだ。
いっそ彼等がすべて死人だと言ってしまいたい。フォルトの脳裏にそんな考えが過ぎる。そうすれば彼女が王国に隷属させられる理由はなくなるのだ。
だが、その時彼女は帰る場所も同時に失うことになる。彼女にとって生者と死者の境目は極めて曖昧だが、それでも彼女は生者なのだ。流石に老いること無い死者に囲まれて生き続けることはできない。
それならば結局、部族を守るためという理由を拠り所に、戦う現状を維持するしか無いのだろうか――堂々巡りの思考となり、フォルトはそれ以上考えることを止めた。青い髪の少女が言っていた、知るべきことはあまりに重く、まだフォルトの中では消化しきれない。
一日休んで元気になった馬が軽快に高山を走る。下りなので勢いがつき過ぎないように適度に手綱を操るアビスはさすが山岳民族と言うところなのだろう。危なげが無い。その後ろにフォルトはつく。日が差してくると遮るものの無い岩肌は熱されて途端に地表の気温は上がる。だが一度雲がかかるとすぐにその熱は身を隠してフォルトたちの体温さえも奪っていく。どちらにしろマントは必須なので、集落でもらった鮮やかな紅と芥子色のマントを二人は頭から被っていた。
「これで下ったら、王都に一度連絡を入れないとな」
きっと今頃腐り姫とその騎士の失踪で王都の軍部は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているだろう。腐り姫の戦力は一師団にも匹敵する。ただでさえフォルトのような能力者の台頭で軍の人数編成に不自然な偏りが生じだしている中で、一番大きな力を担うものがいなくなったとなれば現在並行して立てている作戦を根本から組みなおす必要にもなりかねない。
下山後のことで頭を悩ませていたフォルトの耳に入ってきたのは、規則正しく微かに届く、蹄の音だった。
「ん……?」
フォルトは目を凝らし、周りを見渡す。蹄の音は確実に少しずつ大きくなっている。風が吹いて音が揺らいだことで斜面の下から聞こえてくるのだと気づき、その時にはもう追手の姿は視界に入っていた。馬が五頭、その馬上には黒字に翠模様の、王の親衛騎士の服を着た兵士が乗っている。軽量で長さのある槍を携え、荷は少ない。過酷な山の環境の中、無理を押してきたのだろう、みな目が血走り、鬼気迫る様相を呈している。
「アイビス様――――!!」
叫びながら走ってくるその姿は異様ではあったが、妃の、いや軍の要を探し当てたのだから理解できる。フォルトは手を振って無事なことを示し、彼らに近づこうとする。だが、前を行くアビスがぴたりと馬を止めて動かない。
「アビス様?」
「――なんだか、嫌なの」
頑なな背中に不安を覚え、走り寄ってくる兵士たちを見つめる。
急に、親衛騎士の二騎が集団から離れ、山の頂上へと進路を変えた。アビスが血相を変える。
「なんで、僕達のところに行こうとするの!?」
ぶわっと威嚇するように赤黒い奈落が沸き立つ。清廉な空気に満ちたこの高原には似つかわしくないそれが蛇のように二人の兵士へと伸びるが、この赤い闇自体に何らかの力があるわけでもなく、結局霧散して消えてしまう。
「この辺りは死者がいないの……くそっ」
アビスが自ら手綱を捌き親衛騎士を追おうとするが、追いついてきた騎士達に敢え無く進路を阻まれた。
「アイビス妃様、みなどれだけ心配したことか。ささっ、城に帰りましょうぞ」
「なぜ集落に兵をやった!?」
「アイビス様が世話になったのです、礼と報酬を渡さねばなりません」
「僕の故郷だ、侮辱するのもいい加減にしろ!」
アビスが黙々と奈落を生み出し凄むが、一向に死者が蘇る気配はない。この世で死者のいない地があったなんて、とフォルトは驚くと同時に理解する。
アビスの弱点がこんなところで露呈するとは。戦場で無敗を誇るとも、それは文字通り死屍累々を糧に得ている勝利なのだ。今ひとりぼっちの彼女は、ただのか弱い少女でしかない。
赤黒い闇に猫だまし程度の効果しかないとわかると、途端に親衛騎士達は傲慢とも思える態度でアビスを捕らえようとする。
「城で王が首を長くしてお待ちです」
「準備が整ったと、早くアビス様を連れて来いと、強く、それはもう強く王に命じられたのです」
矢継ぎ早に捲し立てながら馬上からアビスの腕を、肩を、しまいには髪を掴まんばかりの兵士たちに、蚊帳の外だったフォルトが声を荒げた。
「アビス様を乱暴に扱うな!その方がやんごとなき方と分かっての狼藉か!?」
フォルトの剣幕に、親衛騎士たちがたじろぐも「お前は下がっていろ」と妃付きの騎士へとは思えない言葉を吐きかけられ、彼らの持つ槍が素早くフォルトの体を貫こうと閃いた。フォルトは馬上で身をよじらせて凶刃を避け、瞬時に親衛騎士達を敵と切り替え、鉄の槍で応戦しようと砂鉄を操作した。
ドゴッッッ――――!!
何かを力いっぱい殴りつけたような鈍い音とともに、地面が揺れ――だが、鉄の槍などどこにも現れない。
「なにっ!?」
地表を覆う分厚い岩盤が、突き出ようともがく砂鉄を嘲笑うかのように押し留め撥ね返す。
「っっ――しまったっ――――!!」
アビスにとって天敵となる地は、自分にとっても天敵だったのだ。ここは岩山、硬い岩盤に阻まれてまったく砂鉄が表出できる隙が無い。フォルトは山に入ってから、今の今まで力を使ってこなかったことを激しく後悔するがもう遅い。槍の穂先を躱すために身を捩ったことでバランスが崩れ、小剣を投擲しようも姿勢に無理がある。体勢を崩したフォルトの脇腹を三の槍が捕らえ、地面にその身体を突き落した。
「ぐっ……!!」
馬から転落した衝撃で立ち上がるのが数秒遅れ、もうその時には自分の首の周りを三本の槍が囲っていた。天剣での魔術補助で砂鉄操作を行おうと動いた両の掌を、さらに槍が地面に縫い留める。フォルトの喉から、自分でも信じられない声量の悲鳴が迸った。
まるで昆虫標本のように槍で大地に固定されたフォルトへ、馬上から親衛騎士の一人が怒鳴りつけた。
「狼藉者はお前の方だ!!お前はすでに騎士の任を王命によって解かれておる。その汚い手でアイビス妃に触るなと、我等の方が言いたいわ!」
高飛車に怒鳴る親衛騎士達を前にして、アビスが固まっている。いつの間にか赤黒い闇も晴れていた。
「フォルトを、殺すのか?」
弱弱しい声音に、親衛騎士達が嫌らしい笑いを浮かべる。同じ軍服を着た親衛騎士達のその顔にフォルトはぞっとする。
「アビス様、こいつらの言うことなど真に受けてはいけません!」
「黙れ騎士の恥晒しがっ!」
際限なく血を垂れ流している腹の傷を石突で突かれ、フォルトが苦悶の表情を浮かべた。首に刃を当てられているので、激しく転がることもできず、震える体のせいで悪戯に首を刃が滑り行く筋もの赤い線が走った。とどめとばかりに右足を槍で貫かれ、フォルトが絶叫をあげる。
「やめろ!これ以上フォルトを痛めつけるな!王妃の命だ!」
「こちらはさらに上の、王命ですが?」
あくまでも譲らない王の親衛騎士たちに、アビスがふっと冷たい目を向けた。戦場で腐り姫として振る舞う時の、怖気を震うような凄然とした仮面を、か弱い少女がそっと被る姿をフォルトはそこに見た。
「では、私は命を懸けよう――この舌をここで噛み切って、死んでもいいの」
真っ赤にぬめる舌を出して凶暴に笑うアビスに、親衛騎士達が初めてたじろいだ。
フォルトは何故か泣きたくなった。どうして誰も気づかないのだ、仮面を被って演じることでしか強さを保てない少女に、なぜ国中の者が騙されているのだ。
「わ、わかりました。こやつはここに捨て置きましょう」
「それじゃあ野垂れ死ぬ。譲歩とは言えないの」
「……馬は置いていきます。アイビス妃の故郷へ戻れば生きながらえることもできるでしょう?」
その瞬間の醜悪な親衛騎士の顔を、フォルトは愕然とした気持ちで見つめていた。
「――わかった」
アビスがゆっくりと口を閉じて頷く。いつもと同じ毅然とした、王妃然とした態度。親衛騎士達ももう乱暴な扱いはせず、黙って馬に跨るアビスを囲むだけに留まる。
「では、ちょうど話がついたところで行きましょうか」
先ほどの二騎が山頂から戻ってくるのを目に止めて、親衛騎士がそう言った。何か入った袋を大事そうに抱えている。戻った二人の騎馬兵にアビスは「僕達に何もしていないな?」と確認した。フォルトは心臓が大きく跳ねる。アビスが去った今、あの集落は元の廃墟に戻っているはずだからだ。思わず視線を戻ってきた兵に向けると、その内一人が異様なほど朗らかに笑って返答する。
「ええ、久々にアビス様に会えて大変嬉しかったと皆笑っておりましたよ」
「……!!」
その言葉を聞いてフォルトは確信した。
こいつらは、すべて知っている。集落が滅んでとうに無くなっていることも、それをアビスが認識していないことも。
危険だ、フォルトの脳内で警告が鳴り響いている。彼女を囲むすべてが歪だった。そしてそこに、軋んで今にも壊れそうなその状態に、強引に箍をはめて自分の望む形に変えようとする人の意志をフォルトは感じていた。
「アビス様……アビス様!!」
縋るような声とともに、フォルトの周囲で岩盤を叩き、擦り、貫こうとする砂鉄の悲鳴にも似た音が響き渡る。だが一向に岩盤が穿たれる気配はない。
これがフォルトの能力の限界点。その無様な姿に侮蔑の視線を向けたまま、親衛騎士達は踵を返した。離れていくアビスの背中を見つめながら、フォルトは声無き声で絶叫する。
伝える勇気もなく、救える力もない。そんな中で心だけががなりたてている。
貴女が彼等に従う必要はない、私のことなど放り出して自由に生きてくれ。
だって、もうあなたが守るべきものなの、何もないのだから。
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