あなたが愛する玩具の庭は 05

 長湯が良かったのか、すっかり疲れの抜けたフォルトが湯屋から出ると、入り口にもこもことした塊が落ちている。近づくとアビスにべったりと一日くっついていた子供達だとわかった。ヴォリュームのある温かな服を着て、身を寄せ合って自分を待っていたらしい。

「こんな夜更けに外に出ては危険だろう。親御さんが心配している」

 フォルトの叱咤に表情一つ変えず、子供たちは無表情で彼を見返した。昼間の快活さは鳴りを潜め、人形ような静謐さを纏う彼等に、フォルトは諦めたかのように首を振る。

「――そんな目で見ないでくれないか。私だって真実を知らないままに事実を彼女につきつけるようなことはしないよ」

 その言葉に三人の子供たちはぱちくりと瞬きをしてお互いを見合って、それからフォルトをもう一度まん丸の目で見つめた。先ほどとは違う、感情の覗く瞳だ。

「本当に?」

「絶対に?」

「命を賭けてでも?」

「もちろんだ。私はアビスの騎士なのだから」

 そう言うと子供たちはまるで眩しいものでも見るようにフォルトに向かって目を細め、それから立ち上がって一人はフォルトの右手を、もう一人は左手を、最後の一人はフォルトの尻を押して歩き出した。

「こっち。じじさまが待ってるの」

 子供たちに一軒の家まで案内される。家の周囲には集落中の人間が集っており、押し合いへしあながら到着したフォルトを見つめてきた。みな子供達が見せたのと同じ無表情で、闇夜の下の現実味の無い光景に、フォルトの心臓は氷を落とし込まれたかのように冷たくなる。

「じじさま、騎士様を連れてきたの」

「おお、ご苦労じゃったの」

 吸い寄せられるかのようにフォルトはその家に入った。中はアビスの家とあまり変わらない。明るい色布で作られた仕切りの向こうに、小さな人影がある。

「よう来なさったの。わしはザワーグ、この集落の大年寄じゃ」

 背中を丸めた小さな老人が、部屋の中央に胡坐を欠いて座っていた。埃で色のくすんだ座布団をフォルトに勧める。視線が痛い。窓の外から、仕切りの影から、集落中の住人たちがフォルトを注視している。床に座ると視線の重みで二度と立ち上がれなくなりそうだ。

「すまんのう、掃除をする時間も満足に無かったのでな」

「お気遣い無く――生き返ったばかりの身体に鞭打って、アビス様を歓迎するだけでも大したものです」

 フォルトの言葉に、老人の皺に隠れた小さな目が鋭く光った。

「ほう。騎士殿、今なんと?」

「――ここは、死者の里。梔子ばかりが咲き誇り、主をもてなしています」

 ざわり、住人たちの視線が、空気が揺れる。まるで予期しない風に花々が震えるように。

「おうおぅ。子供達が騎士殿を殺さずに連れてきたので何かと思えばの」

 どうやら子供達は想定と違う自分の反応に判断がつかず、ザワーグの元へ連れてきたらしい。試されている、そう気付いていたフォルトは膝を突き、ザワーグに向かって頭を垂れた。

「――あなた方からすれば、私はアビス様を奪った憎き国の軍人の一人にしか過ぎぬでしょう。それがこの集落を秘密を知るなど、あなた方には耐え難いことだと存じています。しかしながら、一言だけ、私の首を落とす前に聞いてほしいのです――私は、アビス様の幸福を望んでいます。ラービーナ・ニウィスが彼女に汚辱と侮蔑で固められた冠を与えていることに怒りを覚え、彼女を取り巻く不穏な空気に身を裂かれんばかりの不安を感じています。お願いです、私はアビス様をお守りしたい。その手がかりとなりうる事を、教えてはいただけないでしょうか?」

 フォルトは床を見つめたままそう言い切った。随分と人の手入れが入っていない床は、埃で薄く白くなり、床板の端はカビで黒ずんできている。

 今刃が首を落とすべく降ってきたとしても、決して避けまい。そうじっとフォルトが俯いていると、やがて血管の浮いた老いた手が肩にかけられた。

「ひいさまに尽くす言うことが、どういうことかわかっているかの?」

「……ええ」

「決して自国の王の妻に不貞を働くことがなどという意味ではないぞ。ただの女を想うのとは訳が違う。背負わなくて良いものを背負い、支えきれずばその身もろとも奈落に堕ちていこうの」

「元より承知しています。生きた亡者だった私が、地獄に落ちることをどれほど恐れましょう」

 そっと自らの首を撫でながらフォルトは目を伏せる。歪な傷跡。確かにあの時フォルトは死んだのだ。そして、暗く重たい闇を溺れるように歩き続けてアビスに救われた。

 その手は、その身は腐ってなどいなかった、甘い匂いを放ち黄泉と現世の境をまるでステップでも踏むように軽やかに行き来して、フォルトに光をもたらしてくれた。

「そうか……死者の我等を前にしてのその言葉、相当の覚悟であろうの――よかろう。話そう、我等の成り立ちを」

 三人の子供達がザワーグの周囲に子犬のように寄り集まってくる。良く見ると、一人はベリーショートの少女だった。二人の子よりもより大きく丸い瞳をしているが、盲目らしくその瞳は集落の住人たちと唯一違い曇り硝子のようにけぶっている。おもむろにその少女が口を開いた。

「天に臨むこの集落は、あの世とこの世の境界の上、二つの世界が最も近く触れ合う場所にある。生者と死者の魂は空気に溶けて重なり、僕達の部族はその空気の中で生まれ、育ち、死んで行く。小さな集落に住まう僕達にとって、世界は僕と僕が重なるほど極小でもあり、同時にどうしようもな広大なのだと呼吸するだけで識ってしまう――だからでしょうか、僕達の中には、母の胎内の海でたゆたう時から他者の魂と世界を重ねて感じ、その世界感を抱いたまま生まれてしまう子が、稀に存在するのです」

 芝居めいた台詞をすらすらと話す少女は、容姿よりもよほど大人びて見えた。死してのちも魂は成熟を進めていくらしかった。

「唯一無二の世界感を持つ子は、同じ時代に一人だけ。当代はアビスちゃん――いえ、ひいさまにその感覚は宿りました。世界感は情緒に根を下ろして成長し、ひいさまの魂にぴったりと寄り添って花開きました。冗談みたいに聞こえるでしょうが、ひいさまはこの世界を、自分の胎内のように感じているんです」

「まさか――知りもしない世界のすべてをですか?」

「知りもしない、なんて言い切れる矮小な知覚が既にあなたの限界なのです。ひいさまの世界感はこの世に重なるように広がる魂の海すべてに伝播し繋がっています。まるで呼吸するように、ひいさま自身が自覚できないほどに自然に」

 そんな超越した感覚、理解も共感もできるはずが無い。だが同時に、人に理解されない感覚を誰しもが持ちうることもフォルトは理解していた。自らも生まれたときから身体の質量の何倍もある砂鉄が寄り添っているこの感覚を何度説明しても、周りには不可思議な顔をされるばかりなのだから。

 神妙な顔で黙るフォルトを見て話が通じたと思ったのか、少女はさらに言葉を続ける。

「僕達が死んだのは、八年前。奇病でした。身体が重くなり、意識が朦朧とし、数日の後に二度と目覚めぬ眠りにつく。痛みも苦しみも無い、その病は静かに静かに集落中に伝染していきました。ひいさまはその時、十歳を過ぎた頃でした。御身に宿る力の制御など、できるはずもありませんでした」

 闇に目を凝らす、窓の向こう、夜空の星々のように万華鏡の瞳がこちらを覗いている。

「ひいさまが感染しなかったのは、ひとえに奇跡と言うしかないのでしょう。あの静かな終焉の中で、彼女だけが何事も無いように生活していました。彼女の世界感は人の肉体がどうあるかは感知できないのです――結果、僕達は、彼女の世界感の中で生き続けることになりました――――このように」

 少女が両手を広げる。生きた人間となんら変わり無いその姿で。

「私は比較的初期に病にかかりました。死は、深い深い海の底に沈んで行くような感覚なんです。そのまま魂を海中に漂わせて海面を見つめていると、不意に光が差し込んできます。その光に誘われるように浮き上がり、境界を超えると、そこはいつも通りの朝、いつもの寝床の上なのです。ひいさまにとってこの世界は自分の胎内と同じで、だから魂さえ感じられれば簡単にその魂に肉体を与えることができます。蘇らせていると言うよりも、現世に生み直していると言ったほうがいいかもしれません――そうやって、僕達は幾夜も生死の境を踏み越えてきました。ひいさまがこの集落から攫われたあの日まで」

 そして、アビスが帰還したことによって、再び彼らはみな蘇って彼女を歓迎しているのだ。それにしても、とフォルトは目の前の大人びた瞳を持つ少女に疑問をぶつける。

「なぜ、数年ぶりに帰ってきても彼女は気付かない?君は、ずっと年を取っていないのだろう?」

「あなたは、羊の群れを見て、一匹一匹の性別や年齢まで正確にわかりますか?ひいさまにとって、僕達はその群れと同じ。外見の変化など些末なことでしかなく、あくまでも魂でのみ僕達を判別しているのです。死者は魂の海でも僅かに成長し、死後の時間の経過も認識できます。だからひいさまからすれば、僕達は着実に年を重ねたように見えているのです」

 とんでもない話だ。呆然とするフォルトへザワーグが静かに告げる。

「僕等の部族は、ひいさまのような特別な力をもって生まれた者を崇め守ってきた一族じゃ。だから、次々と病に倒れ蘇った同胞(はらから)はひいさまを傷つけまいと、日常を繰り返してきた。それが最善だと思っていたのじゃ……だが、そうして頑なに平穏を演じ続けてきたことが仇となり、結果、僕達は王国が侵略してきたあの時戦えなかった。ひいさまに、我等が死者だと露見することを避けたいが故に」

 口惜しそうな様子のザワーグ達。確かに、死者であれば、技能の無い集落の住人達でも国の兵士達に勝てただろう。死を恐れない者達が、一人の少女の世界が壊れることを何よりも恐れ、少女を失うことを許したと言うのは何たる皮肉か。

 そう、この最も天に近い、崖の上の集落は彼女の紡いだ虚構だったのだ。

 とっくに集落は存在していない。地図上ではもう帝国の領土として塗りつぶされている山岳でしかない。少し特徴的な形の建物が立つだけの廃墟。

 だけど、彼女がそこへ帰れば集落は確かに存在するのだ。日差しの強い岩だらけの山肌に、彼らの遺骨が万遍なく散らばっている。姫が近づけば、それは当たり前のように寄り集まり住人の形となって彼女を迎え入れる。

 ひいさまのお帰りだ。彼らは僅かに残った茶を煮出し、野草をかき集め彼女の帰還をもてなす。

 彼女は笑っている。幸せそうに。

 自分の守っているものを再確認して。

 それが彼女の無意識が作った偽者だとも知らずに。

「ひいさまが真実を知ったら、きっとお心を喪ってしまうでしょう」

 長い睫に縁取られた瞳を薄く開き、少女が歌うように囁く。

「いったい此処は何なのでしょうね?僕達が紡ぐのは永遠の理想郷?それとも魂の牢獄でしょうか――?」

 フォルトは魅入られたように、生きていればアビスと同じ年ごろだろう少女の瞳を見つめていた。幼子はまだふっくらとした小さな指を、薄い桜色の唇に当てる。

「だから、お願いだから黙っていてね。アビスちゃんの優しい嘘を」



 その夜フォルトは夢を見た。

 赤黒い奈落の中を、膝まで闇に沈ませながら進んで行く。どんどんと競り上がってくる闇に溺れながら、より闇の深いほうへと。

 深淵の底、光さえ吸い込まれそうな闇の中に、僅かな輝きを放つ万華鏡の髪が見える。項垂れて座り込むアビスは光る髪に包まれて生贄の子羊のように頼りない。

 泣いているのだろうか、フォルトは不安になる。そういえば、自分は彼女が泣いているところを見たことが無い。いつも毅然としていて、不遜な態度で、とても泣いている姿など想像できない。

「アビス様」

 声をかけると、ぴくりと肩が揺れ、アビスが顔を持ち上げる。

 そこには、ぽっかりと闇が漆黒の穴を開けていた。ひゅーひゅーと闇が彼女の頭蓋を通る音がする。目が見えないのか、顔に穴の開いたアビスは手探りでフォルトの足元に這い寄って来る。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 恐怖が反射の撃鉄を上げ、叫びがその引き金をあっけなく引かせる。自分の砂鉄が、棘となり彼女の胸を前から貫いた。背中から倒れていく最中に棘がさらに彼女の身体を貫き、結果仰向けになるような形でアビスは宙に固定された。ちょうど出会った日に、薔薇の花壇に寝転んでいた彼女を髣髴とさせて、思わずフォルトは笑ってしまった。

『――――殺したくない――』

 顔の穴から、闇の抜ける音に混じって声がする。エコーがかかったようなくぐもった声で聞き取り辛い。

『だってわからなくなってしまう――フォルト、あなたは生きているのぉぉ???』

 串刺しにされたまま手を伸ばしてくるアビスを砂鉄の棘がさらに穿つ。さして意味も無い言葉を吐き続けながら、もがき続ける彼女を幾度と無く串刺しにする。

 そんな夢だった。

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